Sky45-中立地の影-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
ブリーフィングルームの空気は、昨日までの作戦の熱を、まだ少しだけ残していた。
壁一面の戦況モニターは、今は輝度を落とされて薄い青の地図だけを映している。その手前の楕円形のテーブルを囲んで、数人がそれぞれのコップを手にしていた。
カイトはテーブルの端に座り、肩にかけたジャケットから抜けきらない外気の冷たさを感じていた。
指先でカップの縁をなぞる。中身はもう冷めかけている。温かかった頃の記憶だけが、手のひらに残っていた。
スクリーンの青い光が、テーブルの表面に薄く反射していた。金属の冷たさと、光の温度のない色が混ざって、部屋全体を静かに包んでいる。
一番スクリーン寄りの席で、ミナが端末をコンソールに接続している。短く結んだ髪の先が、肩のあたりでわずかに揺れた。彼女の指が端末を滑らせるたびに、わずかなタップ音がする。その音だけが、部屋の中で一定のリズムを刻んでいた。
「補給ルートの再調整、確定」
淡々とした声が、室内に落ちる。感情の起伏がない、でもそれが逆に信頼できる声だ。
「次の寄港地、アルクトリ。中立圏のハブ・ステーション群」
指先を滑らせると、地図の一部が拡大され、点在するステーションと航路が浮かび上がった。
スクリーンには、青白い惑星と、その周囲を取り巻く軌道ステーション群。
いくつもの航路線が、蜘蛛の巣みたいに交差している。惑星の輪郭は柔らかく発光していて、その周りを無数の光点が回っている。まるで生き物の血管みたいに、物資と人が流れている。
巨大なリング型ステーションと、その下に浮かぶ港湾都市。NTO旗、帝国旗、中立国家の旗。色も形もばらばらな印が、港の入口周辺にひしめいていた。どの国の船も、どの陣営の兵士も、ここでは同じ空気を吸っている。
カイトは、そのごちゃごちゃした画面を見ながら、小さく息を吐いた。
アルクトリか。名前は知っている。前にも行ったことがある。中立の看板を掲げた、暗躍する人間の場所。
「アルクトリ、ねぇ」
ニコが椅子の背にもたれ、手にしたカップをくるりと回す。
「中立の顔して、全部の船がごちゃ混ぜになってる場所だ。飯はうまいけどな。あと酒も」
「仕事中に酒の話をしないでください」
ミナが眉一つ動かさずに言う。声のトーンは変わらないが、わずかに呆れている。
ニコは肩をすくめて、コーヒーを一口飲んだ。そのやり取りを、カイトは黙って聞いていた。
ケイが最後に部屋へ入ってきて、ドアが音もなく閉まる。
片手には紙こっぷ、もう片手には、小さく折りたたまれた電送命令書を持っていた。足音は静かで、でも誰もが気配を感じ取って視線を向ける。テーブルの中央まで歩いてくると、ケイはスクリーンに視線を投げた。
「で?」
ケイはミナの背後のスクリーンに視線を投げた。
「何日いる」
「最短三日、最長で一週間」
ミナが手元のデータを確認する。
「補給と修理、それから難民船団への物資移送。ついでにNTOとの”話し合い”がいくつか」
「ついで、な」
ケイは鼻で笑い、手の中の命令書をテーブルの中央に置いた。
紙が金属のテーブルに触れる音が、妙にはっきり聞こえた。乾いた音。軽いのに、重い意味を持った音。
「アルクトリは、中立の皮かぶったカオスの温床だ。油断すんな」
ケイの声は低く、しかし明確だった。カイトは、テーブルの端でその言葉を聞きながら、カップの中身を見つめた。
湯気はもう出ていない。表面に薄い膜が張っている。もう飲めない温度になっていることを確かめるようにカップを揺らした。
