↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SKY  作者: RUI
ARCLINE

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/125

Sky42-届かない空-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。



 カイトのHUDには、帝国本隊の位置が赤い点で表示されている。難民船団の三隻は、まだ海上を進んでいる。

 爆ぜた偵察機の残骸が、雲の切れ間を黒く染めて落ちていく。金属の破片が空気を裂きながら回転し、衛星の光を不規則に反射させる。やがて、薄く途切れた雲の層の向こうへ消えていった。

 くぐもった爆発音が、遅れて響く。コクピットに、その振動が微かに伝わってくる。計器盤が小さく震え、ヘルメットの内側で自分の呼吸音が大きく聞こえた。

 《敵本隊、針路変化。海側へわずかに偏向》

 ミナの声が、淡々と読み上げる。回線の向こうで、キーを叩く音が細かく続いていた。

 《難民船団の直進ルートからは外れてます。でも、このままだと、かすめます》

「かすめる、で済ませるつもりはねぇだろ」

 サジの鼻にかかった声が、通信回線に割り込む。言葉の奥の色は暗い。

「Vector」

 ウィリスが、カイトを呼んだ。機体ごと僅かにロールさせながら、カイトの機影を視界の端で捉える。

「ここからどう切る」

 カイトは、スロットルを一度だけ微調整しながら、HUDのマップを俯瞰表示に切り替えた。青い海面を示すグリッド線の上に、白い点と赤い点が散らばっている。

 難民船団三隻。その少し先、斜め上をかすめるように伸びる、帝国本隊の推定航路。サジが撒いたデコイに、確かに針路は引き寄せられている。

 けれど、完全には、外れていない。

 一番うしろの一隻。速度の乗っていない、古い輸送船。

 あれが、引っかかる。

 《Strike Wing、判断はそっちに任せる》

 低く掠れたケイの声が、艦橋から全機へ落ちてくる。

 《こっちでできるのは、NTOと〝衝突しない位置〟を維持することだけだ》

 オルテアとNTO、その間の細い隙間を、沈まないように泳ぐしかないレジスタンス。補給線も、逃げ道も、自分たちで引かなきゃいけない。

「……Shade」

 カイトは、一度息を飲み込んでから、静かに口を開いた。唾を飲み込む音が、自分の耳に妙に大きく響く。

「本隊の真横に出る。こっちの存在に気づかせて、進路を海側に押しやる」

 ウィリスの機体が、わずかに姿勢を変える。肩部装甲の縁が、衛星の光を弾いた。

「やれるか」

「やる」

 短く答えながら、カイトは自分の喉がもう一度乾くのを感じた。そのために、ここにいる。言葉にならなかった部分は、飲み込んだまま。

「Foxは難民船団の〝影〟に回ってくれ。誰か抜けたらすぐ拾えるように」

「生け捕り係かよ」

 サジが肩をすくめる仕草まで想像できる声で笑う。

「……了解」

「クラゲ、幕をもう一段濃くできる?」

 《できるけど、私らの位置もバレやすくなるよ?》

「それでもいい。こっちを〝敵〟として認識してくれた方がいい」

 沈むのが、船じゃなくて自分たちで済むなら。

「Vector」

 ウィリスが、ほんの一瞬だけ間を置いてから言う。

「最後尾は、俺ができるだけ見る。……でも、全部は無理かもしれん」

「分かってる」

 カイトは、ヘルメットの内側で眉をひそめた。額に汗が滲んでいるのが分かる。

 全部は、最初から無理だ。それでも、何もしないで見ているよりはマシだ。

 《ミナ、本隊位置、更新》

 ケイの声が飛ぶ。

 《送ります。……数は十五。先頭四、攻撃型。その後ろ、護衛機》

 即座に数が返ってくる。回線の向こうで、キーを叩く音の間隔が、さっきより詰まっていた。

「攻撃機だけでも、こっち向けさせる」

 カイトはそう言うと、スロットルをぐっと押し込み、機体を雲の上へと浮上させる。

 視界が、一瞬、乳白色に染まる。冷たい雲の粒子が機体表面を叩き、湿った空気が隙間から入り込んでくる。雲を突き抜けた先、鈍い銀色の機体群が雲海を割って現れた。

