Sky37-補給線の影-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
艦橋の空気は、いつもより少しだけ重かった。
中央のホロテーブルには、紺色の宙域マップが浮かんでいる。無数の細い線が、蜘蛛の巣みたいに交差していた。誰も口を開かないと、投影機の低い駆動音だけが天井に溜まっていく。
「帝国第三補給ルート。ここ四十八時間の船舶ログと、うちで抜いた暗号通信を重ねました」
ミナは、視線をほとんど動かさずに指先だけを滑らせた。一本の線が、他よりわずかに太く強調される。
「本線はここ。で、最近使われているのは、こっちのバイパスです」
地図の外縁を回り込むように、薄い曲線がひとつ描き出された。
ケイが、無精髭に手をやりながらその線を眺める。
「理由は?」
「本線は、連合の監視衛星の射程に引っかかりやすいです。帝国側もそれを嫌って、ギリギリ〝見えない〟境界線を試している」
ミナの声には抑揚がない。数字を読む声と、人の命に関わる話をする声が、同じ温度で並んでいる。
「例えば、ここ。重力散乱域の縁をなぞるように通ってます」
ホロに、小さな赤い点が並んだ。微細な隕石群と、古い残骸と、廃棄された衛星の墓場。
「まっすぐじゃない、ってことか」
カイトは腕を組んだまま、ホロの上の線を目で追った。
揺れている。ただの航路じゃない。誰かが「ここなら見つかりにくいだろう」と考えながら引いた線の癖が、そのまま滲んでいた。線は嘘をつかない。引いた人間の怖がり方まで、そこに残る。
「通過予測時刻は?」
「あと七時間二十二分三十秒から、誤差プラスマイナス三十分」
ミナは、時計を見るまでもなく答える。
「船団規模は?」
「前回までと同じなら、輸送艦三〜五、護衛艦二以上。艦種は――」
彼女が言いかけたところで、ケイが軽く手を上げた。
「十分だ」
短く切って、ホロ上の線をもう一度だけ眺める。
「やるか?」
問いかけられたのが誰なのか、はっきりとは示されていない。なのに、ブリッジの視線が自然とカイトのほうへ寄った。
いつからか、こうなっている。カイトは、少しだけ息を吸ってから頷いた。
「やるしかないでしょう。ここが削れれば、南の基地の圧が少しはマシになる」
ケイの口元が、わずかに歪む。
「ニコ」
「了解です」
後方のコンソールに肘をついていたニコ・ヴァレンテが、気だるげに応じた。
「Strike Wing、出撃準備。Vector、Fox、Shade、クラゲ。三時間後にブリーフィングだ。寝たい奴は今寝とけよ」
「今から寝ろって言われて寝られるかよ」
カイトが苦く笑うと、ニコは肩をすくめた。
「知らないな。死ぬほど眠い顔で出撃するよりはましだろ」
ブリッジの空気が、少しだけ緩んだ。
*
格納庫の中は、シャトル用レールの唸り、工具の金属音、オイルの匂いで、いつも通りうるさかった。その全部を、低い警告ブザーの音が順にかき消していく。
「おい、Vector、今日も〝正しい方向〟に飛んでくれよ」
自分の機体の足元へ向かっていたカイトに、背後から声が飛ぶ。振り返ると、サジがヘルメットを小脇に抱えたまま、にやついていた。
「その呼び方、やめろって言ってるだろ」
「なんでよ。似合ってるじゃん、〝矢印坊や〟」
睨まれた割には、サジは嬉しそうに答えた。
「矢印坊やは余計だ」
カイトが眉をひそめると、サジはますます楽しそうな顔をする。
「でもさ、まじでたいしたもんだと思うぜ、線引き。ニコもミナも、最近お前の出したコース前提で計画立て始めてるし」
背後から覗き込むように身体を近づけて、サジが言う。