「アルクトリと言えばさ」
サジは、何か思い出したように目を細めた。
「前にあそこで “お嬢様護衛ミッション”やったことあるだろ、カイト」
「……」
急に振られて、カイトはわずかに瞬きをした。視線を上げると、サジがにやにやしながらこちらを見ていた。
「ヴァルシュタイン家のお嬢様と、付いてた少尉。……ほら、あの」
「キーン・グルドマン少尉」
ミナが、短く補足する。
「ベルナイン共和国所属。ヴァルシュタイン重工の”お家”とNTOのパイプ役」
「そう、それ」
サジが指を鳴らす。その音が、部屋の中で妙に大きく響いた。
「あれは面倒だったなぁ。“お嬢様を傷一つ付けるな、でもどの路地も危険だから近づくな”っていう、嫌がらせみたいなオーダー」
「文句があるなら、依頼主じゃなくて、あの時の自分に言え」
ニコがニヤニヤしながら茶々を入れる。
「『了解しました』 って一番に返事してたの、お前だろ」
「金払いが良かったんだよ、あそこは」
サジは苦笑し、カップを一口あおった。カイトは、黙ったままテーブルの一点を見ていた。
アンナ・ヴァルシュタインの顔が、ぼんやりと浮かんでくる。
自分が上等に扱われるのが当然のことのような立ち振る舞い。それを横目に受け流す、キーンの冷静な横顔。
アルクトリの雑踏の中、あの二人の背中を追って歩いた距離が、ぼんやりと足の裏に蘇る。
「……少尉は、ちゃんと仕事してただけだよ」
そこでようやく、カイトが口を開いた。視線はテーブルの一点を見たまま、声だけが静かに落ちる。
「ヴァルシュタイン側の条件も、NTO側の都合も、全部抱えてた。あれで不満一つ顔に出さないのは、大したもんだ」
「お、フォロー入った」
ニコが片眉を上げる。
「珍しいな、カイト」
「職業病みたいなもんだ。護衛は護衛で、しんどい」
カイトはそこで言葉を切り、手元に視線を落とした。
冷めたコーヒーの表面が、スクリーンの青い光を薄く映している。まるで鏡みたいに、自分の影が映り込んでいる。
「今回は、その二人はいない」
ケイが言う。視線は命令書へ、声は室内の全員に向けられていた。
「ヴァルシュタイン絡みの予定は、少なくともこの寄港では入ってない」
「軍服より、スーツ着たやつらの方が厄介ってやつですね」
後方のドアにもたれていたリアが、苦笑した。
「それと、何着てるか分からない連中も」
ニコが付け足す。
「前に見たぞ、上半身だけNTOの軍服で、下が民間用防弾ズボンのやつ。あれはどこの誰だったんだ」
「知らない方が、長生きできる」
ミナが端末から目を離さずに言う。その言葉が、妙にリアルに響いた。
カイトは、カップを机に置いた。金属のテーブルに、小さく音が立つ。冷めたコーヒーの重さが、手のひらから消えた。
「武装制限について」
ミナが、タブレットを操作しながら続ける。
「アルクトリ第三区画。我々の寄港予定ブロックでは、露骨な軍用装備は全面禁止。重火器の携行は禁止。個人携行武器は “護身用に見える範囲”で、と規定されています」
「要するに、“持っててもバレるな”ってことだ」
ケイが肩をすくめる。
「スーツも軍服は避けろ。どう見ても連合兵、どう見ても帝国兵、って格好は撃ってくれって言ってるのと同じだ」
数人が苦笑する。カイトは、黙ったまま聞いていた。
民間服。護身用の武器。要するに、“目立つな”ということだ。
「通信制限は?」
ウィリスが、短く問う。
「軍用帯は一切使用禁止。現地ネットワーク経由のやり取りも、最低限の暗号だけ」
ミナが手元のデータをめくる。
「コアシップとは、ニコ経由の一点のみ。向こうも監視しているはずです」
「つまり、あんまり喋るなってことだな」
