Sky41-線の外側-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
惑星インシオン、その夜の海に、ARCLINEの艦の明かりが灯っている。
波は低い。月のない海は艦の照明だけを受けて、黒い布のようにゆっくりとうねっていた。
ブリッジには、機械の息づかいみたいな低い唸りが絶えず流れている。壁一面のホロパネルが、薄暗い室内を青白く照らしていた。その一角で、ミナが端末に身を乗り出す。
「シグナル検知」
小さく呟いてから、すぐに指を走らせる。細い指先が、立ち上がったウィンドウをいくつも切り替えていった。
「ミナ?」
背後から、ニコの声が飛ぶ。椅子をくるりと回転させながら、片耳のヘッドセットを押さえた。
「またオルテアの哨戒か?」
「いえ……パターンが違う」
ミナは眉をわずかに寄せた。
「推進出力、バラバラ。速度も一定しない……小型船が、群れになって動いてる」
ホロマップの上に、点がいくつも浮かび上がる。整列もしていない、いびつな帯。
「船団だな」
ブリッジ後方から、ケイの声が落ちてきた。
ケイはいつものように、ジャケットに片手を突っ込んだまま、メインスクリーンの前まで歩いてくる。
「オルテア側の識別信号は?」
「今のところ、無しです」
ミナは手元のパネルを叩いた。
「でも、この航路、帝国南下ルートのすぐ外側です。後方から、断続的な軍用周波数の残響も拾ってます」
「追われてる、ってことかよ」
ニコが椅子の背にもたれ、短く口笛を吹いた。
「NTOの管轄じゃないエリアだぞ。誰の旗の下かも分からない民間船団なんて、普通なら〝見なかったこと〟で終わるやつだ」
「〝普通なら〟ね」
ケイはホロマップに視線を固定したまま言った。
「NTOのログ、引っ張れるか?」
「もう出してます」
ミナが別のウィンドウを開く。そこには、簡潔すぎるほど簡潔な文面が表示されていた。
《通達:当該宙域は連合防衛ライン外と認定。識別不能船団について、NTO統合軍としての積極介入は行わないものとする》
「……はい、出ました」
ニコが両手を上げてみせる。
「〝うちの線じゃありません、だから助けません〟ってやつかよ」
ミナは、もう一段階深い情報を引き出した。船団の一隻ごとに、小さなプロフィールが浮かび上がる。
オルディア系と推定される乗員構成。
乗船人数、四十名。
子ども、十二名。
別の船には、老年層が多いと表示されている。どこかの村ごと、前線から押し出されたみたいな数字だ。
「……オルディア」
ミナの声が、わずかに低くなる。
ケイは、あごのあたりを指先で一度だけ掻いた。
「後ろの軍用周波数は?」
「パターンからして帝国です。距離は……三時間圏内」
「ってことは、帝国に追われてるオルディア難民船団。NTOは、〝線の外だから知りません〟」
ニコが、状況を端折ってまとめる。
「……ケイ」
ブリッジの空気が、少しだけ重くなった。
ケイは黙ったまま、ホロマップの一点を見つめ続けている。
明確なラインで区切られた、連合の防衛線。その外側を、バラバラの速度で逃げる小さな船影たち。線の内側には、連合の艦隊記号がいくつも並んでいる。でも、誰も〝外〟には手を伸ばさない。
「行くぞ」
しばらくして、ケイがぽつりと言った。
ニコが、ケイのほうへ顔を向けて片眉を上げる。
「本気ですか?」
「放っておくつもりなら、レジスタンスなんてやってない」
ケイはそれだけ言って、マップの端に指先を伸ばした。
「コアシップはこのラインで待機。Strike Wingを前に出す。帝国が来たら、補給線叩くのと同じ要領で追い払う」
「了解」
ニコは、すでに通信チャンネルの設定を切り替えていた。
「Strike Wing、ブリッジから通達。――出撃準備だ。護衛任務、目標は民間船団」
