Sky42-届かない空-
戦闘は、まだ続いていた。
カイトのHUDには、帝国本隊の位置が赤い点で表示されている。難民船団の三隻は、まだ海上を進んでいる。
そして――
爆ぜた偵察機の残骸が、雲の切れ間を黒く染めて落ちていく。金属の破片が空気を裂きながら回転し、太陽光を不規則に反射させる。やがて、薄く途切れた雲の層の向こうへ消えていった。
くぐもった爆発音が、ワンテンポ遅れて響く。
カイトのコクピットに、その振動が微かに伝わってくる。計器盤が小さく震え、ヘルメットの内側で自分の呼吸音が大きく聞こえる。
『――敵本隊、針路変化。海側へわずかに偏向』
コアシップのブリッジ。情報席のコンソールに座ったミナが、淡々とした声で読み上げる。彼女の横顔は無表情に見えるが、視線だけが忙しく画面の上を走っている。指先がキーボードを叩く音が、通信越しに微かに聞こえる。
『難民船団の直進ルートからは外れてる。でも、このままだと”かすめる”』
「かすめる、で済ませるつもりはねぇだろ」
ヘルメット越し、フォックス――サジの鼻にかかった声が、通信回線に割り込む。軽口の形はしているのに、言葉の奥の色は低く硬い。
「ベクター」
シェイド――ウィリスが、短くカイトのコードネームを呼んだ。機体ごと僅かにロールさせながら、彼はカイトの機影を視界の端で捉える。
「ここからどう切る」
カイトは、スロットルを一度だけ微調整しながら、HUDのマップを俯瞰表示に切り替えた。青い海面を示すグリッド線の上に、白い点と赤い点が散らばっている。
難民船団三隻。その少し先、斜め上をかすめるように伸びる、帝国本隊の推定航路。フォックスが撒いたデコイに、確かに針路は引き寄せられている。
けれど――完全には、外れていない。
一番うしろの一隻。速度の乗っていない、古い輸送船。
あれが、引っかかる。
『Strike Wing、判断はそっちに任せる』
低く掠れたケイの声が、ブリッジから全機へ落ちてくる。
『こっちでできるのは、連合と”衝突しない位置”を維持することだけだ』
帝国と連合、その間の細い隙間を、沈まないように泳ぐしかないレジスタンス。補給線も、逃げ道も、自分たちで引かなきゃいけない。
「……シェイド」
カイトは、一度息を飲み込んでから、静かに口を開いた。喉が少しだけ乾いている。唾を飲み込む音が、自分の耳に妙に大きく響いた。
「本隊の真横に出る。こっちの存在に気づかせて、進路を海側に押しやる」
ウィリスの機体が、わずかに姿勢を変える。モニター越しに、彼の機体の翼端が光を弾いて光るのが見えた。
「やれるか」
「やる」
短く答えながら、カイトは自分の喉がもう一度乾くのを感じた。そのために、ここにいる。言葉にならなかった部分は、飲み込んだまま。
「フォックスは難民船団の”影”に回ってくれ。誰か抜けたらすぐ拾えるように」
「生け捕り係かよ」
サジが肩をすくめる仕草まで想像できる声で笑う。
「……了解」
「クラゲ、幕をもう一段濃くできる?」
カイトが問いかけると、電子戦機のコクピットで、リアが椅子の背にもたれ直した。
『できるけど、私らの位置もバレやすくなるよ?』
「それでもいい。こっちを”敵”として認識してくれた方がいい」
沈むのが、船じゃなくて自分たちで済むなら――。
「ベクター」
ウィリスが、ほんの一瞬だけ間を置いてから言う。モニターの隅で、最後尾の船を示すマーカーを確認しながら。
「最後尾は、俺ができるだけ見る。……でも、全部は無理かもしれん」
「分かってる」
カイトは、ヘルメットの内側で眉をひそめた。額に汗が滲んでいるのが分かる。
全部は――最初から無理だ。
