Sky38-線を引く者-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
三日後、カイトは格納庫の片隅で、自分の機体を見上げていた。
ARCLINEに来てから、何回飛んだだろう。数えていない。数える意味もない。ただ、毎回「次の線」を引くだけだ。
補給線を叩けば、前線の圧が減る。前線の圧が減れば、あいつのいる場所が、少しだけ安全になる。
そう思いたい。そう信じて、線を引き続けるしかない。
「Vector、ブリッジから呼び出しだぞ」
サジの声が、遠くから飛んできた。
カイトは顔を上げる。
「次の作戦?」
「ああ。ミナが新しいルート見つけたらしい」
また、線を引く。
カイトは立ち上がり、ブリッジへ向かった。
ブリッジは、薄暗かった。
照明は最低限。代わりに、壁一面のコンソールとホロスクリーンが、青白い光で空間を満たしている。椅子に座る人影の背中だけが、光の縁取りで浮かび上がっていた。
「帝国補給線の更新データ、来ました」
前列右端、情報席のミナが告げる。柔らかくまとめた髪が、スクリーンの光を受けて輪郭だけ白くなった。
その声に、指揮席のケイがふっと視線を上げる。ARCLINEの首領は、艦長席にふんぞり返るでもなく、猫背でもなく、ただそこにいるだけの背中をしていた。
「出せ」
ケイが言うと、ミナはすぐに指先を滑らせた。
中央のホロテーブルに、星図が浮かび上がる。点と線で描かれた宙域マップ。その一部に、赤いラインが三本、ゆっくりと描かれていった。
「帝国第七補給師団のルート候補。三つ」
ミナは、赤い線の一本に印をつける。
「ここが、帝国がいつも通る安全ルートです」
「で?」
ケイが促すと、ミナはもう二本の線を指先で示した。
「こっちは、護衛を増やしてでも無理やり早く行きたい時のルート。最後は、燃料を節約したい時の遠回り」
ぱちん、と指を鳴らし、三本まとめて拡大表示する。
「今の戦況と、数日前の交信ログからの予測」
ミナは、一番外側の線にカーソルを合わせた。
「たぶん、これ」
ケイの口元が、少しだけ歪む。
「確率は」
「七割です」
即答だった。
隣の席で、ニコが椅子をくるりと回す。伸ばしっぱなしの髪を束ね、眠そうな目をして、片手には飲みかけのマグカップ。
「七割って、行けますねって言ってるようなもんですよね、ケイさん」
「行けるか?」
ケイはニコではなく、ミナに聞いた。
ミナは一瞬だけ目を細めて、ホロスクリーンの数字を見直す。
「やるなら、今です。ここ数日で護衛艦の数が増えてる。もう少し遅いと、こっちが狩られる側になります」
「……そうか」
ケイは椅子の肘掛けを軽く叩いた。
「コアシップ進路、ミナの出した三本目に寄せろ」
「了解。コース変更」
ニコが、器用に片手で操舵スティックを動かす。船全体が、わずかに軋むような重い振動を伝えた。
「Strike Wingを起こせ」
ケイの声は、相変わらず低くて静かだった。
「補給線を叩く。詳細はブリーフィングで落とす」
*
油と金属と冷却剤の匂いが、混ざり合って鼻をつく。天井のクレーンから吊られたパーツが、時々ごとんと鈍い音を立てて揺れる。
白いヴィーラの胴体に、灰色の整備服の男がしがみついていた。
「だからだな、このバランサーの微調整をだな」
「また〝あと一ミリ〟ですか?」
タミルが早口でまくしたてる前で、若い整備士が苦笑いを浮かべている。
「一ミリの差で、帰ってくるかどうかが決まるんだよ」
タミルはレンチでパネルを軽く叩いた。
「壊すのは構わんが、帰ってこないやつはもっと嫌いだ。覚えとけ」
あの台詞を、カイトはもう何度も聞いた。整備長の説教は、相手が誰でも、最後は必ず同じ場所に着地する。この格納庫では、あれが祈りの代わりなのだろう。
そのやりとりを横目に、カイトは自分の機体の脚の影に立っていた。
