Sky40-戻ってこない者たち-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
金属の匂いと消毒液の匂いが、薄く混ざっていた。
医務室の天井は低い。配管が縦横に走り、その向こう側で、艦の心臓みたいな振動がかすかに響いている。
「で?」
カーテンを勢いよく開けて、サユリ・コネリーがカルテ端末を片手に覗き込んだ。
「無茶した自覚は?」
簡易ベッドの上で、カイト・ボリーは片腕を枕にして天井を見ていた。右のこめかみには薄い青あざ、首の後ろには冷却パッドが貼られている。
「無茶ってほどじゃない」
視線だけをサユリに向けて、淡々と返す。
「Shadeが囮になって、その隙に俺が抜けて、Foxが後ろを塞いだだけだ」
「その〝だけ〟が一番死人が出るやつだって、教わらなかった?」
サユリはため息をつきながら、カイトの目の前で小型ライトをぱちんと点けた。
「目、こっち。はい、動かさない」
光に瞳孔が反応する。彼女は手際よくチェックしてから、端末に何やら打ち込んだ。
「軽度の振動外傷。おまけに首と背中の筋肉がガチガチ。あと、肋骨、一本いってるかもしれないわね」
カイトは天井を見上げたまま言った。
「折れてたらもうちょっと痛いんじゃないか」
サユリは、彼の胸のあたりを指で軽くつつく。そこだけ、じんとした痛みが返ってきた。
「ヒビよ、ヒビ。こういうのが次で折れるの。覚えときなさい」
「まだいける」
カイトは短く言う。
「次の出撃、いつだ?」
端末を閉じて、サユリはふっと表情をゆるめた。
「ねえ、ボリー」
声の温度が、一段だけ下がる。
「あなたと同じこと言った人、何人ここで見送って、何人戻って来なかったと思う?」
カイトは口をつぐんだ。
サユリは、彼の額に貼った冷却パッドを指で押さえ直した。
「寝ろ。今日は。最低でもこのサイクル丸ごと」
サユリの顔を見て、カイトは少しだけ顔を上げた。
「でも」
サユリの手が、カイトの頭を軽く押し返す。
「でもじゃない。寝ないで出ていくとね、次の重力で一瞬気絶する。シートベルトが締まってても、首の骨いく時はいくわよ」
淡々とした口調のまま、現実だけを並べる。
「首が折れたパイロットの遺体、私、もう見たくないの」
カイトは、視線を天井に戻した。
……医者ってのは、こういう言い方が上手い。自分の体のことだけなら、多少壊してもいいと思えてしまう。でも「誰かがそれを見る」ことを想像すると、喉の奥で何かが引っかかる。
「分かった。寝る」
しぶしぶ、というよりは観念したような声でそう言うと、サユリは満足げでもなく、ただ小さく頷いただけだった。
「よろしい。目、閉じて。寝つき悪かったら、あとで弱い薬持ってきてあげる」
「いらない。多分、エンジン音で勝手に寝る」
サユリはため息をついてから、立ち上がった。
「それ、完全に戦場仕様の不眠症だからね。自覚しときなさいよ」
そして、カーテンを閉めながら、彼女はぽつりと付け足した。
「ちゃんと、次も戻ってきなさい」
その一言が、消毒液の匂いよりも強く、胸の奥に残った。
*
医務室を出ると、艦内の空気は一気に機械油の匂いに変わる。
格納庫へ続く通路を歩いていくと、遠くから工具の叩く音と、エアハンマーの乾いた音が混ざって聞こえてきた。
ARCLINE旗艦の第一格納庫。高い天井の下で、数機のヴィーラが脚を固定されて並んでいる。
「何回言わせりゃ気が済むんだ、こいつはよ」
カイトの機体の足元で、タミルがレンチを振り回していた。
焦げた装甲板。擦り傷だらけの肩部装甲。バーニアの縁には、さっきまで実弾が飛び交っていた証拠がくっきり残っている。
「整備長」
カイトが声をかけると、タミルは顔も上げずに返してきた。
「おう。棺桶から生還おめでとう」
「棺桶は言いすぎですよ」
カイトの表情が少しだけ緩む。
「こっちは実際、お前が戻ってくるかどうかで棺桶の数が変わるんだよ」
タミルはがつん、と装甲を小突く。
「見ろここ。ミリ単位で掠めてんだろうが」
指差された部分には、細長い弾痕が走っていた。あと数センチずれていれば、機体を支えるフレームに達していたかもしれない。
「避けました」
タミルは短く舌打ちした。
「〝避けた〟んじゃねぇ。〝運よく外れた〟って言うんだ、こういうのは」
レンチの先が、弾痕の縁をこつんと叩く。
「お前の飛び方は危なっかしいって何回言わせる気だ」
そこで、ようやくカイトのほうを振り向いた。
「戦い方までケイに似せるんじゃない」
その目は、いつものように苛立って見えたけれど、奥の方にあるものは別だった。
カイトは、少しだけ肩をすくめる。そう言われても、ケイの戦い方など見たこともない。
「……別に似せているわけじゃありません。ちゃんと戻ってきました」
タミルは鼻を鳴らして、また機体の下にもぐり込む。
「装甲も神経もギリギリでな。次はもう少し〝整備班の寿命〟も考えて飛べ。俺の白髪が増えたら、お前のせいだと思え」
カイトは困った顔をしながら、潜り込んだタミルのほうを見た。