それでも、何もしないで見ているよりはマシだ。
『ミナ、本隊位置、更新』
ケイの声が飛ぶ。
『送る。……数は十五。先頭四、攻撃機。その後ろ、護衛戦闘機』
ミナが手早くキーを叩きながら、即座に数を返した。通信越しに、彼女の指がキーを叩く速度が上がっているのが分かる。
「攻撃機だけでも、こっち向けさせる」
カイトはそう言うと、スロットルをぐっと押し込み、機体を雲の上へと浮上させる。
視界が、一瞬、乳白色に染まる。冷たい雲の粒子が機体表面を叩く音が、コクピット内に微かに響く。湿った空気が、機体の隙間から入り込んでくる。
雲を突き抜けた先、鈍い銀色の機体群が雲海を割って現れた。
帝国の紋章。規則正しく組まれたフォーメーション。灰色の装甲板が、太陽光を冷たく反射している。
――見せてやる。
誘うように、真正面に踊り出る。わざと、少しだけ早いスピードでかすめていく。
敵編隊の先頭が、訝しむようにわずかに揺れた。機体の角度が微妙に変わり、キャノピーの反射が一瞬だけこちらを向く。
『敵先頭機、進路変更。……こっちを追う』
ミナの声が、わずかに早口になる。
『攻撃機三がベクター方向へ。護衛はそのまま船団側』
「中途半端が、一番タチ悪ぃな」
サジが、歯噛みするように小さく毒づいた。
「フォックス、護衛の線、切れるか」
ウィリスが問う。
「やってみるよ。……死なない範囲でな」
サジは短く息を吐き、海面ギリギリに機体を潜り込ませた。青い海面が、機体の下でぼやけて流れる。白い波頭が、規則的に並んでいる。難民船団の下へと滑り込み、その”影”にぴたりと張り付く。
雲の上では、カイトが先頭の攻撃機とすれ違うように飛んでいた。
レーダー上で交差する軌跡。敵の銃口が、じわりとこちらへ向きを変える。金属の鈍い光沢が、距離を詰めるたびに大きく見えてくる。
――こっち向け。
わざと、少しだけ発射タイミングをずらし、“撃てそうで当たらない距離”に自分を置く。敵の視界と怒りを、自分に縫いつけるために。
「ベクター、遊びすぎるなよ」
ウィリスの低い声がかぶさる。
「そっち三機全部引き受ける気なら、なおさら落ちるな」
「言われなくても」
カイトは短く返し、機体を雲間へと引きずり込んだ。
雲の中。真っ白な視界の中で、センサーと、自分の勘だけが頼りになる。湿った冷気が機体を包み込む。前も後ろも分からない。ただHUDの線だけが、敵の位置を示している。
音もなく迫る敵機の軌跡を、HUDの線と身体感覚で追う。撃って、避けて、また引きつけて――。
重力が体を押しつぶす。シートベルトが肩に食い込む。呼吸が浅くなる。
その間にも。
『最後尾、被弾』
ミナの声が、ほんのわずか震えた。
『難民船団最後尾、機関部に直撃。速度低下』
「クソ……!」
フォックスが、舌打ちする音を隠しもせず叫ぶ。
「シェイド、すぐ後ろに――」
「見えてる」
ウィリスの機体が雲を割って飛び出す。雲を抜けた下、海面すれすれで、輸送船の後部が黒い煙を上げていた。
白い波の上に、鉄の塊が重く傾ぐ。デッキの上で、小さな人影が何かを抱えて走っている。
その横で、船体の一部が火を噴いた。
その上空を、帝国の護衛戦闘機がかすめていった。灰色の翼が、冷たく光を弾く。
エンジン音が、空気を引き裂いて通り過ぎる。
ウィリスは、舵を切る迷いを持たなかった。
「フォックス、前に出ろ。船団の頭を守れ」
「でも――」
「いいから行け。ここは俺が見る」
押し返すような強さで言い切る声。
カイトの耳に、その短い会話が鮮明に届く。
――カバーに入るか、全体を見るか。