Vector。矢印。
線を読むお前にはぴったりだ、と最初に誰かが笑った。
――俺自身の矢印はどうした。
心の中でだけ、そう返した。口には出さなかった。あれからずいぶん飛んで、渾名は身体に馴染んだのに、あの自問だけは、まだ同じ場所に立っている。他人の補給線ばかり読んで、自分の行き先は読めないままだ。
「おーい、ベクター坊や」
背中から軽い声が飛んできた。振り向かなくても、誰の声かは分かる。
「……誰が坊やだよ、サジ」
カイトが肩越しに睨むと、いつものオレンジのフライトジャケットを肩に引っかけたサジが、にやりと笑った。
「いやいや。ブリッジから正式に呼ばれてただろ、《Vector》って」
サジは、カイトの機体の装甲をぽんぽんと叩く。
「かっこいいじゃん、〝矢印〟。敵の補給線ぶった切るにはおあつらえ向き」
「矢印の行き先、いつもギリギリなんだよ、お前の案だと」
「生きて帰ってるんだから文句言うなよ、相棒」
そう言って笑う目の奥は、冗談だけじゃない。カイトは肩の力を少し抜いた。
「ウィリスは?」
「ブリーフィングルーム。重役会議だろ、多分」
「重そうな空気だ」
苦い笑いが、二人の間に共有される。
「Vector、Fox」
背後から声がして、二人が振り向くと、淡い灰色のパイロットスーツに袖を通したリアが、ヘルメットを抱えて立っていた。癖のある明るい髪をひとつに結び、口元にはいつもの軽い笑みを作っている。
「ブリーフィングだって。Shadeももう入ってる」
「了解。電子戦のお姫様、今日も俺たちを死なせないでくれよ」
サジがひらひらと手を振ると、リアは肩をすくめた。
「死なない戦い方をしてくれるなら、ね。自爆特攻されると、どれだけ妨害かけても意味ないから」
横目でカイトを見て、サジが言った。
「聞いたか、Vector」
「聞いてるよ」
カイトは答えて、三人で並んでブリーフィングルームへ向かった。
天井の低い、金属の部屋だ。中央のホロテーブルには、さっきブリッジで見た星図の縮小版が浮かんでいる。
その前に立つケイの横で、ウィリスが腕を組んでモニターを眺めていた。
「来たか」
ケイがちらりと視線を上げる。
「Vector、Shade、Fox、Jelly。四機で行く」
カイトたちは、それぞれテーブルの周囲に立った。
「ターゲットはこちら」
ミナの声が、スピーカー越しに落ちてくる。ホロに赤い線と点が浮かび上がった。
「帝国補給船団、第七師団。輸送艦三、護衛艦二。予定進路を少し外れて、こっちの遠回りルートを通る可能性が高い」
「護衛は?」
ウィリスが尋ねる。
「標準仕様なら、ヴィーラ相当の迎撃機は少数。問題は対空砲の密度です」
ミナが、青い点をいくつか追加する。
「正面から行けば、こっちの火力が足りなくなります」
「だから、正面からは行かない」
ケイが言い切った。
「やることは、いつもと同じだ。補給線を噛み切る。人は可能なかぎり殺さない」
ウィリスが顎をなでる。
「……つまり、見えないところから殴りに行くってことだな」
「そうだ。リア」
ケイがリアを見る。
「電子幕は張れるか」
リアは、手元の端末を操作しながら答えた。
「敵護衛艦のレーダー帯域なら、いくつか〝穴〟は作れると思う。ただ、その穴に正確に入ってもらわないと、あっという間に見つかる」
ウィリスが横目でカイトを見た。
「だったら、線読み担当の出番だな」
視線を受けて、カイトはホロテーブルを見下ろす。
帝国補給線を示す赤い線。護衛艦の探知範囲を示す薄い円。その重なり合いから、リアが予測したレーダー空白地帯が、点線でうっすらと浮かんでいる。
カイトは、無意識のうちに指先を動かしていた。
点と点を結ぶ。軌道と軌道の隙間を縫う。
この線の先に、何がある。
帝国の補給艦。その中には、たぶん人がいる。作業服を着た整備兵。コンテナを運ぶ兵士。通信士。艦長。知らない顔。
