Sky43-ノイズの中で-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
惑星インシオンから少し離れた、デブリ群の中にARCLINEは隠れていた。
宇宙空間にいる艦の艦橋は、薄暗い。壁一面のスクリーンに、点と線で描かれた星図が浮かんでいる。青い光が、コンソールに向かうオペレーターたちの顔を下から照らしていた。
船体を包むエンジンの低い唸りに、コンソールの電子音が細かく混ざる。空気は乾いていて、金属とオゾンの匂いがした。長時間、閉じられた空間の匂いだ。
ミナは、正面の端末に向かって、ほとんど瞬きもせずにデータの流れを追っていた。
細い指が、キーボードの上を滑る。
帝国側の衛星中継、パターン固定。
スクロールしていくログの中から、周期的に現れる符号列を指先でなぞる。同じ暗号パターンが、十五分ごとに繰り返されている。規則的すぎる。自動化されたシステムの証拠だ。
「ミナ、目標の〝顔〟は見えてきたか?」
後ろから、ニコが片肘をコンソールに突きながら覗き込んだ。髪は相変わらず適当に束ねただけ、制服の上着も半分開きかけている。
「帝国軍標準暗号プロトコル。中継ノードはこの三つです」
ミナは、短く答えながら、星図の一部を拡大した。指先が画面に触れ、タップ音が小さく響く。
帝国領とNTO領の境界線、そのさらに外側。中立宙域にわざと置かれた、灰色のマーカー。三つの点が、正三角形を作るように配置されている。
「今日の標的はあれだ」
星図の別のエリアで、ケイが腕を組んで立っていた。スクリーンの光だけが、横顔を斜めに照らしている。目の下に、薄い隈がある。
「帝国通信衛星中継拠点。ここにノイズを突っ込んで、ついでにログを抜く」
声は低く、淡々としていた。
「正面から撃ち合いじゃないのは、ありがたいっちゃありがたいけどさ」
ニコが、どこか眠そうな声で言う。肩をすくめて、マグカップを持ち上げた。
「敵の本隊が来ない保証はないし、バレたら普通に撃ち合いですよ?」
「だから、〝バレる前に終わらせろ〟って話だ」
ケイは、それだけ言ってスクリーンから視線を外した。
「Strike Wingに通達。二十分後に出撃準備完了だ。やれるかどうかじゃない、やるためにどうするかを考えろ」
その言葉を最後に、ケイは艦橋を出て行った。扉が閉まる音が、低く響く。
「いつもながら、分かりやすい上司だよなぁ」
ニコが、頭をがしがしかきながら苦笑した。
ミナは、一つだけ小さく息を吐くと、コンソールに新しいタブを開いた。
敵軍通信ログ。どれだけ〝拾って〟これるか。彼女の前に、文字と数字の海が広がっていく。
*
格納庫には、金属とオイルの匂いが満ちていた。高い天井。床に引かれた黄色い誘導ライン。あちこちに組まれた整備用の足場の間を、整備兵たちが最後のチェックに走り回っている。
「今日はクラゲの番かよ」
自分の機体の脚に寄りかかっていたサジが、大きく伸びをしながら言った。
その視線の先、白と青を基調にした支援機のコクピットに、リアが乗り込んだところだった。
「〝番〟とか言わないで、サジ」
リアは、ヘルメット越しににやっと笑った。
「正面から撃ち合うの、みんな飽きたんでしょ? 今日はこっちがメインだよ」
「お前がメインの時って、大抵ロクでもねえ汗のかき方するんだよなぁ……」
サジが、わざとらしく大げさに肩をすくめる。
そのやり取りを横目で見ながら、カイトは自分の機体のタラップを上がった。金属の階段が、一段ごとにきしむ。