自分がこの場から離れて、最後尾に張り付けば。あの船は、少しは長く持つかもしれない。
その間に――先頭の二隻が、本隊の射程に入るかもしれない。
全部を守れるほど、俺たちは多くない。
レーダーに映る点の数。自分たちの機数。リアの電子幕。ミナの情報。
全部を一瞬で計算して、答えは一つしか出てこなかった。
「……全体を優先する」
カイトは、自分の声がわずかに掠れるのを感じた。喉の奥が、きゅっと締まる。
「フォックス、前を頼む」
「了解」
フォックスの機影が、煙を吐きながら進む先頭船の真上に躍り出る。
シェイドは、最後尾の上空で機体を翻し、迫る護衛機を一機、また一機と削ぎ落としていく。
『敵攻撃機三、ベクター側に固定。護衛の一部は撤退開始』
ミナの声が、少しだけ安堵を含んだ。
カイトは、攻撃機の一機を落としながら、ほんの一瞬だけ下を見た。
傾いた輸送船。デッキの上で、小さな影が何かを抱えて走っているのが見える。
子供を抱えた女性だろうか。その後ろを、別の影が追いかけている。
そのすぐ横で、鉄の板が膨らむように歪んだ。オレンジ色の光が、船体の内側から漏れ出す。
間に合わない。
そう分かっていても、目を逸らせなかった。
「ベクター、上だ!」
ウィリスの警告が飛ぶ。
カイトは反射的にスティックを引いた。直後、さっきまで自分がいた空間を、赤い光が横切る。
雲海が眩しく焼かれ、白い光の筋が残った。熱波が機体を揺らす。警告音が、コクピット内に響く。
船が――
その先を想像する余裕は、もうなかった。
敵は、彼らを”敵”としてはっきり認識した。
それだけは、確かだった。
*
戦闘が終わったのは、それから二十分後だった。
帝国本隊は、損害を受けたあと針路を反転し、遠ざかっていく。難民船団の二隻は、かろうじて指定ポイントまで逃げ切った。
最後尾の一隻は――途中で、海に沈んだ。
*
ARCLINE旗艦のブリッジの空気は、妙に静かだった。
低く唸るエンジン音と、コンソールの小さな電子音だけが、一定のリズムで響いている。
換気扇が回る音。誰かが椅子に座り直す音。キーボードを叩く音。
正面のモニターには、まだ戦況ログが流れていた。白い文字が、黒い背景の上を規則的に流れていく。
数値と、短い文。
《護衛対象:民間船団3/到達2/損失1》
《生存者:一部救助 救助数 確認中》
情報席のミナは、コンソールの前から動かない。
細い指でスクロールを止め、じっと画面を見つめていた。椅子に座ったまま、背筋だけはまっすぐに伸びている。
「……ミナ」
背後のオペレーター席から、ニコが声をかける。肘を椅子の背に引っかけた、いつもの崩れた姿勢のまま、視線だけを彼女に向けた。
「帝国側の反応は?」
「一時撤退。難民船団を追う動きは、今のところない」
ミナは、淡々とした声のまま答える。指先が、無意識にコンソールの端を叩いている。
「ARCLINE側の損害は?」
「機体軽微損傷数機。人的死者ゼロ。負傷者は――」
彼女は、ちらりと横のパネルに視線を投げた。
「医務室のログだと、重傷二。あとは軽傷」
「……そうか」
ニコは、椅子にもたれた背を少しだけ深くして、天井を見上げた。白い天井のパネルが、蛍光灯の光を反射している。
救えた数と、救えなかった数。数字にすれば、ただの差分に過ぎない。
「ログ、まとめておいてくれ。後でケイに回す」
「了解」
ミナは短く答え、画面の隅に小さく保存マークを点灯させた。青い光が一瞬だけ強く光り、すぐに消える。
その一瞬だけ、彼女の唇が、ほとんど分からないほど僅かに歪む。
*
医務室の前の廊下は、消毒液と鉄の匂いが混ざっていた。