でも、そこを叩けば、前線への物資が減る。
帝国の艦隊が「安全」だと信じている死角。そこを突く一本の細い線が、頭の中に浮かび上がる。
「……ここ」
カイトは、ホロ上の一点を指で軽く突いた。
「リアの作る穴をつなぐように、ここを通れば、護衛艦のレーダーに完全には引っかからない」
指先から伸びるラインが、ホログラムの上に細い軌跡を描く。
「ただ、その代わり、こっちの自由も削られる。多少ルートが読まれる覚悟はいるけど、補給船団の指揮官がそこまで頭の回るタイプなら、そもそもこんなルート通ってこない」
サジが、息を吐いて肩をすくめた。
「やっぱお前、性格悪いな、Vector」
「お前にだけは言われたくない」
リアが、カイトの描いたラインをじっと見つめる。
「……いける」
低い声だった。
「このライン沿いに電子幕を張る。多少の誤差は出るだろうけど、こっちのステルスと合わせれば、かなり近いところまで忍び込めると思う」
ケイがブリッジに向けて声を飛ばす。
「ニコ」
《聞こえてる。進路データ、Strike Wingに送る準備できてる》
ニコの声が、天井スピーカーのどこかから響いてきた。
《……マジかよ。こんな綱渡りコース、本当に飛ぶのか?》
「飛ぶんだよ」
ウィリスが、どこか楽しそうに笑う。
「Vectorが引いた線だ。俺たちはそこを走るだけ」
《……そうかい》
呆れたような、諦めたような間があって、それきりニコは何も言わなかった。文句の代わりに、手元で進路データを整える気配だけが、回線の向こうから伝わってくる。
ケイが、四人を順に見渡した。
「出撃は三十分後だ。準備しろ」
Strike Wingの面々はそれぞれ無言で頷いて、部屋を出ていった。
カイトが扉に手をかけた時、ケイが低く呼び止めた。
「Vector」
振り返ると、ケイはホロテーブルに映る赤い線を見ていた。
「なんですか」
「いい線だ」
短い言葉だった。けれど、それだけで、カイトの喉の奥が少し熱くなる。
「ありがとうございます」
ケイは続けて、静かに言った。
「お前が引いた線の先で、何かが壊れる。それを忘れるな。線は、ただの矢印じゃない」
分かっている。そう言いかけて、カイトは口を閉じた。
本当に分かっているのか、自分でも分からない。
「……はい」
それだけ返して、部屋を出た。
線の先で、何かが壊れる。
廊下を歩きながら、その言葉を噛みしめる。
それでも。俺は線を引き続ける。
*
格納庫に戻ると、機体はすでに整備班の手を離れていた。
「燃料満タン、弾も満タン。あとはお前らがちゃんと帰ってくるだけだ」
タミルが親指で機体を指す。
「了解」
カイトは返事をして、コクピットへ続く梯子を登る。
シートに沈み込み、ハーネスを締める。ヘルメットの内側で、呼吸の音がやけに近い。
ここを通れば、見えないで近づける。
自分で引いた線が、頭の中で再び光る。
その先で、なにを壊すかは、もう選んだ。
「Vector、起動完了」
スイッチを倒すと、機体が低く唸った。
「Shade、いつでも」
「Fox、Ready」
「Jelly、リンク良好。電子幕、予定通り展開できるわ」
無線に、仲間の声が重なる。
《Strike Wing、こちらブリッジ》
ニコの声が、少しだけ真面目なトーンで入った。
《進路データ送信。Vectorの引いた〝綱渡り〟コースだ。落ちるなよ》
「……了解」
カイトは、HUDに浮かび上がった細いラインを見つめる。
「ここを通れば、見えないで近づける」
自分に言い聞かせるように、もう一度呟いた。
《了解。じゃあ――》
ニコが、わざと軽い声色を作る。
《行ってこい、線読み坊やども》
Strike Wingの四機が、格納庫を滑り出していく。
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