Sky38-線を引く者-
前回の補給線攻撃から、三日が経っていた。
カイトは格納庫の片隅で、自分の機体を見上げていた。
白い装甲。
薄くグレーのライン。
《VECTOR》の文字。
――あれから、何回飛んだだろう。
数えていない。
数える意味もない。
ただ、毎回「次の線」を引くだけだ。
補給線を叩けば、前線の圧が減る。
前線の圧が減れば――
――あいつのいる場所が、少しだけ安全になる。
そう思いたい。
そう信じて、線を引き続けるしかない。
「――Vector、ブリッジから呼び出しだぞ」
サジの声が、遠くから飛んできた。
カイトは顔を上げる。
「次の作戦?」
「ああ。ミナが新しいルート見つけたらしい」
――また、線を引く。
カイトは立ち上がり、ブリッジへと向かって行った。
*
ブリッジは、いつもみたいに薄暗かった。
照明は最低限。 代わりに、 壁一面のコンソールとホロスクリーンが、 青白い光で空間を満たしている。
椅子に座る人影の背中だけが、 光の縁取りで浮かび上がっていた。
「帝国補給線の更新データ。 来たわ」
前列右端、 情報席に座るミナ・オルソンが、 淡々と告げる。
柔らかくまとめた髪が、 スクリーンの光を受けて輪郭だけ白くなった。
その声に、 指揮席の男がふっと視線を上げる。
古賀ケイ。
レジスタンス 《ARCLINE》 の首領。
船長席にふんぞり返るでもなく、 猫背でもなく、 ただ “そこにいる”だけの背中。
「出せ」
ケイが短く言うと、 ミナはすぐに指先を滑らせた。
中央のホロテーブルに、 星図が浮かび上がる。
点と線で描かれた宙域マップ。 その一部に、 赤いラインが三本、 ゆっくりと描かれてい
った。
「帝国第七補給師団のルート候補。 三つ」
ミナは、 赤い線の一本に印をつける。
「ここが “教科書通り”。 帝国がいつも通る安全ルート」
「で?」
ケイが促すと、 ミナはもう二本の線を指先で示した。
「こっちは、 護衛増やしてでも無理やり早く行きたい時のルート」
「最後は、 燃料を節約したい時の遠回り」
ぱちん、 と指を鳴らし、 三本まとめて拡大表示する。
「今の戦況と、 数日前の交信ログからの予測──」
ミナは、 一番外側の線にカーソルを合わせた。
「たぶん、 これ」
ケイは、 煙草もくわえていない口元を、 少しだけ歪める。
「確率は」
「七割」
即答だった。
隣の席で、 オペレーターのニコ・ヴァレンテが椅子をくるりと回す。
短く刈った髪と、 眠そうな目。 片手には、 飲みかけのマグカップ。
「七割って、 “行けますね”って言ってるような顔してますよね、 ケイさん」
「行けるか?」
ケイはニコではなく、 ミナに聞いた。
ミナは一瞬だけ目を細めて、 ホロスクリーンの数字を見直す。
「やるなら、 今。 ここ数日で護衛艦の数が増えてる。 もう少し遅いと、 こっちが狩られる側になる」
「……そうか」
ケイは椅子の肘掛けを軽く叩いた。
「コアシップ進路、 オルソンの出した三本目に寄せろ」
「了解。 コース変更」
ニコが、 器用に片手で操舵スティックを動かす。
船全体が、 わずかに軋むような重い振動を出した。
「Strike Wing 起こせ。 《Vector》 《Shade》 《Fox》 《Jelly》」
ケイの声は、 相変わらず低くて静かだった。
「補給線叩く。 詳細はブリーフィングで落とす」
*
ARCLINE旗艦の格納庫は、 今日も騒がしい。
油と金属と冷却剤の匂いが、 混ざり合って鼻をつく。
天井のクレーンから吊られたパーツが、 時々ごとんと鈍い音を立てて揺れる。
白いSKYの胴体に、 灰色の整備服の男がしがみついていた。
「だからだな、 このバランサーの微調整をだなーー」
「はいはい、 また “あと一ミリ”ですか?」
整備長タミル・ホーが早口でまくしたてる前で、 若い整備士が苦笑いを浮かべている。
「一ミリの差で、 帰ってくるかどうかが決まるんだよ」
タミルはレンチでパネルを軽く叩いた。
「壊すのは構わんが、 帰ってこないやつはもっと嫌いだ。 覚えとけ」
そのやりとりを横目に、 カイト・ボリーは自分の機体の脚の影に立っていた。
白い装甲に、 薄くグレーのライン。
コクピットの下辺りに、 手書きっぽいフォントで刻まれた文字がある。
《VECTOR》
……慣れないな
視線でその文字をなぞってから、 カイトはひとつ息を吐いた。