白い蛍光灯が、廊下全体を冷たく照らしている。床のタイルは灰色で、所々に黒い擦り傷がついている。壁は白く塗装されているが、角の部分だけ少しだけ塗装が剥げて、下の金属が見えている。
担架の車輪が、床をかすめる音。ゴムのタイヤが金属の床を転がる、規則的な音。誰かの靴音。遠くで聞こえる機械のビープ音。
白い照明に照らされた狭い通路の壁にもたれかかるように、カイトは立っていた。
右肩の奥に、鈍い痛みがある。シートに叩きつけられた時に打ったらしい。ついさっきまで医務室の中で、サユリに包帯を巻かれていた。
「軽度の振動外傷、あと打撲。寝ろ」
そう言われて、「まだいける」と返したら、
「寝ないと次で死ぬ」
と、淡々と釘を刺されたところだ。
無理しなきゃ、間に合わないことの方が、多いのに。
心の中でだけ、形にならない反論を転がす。
「そこ、邪魔」
背後から、サユリがステンレスのカートを押しながら近づいてきた。白衣の袖をまくり上げた腕で、器具のトレイを押さえながら、ちらりともこちらを見ずに言う。金属の器具が、トレイの中でカチャカチャと音を立てている。
「悪い」
カイトは、壁から少し身を離して道を空けた。冷たい金属の壁から離れると、背中に残っていた冷たさが、ゆっくりと消えていく。
その時、ちょうど、反対側の角から担架が一つ、押されてきた。
薄い毛布の下で、小さな体がかすかに動く。毛布は軍支給の灰色で、端が少しだけほつれている。
毛布の端から覗く腕は、細くて、あざだらけだった。紫色の打撲痕が、肘から手首にかけて広がっている。皮膚は土で汚れていて、爪の間に黒いものが詰まっている。
担架を押しているのは、煤で汚れた民間服の男と、ARCLINEのクルーが一人。二人とも、疲れ切った顔で、それでも慎重に担架を運んでいる。靴底が床を擦る音が、廊下に響く。
彼らは、カイトに一瞬だけ視線を向けてから、すぐに医務室の中へと消えていく――その直前。
担架の上の少年が、ふと目を開けた。
意識は、はっきりしていない。焦点の合わない視線が、天井を彷徨い――そして、偶然のようにカイトの方をかすめる。
黒に近い髪。少しだけ赤みの混じった瞳。
あすみの目を、ほんの少しだけ濃くしたような色。
――オルディア。
胸の奥が、きゅっと縮まった。
少年の瞳は、すぐにまたどこかを見失う。薄いまぶたが重たげに閉じ、担架はそのまま医務室の内側へと滑り込んでいった。
自動ドアが、静かに閉まる。シューッという空気の音がして、それから金属のロックがカチャリと鳴る。
音がひとつ、減る。
カイトは、しばらくその扉を見つめて立ち尽くしていた。白い扉の表面に、小さな傷がいくつもついている。誰かが何かをぶつけた跡だろうか。
守れた二隻。沈んだ一隻。その中から引き上げられた、生き残りの一人。
――全部は、守れない。
あの日。金属の部屋で、ケイに叩きつけられた現実。
ここにいることを、選んだ自分。
どれだけ線を読み、どれだけ先回りしても――救い損ねる線は、必ず残る。
それでも。
カイトは、ぎゅっと右手を握りこんだ。
包帯の下で、擦りむいた皮膚がきしむ。布の繊維が、傷口を刺激する。
だからって、何もしない理由にはならない。
目を閉じて、ゆっくりと息を吐く。冷たい空気が、喉を通って肺に入っていく。
頭の中に、一瞬だけ、VRの教室で笑っていた少女の横顔が浮かんだ。
その像を、意識的に切り離す。
あいつは、あいつの空で飛ぶ。
そう決めたはずだ。
ここは、自分の空だ。
カイトは、医務室の扉から視線を外し、重いブーツを一歩前に出した。
鈍い足音が、廊下の先へ続いていく。金属の床が、靴底の下で冷たく硬い。
*