「もう十分白いじゃないですか」
「うるせぇ」
聞こえてきた悪態が、格納庫の鉄骨に反射して小さく響く。
レンチを握る手が止まる一瞬を、カイトは見なかったふりをして、焦げ跡だらけの自分の機体を見上げた。
……この人も、俺が戻ってこなかった時の顔を、一回は想像してるんだろうな。
それを想像してしまうからこそ、さっきのサユリの言葉と一緒に、胸のどこかが重くなる。
*
格納庫を出ると、中央区画へ続く通路の角で、ニコが紙コップを二つ片手に待ち構えていた。
「おつかれ、Vector」
ニコはひょいと顎を上げてみせる。
「医務室、タミル、次は刑務所かと思ったけど、意外と早く出てきたな」
ニコのほうへ振り返って、カイトが言った。
「刑務所に入るようなことはしてない」
「補給線まとめて燃やしておいて、それ言う?」
ニコはからからと笑いながら、コップのひとつを差し出した。
「ほら、コーヒー。ちゃんと豆を挽いたやつ。ヴァルシュタイン重工さまの差し入れ」
「……珍しいな。インスタントじゃないのか」
カイトはコップを受け取りながら、漂ってきた香りを吸い込む。
「今日はお嬢様の機嫌が良かったぞ。補給便に紛れて、カイトにって良いコーヒー豆を大量に送ってきた」
ニコの隣で、壁にもたれていたサジが、ぷっと吹き出した。
「気に入られてるねえ。次の護衛任務で優しくしてやれよ」
ニコが口元を緩ませながら、サジを見た。
「おかげで、俺らもタダで本物飲めるんだからカイトに感謝しろよ、サジ」
そう言うと、またカイトのほうへ身体を向けて続ける。
「で、今日も死亡フラグ量産してたらしいじゃないか」
コーヒーを一口飲むと、カイトは目を細めてニコを見た。
「誰情報だよ」
「タミル。『あと一ミリでこいつの機体に線香あげるところだった』ってさ」
サジが口の端を上げながら話に入ってきた。
「俺のほうから見ててもさ、敵の弾とお前の機体の間に、ほとんど空間なかったからな。あれはもう趣味か?」
そこまで無茶な戦い方はしていないつもりだ。そう思いながら、カイトはサジに言った。
「趣味で死にかけたら世話ないだろ」
サジは、コップをくるくると指で回しながら言った。
「じゃあ修正しろ。線の読み方は天才級なんだからよ。ちゃんと自分にも、逃げ道の境界線を引け」
カイトは、少しだけ視線を落として、コーヒーの表面を見つめた。
艦の微かな揺れで、焦げ茶色の液面がわずかに震えている。
「……考えとく」
サジは呆れた顔をして、息を軽く吐き出した。
「そこは、〝はい考えます〟って言えよ」
ニコが笑いながら、カイトの背中を軽く叩いた。
「次のブリーフィングまでは自由時間。寝るなら今のうちだ、Vector」
カイトは横目でニコを見る。
「サユリにも同じこと言われた」
背中に置いた手を離しながら、ニコはカイトの横を通り過ぎた。
「そりゃ正しい。じゃ、俺らはブリッジ戻るか。ニュースでも拾っといてやるよ」
そう言い残して、ニコとサジは、軽い足取りで通路の奥へ消えていった。
寝ろと言われても、このまま目を閉じてすぐに眠れる自信もない。カイトはコーヒーを片手に持ったまま、通路をニコたちとは反対方向に歩いて行った。
*
観測デッキに出るハッチを開けると、音が変わる。
艦の内部の機械音が遠ざかり、代わりに、真空越しに伝わる低い振動だけが足元から上がってくる。
透明な防護パネルの向こうに、宇宙が広がっていた。
星の点と、遠くをゆっくり流れる残骸の光の帯。さっきまで火花を散らしていた戦場は、今はもう静かで、ただ冷たい。
カイトは、手すりに肘を預けて、紙コップを片手に立った。
防護パネルは、艦内の照明をわずかに映す。星の海の手前に、自分の顔が薄く重なっていた。青あざのこめかみ。冷却パッドの白。星のひとつが、ちょうど自分の目の位置で瞬いている。
カイトは、その顔から視線を外して、パネルの向こうの暗さに焦点を合わせ直した。
「帰るか、ここにいるか」と突きつけられて、逃げ場なんて本当はどこにもなかったのに、それでも自分で選んだのがここだ。
コーヒーを一口飲む。さっきまでの火薬の匂いと違う、焦げた香りが、鼻の奥に残った。
あいつは――浮かんだ顔を、意識の端で押しやる。
今、どこかにいるのかどうかさえ、分からない。分からないからこそ、変に線を繋げるのはやめておきたい、と思う。
だったら俺は。
紙コップを握る手に、少し力が入った。ここで、ここのやり方で、生きて、戻ってくるしかない。
遠くで、微かな光が瞬いた。
誰かが撃った弾かもしれないし、昔の戦場の残り火かもしれない。
どちらにせよ、その一つひとつの下に、誰かが選んだ居場所がある。
カイトは、ぬるくなりかけたコーヒーを飲み干して、紙コップを潰した。
「……寝るか」
小さくそう呟いて、デッキを離れた。
次の出撃のアラートが鳴る前に、一度だけ目を閉じておくために。
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