 帝国の紋章。規則正しく組まれたフォーメーション。黒い装甲が、夜の光を冷たく反射している。

 ――見せてやる。

 誘うように、真正面に踊り出る。わざと、少しだけ早いスピードでかすめていく。

 敵編隊の先頭が、訝しむようにわずかに揺れた。頭部の角度が微妙に変わり、センサーアイの反射が一瞬だけこちらを向く。

 《敵先頭機、進路変更。……こっちを追う》

 ミナの声が、わずかに早口になる。

 《攻撃機三がVector方向へ。護衛はそのまま船団側》

「中途半端が、一番タチ悪ぃな」

 サジが、歯噛みするように小さく毒づいた。

「Fox、護衛の線、切れるか」

 ウィリスが問う。

「やってみるよ。……死なない範囲でな」

 サジは短く息を吐き、海面ギリギリに機体を潜り込ませた。海面が、機体の下でぼやけて流れる。白い波頭が、規則的に並んでいる。難民船団の下へと滑り込み、その〝影〟にぴたりと張り付く。

 雲の上では、カイトが先頭の攻撃機とすれ違うように飛んでいた。

 レーダー上で交差する軌跡。敵の銃口が、じわりとこちらへ向きを変える。金属の鈍い光沢が、距離を詰めるたびに大きく見えてくる。

 ――こっち向け。

 わざと、少しだけ発射タイミングをずらし、〝撃てそうで当たらない距離〟に自分を置く。敵の視界と怒りを、自分に縫いつけるために。

「Vector、遊びすぎるなよ」

 ウィリスの低い声がかぶさる。

「そっち三機全部引き受ける気なら、なおさら落ちるな」

「言われなくても」

 カイトは短く返し、機体を雲間へと引きずり込んだ。

 雲の中。真っ暗な視界の中で、センサーと、自分の勘だけが頼りになる。前も後ろも分からない。ただHUDの線だけが、敵の位置を示している。

 音もなく迫る敵機の軌跡を、HUDの線と身体感覚で追う。撃って、避けて、また引きつけて――。

 重力が体を押しつぶす。シートベルトが肩に食い込む。呼吸が浅くなる。

 その間にも。

 《最後尾、被弾》

 ミナの声が、ほんのわずか震えた。

 《難民船団最後尾、機関部に直撃。速度低下》

「クソ……!」

 サジが、舌打ちを隠しもせず叫ぶ。

「Shade、すぐ後ろに――」

「見えてる」

 ウィリスの機体が雲を割って飛び出す。雲を抜けた下、海面すれすれで、輸送船の後部が黒い煙を上げていた。

 白い波の上に、鉄の塊が重く傾ぐ。デッキの上で、小さな人影が何かを抱えて走っている。

 その横で、船体の一部が火を噴いた。その上空を、帝国の護衛機がかすめていく。スラスターの排気音が、空気を引き裂いて通り過ぎた。

 ウィリスは、舵を切る迷いを持たなかった。

「Fox、前に出ろ。船団の頭を守れ」

「でも――」

「いいから行け。ここは俺が見る」

 押し返すような強さで言い切る声。カイトの耳に、その短い会話が鮮明に届く。

 ――カバーに入るか、全体を見るか。

 自分がこの場から離れて、最後尾に張り付けば。あの船は、少しは長く持つかもしれない。その間に先頭の二隻が、本隊の射程に入るかもしれない。全部を守れるほど、俺たちは多くない。

 レーダーに映る点の数。自分たちの機数。リアの電子幕。ミナの情報。

 全部を一瞬で計算して、答えは一つしか出てこなかった。

「……全体を優先する」

 カイトは、自分の声がわずかに掠れるのを感じた。喉の奥が、きゅっと締まる。

「Fox、前を頼む」

「了解」

 Foxの機影が、煙を吐きながら進む先頭船の真上に躍り出る。Shadeは、最後尾の上空で機体を翻し、迫る護衛機を一機、また一機と削ぎ落としていく。

 《敵攻撃機三、Vector側に固定。護衛の一部は撤退開始》

 ミナの声が、少しだけ安堵を含んだ。

 カイトは、攻撃機の一機を落としながら、ほんの一瞬だけ下を見た。

 傾いた輸送船。さっき走っていた影が、甲板の途中で立ち止まっている。子供を抱えた女性だろうか。抱えたものを降ろせないまま、行き場を探して左右を見ている。そのすぐ横で、鉄の板が膨らむように歪んだ。オレンジ色の光が、船体の内側から漏れ出す。

