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SKY  作者: RUI
ARCLINE

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40/125

Sky40-戻ってこない者たち-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。



 金属の匂いと消毒液の匂いが、薄く混ざっていた。

 医務室の天井は低い。配管が縦横に走り、その向こう側で、艦の心臓みたいな振動がかすかに響いている。

「で?」

 カーテンを勢いよく開けて、サユリ・コネリーがカルテ端末を片手に覗き込んだ。

「無茶した自覚は?」

 簡易ベッドの上で、カイト・ボリーは片腕を枕にして天井を見ていた。右のこめかみには薄い青あざ、首の後ろには冷却パッドが貼られている。

「無茶ってほどじゃない」

 視線だけをサユリに向けて、淡々と返す。

「Shadeが囮になって、その隙に俺が抜けて、Foxが後ろを塞いだだけだ」

「その〝だけ〟が一番死人が出るやつだって、教わらなかった?」

 サユリはため息をつきながら、カイトの目の前で小型ライトをぱちんと点けた。

「目、こっち。はい、動かさない」

 光に瞳孔が反応する。彼女は手際よくチェックしてから、端末に何やら打ち込んだ。

「軽度の振動外傷。おまけに首と背中の筋肉がガチガチ。あと、肋骨、一本いってるかもしれないわね」

 カイトは天井を見上げたまま言った。

「折れてたらもうちょっと痛いんじゃないか」

 サユリは、彼の胸のあたりを指で軽くつつく。そこだけ、じんとした痛みが返ってきた。

「ヒビよ、ヒビ。こういうのが次で折れるの。覚えときなさい」

「まだいける」

 カイトは短く言う。

「次の出撃、いつだ?」

 端末を閉じて、サユリはふっと表情をゆるめた。

「ねえ、ボリー」

 声の温度が、一段だけ下がる。

「あなたと同じこと言った人、何人ここで見送って、何人戻って来なかったと思う?」

 カイトは口をつぐんだ。

 サユリは、彼の額に貼った冷却パッドを指で押さえ直した。

「寝ろ。今日は。最低でもこのサイクル丸ごと」

 サユリの顔を見て、カイトは少しだけ顔を上げた。

「でも」

 サユリの手が、カイトの頭を軽く押し返す。

「でもじゃない。寝ないで出ていくとね、次の重力で一瞬気絶する。シートベルトが締まってても、首の骨いく時はいくわよ」

 淡々とした口調のまま、現実だけを並べる。

「首が折れたパイロットの遺体、私、もう見たくないの」

 カイトは、視線を天井に戻した。

 ……医者ってのは、こういう言い方が上手い。自分の体のことだけなら、多少壊してもいいと思えてしまう。でも「誰かがそれを見る」ことを想像すると、喉の奥で何かが引っかかる。

