Sky46-裏路地の再会-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
輸送艇がアルクトリ第三区画の着陸ベイに降りたのは、地上時間の午後三時過ぎだった。
ドック内の冷えた空気に触れて、機体の外装がわずかに軋む。エンジンの振動が止まると、代わりに油圧ハッチの開く音だけが、天井の高い格納庫にゆっくりと響いた。
「着いたぞ」
ニコが操縦席から立ち上がり、後部ハッチへ向かう。カイトは窓際の席から腰を上げ、肩にかけたバッグの重さを確かめた。
外に降りると、ベイの照明は薄暗く、昼間だというのに夜のような静けさがあった。コンクリートの床に、壁の錆びた案内板。奥のほうから、油と金属の匂いが流れてくる。
「よし、補給物資の確認から行くぞ」
ニコが先に歩き出し、サジとカイトが続いた。
補給センターはベイから徒歩五分ほどの距離で、そこへ続く通路は配管が剥き出しのまま薄暗く、どこかで水の滴る音がしていた。行き交う人間の顔は、疲れているか、警戒しているか、その両方だった。
入口には無精髭の中年警備員が一人、腰に拳銃を提げて立っている。目は疲れているのに、視線だけは鋭い。
「ARCLINE?」
「ああ」
ニコが身分証を見せると、警備員は端末で照合し、短く頷いた。
「中へどうぞ。担当者が待ってます」
センターの中は、倉庫というより市場に近かった。積み上げられたコンテナの間をフォークリフトが行き交い、作業員の怒鳴り声が反響する。その奥の小さなオフィスで、中年の女性が立ち上がった。
「ARCLINEの方ですね。こちらが今回の物資リストです。医薬品、食糧、燃料。それと難民船団への追加物資」
彼女が端末を操作すると、ホロに詳細なリストが浮かび上がる。ニコが目を通し、短く頷いた。
「数量は?」
「リスト通りです。ただし、医薬品の一部は代替品になっています。供給元の都合で」
「了解。確認する」
カイトとサジは、それぞれコンテナの検品に回った。医薬品の箱を一つずつ開けて中身を照合し、食糧パックの数を数え、燃料タンクの封印をチェックする。地味だが、この積み荷の先には難民船団の生活がある。
「……全部ちゃんと入ってるな」
「当たり前だ。ここは一応〝公式〟のルートだからな」
ニコが後ろから声をかけてくる。
「問題は、これを難民船団まで運ぶ途中だ」
カイトは黙って頷いた。アルクトリから難民船団への輸送ルートは、表向きは安全な中立圏内だが、実際にはどこで何が起きてもおかしくない。
「積み込みは明日の朝。それまでは自由時間だ。ただし、連絡は常に取れるようにしとけよ」
「了解」
センターを出ると、外はまだ明るかった。ビルの隙間から見えるアルクトリの空は、灰色と青の間のような色をしている。
「じゃ、俺は情報屋に顔出してくる。六時間後、ベイに集合な」
ニコが手を振って歩き出す。カイトはサジに向き直った。
「サジはどうする?」
「俺は酒場だな。情報収集って名目で」
サジがにやりと笑う。
「ボリーは?」
「……散歩」
カイトは短く返して、二人と別れた。
*
一人になると、カイトはフードを深く被り直した。
補給センターから大通りへ出た瞬間、空気が一変する。人の波、看板の洪水、複数の言語が入り乱れる喧騒。アルクトリ第三区画の中心通り——ここは「中立」という名の無法地帯だった。
通りの両側には、武器商人の看板から情報ブローカーのオフィス、偽造IDを売る裏店、どう見ても怪しい「輸出入代行業」の事務所までが、普通の飲食店や雑貨屋と隣り合って並んでいる。表と裏が入り混じって、境界線が見えない。歩く人間もばらばらで、階級章だけ外した連合の制服、帝国の軍用ブーツ、判別のつかない迷彩服、高級スーツ、ぼろぼろの作業着——みんなどこか警戒していて、視線が合わない。誰も長く立ち止まらず、会話は小声で素早い。
――ここじゃ、軍服より「何も着てない」やつの方が目立つ。
ケイの言葉を思い出す。その通りだった。堂々と何かの旗を背負って歩く人間は、この通りには一人もいない。みんな、何かを隠している。
古いビルの壁面には巨大な広告ホロが浮かび、ヴァルシュタイン重工のロゴと、アステリア総合体の企業マークと、ベルナイン共和国の観光案内と、帝国系企業の求人広告が、同じ壁の上に仲良く並んでいた。NTOも帝国も、中立国家も企業も、ここでは全部がただの「客」だ。