 間に合わない。そう分かっていても、目を逸らせなかった。

「Vector、上だ!」

 ウィリスの警告が飛ぶ。

 カイトは反射的にスティックを引いた。直後、さっきまで自分がいた空間を、赤い光が横切る。

 雲海が眩しく焼かれ、白い光の筋が残った。熱波が機体を揺らし、警告音がコクピットに響く。

 船が――その先を想像する余裕は、もうなかった。

 敵は、彼らを〝敵〟としてはっきり認識した。それだけは、確かだった。

 戦闘が終わったのは、それから二十分後だった。帝国本隊は、損害を受けたあと針路を反転し、遠ざかっていく。難民船団の二隻は、かろうじて指定ポイントまで逃げ切った。

 最後尾の一隻は、途中で、海に沈んだ。


   *


 ARCLINE旗艦のブリッジの空気は、妙に静かだった。

 低く唸るエンジン音と、コンソールの小さな電子音だけが、一定のリズムで響いている。

 正面のモニターには、まだ戦況ログが流れていた。白い文字が、黒い背景の上を規則的に流れていく。

 数値と、短い文。

 《護衛対象:民間船団3/到達2/損失1》

 《生存者:一部救助 救助数 確認中》

 情報席のミナは、コンソールの前から動かない。細い指でスクロールを止め、じっと画面を見つめていた。椅子に座ったまま、背筋だけはまっすぐに伸びている。

「……ミナ」

 背後のオペレーター席から、ニコが声をかける。肘を椅子の背に引っかけた、いつもの崩れた姿勢のまま、視線だけを彼女に向けた。

「帝国側の反応は?」

「一時撤退。難民船団を追う動きは、今のところないです」

 ミナは、淡々とした声のまま答える。指先が、無意識にコンソールの端を叩いている。

「ARCLINE側の損害は?」

「機体軽微損傷数機。人的死者ゼロ。負傷者は――」

 彼女は、ちらりと横のパネルに視線を投げた。

「医務室のログだと、重傷二。あとは軽傷」

「……そうか」

 ニコは、椅子にもたれた背を少しだけ深くして、天井を見上げた。白いパネルが、蛍光灯の光を鈍く返している。

 救えた数と、救えなかった数。数字にすれば、ただの差分に過ぎない。

「ログ、まとめておいてくれ。後でケイに回す」

「了解」

 ミナは短く答え、画面の隅に小さく保存マークを点灯させた。青い光が一瞬だけ強く光り、すぐに消える。

 その一瞬だけ、ミナの唇が、ほとんど分からないほど僅かに歪んだ。


   *


 医務室の前の廊下は、消毒液と鉄の匂いが混ざっていた。

 白い蛍光灯が、廊下全体を冷たく照らしている。壁は白く塗装されているが、角の部分だけ塗装が剥げて、下の金属が見えていた。

 担架の車輪が、床をかすめる音。それだけが、規則的に近づいては遠ざかる。

 狭い通路の壁にもたれかかるように、カイトは立っていた。

 右肩の奥に、鈍い痛みがある。シートに叩きつけられた時に打ったらしい。ついさっきまで医務室の中で、サユリに包帯を巻かれていた。

「無理するなって言ったばかりよ。寝ないと、次で死ぬわよ」

 そう言われても、カイトは何も返さなかった。無理しなきゃ、間に合わないことの方が、多いのに。

 心の中でだけ、形にならない反論を転がした。

「そこ、邪魔」

 背後から、サユリがステンレスのカートを押しながら近づいてきた。白衣の袖をまくり上げた腕で器具のトレイを押さえながら、ちらりともこちらを見ずに言う。金属の器具が、トレイの中で小さく鳴っている。

「悪い」

 カイトは、壁から少し身を離して道を空けた。

 その時、ちょうど、反対側の角から担架が一つ、押されてきた。

 薄い毛布の下で、小さな体がかすかに動く。毛布は軍支給の灰色で、端が少しだけほつれている。毛布の端から覗く腕は、細くて、あざだらけだった。紫色の打撲痕が、肘から手首にかけて広がっている。皮膚は土で汚れていて、爪の間に黒いものが詰まっていた。