その声が艦内に流れる頃には、カイトはもう格納庫へ向かって走り出していた。
*
格納庫のシャッターが半分開いていて、外から夜の潮風と冷たい光が差し込んでいる。海上の夜気は、艦内の油の匂いに塩の粒を混ぜていく。
ヴィーラの足元で、整備班が忙しなく動き回る。リアがヘルメットを抱えながら、隣の機体に駆け寄ってきた。
「ねえカイト、聞いた? 今回は護衛ミッションだって」
カイトは肩越しにリアを見て、小さく頷いた。
「聞いた。難民船団だろ」
「帝国付きのおまけ付き、ね」
リアは口を尖らせる。
「電子戦モード、全部開けていい? 狙われたくないし、死にたくもない」
「好きにしろよ」
カイトは、いつものように淡々と答えた。そこへ、サジが工具箱を蹴飛ばしそうになりながら飛び込んでくる。
「カイト、今日も元気に貧乏くじ引く時間だぞ」
「誰がだ」
サジを見ないで返してから、カイトは肩掛けのベルトを締め直した。
「難民護衛だ。沈んだら、俺らの負けだろ」
サジは少しだけ真面目な顔になる。
「……沈ませたくないな。オルディアだってよ。子ども多め。数字見た」
「見た」
カイトは短く答えた。
沈めさせない。胸の内側で、線を一本引くみたいに決めた。
そこへ、格納庫のスピーカーからケイの声が落ちてくる。
《Strike Wing、聞こえるか》
全員が一瞬、動きを止めた。
《任務は護衛だ。オルディア難民船団を、帝国の爪から引きはがしてやれ》
ケイの声は、いつも通り低くて乾いている。
《沈んだら、お前らの負けだ》
格納庫の空気が、ぴんと張り詰めた。
カイトはヘルメットのバイザーを下ろしながら、目を細めた。
「……了解」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。そのまま、コクピットへと続く階段を駆け上がった。
線は、俺が引く。沈ませない線を。
階段の鉄板が足の下で鳴る音が、いつもより少しだけ大きく感じられた。
*
警報灯が、赤から白へと切り替わる。格納庫の天井スピーカーから、乾いた電子音と共に出撃ブザーが鳴り響いた。
《全機、発進準備。インシオン上空、指定空域まで二十。護衛対象、オルディア難民船団》
ニコの声が、わずかにノイズ混じりで降ってくる。
自分の機体の下で、レーンがうなるように動いた。機体が少しずつ持ち上がっていく振動が、カイトの背骨まで伝わる。コクピット越しに見えるのは、鉄骨と照明に切り取られた格納庫の天井。そして、その向こうに広がる暗い空。
「Vector、各系統オールグリーン。……聞こえてる?」
頭上のパネルから、リアの声が落ちてきた。コールサインで呼ばれるたびに、胸の奥が少しくすぐったい。
「Vector、問題なし」
カイトは、自分の声が余計な揺れを含まないように意識しながら答えた。
「Shade、システム同じく良好」
隣のレーンで、短く答えたのはウィリスだった。余裕のある低い声。
「Fox、出力八割から始める。どうせ途中で上げることになる」
もう一つの機体からは、サジの飄々とした声。口調は軽いのに、計器に走る指の動きは速い。
「クラゲは後ろから。電子幕の準備できてるから、派手に暴れたい人は好きにどうぞ」
リアの機体が、三機の少し後ろでゆっくりと浮かび上がる。頭部に組み込まれた電子戦用アンテナが、わずかに光った。
《こちらブリッジ、ニコ。全機聞こえるな?》
甲板レベルまで上がったところで、通信が一段階クリアになる。
《護衛対象は、難民船団三隻。老朽化した輸送船と、漁船改造の小型船だ。武装は、飾りみたいな機銃が少し》
「帝国からは?」
ウィリスが短く問う。
《偵察機二〜三はもう近くをうろついてる。問題は、その後ろに何がいるかだな》
ニコの言葉に、サジが小さく舌打ちした。
