Sky35-言わない約束-
沈黙が落ちた。
「ここにいる」と言い切ったあとも、しばらくの間、誰も何も言わなかった。
金属の壁に反響していた鼓動の音が、少しずつ自分のものだと認識できるようになってくる。
カイトは、乾いた喉を無理やり動かした。
「……あすみは」
最初に出てきたのは、やっぱりその名前だった。
「古賀あすみは——」
言い切る前に、ケイがわずかに目を伏せる。
「……生きてる」
短い言葉。
それだけで、椅子の背にもたれそうになった身体に力が戻る。
「ポッドからは抜けた。連合の管轄下だ」
「……どこに……?」
「連合の保護下の生活圏だよ」
ケイは具体名を出さなかった。
「学校に通って、本を読んで、進路に頭を悩ませてる。そういう場所だ」
教室のざわめきが、一瞬、耳の奥でよみがえる。
黒板。
プリント。
「一緒に帰ろ?」と言った声。
カイトは唇を噛んだ。
「……戦場じゃないんだな」
「少なくとも、今この瞬間、銃声の聞こえる場所にはいない」
ケイはそれだけははっきりと言った。
「帝国の砲撃も届かない。連合の監視網の内側だ」
胸の奥で、固く縮まっていた何かが、ほんの少しだけ緩む。
よかった——と、素直に思った次の瞬間。
「……でも、あいつは狙われる」
ケイの言葉が、その安堵の上から静かに覆いかぶさる。
「……どういう意味だよ」
カイトの声が、また少し低くなる。
ケイは、テーブルの端に片手を置いた。
「ノエルの名字、覚えてるな」
「……古賀、ノエルさん…」
「ノエル・オルディア、だ」
ケイは訂正するように言葉を重ねた。
「俺の妻で、オルディア人。お前の父親が標的にした《種》の一人だ」
オルディア。
あすみの家で、何度か耳にした単語だ。
あすみの伯母が、あすみに向かって「あなたの血は特別だから」と小声で言っていたのを、遠くから聞いたことがある。
「オルディア人は、オルタイトと相性がいい」
ケイの声は淡々としていた。
「この世界で一番、あの石に“噛み合う”体質を持っている。だから——」
そこで、一拍置く。
「SKYに乗れば、帝国にとっては“最高級の兵器”になる」
カイトは息を呑んだ。
SKY。
ずっと憧れていた文字列が、今はまるで違う色で迫ってくる。
「だから帝国は、オルディアを集めて実験台にした。ノエルがそうだったようにな」
ノエルの名前が、また胸の奥を刺す。
ケイは視線を外さないまま、続けた。
「古賀あすみも、ノエルと同じオルディア人だ」
分かっていたはずの事実が、改めて、輪郭を持って落ちてくる。
「あいつは、オルタイトに触れれば——SKYに乗れば、お前の父親にとって“価値のある資源”だ」
父親、という言い方に、カイトは顔を歪めた。
「帝国から見れば、“回収して兵器にしたいオルディア”」
ケイは指折り数えるみたいに、視線を少しだけ下げる。
「連合から見れば、“帝国にさらわれたとたん爆発する爆弾”」
机の上に、見えない天秤が載った気がした。
「——だから今は、ただの学生でいてほしい」
最後の一文だけ、ほんの少しだけ声に温度が乗る。
カイトは、拳を握りしめた。
「……なら、なんで……」
喉の奥から出かかったのは、「なんで俺だけここに」という言葉だった。
でも、その先を自分で飲み込む。
自分で「ここにいる」と言ったのは、自分だ。
ケイのせいでも、誰かのせいでもなく。
ケイは、その揺れを見透かしたように、息を一つだけ吐いた。
「一つ、俺から条件がある」
そこで、話題の軸が変わる。
「——あいつには、今話したようなことを、言うな」
カイトは顔を上げた。
「……今の全部……?」
「全部だ」
ケイは即答した。
「お前の父親の名前も。皇王だったことも。ノエルの死に方も。連合の保護施設を襲って、お前を攫ったことも」
一つ一つ、言葉を置いていく。