 担架を押しているのは、煤で汚れた民間服の男と、ARCLINEのクルーが一人。二人とも疲れ切った顔で、それでも慎重に担架を運んでいる。

 彼らは、カイトに一瞬だけ視線を向けてから、すぐに医務室の中へと消えていく。その直前、担架の上の少年が、ふと目を開けた。

 意識は、はっきりしていない。焦点の合わない視線が天井を彷徨い、そして、偶然のようにカイトのほうをかすめる。

 黒に近い髪。少しだけ赤みの混じった瞳。

 あすみの目を、ほんの少しだけ濃くしたような色。

 ――オルディア。

 胸の奥が、きゅっと縮まった。

 少年の瞳は、すぐにまたどこかを見失う。薄いまぶたが重たげに閉じ、担架はそのまま医務室の内側へと滑り込んでいった。自動ドアが静かに閉まり、金属のロックがカチャリと鳴る。

 音がひとつ、減る。

 カイトは、しばらくその扉を見つめて立ち尽くしていた。白い扉の表面に、小さな傷がいくつもついている。誰かが何かをぶつけた跡だろうか。

 守れた二隻。沈んだ一隻。その中から引き上げられた、生き残りの一人。

 ――全部は、守れない。

 あの日、金属の部屋で、ケイに叩きつけられた現実。ここにいることを、選んだ自分。

 どれだけ線を読み、どれだけ先回りしても――救い損ねる線は、必ず残る。

 それでも。

 カイトは、ぎゅっと右手を握りこんだ。包帯の下で、擦りむいた皮膚がきしむ。

 だからって、何もしない理由にはならない。

 目を閉じて、ゆっくりと息を吐く。頭の中に、一瞬だけ、VRの教室で笑っていた少女の横顔が浮かんだ。その像を、意識的に切り離す。

 カイトは、医務室の扉から視線を外し、重いブーツを一歩前に出した。鈍い足音が、廊下の先へ続いていく。


   *


 甲板は、夜でもうっすら明るかった。

 頭上には分厚い装甲板、その向こうにあるはずの星空はほとんど見えない。代わりに、遠くの宙域でまだくすぶっている爆光の名残だけが、鈍い橙色となって薄く反射していた。ゆっくりとした明滅が、呼吸みたいに続いている。

 床を伝って、エンジンの低い鼓動が上がってくる。

 カイトは、手すりに片肘をついて、誰もいない空の暗さをぼんやりと眺めていた。手すりの金属の冷たさが、肘から腕に伝わってくる。

 風が吹いている。循環空調の風ではなく、外から入り込んでくる風。冷たくて、少しだけ湿っていて、頬を撫でて髪を揺らす。

 ――眠れないよな、そりゃ。

 さっきまでの戦闘の映像が、目を閉じなくても脳裏に浮かぶ。

 沈んだ船。助け損ねた影。医務室前の廊下で見た、あの少年の目の色。

 アスミと、少しだけ似てた。

 胸の奥が、じわりと痛む。そこまで考えて、カイトは小さく息を吐いた。白い息が、目の前で揺れて消える。

 その時、甲板へ続くハッチが、きぃ、と金属音を立てて開いた。振り返る前に、足音が聞こえる。ブーツが金属床を踏む、ゆっくりしたリズム。

「よぉ。起きてたか」

 聞き慣れた低い声に、カイトは肩越しに顔を向けた。ケイが、そこにいた。

 いつもの地味なジャケット。片手には、どこから持ってきたのかマグカップ。カップの表面に、わずかな結露がついている。

「……眠れなくて」

 カイトは、言い訳みたいに呟いた。

 ケイは「だろうな」と短く言って、カイトの隣、少し離れた手すりに背中を預ける。マグを手すりに置き、腕を組んだ。

 しばらくの間、二人とも何も喋らなかった。

 エンジン音だけが、一定のリズムで響いている。

 しばらくして、ケイがふいに口を開いた。

「お前、でっかくなったなぁ」

「……は?」

 カイトは思わず顔をしかめる。

「昔はこーんな、豆みたいだったのによ」

 ケイは片手を腰のあたりまで下げて、適当な高さを示した。指先が、どう見ても盛っている。

「豆って言わないでください」

「いやぁ、豆だったろ。泣き虫豆ボウル」

「そんな名前で呼ばれた覚えはないです」

 即座に返すと、ケイはふっと笑った。ほんの少しだけ、戦場の気配から外れた笑いだった。口角だけが上がって、目元が少しだけ緩む。

 また、短い沈黙が落ちる。

 ケイは腕を組んだまま、視線だけを宙のほうへ向けた。遠くの爆光が、その横顔を薄く照らしている。

「……ひどいやつだって、思ってるか?」

 唐突に落とされた問いに、カイトは瞬きをした。

「……なにが」

「軍からも家族からも逃げたと思ったらだ」

 ケイは、表情を変えずに言葉を続ける。

「なにも知らないガキを攫って、人質にして。それでも娘の平凡な幸せは守りたいって……自分勝手だよなぁ」

 声は、どこか他人事みたいに乾いていた。責めてくれと言っているわけでもなく、許してくれと乞うわけでもなく。ただ、自分のやったことの線を、事実として並べているだけの声音。