「それは、あいつらが優秀なだけだろ」
カイトはヘルメットの固定金具を確認しながら答えた。
「出たよ、謙虚。ウィリス、こいつまた自分の貢献度を過小評価してるぞ」
呼びかけられたほうを見ると、ウィリスが一機隣で整備兵と言い合っていた。
「ここのバランサー、あと〇・五だけ詰められるだろ」
「これ以上は保証外です」
「保証外でもいいから詰めろ。死んでから〝保証内でした〟って言われても困る」
「……毎回それ言いますね」
「毎回言わなきゃ伝わらないんだよ」
そのやりとりを、カイトとサジは機体の前で眺めていた。
遠くから、タミルが口を挟む。
「お前ら二人とも、機体は壊すな。綺麗なまま、戻ってこい。いいな?」
「了解」
「了解です」
二人の返事が、同じタイミングで揃った。こちらへ歩いてきたウィリスに、カイトが訊く。
「今回、フォーメーションは?」
ウィリスは、電子戦ポッドを増設されたリアのヴィーラを顎で示した。
「お前が前。俺とサジが左右で影。クラゲは後ろから傘だ」
その整備台の上では、リアが配線に顔を突っ込んでいる。
「リア、遮蔽とジャミング、持つか?」
カイトが声をかけると、片手だけがひらひらと振られた。
「ログ見る限り、帝国側のセンサー古い型だし。ちょっとノイズ乗せれば目潰しできる」
頭は見えないまま、軽い口調だけが飛んでくる。
「問題は、その〝ちょっと〟を間違えないことですね」
端末を抱えて通りかかったミナが、ぽつりと言った。
「ばっか、私を誰だと思ってんの」
「……クラゲ」
「そういう嫌味な正解はいらないのよ、ミナ」
リアが顔を上げて睨む。ミナは無表情のまま、ほんの少しだけ口の端を上げた気がした。
死なせないために、これだけの人間が準備している。
カイトは、自分の機体に手を置いた。滑らかな装甲の感触。冷たい金属の下に、いくつもの手と時間が詰まっている。
「お前は戻ってこいよ」
タミルがぼそりと呟いた。
「壊すのは嫌いだが、戻ってこないのはもっと嫌いなんでな」
「分かってます」
カイトは短く返して、コクピットへ乗り込んだ。
*
《Vector、チェック完了》
《Fox、異常なし》
《Shade、問題ない》
《Jelly、リンク良好》
出撃用カタパルトの先に、黒い宇宙が開いている。艦体の照明が順に落ちていき、代わりにコクピット内のパネルが明るさを増した。自分の呼吸の音が、ヘルメットの内側で自分だけに聞こえる。
《作戦目標:帝国第三補給ルート上の中規模船団。撃沈よりも動けなくすることを優先。可能なら拿捕、最低でも補給能力の低下》
ニコの声が響く。
《もう一回言っとくけどな。うちは〝英雄〟が欲しいんじゃない。二回目以降の出撃ができる奴が欲しい》
「了解」
カイトは、スロットルに手をかけた。
遮蔽フィールドが起動する。機体の輪郭が、宙域の背景に溶けていく感覚。自分の存在が薄くなるようで、この瞬間だけは、いつも少し呼吸が浅くなる。
《リンク切り替え。以降、電磁沈黙モード。こっちからも、お前らの位置はほぼ〝線〟でしか見えない。迷子になるなよ、Vector》
「そっちの台詞だろ、ニコ」
軽く返して、カイトは目を細めた。HUDに、ミナが事前に送ってきたマップが重なる。
帝国の補給線。重力散乱域。レーダーサイト。旧式衛星。
細い線と点が、ぐちゃぐちゃに絡まった、ただの汚い図面のはずだった。
見える。
一本一本の線の意味が、体のどこかで勝手に分類されていく。
――ここは〝見られている〟。
――ここは〝見えないふりをしている〟。
――ここは〝誰も見ていないはず〟。
帝国の航路計画を立てた誰かの癖が、線の揺れ方にそのまま残っていた。