カイトは通りの中央を避け、建物の影を縫うように歩いた。露店から焼き肉の煙と香辛料の匂いが流れ、店主たちが「帝国産のいい肉あるよ」「連合のワインもあるぜ、本物だ」と声をかけてくる。無視して歩き、声をかけられるたびに、少しずつフードを深くした。
角を一つ曲がるごとに、街は顔を変えた。
グレーゾーンの求人ポスターが何層にも貼り重なった路地。一番下に透けて見えるのは十年以上前の広告で、アルクトリは何度も塗り替えられながら、何も変わっていない。小さな広場では、観光客の若者が笑いながら写真を撮るその横で、難民らしい家族——老人と若い母親と二人の子供——がわずかな荷物を抱えて座り込み、子供の一人がじっと噴水の水を見つめていた。広場の反対側のガラス張りのレストランでは、スーツ姿の男女がワインを傾けている。難民の家族から、数十メートルしか離れていない場所で。
カイトはその光景を数秒だけ見て、視線を外して歩き出した。
これが、アルクトリだ。誰もが何かを隠し、誰もが何かを探している。軍人も商人も難民も犯罪者も、全部が同じ通りを歩いている。
住宅地に近い路地に入ると、壁に洗濯物が干され、窓から料理の匂いがして、どこかで子供が泣いていた。普通の生活がある。ただ、その普通も一階の窓の鉄格子と、玄関に並ぶ複数の鍵と、路地の角の監視カメラで武装している。みんな、何かから身を守っていた。
商業区画に出れば、ヴァルシュタイン重工のオフィスビルと、アステリア総合体の支社と、中立国家の大使館が整然と並ぶ「表」の顔。以前、あのガラスと金属のビルでアンナ・ヴァルシュタインとキーン・グルドマン少尉を護衛したことを思い出す。二人とも、この街の表と裏を自然に使い分けていた。
もう少しだけ、歩きたかった。この「どこでもない場所」を。
昼からネオンの灯り始めた娯楽地区を足早に抜け、次の角を曲がると、急に静かな通りに出た。古い建物と石畳の道。街灯は少なく、人通りも少ない。ようやく、足を緩めた。
誰も俺を知らない。
そう思った瞬間、胸の奥が妙に軽くなった。ARCLINEのパイロットでも、レジスタンスでも、帝国の補給線を叩く側でもない。ここでは、ただの通行人だ。
カイトは、フードを深く被り直して、さらに奥へ歩いた。
*
気づけば、倉庫街を抜けた裏通りに入り込んでいた。
人通りのない路地。ゴミ箱の横に壊れた椅子が放置され、ビルとビルの隙間の換気口から温い風が漏れてくる。自販機の白い光が、壁の剥げを無言で照らしていた。
なぜここに来たのか、自分でもよく分からない。ただ、輸送艇に戻る前にもう少しだけ、この「どこでもない場所」にいたかった。
カイトはその光の半分に立ち止まり、ポケットの小銭で自販機のボタンを押した。ガタン、と音がして落ちてきた缶は冷たい。缶を持ったまま壁にもたれると、頭上には洗濯物を干すためのロープが渡り、その向こうに、細く切り取られた空があった。
アスミは、今どこにいるんだろう。
考えても仕方ないのに、ふと頭に浮かぶ。もう、俺のことなんて忘れてるかもしれない。そう思うと少しだけ楽になり、同時に、胸の奥が痛んだ。矛盾した感情が、行き場なく渦巻く。
缶のタブを開けて一口飲む。炭酸が喉を通る。甘い。でも、味をちゃんと感じているかどうかは分からなかった。
その時、背後に、気配が立った。
カイトの全身が、一瞬で強張った。
足音ではない。でも、確かに誰かがいる。視線を感じる。足の裏が床に貼りついて、呼吸だけが遅れる。
カイトは缶を持ったまま、ゆっくりと振り返った。
路地の入口に、一人の青年が立っていた。
薄茶の髪が、昔より金に寄った色。茶色の目も、薄茶色に変わっていた。
その目が、まっすぐこちらを捉えている。
カイトの心臓が、一度だけ大きく跳ねた。
……嘘だろ。
喉が乾いて、息が引っかかる。誰かに見つかるかもしれないとは思っていた。でも、セリだけは、ありえない。
セリは、こちらを見たまま動かない。その目は、昔と同じ、真っ直ぐすぎる目だった。
「……カイトだろ」
低い声。名前を呼ぶだけで、五年分の距離が一歩で埋まる。
カイトは、缶を持ったまま立ち尽くしていた。何か言わなければ。でも、何を言えばいい。喉の奥が渇いて、声が出ない。なんで、セリがここに。頭の中が真っ白になったまま、口からは驚くほど自然に、言葉が出た。