 カイトは、手すりから肘を外し、両手で握った。ザラついた金属の感触が、掌に食い込む。

「……勝手だとは、思ってないです」

 少しだけ間を置いてから、そう答えた。ケイがわずかに眉を動かす。

「守りたいって気持ちは、俺も……分かるから」

 あの教室。あのコロニー。VRの箱庭みたいな青春。

 全部、誰かが「守ろうとしていた」から存在していたものだと、今なら分かる。それが正しいやり方だったかどうかは、別として。

「だからって、やったことが消えるわけじゃねぇけどな」

 ケイがぼそっと付け足す。

「お前を攫ったのも、ノエルをコロニーへ行かせたのも。全部、自分の都合で振ったサイコロの結果だ」

 その言い方が、あまりにも投げやりで。でも、妙にまっすぐだった。

 カイトは、少しだけ目を細めた。

「……それでも。それでも、あいつは今、生きてる」

 言葉にした瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。どこでどう暮らしているのかも、具体的には知らない。ケイの口から「死んだ」とは一度も聞かされていない。だから、生きていると信じるしかない。

「それを守るために、こんだけ馬鹿やってんなら。少なくとも〝ただのクソ野郎〟とは思ってない」

「……お前の評価は、けっこう甘いな」

 ケイが小さく笑う。

「じゃあ、こう言ったらどうだ」

 肘で手すりを軽く叩きながら、わずかに視線をカイトへ向ける。手すりが、コンコンと低い音を立てた。

「いざとなったら、お前を帝国を潰す材料に使うぞ」

 声には、冗談みたいな抑揚はない。本気とも冗談ともつかない、低い調子。

 カイトは、一瞬だけ目を伏せた。

 この人は。人質にすると、ちゃんと言えるくせに。たぶん、本当にその時が来たら、最後の一線では躊躇うんだろう。

 それでも。

「……覚悟はできてるよ」

 カイトは、正面を向いたまま答えた。

「最初から、そういう場所に立つって言ってここにいるから」

 この艦に。この組織に。ケイの側に。

 自分の足で乗り込んだ以上、「知らなかった」はもう使えない。

 ケイは、しばらくカイトの横顔を見ていた。暗がりでも分かるくらいに目を細めて、それからふっと視線を外す。

「……そうか」

 それだけ言って、マグカップを片手でつかみ、そのまま背を向ける。カップの中の液体が、わずかに揺れた。

「じゃあ、せめて寝ろ」

 歩き出しながら、ケイは背中越しに続けた。

「寝ないで飛ぶやつは、誘拐犯としても隊長としても嫌いだ」

「どっちの肩書きで怒ってんだよ」

「さあな」

 答えになっていない答えを残して、ケイはハッチのほうへ向かっていく。ブーツの音が、だんだん小さくなる。金属の扉が重たく閉まり、再びエンジンと空調だけの世界になった。

 カイトは、しばらくその背中が消えた方向を見つめていた。ゆっくりと、手すりから手を離す。手のひらに、金属の冷たさが残っている。

 ケイは、俺にも、あいつにも、同じくらい不器用だ。だからこそ、この艦でなら、〝ここにいる〟って言えたんだろうな。

 カイトは息を吐いた。吐いた息の白さが、さっきよりも薄い。夜が、少しだけ緩み始めているのかもしれなかった。

 戦場の残光が、装甲板の裏側をかすかに照らしている。鈍い橙色の光が、ゆっくりと明滅している。

 その薄い光を見上げながら、カイトはようやく、眠気の気配を少しだけ思い出した気がした。

 風が、また吹く。頬を撫でて、髪を揺らしていく。

 手すりから離れて、ハッチのほうへ歩き出す。

 届かない空は、まだ遠い。でも、ここで飛び続ける。


本作の本文・設定・登場人物・固有名詞・世界観・構成を、作者の許可なく転載、複製、翻案、要約転載、データセット化、AI学習・機械学習・生成AIサービスへの入力、解析、再配布に利用することを禁じます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。