「〝偵察だけ〟で終わるわけない匂いしてるよなぁ」
《Fox、悪い予感は黙って飲み込め》
「了解」
口ではそう言いながら、サジの声色にはいつもの軽さが戻っていない。
《……よし、リフト解放。Strike Wing、出るぞ》
ケイの静かな声が、その上から重なった。
《護衛任務だ。沈ませるな》
その一言で、格納庫の空気がまた張り詰めた。機体の脚が完全に浮き上がり、カイトはスロットルを押し出した。
空が、視界いっぱいに開く。
眼下で、インシオンの夜の海が艦の照明を離れ、すぐに一枚の黒になった。
*
難民船団は、夜の海の上に小さく連なっていた。
錆びた船体。ところどころ違う色の板で継ぎ接ぎされた外装。舷側の低い位置に、航海灯とも呼べない裸電球の明かりが、数えるほど灯っている。波を被るたび、その光が滲んで揺れた。
デッキの上に、ブルーシートの影がいくつも動いている。
子どももいるな。
照準用カメラを少しだけ下に振ると、甲板の片隅で寄り添うように立つ小さな影が見えた。風にあおられる薄い布。それを押さえようとする細い手。
カイトは、ほんの数秒だけ視線を固定してから、すぐにカメラを元に戻した。
「Shade、右側上空。Fox、左前。Vectorは船団の上、少し前寄り」
ウィリスの声が、自然と指揮をとる。
「クラゲは後ろから全体包む。レーダー幕、展開準備」
「了解。ノイズ撒くタイミングは、Vectorの〝線読み〟に合わせる」
カイトは小さく息を吐き、三機は難民船団の周囲を囲むように散開した。
海面すれすれの高度。雲の底と波頭の間、数百メートルの空間を縫うように進む。夜のインシオンの海は暗く、白い波頭だけが、切れ切れの線になって後ろへ流れていった。
スロットルの感触と、機体のわずかな揺れ。HUD上に描かれる地形ライン。その上に、ミナが送ってくる簡易マップが重なる。
《敵電波、遠方より接近。高度は……雲の上。標準帝国パターン》
ミナの落ち着いた声が、コンソールの向こうから届いた。
《偵察機二、先行。後方に、ノイズが多すぎて読めないけど、少なくとも小隊規模の何か》
「きた」
サジが、ため息混じりに呟く。
「偵察だけで帰るなんて、帝国らしくないだろ?」
「そうだな」
ウィリスが短く返す。
《Strike Wing、指定位置まであと三。敵偵察機との交差予測まで五》
ニコの声に合わせて、カイトはスロットルを微調整した。
頭の中で、いくつもの線が描かれる。
自分たちの軌跡。難民船団の進路。帝国偵察機の接近ベクトル。その後ろにいるであろう本隊の〝平均的な〟動き方。
ここで見られるわけにはいかない。
偵察機が船団の存在を確定すれば、その座標は瞬時に帝国ネットワークに流れる。そうなれば、数時間後には本隊が押し寄せてくる。
今日のうちに終わらせないといけないのは、偵察機だけじゃない。〝追撃の線〟そのものだ。
《敵偵察機、雲上高度で接近。Vector、視認できるか?》
ミナの問いに、カイトはスティックをほんの少し引いた。
機体が、雲海の縁まで滑り上がる。鈍色の雲の切れ目から、白い機体が二つ、こちらに向かってくるのが見えた。
帝国の偵察型機兵。胸部の下に吊られたカメラポッドが、忙しなく角度を変えている。
「二機、視認。……配置が悪いな」
カイトはHUDを睨んだ。
「どこがだ」
ウィリスが問う。
「この角度。偵察だけなら、もっと距離取って回ってくるはずだ」
カイトは、自分たちの位置と偵察機の軌跡を、頭の中で線にする。
「直線で来すぎてる。後ろ、重いの引きずってる動きだ」
「ほらな」
サジが短く笑う。
「この進路、絶対本隊いるやつだって言ったろ」
《ミナ、偵察機の背後、再スキャン》
《やってる。けど、意図的にノイズ撒いてるわね……数は読みづらいけど、少なくとも――》
一瞬の間。
《中隊規模。十以上はいる》