コードネーム。 コールサイン。
“線を読む”お前にはぴったりだ、 と誰かが言って、
「お前自身の矢印はどうした」 と心の中でだけ返したやりとりも、 もうだいぶ前だ。
「おーい、 ベクター坊や」
背中から軽い声が飛んできた。
振り向かなくても、 誰の声かは分かる。
「……誰が坊やだよ、 フォックス」
カイトが肩越しに睨むと、 オレンジのフライトジャケットを肩に引っかけた
サジ・レンブラントが、 にやりと笑った。
「いやいや。 ブリッジから正式に呼ばれてただろ、 《Vector》 って」
サジは、 カイトの機体の腰装甲をぽんぽんと叩く。
「かっこいいじゃん、 “矢印”。 敵の補給線ぶった切るにはおあつらえ向き」
「……矢印の行き先、 いつもギリギリなんだよな、 お前の案だと」
「生きて帰ってるんだから文句言うなよ、 相棒」
そう言って笑う目の奥は、 冗談だけじゃない。
カイトは肩の力を少し抜いた。
「Shadeは?」
「ブリーフィングルーム。 ケイさんに“前に出過ぎるな”って怒られてるとこだな、 多分」
「……あの人に言われたくないだろ、 それ」
苦い笑いが、 二人の間に共有される。
「Vector、 Fox」
背後から声がして、 二人が振り向く。
淡い灰色のフライトスーツに袖を通したリア・シュナイダー⸺コールサイン 《Jelly》が、 ヘルメットを抱えて立っていた。
癖のある明るい髪をひとつに結び、 口元にはいつもの軽い笑み。
「ブリーフィングだって。 Shadeももう入ってる」
「了解。 電子戦のお姫様、 今日も俺たちを死なせないでくれよ」
サジがひらひらと手を振ると、 リアは肩をすくめる。
「死なない戦い方をしてくれるなら、 ね。 自爆特攻されると、 どれだけ妨害かけても意味ないから」
「聞いたか、 Vector」
「聞いてるよ」
カイトは短く答え、 三人で並んでブリーフィングルームへ向かった。
*
天井の低い、 金属の部屋だ。
中央のホロテーブルには、 さっきブリッジで見た星図の縮小版が浮かんでいる。
その前に立つケイの横で、 腕を組んでモニターを眺めている男がいた。
ウィリス・フェルツ⸺《Shade》。
やや伸びた茶色の髪を後ろで束ね、 無精ひげ。
眠そうな目つきなのに、 その視線だけは戦場の地図を逃さない。
「来たか」
ケイがちらりと視線を上げる。
「Vector、 Shade、 Fox、 Jelly。 四機で行く」
カイトたちは、 それぞれテーブルの周囲に立った。
「ターゲットはこちら」
ミナの声が、 スピーカー越しに落ちてくる。
ホロに赤い線と点が浮かび上がる。
「帝国補給船団、 第七師団。 輸送艦三、 護衛艦二。 予定進路を少し外れて、
こっちの遠回りルートを通る可能性が高い」
「護衛は?」
ウィリスが、 短く尋ねる。
「標準仕様なら、 SKY 相当の迎撃機は少数。 問題は対空砲の密度」
ミナは、 青い点をいくつか追加する。
「正面から行けば、 こっちの火力が足りないわ」
「だから、 正面からは行かない」
ケイが言い切った。
「やることは、 いつもと同じだ。 補給線を噛み切る。 人は可能なかぎり殺さない」
ウィリスが顎をなでる。
「……つまり、 “見えないところから殴りに行く”ってこったな」
「そうだ。 《Jelly》」
ケイがリアを見る。
「電子幕は張れるか」
「敵護衛艦のレーダー帯域なら、 いくつか“穴”は作れると思う」
リアは、 手元の端末を操作しながら答えた。
「ただ、 その穴に正確に入ってもらわないと、 あっという間に見つかる」
「だったら⸺」
そこで、 ウィリスが横目でカイトを見た。
「線読み担当の出番だな」
視線を受けて、 カイトはホロテーブルを見下ろす。
帝国補給線を示す赤い線。
護衛艦の探知範囲を示す薄い円。
その重なり合いから、 リアが予測したレーダー“空白地帯”が、 点線でうっすらと浮かん
でいる。
カイトは、無意識のうちに指先を動かしていた。
点と点を結ぶ。
軌道と軌道の隙間を縫う。
――この線の先に、何がある。
帝国の補給艦。
その中には、たぶん人がいる。
作業服を着た整備兵。
コンテナを運ぶ兵士。
通信士。
艦長。
――知らない顔。
でも、そこを叩けば、前線への物資が減る。
前線の圧が減れば――
――あいつがいる戦場が、少しだけ楽になる。
そう信じるしかない。
帝国の艦隊が「安全」だと信じている死角。