コクピットに腰を下ろすと、シートが背中に馴染む感覚がある。少し硬い。でも、もう慣れた。ハーネスを締める。カチリという音とともに、体が機体に固定される。
計器盤のスイッチを入れる。ディスプレイが次々と点灯し、システムチェックの進行バーが、ゆっくりと右へ伸びていく。
「Vector、音声チェック」
ヘルメットの内側に、ウィリスの低い声が響いた。
「聞こえてる」
カイトは短く答える。
「Fox、クラゲ」
《こちらFox。いい感じに死にたくない気分だ》
《クラゲもオッケー。今日の私は〝見えない殴り合い〟担当だからね》
「ニコだ。Strike Wing、回線良好。目標座標送信」
ニコの声に合わせて、HUDの隅にミナの作ったルートが浮かび上がる。
緑色の細い線が、星図の上を這っている。途中で何度か屈折しながら、敵のレーダー網の〝薄いところ〟を縫っていくルートだ。
《あとは、こっちがどれだけ静かに近づけるかです》
ミナの淡々とした声が、同じ回線に乗った。
《敵の監視パターンはこちらで読みます。みなさんは、自分の鼓動だけ数えてて下さい》
「……心臓の鼓動数えながら戦えってか。鬼だな、ミナ」
サジがぼやく。でも、声には笑いが混じっている。
カイトは、短く笑ってからスロットルに手をかけた。
撃ち合いじゃない。……でも、失敗したら普通に死ぬやつだ。だからこそ、落ちるわけにはいかない。
「Strike Wing、発進許可」
ニコの声と同時に、格納庫の床が微かに震えた。黒い宇宙への扉が、ゆっくりと開いていく。空気が抜けていく音がして、外の暗闇が、少しずつ見えてくる。
*
コクピットの中で聞こえるのは、機体の振動と、自分の呼吸と、回線越しの声だけだ。
外は、静寂。無限に広がる暗闇に、星の光が点々と散らばっている。視界の端では、青白い星雲がガスと塵の淡い光を広げていた。
《……現在、敵レーダーの主要走査角度はこの範囲》
ミナから送られてくるデータが、カイトのHUD上に半透明の扇形で表示された。
赤い扇形。敵のレーダーが届く範囲。その端が、ゆっくりと回転している。
《その外側を〝擦る〟ように進めば、検知確率は最小限》
「クラゲ、先導頼む」
ウィリスが言う。
《りょーかい。じゃ、みんな、私の後ろの〝影〟に入ってね》
リアの支援機が、一歩前に出た。
機体の腹部から、微弱な電磁ノイズと疑似信号が散布される。目には見えない。でも、レーダーには映る。敵レーダーの〝目〟を少しだけ濁すための薄い幕だ。その幕の影に入るようにして、Shade、Vector、Foxの機体が続く。四機編隊。ただし間隔は広い。レーダーに映る断面積を減らすためだ。
《敵哨戒機、ひとつ。進路、こちらとは逆方向。気づかれてません》
ミナの声に合わせて、リアが進路を微調整する。
カイトのHUDに、敵機の位置が小さな赤い点で表示される。距離、約五十キロ。遠い。
《中継衛星まで、あと二分》
「ミナ、敵の通信量は?」
《減ってます。……戦線再配置中か、何かの作戦準備中かも》
「どっちにしても、あいつらの〝声〟を覗き見るにはいいタイミングってわけだ」
ニコが遠くで笑った。回線越しに、マグカップを置く音が聞こえる。
やがて、視界の端に灰色の影が見えてくる。帝国の通信衛星。
多数のアンテナとパネルを生やした、巨大な鉄の塊。太陽光パネルが鈍く光を反射し、アンテナがあらゆる方向に伸びている。回転していない。静止衛星。この位置で、ずっと帝国本土と通信している。
《ターゲット視認。……護衛機は、近くにはいないわね》
リアが呟く。
《ミナ、リンク開始まで三十秒ちょうだい》
《了解。ノイズ注入の準備はいつでも》