「……大盤振る舞いだな。難民船、一つのためにか」
ウィリスの声が低くなる。
「オルディア相手なら、やりかねないわよ」
リアが言う。声から、さっきまでの軽さが抜けていた。
《Strike Wing。方針変わらず。偵察機は落とす。本隊の〝追撃線〟は、Vectorの判断に従え》
ケイの声が、冷たくも揺らぎなく降ってきた。
《オルテアに負けるなよ》
負け、という言葉だけが、さっきから同じ場所に打たれ続けている。その一語の裏に、「死なせるな」という意味がしっかり乗っていた。
「Vector、どこで切る」
ウィリスが、カイトに言った。
カイトは、一度目を閉じた。
難民船団の速度。進行方向。風向き。海面の反射。偵察機の接近速度。その後ろにいる本隊の〝距離感〟。
すべてを一本の糸に束ねるように、頭の中で線を引いた。
「……ここ」
HUD上の一点に、マーカーを打つ。
難民船団から、ぎりぎりレーダー圏外。かつ、帝国本隊が〝真っ直ぐ追撃に移った時〟の最短ルート上。
「偵察機をここまで引きつけて落とす。その瞬間、クラゲの幕を張る」
「了解。ノイズ濃いめね」
「Foxはそのさらに外側に〝餌〟撒いてくれ。追撃ルートを、海側にずらす」
「本隊をこっちに釣る気か」
「そうだ。船団から、一本でも線を外に曲げる」
自分で説明しながら、喉の奥の乾きを誤魔化す。
「Shadeは――」
「分かってる。お前が指したこの線の〝影〟に入る」
ウィリスが、自分の機体を少し下にずらした。
「お前が前で斬る。俺はその後ろで拾う」
ウィリスの言葉は短い。けれど、それだけで、カイトの胸の奥の緊張が少しだけ解ける。
《Strike Wing、配置完了まで十。敵偵察機との距離、縮小中》
ニコのカウントに合わせて、三機が滑らかに位置を変えた。
海面すれすれを走るFox。少し上空で、難民船団の影に重なるように漂うShade。そのさらに上、雲の裾に機体を溶け込ませるように潜むVector。後方では、クラゲの機体から薄い電子ノイズの網が広がり始めていた。
《――三、二、一》
偵察機が、雲から顔を出す。帝国のマーク。冷たい機械の目。
そのレンズが、こちらを捕捉しかけた瞬間――。
「今だ」
カイトはスロットルを一気に押し込んだ。機体が雲を突き破る。視界が白から黒へ、そして銀色の機体へと切り替わる。
「Vector、目標ロック」
照準マーカーが、先頭の偵察機に吸い付く。敵機も、遅れてこちらに気づいたらしい。慌てて回避軌道に入るが、その動きも線にしか見えない。
遅い。
トリガーを引く。
光の束が、真っ直ぐに軌跡をなぞり、一機目の偵察機が、雲の上で花火のように散った。
《クラゲ、幕展開。――敵ネットワークにノイズ挿入》
リアの声と同時に、空間そのものがざらついたような感覚が走る。
《Fox、デコイ放出》
「はいよ。ほら、本隊さん。こっちおいで」
サジの機体から、小さなビーコンがいくつも撒かれていく。帝国側のレーダーには、それが「大きな目標」に見えるよう調整されている。
《敵本隊、針路変化。……船団から、わずかに外れたラインに》
ミナの声が、わずかにだけ安堵を含んだ。
カイトの照準には、まだ二機目の偵察機が残っている。
逃げようとする線。振り切ろうとする線。その先には、帝国本隊の〝安全圏〟がある。
そこまで行かせれば、また別の誰かが追われることになる。
カイトは、息を一度だけ整えた。
――ここで切る。
スティックを倒し、機体を回り込ませる。敵機の逃げ道の先に、自分の機体の影を差し込むように。
重なる照準。逃げ場のない線。
「ここで終わらせる」
トリガーが引かれる。二つ目の光が、雲の切れ間で弧を描いた。
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