「分かった。寝る」

 しぶしぶ、というよりは観念したような声でそう言うと、サユリは満足げでもなく、ただ小さく頷いただけだった。

「よろしい。目、閉じて。寝つき悪かったら、あとで弱い薬持ってきてあげる」

「いらない。多分、エンジン音で勝手に寝る」

 サユリはため息をついてから、立ち上がった。

「それ、完全に戦場仕様の不眠症だからね。自覚しときなさいよ」

 そして、カーテンを閉めながら、彼女はぽつりと付け足した。

「ちゃんと、次も戻ってきなさい」

 その一言が、消毒液の匂いよりも強く、胸の奥に残った。


   *


 医務室を出ると、艦内の空気は一気に機械油の匂いに変わる。

 格納庫へ続く通路を歩いていくと、遠くから工具の叩く音と、エアハンマーの乾いた音が混ざって聞こえてきた。

 ARCLINE旗艦の第一格納庫。高い天井の下で、数機のヴィーラが脚を固定されて並んでいる。

「何回言わせりゃ気が済むんだ、こいつはよ」

 カイトの機体の足元で、タミルがレンチを振り回していた。

 焦げた装甲板。擦り傷だらけの肩部装甲。バーニアの縁には、さっきまで実弾が飛び交っていた証拠がくっきり残っている。

「整備長」

 カイトが声をかけると、タミルは顔も上げずに返してきた。

「おう。棺桶から生還おめでとう」

「棺桶は言いすぎですよ」

 カイトの表情が少しだけ緩む。

「こっちは実際、お前が戻ってくるかどうかで棺桶の数が変わるんだよ」

 タミルはがつん、と装甲を小突く。

「見ろここ。ミリ単位で掠めてんだろうが」

 指差された部分には、細長い弾痕が走っていた。あと数センチずれていれば、機体を支えるフレームに達していたかもしれない。

「避けました」

 タミルは短く舌打ちした。

「〝避けた〟んじゃねぇ。〝運よく外れた〟って言うんだ、こういうのは」

 レンチの先が、弾痕の縁をこつんと叩く。

「お前の飛び方は危なっかしいって何回言わせる気だ」

 そこで、ようやくカイトのほうを振り向いた。

「戦い方までケイに似せるんじゃない」

 その目は、いつものように苛立って見えたけれど、奥の方にあるものは別だった。

 カイトは、少しだけ肩をすくめる。そう言われても、ケイの戦い方など見たこともない。

「……別に似せているわけじゃありません。ちゃんと戻ってきました」

 タミルは鼻を鳴らして、また機体の下にもぐり込む。

「装甲も神経もギリギリでな。次はもう少し〝整備班の寿命〟も考えて飛べ。俺の白髪が増えたら、お前のせいだと思え」

 カイトは困った顔をしながら、潜り込んだタミルのほうを見た。

「もう十分白いじゃないですか」

「うるせぇ」

 聞こえてきた悪態が、格納庫の鉄骨に反射して小さく響く。

 レンチを握る手が止まる一瞬を、カイトは見なかったふりをして、焦げ跡だらけの自分の機体を見上げた。

 ……この人も、俺が戻ってこなかった時の顔を、一回は想像してるんだろうな。

 それを想像してしまうからこそ、さっきのサユリの言葉と一緒に、胸のどこかが重くなる。


   *


 格納庫を出ると、中央区画へ続く通路の角で、ニコが紙コップを二つ片手に待ち構えていた。

「おつかれ、Vector」

 ニコはひょいと顎を上げてみせる。

「医務室、タミル、次は刑務所かと思ったけど、意外と早く出てきたな」

 ニコのほうへ振り返って、カイトが言った。

「刑務所に入るようなことはしてない」

「補給線まとめて燃やしておいて、それ言う?」

 ニコはからからと笑いながら、コップのひとつを差し出した。

「ほら、コーヒー。ちゃんと豆を挽いたやつ。ヴァルシュタイン重工さまの差し入れ」

「……珍しいな。インスタントじゃないのか」

 カイトはコップを受け取りながら、漂ってきた香りを吸い込む。

「今日はお嬢様の機嫌が良かったぞ。補給便に紛れて、カイトにって良いコーヒー豆を大量に送ってきた」

 ニコの隣で、壁にもたれていたサジが、ぷっと吹き出した。

「気に入られてるねえ。次の護衛任務で優しくしてやれよ」

 ニコが口元を緩ませながら、サジを見た。

「おかげで、俺らもタダで本物飲めるんだからカイトに感謝しろよ、サジ」

 そう言うと、またカイトのほうへ身体を向けて続ける。

「で、今日も死亡フラグ量産してたらしいじゃないか」

 コーヒーを一口飲むと、カイトは目を細めてニコを見た。

「誰情報だよ」

「タミル。『あと一ミリでこいつの機体に線香あげるところだった』ってさ」

 サジが口の端を上げながら話に入ってきた。

「俺のほうから見ててもさ、敵の弾とお前の機体の間に、ほとんど空間なかったからな。あれはもう趣味か?」

 そこまで無茶な戦い方はしていないつもりだ。そう思いながら、カイトはサジに言った。

「趣味で死にかけたら世話ないだろ」

 サジは、コップをくるくると指で回しながら言った。

「じゃあ修正しろ。線の読み方は天才級なんだからよ。ちゃんと自分にも、逃げ道の境界線を引け」

 カイトは、少しだけ視線を落として、コーヒーの表面を見つめた。

 艦の微かな揺れで、焦げ茶色の液面がわずかに震えている。

「……考えとく」

 サジは呆れた顔をして、息を軽く吐き出した。

「そこは、〝はい考えます〟って言えよ」

 ニコが笑いながら、カイトの背中を軽く叩いた。

「次のブリーフィングまでは自由時間。寝るなら今のうちだ、Vector」

 カイトは横目でニコを見る。

「サユリにも同じこと言われた」

 背中に置いた手を離しながら、ニコはカイトの横を通り過ぎた。

「そりゃ正しい。じゃ、俺らはブリッジ戻るか。ニュースでも拾っといてやるよ」

 そう言い残して、ニコとサジは、軽い足取りで通路の奥へ消えていった。

 寝ろと言われても、このまま目を閉じてすぐに眠れる自信もない。カイトはコーヒーを片手に持ったまま、通路をニコたちとは反対方向に歩いて行った。


   *


 観測デッキに出るハッチを開けると、音が変わる。

 艦の内部の機械音が遠ざかり、代わりに、真空越しに伝わる低い振動だけが足元から上がってくる。

 透明な防護パネルの向こうに、宇宙が広がっていた。

 星の点と、遠くをゆっくり流れる残骸の光の帯。さっきまで火花を散らしていた戦場は、今はもう静かで、ただ冷たい。

 カイトは、手すりに肘を預けて、紙コップを片手に立った。

 防護パネルは、艦内の照明をわずかに映す。星の海の手前に、自分の顔が薄く重なっていた。青あざのこめかみ。冷却パッドの白。星のひとつが、ちょうど自分の目の位置で瞬いている。

 カイトは、その顔から視線を外して、パネルの向こうの暗さに焦点を合わせ直した。

「帰るか、ここにいるか」と突きつけられて、逃げ場なんて本当はどこにもなかったのに、それでも自分で選んだのがここだ。

 コーヒーを一口飲む。さっきまでの火薬の匂いと違う、焦げた香りが、鼻の奥に残った。

 あいつは――浮かんだ顔を、意識の端で押しやる。

 今、どこかにいるのかどうかさえ、分からない。分からないからこそ、変に線を繋げるのはやめておきたい、と思う。

 だったら俺は。

 紙コップを握る手に、少し力が入った。ここで、ここのやり方で、生きて、戻ってくるしかない。

 遠くで、微かな光が瞬いた。

 誰かが撃った弾かもしれないし、昔の戦場の残り火かもしれない。

 どちらにせよ、その一つひとつの下に、誰かが選んだ居場所がある。

 カイトは、ぬるくなりかけたコーヒーを飲み干して、紙コップを潰した。

「……寝るか」

 小さくそう呟いて、デッキを離れた。

 次の出撃のアラートが鳴る前に、一度だけ目を閉じておくために。


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