「……久しぶり」
それだけしか、渇いた喉の奥から出てこなかった。
次の瞬間、距離が消える。セリが二歩を一気に詰めて、カイトの肩を掴んだ。強い力じゃないのに、逃げ道がなくなる掴み方だった。引き寄せられて、胸と胸がぶつかる距離。カイトは、手に持っていた缶を落としそうになった。セリの指が、肩に食い込んでくる。
「……生きててよかった」
その言い方が、胸の奥を一発で殴る。
カイトは、少しだけ目を伏せた。
そんな顔するな。そんな、安心したみたいな顔するな。俺はもう、お前たちのいる場所には戻れない。
視界の端で、路地の湿気が白く揺れている気がした。VR教室の白い乾いた匂いが、一瞬だけ蘇る。机の並び。椅子の軋み。隣の席。セリの隣で、アスミが笑っていた光景が、一瞬だけ浮かんでくる。
口の端が引きつる。フードに隠れて、セリには届かない。
その瞬間、言うつもりのない言葉が、勝手に落ちた。
「……俺、いまARCLINEにいる」
口から出た瞬間、自分で驚いた。誰にも言わないと決めていた。決めていたのに、セリの前だと〝決めた自分〟がほどける。知っておいて欲しかった。そう思う自分が、確かにそこにいた。
セリの視線が、フードの影を一度だけ探る。眉がぴくりと跳ねた。
カイトは、ゆっくりと続けた。
「レジスタンス。……パイロットやってる」
空気が、すっと冷えた。路地の外のざわめきが、遠のいていく。セリの指が、肩を掴む力を強める。
怒ってる。分かっていた。分かっていて、それでも言った。
カイトは、視線を横に滑らせた。壁の落書き。ゴミ箱の影。どこでもいいから、セリの目を見ないで済む場所を探す。
「……アスミには、ここで会った事、絶対に言うなよ」
時間を置かずに続けた瞬間、セリの手が、肩から胸ぐらに移った。
布地が握りしめられる。怒鳴り声が、耳の横でぶつけられる。その言葉は、聞こえているのに、頭の中で意味にならない。
カイトは、ようやくセリの手首を片手で掴んだ。強くは握らない。それでも、「これ以上は引かない」という線だけは、はっきりさせた。
「……分かってるよ」
低く、小さく。けれど、迷いのない声だった。
セリの目が、さらに鋭くなる。その目を見て、カイトは、言わなければならないと思った。言わなければ、セリは納得しない。言わなければ、セリはアスミに伝えてしまう。
言ったら、セリに抱え込ませることになる。こいつは、きっと俺の事を信じて黙る。もう戻らないと決めた俺の事を。
カイトは、ほんの一瞬だけセリの目を真正面から捉えた。
「……うちの親父がやったんだよ」
その言葉を吐き出した瞬間、胸の奥が締め付けられた。
「…アスミの母親が死んだのは、俺の父親のせいなんだよ」
路地の奥で、換気扇がくぐもった音を立てて回っている。それ以外の音が、全部消えた気がした。
セリの動きが、止まる。瞬きの回数だけが、不自然に増える。
カイトは、胸ぐらを掴まれたまま、ほんの少しだけ視線を落とした。
「だから、俺は連れていかれた。人質だ」
淡々と告げるしかなかった。感情を込めたら、見透かされる。そうしなければ、全部崩れてしまいそうだった。
セリが何か言う。音は届いているのに、言葉のかたちにならない。
カイトの指が、セリの手首を握る力を少しだけ強める。
短い沈黙。
言えるわけがない。アスミの顔が、頭の中に浮かぶ。教室で笑っていた横顔。インシオンに残ると言っていた少し掠れた声。NTOに行かないと決めた、その理由を、俺は知ってしまった。そして、その理由を作ったのが、自分の父親だと知ってしまった。
セリの声が、また聞こえてくる。今度は、意味が分かった。
「……アスミ、今ヴィーラに乗ってる。次は西方だ、最前線。分かるか?」
その言葉が、胸に突き刺さる。
カイトの目が、大きく見開かれる。一瞬だけ、本当に一瞬だけ、昔の自分が浮かんで、すぐに押し殺された。
そうか。そうだよな。俺がいなくなったから、アスミはNTOに入ったんだ。戦場からアスミを引き離したくて、自分の親が関係していたなんて知られたくなくて、選んだ事が、あいつを戦場に連れ出す理由になった。
「…今更だな」
自分に叩きつけるみたいに言う。
全部、繋がってしまう。全部、俺のせいだ。