《Vector?》
ウィリスの声が飛んでくる。
「待て」
カイトは、地図を縮小して、もう一度だけ全体を見渡した。補給線の本流。そこから外れたバイパス。警戒用の哨戒コース。
そして、ここだ。
一本、妙に薄い線がある。衛星の死角と、重力散乱域の縁が、たまたま重なってできた「穴」みたいな隙間。
「ここ」
カイトは、そのポイントをマーカーで示した。
《ミナ》
ニコの声が、すぐさま飛ぶ。
《今のVectorの印、確認した》
「帝国のログだと、そこは〝通っていない〟ことになってます」
ミナが答える。
「でも、重力と屈折を逆算すると〝通れるように〟調整されてますね。誰かが、テスト済みの裏ルートとして使ってる」
《つまり?》
「ここを抜ければ、帝国側のレーダー網にほぼ映らず接近できます」
ホロテーブル上で、細い線が新しく描き足される。カイトの機体から、ぐるりと回り込むように。
《……マジで?》
ニコが小さく笑う気配を乗せた。
《じゃあ、やってみようか、〝線読み坊や〟》
「その呼び方はやめろ」
ため息半分の声で返しながら、カイトはスロットルを前に押し出した。機体が、静かに宙域の影へと滑り込んでいく。
見えてる線の通りに行くだけだ。外すなよ、Vector。
自分で自分に言い聞かせるように、カイトは視界の中の一本の線を、ただ黙って追い始めた。
*
宙域は、静かだった。
カイトの機体は、重力散乱域の縁をなぞるように、ほとんど音もなく滑っていた。窓の外を、名前も残っていない残骸がゆっくりと流れていく。誰かの船だったもの。誰かの衛星だったもの。墓場の縁を、線一本を頼りに通り抜けていく。
《Vector、後方リンク確認。お前の引いた線、ちゃんと追えてる》
ウィリスの声が落ちてくる。
《こっちも問題なし。Vectorの矢印、今んとこ外れてないぞ》
サジが軽く笑う気配を乗せて続けた。
《Jelly、電子幕展開中。帝国側のレーダー、こっちには向いてない》
リアの声は落ち着いている。
《距離、二万》
ミナの声が、数字を告げた。
《補給船団、予定通りの進路。護衛艦二、輸送艦三。警戒パターンは……教科書通りですね》
「やっぱりな」
カイトは小さく息を吐いた。
HUDに、帝国船団のシルエットが浮かび上がり始める。灰色の船体。規則正しい陣形。その中心に、補給物資を積んだ輸送艦が三隻。
あれを止めれば、南の基地への圧が少しは減る。
《Strike Wing、攻撃位置まであと三十秒》
ニコの声が、カウントを始める。
《照準は輸送艦。護衛艦は可能な限り避けろ。撃沈じゃなくて、動けなくすることが目標だ》
「了解」
カイトは、トリガーに指をかけた。照準が、輸送艦の推進部に吸い込まれる。
《二十》
呼吸を整える。
《十》
機体が、わずかに揺れる。
《五、四、三――》
「Vector、先行する」
カイトはスロットルを一気に押し込んだ。
最初の一撃は、静かだった。
ミサイルが輸送艦の推進部に突き刺さり、白い閃光が弾ける。音のない爆発。船体がバランスを崩し、ゆっくりと傾いていく。宇宙では、大きなものほど静かに壊れる。
《命中確認。推進系、停止》
ミナの報告が落ちる。
《Shade、二番艦へ》
《了解》
ウィリスの機体が、滑るように次の輸送艦へ向かう。連続射撃の光が走り、船体の側面に小さな爆発が連なった。
《Fox、護衛艦が動いた》
《任せろ。デコイ撒く》
サジの機体から、いくつもの小さな光点が散る。護衛艦のレーダーが、一瞬混乱したように揺れた。
《Jelly、ジャミング継続。護衛艦の通信、遮断できてる》
《了解。けど、長くは持たない。早く終わらせて》