「Fox、周囲警戒。Shadeは、衛星の〝影〟に入って待機」
ウィリスの指示に従い、カイトは少しだけ高度を落とした。スラスターを短く噴射。機体が下方向に滑る。
衛星の背後と逆側。レーダー反応も光学観測も、最も鈍くなる位置。黒い影の中に、機体を潜り込ませる。
ここで、誰かが来たら。その時は、その誰かだけを確実に落とす。それが、自分の役割だ。
《リンク開始》
リアの声。
ここから先は、艦橋の戦場だ。
ミナのコンソールに新しい窓が開き、帝国の軍事回線から、圧縮されたデータの奔流が流れ込んでくる。帝国語の文字。数字。暗号化された符号。滝のように流れていく。
《ノイズ注入、開始》
ミナは、指先で数列を弾く。キーを叩く音が速く、リズミカルに連なる。帝国の通信網に、わずかなズレと遅延が刻まれていく。ほんの数秒、数十秒。
《……敵の通信ログ、複数取得》
その間に、コンソール上へ、帝国語のテキストが雪崩のように出現した。戦況報告。補給申請。部隊移動命令。人事異動。予算申請。
《ミナ、どこまで拾えそうだ》
ニコの声がする。
《……必要最低限はもう取った。あとは――》
ミナは、スクロールを一瞬だけ止めた。
視線の先に、別の文字列が見えたからだ。
《北方戦線――報告》
《〝赤いヴィーラ〟による戦局への影響について》
その報告書の冒頭の行。そこだけが、不自然なくらい目に飛び込んできた。ミナの瞳が、わずかに見開かれる。
赤い、SKY。
聞いたことのない単語。でも、何かが引っかかる。
《ミナ?》
呼びかけられて、彼女は一度瞬きをした。我に返る。
《……ごめん。今のログ、後で詳細解析する》
指先を滑らせ、該当部分にブックマークを付ける。青いマーカーが、その行の横に灯った。
《ノイズ注入、予定量完了。――リア、切断していい》
《了解。じゃあ、そろそろお暇しましょ》
リアの支援機が、衛星から離脱する。スラスターの光が、一瞬だけ明るく光る。同時に、クラゲの撒いていたノイズ幕が少しだけ濃くなった。
《……待って。敵哨戒機一。進路、こちら側に向き直りました》
ミナの声が、わずかに早くなる。
「一機だけか?」
《一機……だけど、多分、〝匂い〟は嗅がれていました》
「Vector」
ウィリスが、短く名前を呼んだ。
「お前が〝切れ〟。ここで来られると、抜ける時面倒だ」
「了解」
カイトは、スロットルを押し込んだ。エンジンが唸り、重力が体を押しつぶす。シートベルトが肩に食い込んだ。
衛星の影から飛び出し、帝国哨戒機との間合いを一気に詰める。暗闇の中、敵機の機影が見えてくる。黒い機体。帝国の紋章。細長いフォルム。
相手も、こちらに気づいた。敵機の機首がわずかに揺れ、銃口がこちらを追う。レーダー警告音が、コクピットに響く。
レーダー上で、二つの点が交差する。
この線さえ、切ってしまえば。
トリガーに軽く指をかける。敵の動き。反応速度。回避パターン。一瞬だけ、過去に何度も見てきた光景と重なった。
違うのは、今日の目的は撃墜じゃない、ということだけだ。
カイトはほんの少しだけ照準をずらし、敵機の脇を掠めるように連射した。
引き金を引くと、機体が微かに震える。弾丸が敵機の表面を削ぎ、火花が散り、装甲板が剥がれる。
バランスを崩した敵は、大きく姿勢を崩し、そのまま衛星の反対側へと流れていった。制御を失った機体が、ゆっくりと回転していく。
《敵哨戒機、追撃不能。……引いていく》
ミナの報告。
「クラゲ、Fox、Shade。全機、帰投ルートに移れ」
ウィリスの声が、少しだけ緩んだ。
《了解。……あー、心臓に悪ぃ仕事だった》
