Sky44-赤い光跡-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
格納庫の空気は、まだ金属とオイルの匂いを残していた。
カイトは自分の機体から降りて、ヘルメットを脇に抱えたまま、タラップの鉄板を一段ずつ踏みしめた。足の裏に伝わる振動が、少しずつ「地面」の感覚を取り戻していく。宇宙から帰ってきた身体は、いつも半日ぶんくらい、床を信じるのに時間がかかる。
「おつかれさん、Vector」
機体の下で、整備服を着たタミルが工具箱を片手に顔を出した。
「今日も無茶したな」
「無茶はしてません」
カイトが答えると、タミルは機体の腹を軽く叩いた。
「外装に擦過痕。何センチ?」
「……十センチくらい」
「嘘つけ。五センチだ」
タミルは呆れたように首を振った。装甲の縁を指の腹でなぞり、削れた塗装の粉を親指で払う。
「衛星のアンテナに擦るなんて、お前ぐらいだぞ」
「すいません」
「謝るなら、次から気をつけろ」
それだけ言うと、タミルは機体の下に潜り込んでいった。
カイトは小さく息を吐いて、格納庫を出た。
*
廊下は静かだった。壁際の照明が、一定間隔で薄い光を落としている。足音が、金属の床に反響した。
カイトは手袋を外しながら歩く。指先が、まだ少しだけ震えている。加速の名残なのか、緊張の名残なのかは、自分でも分からない。
……今日も、生きて帰れた。それだけで十分だ。
角を曲がると、シャワー室の扉が見えてきた。中に入ると、湿った空気と石鹸の匂い。誰もいない。
カイトはパイロットスーツを脱ぎ、シャワーを浴びた。
熱い湯が、肩から背中へ流れていく。冷え切った皮膚が、遅れて痛みに似た熱を返してきた。目を閉じると、さっきまでの宇宙空間が浮かんでくる。
暗い宇宙。灰色の衛星。敵レーダーの扇形。
顔を出さなかったら、届かなかった。あの軌道は危険だった。でも、それ以外に方法がなかった。
湯を止めると、排水口へ落ちていく水の音だけが、狭い空間に残る。タオルで体を拭き、鏡を見た。曇ったガラスの向こうで、自分の顔が少しだけ疲れている。
着替えを済ませて、シャワー室を出た。
*
食堂の照明は、いつもより少し暗く落とされていた。
作戦直後の時間帯は、シフトの合間を縫って人がばらばらに集まってくる。カイトはトレーを片手に、空いている席を探して立ち尽くしていた。
「カイト。ぼさっと突っ立ってると、飯こぼすぞ」
奥のテーブルから、サジが手を振った。向かいにはリアが、足を椅子の脚に引っ掛けたままタブレットをいじっている。
「ここ、空いてる」
リアが視線だけ上げて言う。
「悪い」
カイトは二人のテーブルにトレーを置き、腰を下ろした。
スープの湯気と、油の匂い。遠くの給湯器から、マグにコーヒーを注ぐ音がする。
トレーの上を見た。茶色いスープ。固いパン。肉っぽい何かが乗った皿。見た目は良くないが、温かい。
「いや、今日のはなかなかスリリングだったな」
サジが、フォークで肉っぽい何かを突きながら笑った。
「撃ち合わないミッションって、逆に心臓に悪くない?」
「サジは黙ってて」
リアがため息混じりに言う。
「〝撃たないで済むなら、それに越したことない〟って、さっき自分で言ってたでしょ」
「言ったけどさ。言ったけど、敵の通信ログがずらーっと並んでるの見ながら護衛するのは、それはそれで寿命削れるんだよ」
サジは、肩をすくめてからカイトを見た。
「なあカイト。お前、時々かなり危険なライン攻めていくよな」
「そうか?」
即答しながら、カイトはパンをちぎった。固い。でも、噛んでいると少しずつ甘みが出てくる。
「〝ここで撃たれたら終わりだな〟って軌道に、平気で一回は顔出すのやめてくれる?」
リアがタブレットの画面を見ながら言った。
「顔出さなかったら、あの衛星まで届かなかっただろ」
パンを噛みながら、カイトは淡々と答える。
「ほらな、そういうところだよ」
サジが苦笑いで眉を上げる。
「死にたくないなら、もうちょい自分を大事に……」
「静かに」
リアが、持っていたスプーンをテーブルに置いた。視線は、食堂の端のモニターに向いている。
ちょうど、ニュースチャンネルに切り替わったところだった。
カイトも、フォークを置いてモニターを見た。画面には、ニュースキャスターの顔。その横に、テロップが流れている。