甲板は、夜でもうっすら明るかった。
頭上には分厚い装甲板、その向こうにあるはずの星空はほとんど見えない。代わりに、遠くの宙域でまだくすぶっている爆光の名残だけが、鈍い橙色となって薄く反射していた。爆光は、ゆっくりと明滅を繰り返している。
床を伝ってくる低い振動音。エンジンの鼓動と、循環空調の風の音。金属が軋む音。どこかで水が流れる音。
カイトは、手すりに片肘をついて、誰もいない宙の暗さをぼんやりと眺めていた。手すりの金属が、冷たい。冷たさが、肘から腕に伝わってくる。
風が吹いている。循環空調の風ではなく、外から入り込んでくる風。冷たくて、少しだけ湿っている。頬を撫でて、髪を揺らす。
――眠れないよな、そりゃ。
さっきまでの戦闘の映像が、目を閉じなくても脳裏に浮かぶ。
沈んだ船。助け損ねた影。医務室前の廊下で見た、あの少年の目の色。
あいつと、少しだけ似てた。
胸の奥が、じわりと痛む。
そこまで考えて、カイトは小さく息を吐いた。白い息が、目の前で揺れて消える。
その時だった。
甲板へ続くハッチが、きぃ、と金属音を立てて開く。
振り返る前に、足音が聞こえた。ブーツが金属床を踏む、ゆっくりしたリズム。重たい靴底が、規則的に床を叩く音。
「――よぉ。起きてたか」
聞き慣れた低い声に、カイトは肩越しに顔を向けた。
古賀ケイが、そこにいた。
いつもの地味なジャケット。片手には、どこから持ってきたのかマグカップ。
湯気の代わりに、冷えた空気の中に白い気配が揺れている。マグカップの表面に、わずかな結露がついている。
「……眠れなくて」
カイトは、言い訳みたいに呟いた。
ケイは「だろうな」と短く言って、カイトの隣、少し離れた手すりに背中を預ける。
マグを手すりに置き、腕を組んだ。ジャケットの布が擦れる音がする。
しばらくの間、二人とも何も喋らなかった。
エンジン音だけが、一定のリズムで響いている。遠くで、誰かの足音が聞こえる。
金属の扉が開く音。閉まる音。
「お前」
しばらくして、ケイがふいに口を開いた。
「でっかくなったなぁ」
「……は?」
カイトは思わず顔をしかめる。
「昔はこーんな、豆みたいだったのによ」
ケイは片手を腰のあたりまで下げて、適当な高さを示した。指先が、どう見ても盛っている。
「豆って言うな」
「いやぁ、豆だったろ。泣き虫豆ボウル」
「そんな名前で呼ばれた覚えはねぇよ」
即座に返すと、ケイはふっと笑った。
ほんの少しだけ、戦場の気配から外れた笑いだった。口角だけが上がって、目元が少しだけ緩む。
また、短い沈黙。
ケイは腕を組んだまま、視線だけを宙の方へ向ける。遠くの爆光が、彼の横顔を薄く照らしている。
「……ひどいやつだって、思ってるか?」
唐突に落とされた問いに、カイトは瞬きをした。
「……なにが」
「軍からも家族からも逃げたと思ったらだ」
ケイは、表情を変えずに言葉を続ける。
「なにも知らないガキを攫って、人質にして。それでも娘の平凡な幸せは守りたいって……自分勝手だよなぁ」
声は、どこか他人事みたいに乾いていた。
責めてくれと言っているわけでもなく。許してくれと乞うわけでもなく。
ただ、自分のやったことの線を、事実として並べているだけの声音。
カイトは、手すりから肘を外し、両手で握った。
冷たい金属の感触が、掌に食い込む。ザラザラした表面が、皮膚を刺激する。
「……勝手だって、思ってないよ」
少しだけ間を置いてから、そう答えた。
ケイがわずかに眉を動かす。
「守りたいって気持ちは、俺も……分かるから」
あの教室。あのコロニー。VRの箱庭みたいな青春。