ニコが顎を掻きながら笑う。
「表向きは “協力企業との面談”だしな。裏じゃ情報のバーゲンセールだ」
ケイが少しだけ口元を歪めた。
「名前が出てるところで言えば⸺」
ミナがスクリーンに新たなロゴを二つ投影する。
一つは、金色の星を象ったマーク。もう一つは、重なり合う歯車と翼。
カイトは、その二つのロゴを見上げた。見覚えがある。特に、歯車と翼の方。
「アステリア総合体と、ヴァルシュタイン重工。どちらも、アルクトリ第三区画に主要オフィスを置いています」
「ヴァルシュタインは言わずもがな、“戦略兵器メーカー様”だ」
ニコが顎をしゃくってロゴを指す。
「表向きはNTOとオルテアの協力企業。裏では”どこまでが商売でどこからが政治か分からねえ”連中だな」
「そういう奴らの間を、俺たちはちょろちょろ泳ぐわけだ」
サジが、椅子を前に倒しながら肩を回す。
カイトは、スクリーンのロゴを見つめたまま、小さく息を吐いた。
また、あそこに行くのか。アルクトリ。中立の街。誰もが旗を隠し、誰もが何かを売り買いしている場所。
「今回の地上班は」
ケイが手元の端末をスライドさせる。スクリーンに、簡易リストが浮かび上がった。
「補給班護衛名目で降りるのは、カイト、サジ、それとニコ。ミナはこっちで耳と目だ。ウィリスは軌道上で待機」
「了解」
カイトは短く返事をする。
ニコが片手を挙げて 「はーい」 と気の抜けた声を出した。
「また付きまとわれたらどうする?」
サジが肩をすくめる。
「付きまとわれないように動く」
淡々と答えるカイトに、ニコがくすりと笑った。
「カイト、任務には忠実だけど、愛想はほんとねえよな」
「愛想が欲しいなら、お前を前に出せばいい」
「光栄だねぇ」
ニコは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
スクリーンの映像が切り替わる。雑多な街並みを、上空から俯瞰した画。
積層されたビル群の隙間を、ネオンと煙が縫うように流れている。上層はガラスと金属の光。きらびやかで、清潔で、金の匂いがする。下層は、看板のチカチカした光と、薄暗い路地。人の匂いと、油の匂いと、生活の匂いが混ざっている。
カイトは、その画面を見ながら、指先でテーブルの縁をなぞった。アルクトリの路地。前に歩いた時の記憶が、ぼんやりと蘇ってくる。
「⸺ともかく」
ケイが、軽く咳払いして話を戻す。
「アルクトリでは路地の影と、酒場のカウンターには気をつけろ」
「旗と制服は信用するな。信用できるのは、自分の足と、自分の銃と、隣にいるやつ」
ミナが付け加える。
「あと、飯屋のばあさん」
サジが挙手する。
「前に行ったとき、タダでスープおかわりくれた」
「それはお前が細いからだろ。あれは人道支援だ」
ニコの突っ込みに、廊下側からくすりと笑いが漏れる。笑いの波が一度だけ広がって、それからすぐに静かになった。
ケイはコップの中身を飲み干し、カップをテーブルに置く。乾いた音が、部屋の中に響いた。
「アルクトリじゃあ、誰がどこの味方か、見た目じゃ分からん。軍服着てようが、着てなかろうがな」
低く、しかしはっきりした声で言った。
「忘れるなよ」
その言葉に、部屋の空気がわずかに引き締まる。カイトは小さく息を吸い込み、頷いた
「……質問は?」
何もなければ解散だ、と視線で促す。誰も口を開かなかった。スクリーンの光だけが、テーブルの上を青く照らしている。
「なし、か」
ケイは立ち上がった。
「じゃあ、各自準備しろ。地上班は六時間後に出発だ」
ブリーフィングが終わると、各々が席を立って散っていく。