そこを突く一本の細い線が、頭の中に浮かび上がる。
「……ここ」
カイトは、 ホロ上の一点を指で軽く突いた。
「リアの作る穴をつなぐように、 ここを通れば、 護衛艦のレーダーに完全には引っかからない」
指先から伸びるラインが、 ホログラムの上に細い軌跡を描く。
「ただ、 その代わり、 こっちの自由も削られる。 多少ルートが読まれる覚悟はいるけど……」
「補給船団の指揮官が、 そこまで頭回るタイプなら、 そもそもこんなルート通ってこない」
サジが、 肩をすくめた。
「やっぱお前、 性格悪いな、 Vector」
カイトが横目でサジを見る。
「お前にだけは言われたくない」
リアが、 カイトの描いたラインをじっと見つめる。
「……いける」
低く、 短く。
「このライン沿いに電子幕を張る。 多少の誤差は出るだろうけど、 こっちのステルスと合わ
せれば、 かなり近いところまで忍び込めると思う」
ケイがブリッジに向けて声を飛ばす。
「ニコ」
《聞こえてる。 進路データ、 Strike Wingに送る準備できてる》
ニコの声が、 天井スピーカーのどこかから響いてきた。
《……マジかよ。 こんな綱渡りコース、 本当に飛ぶのか?》
「飛ぶんだよ」
ウィリスが、 どこか楽しそうに笑う。
「ベクターが引いた線だ。 俺たちはそこを走るだけ」
《……そうかい。 じゃあ、 やってみようか、 “線読み坊や” 》
ニコのからかうような声に、 サジが吹き出した。
「ほら、 坊やって言われてるぞ」
「うるさい」
カイトは眉をひそめて、 しかし否定はしなかった。
自分でここにいると決めた。
その線の上を、 今さら途中で降りるわけにはいかない。
ケイが、 四人を順に見渡す。
「出撃は三十分後だ。 準備しろ」
短い号令。
Strike Wing の面々は、それぞれ無言で頷いて、部屋を出ていった。
カイトが扉に手をかけた時、ケイが低く呼び止めた。
「Vector」
振り返ると、ケイがホロテーブルに映る赤い線を見ていた。
「……なんですか」
「いい線だ」
短い言葉。
それだけで、カイトの喉の奥が少し熱くなる。
「……ありがとうございます」
でも、ケイの次の言葉は、少しだけ重かった。
「お前が引いた線の先で、何かが壊れる」
カイトは、息を呑む。
「それを忘れるな。線は、ただの矢印じゃない」
――分かっています。
そう言いかけて、カイトは口を閉じた。
本当に分かっているのか、自分でも分からない。
「……はい」
短く返事をして、部屋を出た。
――線の先で、何かが壊れる。
廊下を歩きながら、その言葉を噛みしめる。
補給艦。
コンテナ。
その向こうにいる、見えない誰か。
――でも、それでも。
俺は線を引き続ける。
*
格納庫に戻ると、SKYたちはすでに整備班の手を離れていた。
「燃料満タン、 弾も満タン。 あとはお前らがちゃんと帰ってくるだけだ」
タミルが、 カイトの機体の脚を軽く蹴る。
「死にたくなきゃ、 ちゃんと帰ってこい。 壊すのは好きにしろ」
「了解」
カイトは短く返事をして、 コクピットの梯子を登る。
シートに沈み込み、 ハーネスを締める。
ヘルメットの内側で、 呼吸の音がやけに近い。
ここを通れば、 見えないで近づける
自分で引いた線が、 頭の中で再び光る。
その先で、 なにを壊すかは⸺もう、 選んだ
「Vector、 起動完了」
スイッチを倒すと、 機体が低く唸った。
「Shade、 いつでも」
「Fox、 Ready」
「Jelly、 リンク良好。 電子幕、 予定通り展開できるわ」
無線に、 仲間の声が重なる。
《Strike Wing、 こちらブリッジ》
ニコの声が、 少しだけ真面目なトーンで入った。
《進路データ送信。 ベクターの引いた“綱渡り”コースだ。 落ちるなよ》
「……了解」
カイトは、 HUDに浮かび上がった細いラインを見つめる。
「ここを通れば、 見えないで近づける」
自分に言い聞かせるように、 もう一度呟いた。
《了解。 じゃあ⸺》
ニコが、 わざと軽い声色を作る。
《行ってこい、 線読み坊やども》
Strike Wing の四機が、 格納庫を滑り出していく。
矢印の先にあるものが、 今はまだ見えないまま。
それでもカイトは、 自分で選んだ線の上を進むしかなかった。
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