《――次のニュースです》
淡々としたアナウンサーの声。画面の上には、《NTO統合軍北方戦線》のテロップ。
カイトの手が、パンをちぎったまま止まる。
「……北方」
小さくつぶやいた声が、二人に届いたかはわからない。
モニターの映像が、空撮に切り替わる。
《北方第七基地を中心とした防衛ラインにおいて、NTO統合軍は本日、オルテア帝国機動部隊の大規模な侵攻を撃退したと発表しました》
白い雪原。黒く焦げた地表。その上を、赤い残光が走り抜けていく。
カイトは、スープのカップを両手で持った。
温かい。でも、画面の中の雪原は、きっと冷たい。
《映像は本日午前、NTO統合軍広報部が公開したものです》
カメラのブレた画角。そこに映るのは、白い機体から赤い光を溢れさせたヴィーラだった。
機体の繋ぎ目から赤い光が漏れ、雪雲を切り裂くように降下していく。その後ろに、白い尾のような熱の軌跡が残った。
カイトは、息を止めた。
ヴィーラ。自分も乗っている機体と、同じ型。でも、あんなふうに赤く光るのは見たことがない。
「……光り方、異常じゃない?」
サジが、スプーンを止めたまま呟く。
「あんなに赤く光って、目立つにも程があるでしょ。というか、あれって、オルタイトの残光だろ? 身体大丈夫なわけ?」
「目立たせたいんでしょうね。高適合者のオルディア人が操作しているのかもね。NTOの事だから、あの一瞬の映像のためだけに使ったのかもしれない」
リアが、さほど興味なさそうな声で言う。
「〝宣伝用〟って感じがする。NTOのこういうところが、嫌いなのよね」
カイトは、画面を見たまま、スープを一口飲んだ。
《NTO北方方面軍は、本作戦において、新たに配備された高適合率パイロットの活躍があったとコメントしています》
画面の下に、小さく文字列が流れた。
《――連合軍内部では、〝赤いヴィーラ〟の登場により――》
「ほらね。〝赤いヴィーラ〟、ねえ」
リアの口元が、わずかに歪む。
《一部メディアでは、この機体を〝赤い薔薇 レッドローズ〟と呼び――》
「ちょっと待て」
サジが吹き出しかけた。
「〝薔薇〟て。コードネーム? ダサくない?」
「サジ」
リアがじとっとした目を向ける。
「こういうのは、だいたいメディアが勝手につけるの。本人のセンスとは限らないから」
「いやでも、〝薔薇〟はないだろ……」
「あんただって、〝狐〟じゃない。大して変わんないわよ」
サジは、ぶつぶつ言いながらスプーンを口に運んだ。
カイトは、無言で画面を見上げていた。
赤く光る機体のアップ。繋ぎ目から溢れる光が、白い装甲の上を赤く染めている。
だが、コクピットの中までは映らない。機体番号も、パイロット名も、テロップには出てこない。映っているのは、赤く光る機体と白い雪のコントラストだけだ。
雪煙の中を飛ぶ機影。撃ち落とされて爆散する帝国機。その火線の軌道。
繋ぎ目から溢れる赤い光は、まるで内側から燃えているみたいに見える。
自分も、限界まで出力を上げれば赤くなる。でも、赤くなれば代償が来る。身体が、脳が、内臓がおかしくなる。訓練で一度だけ試したときは、指先の感覚が半日戻らなかった。
それなのに、あのパイロットはまだ飛び続けている。
《帝国側は、NTOが新たな〝特別兵器〟を配備したと非難。声明の中で、この機体を〝赤い薔薇〟と呼び――》
画面が切り替わる。今度は帝国側のニュース映像らしい。
厳めしい制服の報道官が、硬い表情で何かを読み上げている。その横のパネルには、やはり赤く光る機体のシルエット。
《――帝国軍広報は、「NTOは新たな実験兵器〝赤い薔薇〟を戦場に投入した」として強く非難――》
「実験兵器、ね」
リアが、タブレットを机に置いて、鼻で笑った。
「自分たちが一番やってることを、よく人に言えるわね」
「まあ〝怖いもんが出たから、名前つけて距離取ろう〟っていう、いつものやつだろ」
サジは下を向いて食事を続けている。カイトは、まだ何も言わない。
画面がふっと変わり、中立圏のニュースチャンネルに切り替わった。
《次は、軍事アナリストのハラン氏にお話を伺います》
司会者の隣に、スーツ姿の男が座っている。
《〝Red Rose〟と呼ばれるこの新型ヴィーラですが――》