セリが何か言いかけた。でも、その言葉を遮るように、カイトは言った。
「…言うなよ、絶対に」
少しだけ顔を上げる。目の奥の影は、そのままだ。
セリの指から、力が抜けていく。カイトがそっと、その手を外した。
セリが、壁にもたれかかったまま、ずるずるとしゃがみ込む。背中に、コンクリートの冷たさが届いた。
カイトは、立ったまま、セリを見下ろしていた。
ごめん。お前に隠し事をさせて、アスミに言えない事を作らせて。でも、その言葉は、もう軽すぎる。
しゃがみ込んだまま、セリが言う。顔は上げない。声だけが、上向きに投げられる。
「……あいつ、ずっと待ってるぞ」
「知ってるよ」
待ってるって、何を待ってるんだろう。もう、俺は戻れないのに。
待たなくていい。忘れてくれていい。だから、NTOから離れてくれ。その願いは、アスミには届かない。
ほんの少しだけ横を向いて、路地の奥の暗がりを見る。
カイトは、短い沈黙の後、ようやくセリのほうを見下ろした。自分から距離を詰めようとはしない。
「…ごめんな」
その言葉は、妙に軽くて、妙に重くて。
セリは、膝に肘を乗せて、拳で額を押さえた。指先がわずかに震えている。カイトは、それを見ていた。
言いたいことは、まだある。でも、言葉にしたら、全部が崩れる。
カイトは、小さく息を吐いた。
足音は、一歩、二歩。セリのすぐ脇をかすめるようにして、路地を抜けていく。すれ違いざま、袖がかすかに触れた気がした。
振り返ったら、たぶん、止まってしまう。止まったら、たぶん、もう歩けなくなる。
だから、振り返らない。
背中に、セリの視線を感じる。息を吸う音がした。名前を呼ぶための呼吸だった。何か言いかけて、飲み込んだ気配がした。
二人とも、もう振り返らない。変わってしまった全てを、路地に置いてそれぞれの場所へ歩き出した。
*
通りに出ると、陽射しが眩しかった。
フードを深く被り直して、歩く速度を上げる。人混みの喧騒が耳に流れ込んでくる。さっきまでと同じ、中立地の昼の音だ。でも、全部が遠くに聞こえる。
戻ろう。早く。港の方向へ。輸送艇の待つ場所へ。足が、勝手に前に出る。石畳を踏みしめる感覚だけが、やけにはっきりしていた。
桟橋が見え、ARCLINEの輸送艇が薄暗い岸壁に停泊している。タラップの上に、見慣れた仲間の姿があった。
「おーい、カイト! 遅えぞ」
ニコが手を振る。カイトは、短く手を上げて返した。金属の階段が、ブーツの重みを素直に響かせた。
船室に戻ると、カイトはベッドに腰を下ろした。乱れた前髪を指で払う。
乗ってるのか。ヴィーラに。
セリの声が、路地裏の残響と一緒に頭の中でくり返される。西方。前線。言葉を並べるたびに、喉の奥がざらついた。
なんでだよ。
カイトは、ベッドの端に肘をつき、頭を両手で抱えた。
なんで、探そうとしたりした。なんで、行方しれずのやつを待とうとした。なんで……。
輸送艇のエンジンが始動する振動が、床伝いにじわじわと上がってきた。
ここに残ると決めたのは自分だ。自分で口に出した言葉が、今さらながら胸の内側をもう一度抉る。カイトは奥歯を噛んだ。
自分の首に巻き付いているその「線」の存在を、改めて指でなぞるみたいに意識する。
今いる場所は、レジスタンスARCLINE。帝国の補給線を断ち続ける、小さな牙。あいつらと同じ地図の上で、違う線を引いている。
《――各員、ブリーフィングルームに集合》
船内スピーカーが、短く呼び出しを告げた。次の作戦の説明だろう。またどこかの補給列を叩きに行く。帝国のどこかの線を、少しだけ削り取りに行く。
カイトは、ベッドの端から腰を上げた。低い天井に頭をぶつけないように少し身をかがめ、通路へ出る。金属の床板が、ブーツの重みを反響させた。
俺は今、ARCLINEにいる。帝国の補給線を削り続ける側にいる。
アスミは、NTOにいる。前線で、ヴィーラに乗っている。
……それでも。
カイトは、思考を止めた。今は、次の一点を撃ち抜くことだけを考える。
狭いブリーフィングルームの扉を押し開けた瞬間、アルクトリの路地裏の湿った空気は、ようやく船の空気に塗り替えられた。
胸の奥の硬さだけは、残ったままだった。
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