リアの声に、わずかな緊張が混じる。
カイトは、次の輸送艦に照準を合わせた。三番艦。隊列の一番後ろ。わずかに進路を変えようとしている。
逃がすわけにはいかない。
トリガーを引く。ミサイルが、白い軌跡を描いて飛んでいく。
船体の中央部に突き刺さり、一瞬の静寂のあと、内部から破裂するような光が溢れた。
思ったより、大きい。
カイトの指が、トリガーの上で一拍だけ止まった。
《三番艦、大破》
ミナの声が、わずかに遅れて落ちる。
《補給船団、機能停止。護衛艦は……撤退しようとしてる》
「追うな」
ケイの声が、短く制した。
「目的は達成した。帰投しろ」
《了解》
四機は、静かに宙域の影へと戻っていった。
振り返らなくても、HUDの端にはまだ映っている。傾いたまま、どこへも行けなくなった三つの灰色が。
*
格納庫に戻ると、整備班がすでに待っていた。
「おかえり、Vector」
タミルが、機体の脚を軽く叩く。
「壊さなかったな。偉いぞ」
「壊したくて壊してるわけじゃないです」
カイトは、コクピットから降りながら苦く笑った。ヘルメットを脱ぐと、汗が額に張り付いていた。艦内の空気が、頬に触れてやけに冷たい。
「お疲れ、線読み坊や」
サジが、肩を叩きながら通り過ぎる。
「その呼び方、やめろ」
「やだね」
軽口が飛び交う中、カイトは自分の機体を一度だけ振り返った。
白い装甲。肩に引かれた青いライン。傷ひとつない。
これでいいのか。頭の片隅で、問いかけが浮かぶ。補給線を叩けば、南の基地への圧が減る。それは分かっている。
でも、あの輸送艦の中に誰がいたのかまでは、分からない。
分からないまま、機体は綺麗だった。
「Vector」
背後から、ケイの声がした。振り向くと、腕を組んで立っている。
「ブリーフィングルームに来い。報告を聞く」
「……了解」
カイトは短く返し、ケイの後を追った。
*
ブリーフィングルームは、いつもより静かだった。
中央のホロテーブルには、さっきの宙域マップが浮かんでいる。赤い線。船団の位置。攻撃ポイント。もう終わったことが、まだ光っている。
ケイが、その前に立った。
「作戦は成功だ」
言い切る。
「輸送艦三隻、すべて機能停止。護衛艦は撤退。こちらの損害はゼロ」
ミナが、端末を操作しながら続けた。
「帝国側の通信を拾った限りでは、〝ARCLINEの仕業〟とは特定されていません。事故か、別の勢力と思われている可能性が高い」
「つまり、次もやれるってことだな」
ウィリスが、腕を組んで頷く。
「ただし」
ケイが、視線をカイトに向けた。
「Vector。お前の引いた線は、完璧だった」
「……」
カイトは、何も返せなかった。
「だが、完璧すぎるのも問題だ」
ケイの声が、少しだけ低くなる。
「お前の〝線読み〟に頼りすぎれば、いつかそれが裏目に出る。分かるな?」
「……分かってます」
自分の能力が、どこまで通用するのか。それを過信した瞬間に、線は外れる。外れた線の先で死ぬのは、自分だけとは限らない。
「次の作戦までに、少し休め」
ケイが、ホロテーブルを消した。光が落ちて、部屋の輪郭が急に古くなる。
「お前が倒れたら、このチームは回らない」
「……了解」
カイトは頭を下げ、部屋を出た。
廊下は、静かだった。天井の配管が、等間隔に照明の影を落としている。
あすみも、セリも、エリンも、置いてきた全てのものが、遠い。
カイトは自分の部屋へ向かって歩き続けた。足音だけが、廊下に響いていた。
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