「あいつを壊す情報は、俺が全部持っておく」
それは命令というより、自分自身へ向けた宣言のようにも聞こえた。
「……なんで」
カイトの声が、さっきより少しだけかすれる。
「あいつの家を壊したのは、俺の……血だろ」
やっとのことで言葉にした。
「知らないまま笑ってたのは、俺だけだ」
あすみは、最初から“軍なんて嫌いだ”と言っていた。
その裏に、どんな感情が隠れていたのか、考えようともしなかった自分。
「……知る権利とか、そういう話じゃねぇのかよ」
ケイは、短く目を閉じた。
「そう思うなら、それでもいい」
静かに言う。
「“俺の父親が、お前の母親を殺した”って、今すぐあいつに言いに行ってもいい」
胸の奥がぎゅっと縮む。
「——ただし、その瞬間、あいつの中で何かが折れる」
その言い方に、カイトは顔を上げた。
「今のあいつのままじゃ、受け止めきれない」
ケイの目には、遠くを見る色が混ざっている。
「誰かの罪と、自分の人生を、まだ分けられねぇ」
カイトは、何も言えなかった。
自分だって、さっき聞かされたばかりの事実を、まともに咀嚼できていない。
あすみなら——。
彼女の顔を思い浮かべる。
進路に悩んで、伯母に気を遣って、友達と笑って。
それでも、家族のことになると、いつも少し目を伏せていたあの横顔。
(……あいつが、これ聞いたら)
その先を想像した瞬間、喉がつまった。
ケイは、ほんの少しだけ視線を緩める。
「俺は、あいつに全部ぶつける役はやらない」
淡々とした声には、決意みたいなものが滲んでいた。
「あいつを壊すのは、あいつの一歩の重さだけで十分だ」
カイトは、しばらく視線を落としたまま黙っていた。
(言わないほうが、楽だから——じゃない)
それだけは分かっていた。
言えないのは、自分が卑怯だからじゃない。
言った瞬間、あいつの目の色がどう変わるかを、想像してしまうからだ。
「……言わねぇよ」
ぽつりと、言葉が落ちた。
自分で聞いても、そんなに大きくない声だった。
「言えるわけねぇだろ、そんなの」
ケイは、静かに頷く。
「それでいい」
「俺が言わなくても、いつかどっかから漏れんだろ」
カイトは続けた。
「帝国がどう崩れるか知らねぇけど……その時、お前も俺も、たぶんそこにいる」
自分でも驚くくらい、先の話をしていた。
「その時までに……」
言葉を探す。
「あいつが、自分で選べるくらいには……」
そこまで言って、口を閉じた。
ケイは、わずかに目を細めた。
「——それで十分だ」
短い肯定。
「俺は、あいつの歩幅を信じる」
その言い方が、妙に印象に残った。
歩幅。
あすみが、自分の足で歩いていく距離のことを、そう呼んでいるみたいだった。
「お前は、お前の道を歩け」
ケイは立ち上がる。
「帝国の息子としてじゃなく、《ARCLINE》のパイロットとしてな」
椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きく響いた。
カイトは、しばらくテーブルの木目を見つめていた。
父親の名前。
ノエルの最期。
あすみの血。
自分の位置。
全部をひとつの皿に載せるには、まだ自分という器が足りない気がした。
それでも——。
(生きてる)
その一点だけが、今は唯一の救いだった。
放課後に交わした約束は、もう昔の形のままでは戻れない。
それでも、同じ地図のどこかで、まだ線は続いている。
(言わない)
胸の中で、もう一度だけ繰り返す。
(絶対に、あいつには言わない)
その代わり——。
(俺は俺で、ここで戦う)
金属の部屋の空気は冷たかったけれど、その底に、かすかな熱だけは確かに残っていた。
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