ミナは無言でデータを回収しに前へ向かい、ニコは伸びをしながら 「あー、惑星飯だー」 とぼやいていた。
サジはカイトの肩を肘でつつきながら、「お嬢様に会ったらサインもらっといて」 などと適当なことを言っている。
「自分で頼め」
カイトは、鬱陶しそうにその肘を払い落とした。サジは笑いながら先に部屋を出ていく。
通路に出ると、船内の振動がわずかに変わるのが足の裏に伝わってくる。メインスラスターの調整に入った合図だ。エンジン音が低く、でも力強く響いている。壁の小窓から、外の景色がちらりと見えた。
まだ少し距離のあるアルクトリのステーション。その下に、薄く灯る都市の光。上層の明るいネオン。下層の薄暗い路地。
カイトは足を止め、小窓に近づいた。
強化ガラス越しに見るアルクトリは、美しいとも醜いともつかない光の塊だった。
整然とした軍港とは違う。どこか歪で、どこか華やかで、どこか薄汚れている。そこに、NTOの船も、帝国の船も、民間船も、同じ軌道を巡っている。
リング型ステーションの縁が、ゆっくりと回転しているのが見えた。
カイトは、ガラスに映る自分の顔をちらりと見た。疲れている。目の下に薄く影ができている。
でも、それは当たり前だ。補給班護衛、情報収集、中立地での立ち回り。アルクトリで何が待っていようと、やることは変わらない。
変わらないはずなのに。胸のどこかが、わずかにざわつく。嫌な予感なのか、単なる緊張なのか。自分でも判別がつかなかった。通信機から、ニコの声が飛んでくる。
『地上班は十分後に発進準備。カイト、聞こえてるか?』
「聞こえてる」
カイトは視線を窓から外し、踵を返した。甲板へ向かう通路の照明が、微かに明るさを増す。
アルクトリの雑多な街並みが、ゆっくりと視界の外へ滑り落ちていった。
自分の部屋に戻ると、カイトは狭いロッカーを開けた。軍用のジャケットを脱ぎ、民間服に着替える。
黒いフーディ。ジーンズ。ブーツ。鏡に映る自分は、どこにでもいる若者に見える。ただの旅行者。ただの学生。ただの誰か。
フードを被れば、もっと目立たない。腰のホルスターに、小型の拳銃を差し込む。
“護身用に見える範囲”。
ケイの言葉を反芻しながら、上着で隠す。ベッドの上に、小さなバッグを置いた。
中身は最小限。通信機。予備のマガジン。少しの現金。カイトは、バッグを肩にかけて部屋を出た。
格納庫には、すでにサジとニコが待っていた。
二人とも民間服に着替えている。サジはジャケット、ニコはパーカー。どちらも目立たない色だった。
「おー、来た来た」
ニコが手を振る。
「カイト、今日はちゃんと “普通の人”に見えるぞ」
「いつもは普通じゃないみたいな言い方だな」
サジが笑いながら肩を叩いてくる。
「いつもは “仕事モード”だろ」
カイトは小さく息を吐いた。
格納庫のシャッターが開き、小型の輸送艇が見えてくる。灰色の機体。民間用の登録番号。どこの国の旗もない。
「じゃ、行くか」
ニコが先に乗り込む。サジが続き、カイトが最後に乗った。シャッターが閉まる音が、背後で響く。
輸送艇のエンジンが始動した。振動が、床から伝わってくる。
『地上班、発進許可。アルクトリ第三区画着陸ベイへ』
ミナの声が、通信機から流れてきた。
「了解」
ニコが操縦席で返事をする。輸送艇が、ゆっくりと動き出した。窓の外に、アルクトリの光が広がっていく。
カイトは、窓際の席に座って、その光を見つめた。
本作の本文・設定・登場人物・固有名詞・世界観・構成を、作者の許可なく転載、複製、翻案、要約転載、データセット化、AI学習・機械学習・生成AIサービスへの入力、解析、再配布に利用することを禁じます。