全部、誰かが「守ろうとしていた」から存在していたものだと、今なら分かる。
それが正しいやり方だったかどうかは、別として。
「だからって、やったことが消えるわけじゃねぇけどな」
ケイがぼそっと付け足す。
「お前を攫ったのも、ノーザンでノエルを乗せてたのも。全部、自分の都合で振ったサイコロの結果だ」
その言い方が、あまりにも投げやりで。でも、妙にまっすぐで。
カイトは、少しだけ目を細めた。
「……それでも」
「ん?」
「それでも、あいつは今、生きてる」
言葉にした瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
どこでどう暮らしているのかも、具体的には知らない。
それでも、ケイの口から「死んだ」とは一度も聞かされていない。
だから――生きていると信じるしかない。
「それを守るために、こんだけ馬鹿やってんなら。少なくとも”ただのクソ野郎”とは思ってない」
「……お前の評価は、けっこう甘いな」
ケイが小さく笑う。
「じゃあ、こう言ったらどうだ」
肘で手すりを軽く叩きながら、わずかに視線をカイトへ向ける。手すりの金属が、コンコンと低い音を立てる。
「いざとなったら、お前を帝国との交渉材料に使うぞ」
声には、冗談みたいな抑揚はない。
本気とも冗談ともつかない、低い調子。
カイトは、一瞬だけ目を伏せた。
あの夜。金属の部屋。「人質だ」と言われたあの日の感覚が、微かに蘇る。冷たい金属の床。暗い照明。ケイの低い声。
――この人は。
人質にすると、ちゃんと言えるくせに。
たぶん、本当にその時が来たら、最後の一線では躊躇うんだろう、と思う。
それでも。
「……覚悟はできてるよ」
カイトは、正面を向いたまま答えた。
「最初から、そういう場所に立つって言ってここにいるから」
この艦に。この組織に。ケイの側に。
自分の足で乗り込んだ以上、「知らなかった」はもう使えない。
ケイは、しばらくカイトの横顔を見ていた。
暗がりでも分かるくらいに目を細めて、それからふっと視線を外す。
「……そうか」
短く、それだけ言った。
マグカップを片手でつかみ、そのまま背を向ける。カップの中の液体が、わずかに揺れる。
「じゃあ、せめて寝ろ」
歩き出しながら、ケイは背中越しに続けた。
「寝ないで飛ぶやつは、誘拐犯としても隊長としても嫌いだ」
「どっちの肩書きで怒ってんだよ」
「さあな」
答えになっていない答えを残して、ケイはハッチの方へ向かっていく。
足音が遠ざかる。ブーツの音が、だんだん小さくなる。ハッチが開く音と、閉じる音。金属の扉が、重たく閉まる。
そして、再びエンジンと空調だけの世界になった。
カイトは、しばらくその背中が消えた方向を見つめていた。
ゆっくりと、手すりから手を離す。手のひらに、金属の冷たさが残っている。
この人は。
胸の内側で、言葉が形になる。
俺にも、あいつにも、同じくらい不器用だ。
だからこそ――と、カイトは小さく息を吐いた。白い息が、また目の前で揺れて消える。
だからこそ、この艦でなら、“ここにいる”って言えたんだろうな。
戦場の残光が、装甲板の裏側をかすかに照らしている。鈍い橙色の光が、ゆっくりと明滅している。
その薄い光を見上げながら、カイトはようやく、眠気の気配を少しだけ思い出した気がした。
風が、また吹く。冷たい風が、頬を撫でて髪を揺らす。
手すりから離れて、ハッチの方へ歩き出す。靴底が、金属の床を叩く。
届かない空は、まだ遠い。
でも、ここで飛び続ける。
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