《ええ、現時点では情報が少ないものの、北方戦線の戦況を一気に覆すだけの性能を持っているのは確かでしょう。ただし、パイロットへの負荷や、政治的な象徴としての側面も無視できません》
《〝象徴〟ですか》
《はい。NTOはこれを〝希望の象徴〟として宣伝したいでしょうし、帝国側から見れば〝恐怖の象徴〟です。中立圏からすれば――そうですね、〝新しい怪物〟が一つ増えた、という印象でしょうか》
男は、笑っているような、笑っていないような表情で肩をすくめた。
《Red Rose――赤い薔薇。名前だけ聞くとロマンチックですが、戦場に咲く薔薇は、いつだって血だまりの上ですから》
「やっぱダセぇわ」
サジが、顔を上げて画面を見て、真顔で言った。
「ロマンチックぶってんじゃねえよって感じ」
「名前の話にそんな熱くならなくていいから」
リアが呆れた目でサジを見た。その視線が、ふとカイトに向く。
「……Vector?」
カイトは、スプーンを皿の上に置いたまま、画面を見上げていた。
赤い光跡。雪煙。その向こうの空。
声は、何も聞こえない。そこにいるのが誰かも分からない。名前のあるものは、機体の色だけだ。
赤く光るヴィーラ。胸のどこかが、じわりと熱くなる。
目立ちすぎる。どれだけ腕が良くても、あんなに赤く光りながら前に出れば、真っ先に狙われる。敵も、味方も、視線を奪われる。それに、あれだけ赤く光っているということは、限界を超えている。代償が、身体に来ているはずだ。
それでも。
画面の中の機体は、撃墜されてはいなかった。雲間を抜け、敵の弾をすり抜け、何度も〝死にかけては、生き残る〟動きを繰り返している。
「……どう思う?」
リアが聞いた。問いは、サジではなく、カイトに向けられていた。
カイトは少しだけ考えてから、短く答える。
「腕のいいパイロットだ」
「それだけ?」
「それだけじゃないけど」
言葉が、そこで途切れる。
〝それだけじゃない〟何かが、喉の奥にひっかかる。この世界のどこかで、同じようにヴィーラに乗っている誰か。頭の中で、いくつかの点が細い線で繋がりかけて、そこで止まる。
……まさかな。
自分で、自分の想像を否定した。そんな都合のいい偶然が、この戦争の中にあるとは思えない。あいつは軍が嫌いだった。あの教室で、一度もそんな話をしたことはない。
モニターの音量が、少し下がる。別のニュースに話題が切り替わっていく。
「ま、どこの誰かは知らねえけどさ」
サジがマグを持ち上げた。
「こっちとしては、帝国ぶっ叩いてくれるなら歓迎だよ。赤でも青でも、なんでもいい」
「……そうね」
リアもタブレットを持ち直して、また画面に目を落とす。
「どうせ、こっちとは別の地獄を見てる誰かよ」
カイトは、手元のスープを一口飲んだ。
温度は、感じる。味も、ちゃんとある。それでも、どこか現実感が薄かった。さっき見た、赤い光を放つ機体の軌跡が、頭の中に焼き付いて離れない。
どこの、誰だ。
問いは、心の中だけで宙に浮いた。答えは、まだ来ない。
食堂のざわめきだけが、いつも通りの音量で続いていた。
*
食事を終えて、カイトはトレーを返却口に置いた。フォークとスプーンが、金属の音を立てる。
リアとサジは、まだ席に座ったまま何か話している。
食堂を出ると、廊下はさっきより少しだけ人が増えていた。次のシフトに入る人たち。休憩に向かう人たち。すれ違う顔は、半分くらいしか知らない。それでも、みんな同じ船に乗っている。
角を曲がると、自分の部屋の扉が見えてきた。カードキーをかざして、中に入る。
狭い部屋。ベッドと、小さな机と、壁に埋め込まれたロッカー。
カイトはベッドに腰を下ろした。
窓の外には、インシオンが見える。青と白の球体。雲の切れ目から、大陸の輪郭がうっすらと浮かんでいる。北半球の白い縁は、ここからだとただの明るい帯にしか見えない。雪原も、焦げた地表も、赤い光も、この距離では何ひとつ映らない。
その白い帯のどこかに、北方第七基地がある。あの赤く光るヴィーラがいる。
その中に、誰が乗っている。
カイトは、目を閉じた。暗闇の中に、赤い光跡が浮かんでくる。
それが消えるまで、じっと待った。
本作の本文・設定・登場人物・固有名詞・世界観・構成を、作者の許可なく転載、複製、翻案、要約転載、データセット化、AI学習・機械学習・生成AIサービスへの入力、解析、再配布に利用することを禁じます。