サジが、わざとらしく吐息を混ぜる。
《でもまあ……死ななかったから、今日は勝ちってことでいいだろ》
リアの笑い声が、回線の向こうで小さく弾けた。
カイトは、誰にも聞こえないところで、そっと息を吐いた。
誰も落とさず、誰も落ちず。それでも、今の一瞬で、見えない〝線〟はいくつも引き直された。
*
帰投後、格納庫に戻ると、整備兵たちがすでに待ち構えていた。
ランディングギアが床に触れる重たい金属の音。タラップが運ばれてくる。
カイトはコクピットから降りると、ヘルメットを外した。冷えた空気が顔を撫で、汗で髪が額に張り付いている。タミルが近づいてきて、機体を見上げながら言った。
「被弾は?」
「ありません」
「よし。念のため、全系統チェックする」
整備兵たちが、機体の周りを走り回り始める。カイトは、タラップを降りながら手袋を外した。手のひらに、汗が滲んでいる。
「Vector」
背後から、ウィリスが声をかけた。
「お疲れ」
「……そっちも」
短い会話。でも、それで十分だ。サジとリアも、それぞれの機体から降りてくる。
「あー、疲れた」
サジが大きく伸びをする。
「ミナの〝心臓数えてろ〟は、マジで心臓に悪かったわ」
「でも成功したでしょ」
リアが笑う。
「今日はノーキルで帰れたんだから、良しとしなきゃ」
カイトは、格納庫の出口へ向かって歩き出した。遠くで、工具が金属に当たる音と、誰かの笑い声がする。
作戦は成功した。誰も死ななかった。
でも、ミナが見つけた、あのログ。
〝赤いヴィーラ〟。
その単語が、頭の隅に引っかかったまま離れない。
*
ミナは、ブリッジの明かりの下で、ひとりコンソールに向かっていた。
さっきの作戦で抜き取った敵ログを、分類し、タグ付けし、必要なものだけをARCLINE内部ネットワークの奥にしまっていく。艦橋には、もうほとんど人がいない。ニコは休憩に入った。他のオペレーターも、交代で席を外している。コンソールの光だけが、ミナの顔を青く照らしていた。
その中に、先ほどブックマークを付けたファイルを呼び出す。
《北方戦線――状況報告》
スクロールしていく文面の途中に、同じ単語が何度も出てくる。
《〝赤いヴィーラ〟による奇襲》
《〝赤いヴィーラ〟の出現頻度》
《味方部隊、〝赤いヴィーラ〟に対する心理的影響》
まだ、コードネームとして確立していない。ただ、現場の誰かがつけた呼び名が、そのまま報告書に上がってきているだけ――そんな感じの文だ。
ミナは、その報告書を読み進める。
《当該機体は、従来のヴィーラとは異なる塗装(赤色)を施されており、視認性が極めて高い》
《パイロットの技量は高く、奇襲戦術を多用》
《我が軍部隊の士気に、負の影響を与えている》
ミナの指が、一度止まる。
〝赤いヴィーラ〟。北方戦線。NTOの新型機。
彼女は、その情報を別ウィンドウに保存した。
「……〝赤いヴィーラ〟……?」
ミナは、小さくそう呟いた。誰に聞かせるでもない、ほとんど無意識の独り言。
昼間、作戦の最中に一瞬だけ目に飛び込んできた、あの引っ掛かり。落ち着いて読み直しても、正体は掴めない。ただ、仕事柄、知っていることが一つある。
敵の士気の報告書にまで上がってくる現場の呼び名は、いずれ正式な符号に育つ。
名前が付けば、的になる。
その先に誰が乗っているのかを、ミナはまだ、どこにも結びつけられなかった。
艦橋の外では、エンジンの低い唸りだけが、変わらず響き続けていた。
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