↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SKY  作者: RUI
ARCLINE

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/125

Sky34-目の前の名前-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 


 静かな沈黙が、金属に囲まれた部屋の中へ重く落ちたままだった。壁に反響する自分の呼吸音だけが、妙に大きく耳へ戻ってくる。空調の低い駆動音さえ、今は遠く感じられた。

 男はカイトを急かすこともなく、正面の椅子に腰を下ろしていた。深く刻まれた皺の奥にある目は、こちらの動揺を見透かしているようで、それでも何も問いかけてはこない。

「ケイ・レイナー」

 やがて、男が名乗った。声は低く、余計な抑揚がない。

「レジスタンス組織《ARCLINE》の代表だ」

 聞き慣れない単語の羅列に、カイトは瞬きをした。

「……レジスタンス……?」

 アンがニュースに文句を言う時、たまに口にしていた言葉だった。帝国支配地域で、オルテア軍の補給線を荒らす連中。その程度のイメージしかない。NTOでも、オルテアでもない。教科書の外側にいるはずの人間たち。

「さっきまで、お前のポッドが置いてあった場所は、NTO統合軍の保護施設だ」

 ケイは淡々と言葉をつないだ。

「お前たちが眠っていたVRポッドを“預かっておく”ための、倉庫みたいな場所だな」

 NTO統合軍。聞き慣れたはずの単語が、今はひどく遠い場所のものに聞こえた。

「……NTOが……俺を……?」

「保護していた。建前ではな」

 ケイの口元が、ほんのわずかに歪んだ。それが笑みなのか、皮肉なのか、カイトには分からなかった。

「俺たちは、そこを襲って、お前のポッドごと攫った」

 襲った? 簡単に言うなよ――喉まで出かかった言葉が、乾いた息と一緒に引っかかった。カイトは膝の上で指を握り込む。

「なんで……俺を……」

 問いは途中で細くなった。ケイはすぐには答えず、視線をテーブルの上へ落とした。そこには、小さな端末が一つ置かれていた。指先で軽く触れると、暗かった画面に薄い光が立ち上がる。

「時系列から話すと長い」

 ケイの指が画面上を滑り、いくつかの項目を呼び出した。

「お前の体感では“昨日”かもしれんが、お前が寝た日から、こっちではそれなりに時間が経ってる」

 カイトの心臓が、どくん、と嫌な音を立てた。

 時間が飛んだという感覚は、ポッドの中で目覚めた瞬間から薄々あった。身体の重さも、知らない船内の匂いも、何もかもが昨日の続きではなかった。それでも、具体的な数字を聞くのが怖くて、まだ誰にも尋ねていない。

 ケイは、その話題を深追いしなかった。

「どうせ、一遍に飲み込める話じゃない。だから、今のお前に必要な分だけ先に渡す」

 端末の向きを変え、画面をカイトのほうへ押し出す。

 軍の報告書に似た無機質なレイアウトだった。白い文字列が規則正しく並び、その中のいくつかが、否応なくカイトの目に飛び込んでくる。

 ノーザン・コロニー第×研究区画。

 証拠隠滅作戦。実験記録の廃棄。

 ――発令者:ロナルド=オルディア二世。

 最後の行を見た瞬間、視界の焦点が合わなくなった。文字だけが白く浮かび、周囲の輪郭がぼやけていく。

「……だれ?……」

 かすれた声が、自分のものとは思えなかった。

「お前の父親だ」

 母の部屋で聞いた声が蘇る。

 ――あの人は、もういないから。

 そう言った時の母は、窓の外を見たまま、こちらを振り返らなかった。

「……父さんは……死んだって……」

「死んでなんかいない」

 ケイの声が、冷えた部屋の中へ静かに落ちた。

「オルディア二世。オルテア帝国で皇王の座についている男だ」

 皇王。

 教科書の中でしか見たことのない肩書きが、突然、現実の名前に結びついた。

 ロナルド=オルディア二世。

 オルテア帝国の頂点。そして、自分の父親。

 身体がわずかに後ろへ引き、椅子の脚が床を擦って軋んだ。ケイは画面から視線を上げ、真っ直ぐカイトを見る。

「この命令で、俺の妻は死んだ」

 抑えられた声の底に、ほんの一瞬だけ熱が宿った。

「ノエル・L・オルディア。オルディア人だ。帝国に“実験素材”として捕まって、人体実験の対象になった」

 言葉が一つずつ、硬いもののように短く刻まれていく。

「その研究施設ごと、爆破された」

 カイトの頭の中で、何かが折れた。

 ノエル。

 聞き覚えのある名前だった。アスミの家の写真立ての中で笑っていた人。伯母と三人で写っていた、優しそうな目をした女性。

 あの人が実験台にされて、最後は施設ごと吹き飛ばされた。

 その命令書に、父親という人物の名前が記されている。

 ――嘘だ。

「嘘だ」

 口からこぼれた声は、自分でも驚くほど弱かった。

「父さんは……死んだって……ずっと……」

 ケイは、同情も嘲りも浮かべずにカイトを見ていた。ただ、逃げ場のない事実だけを差し出している目だった。

 それが、余計にきつかった。

「ノエル・L・オルディア」

 ケイはもう一度、今度は一音ずつ確かめるようにはっきりとその名を告げた。

「お前がよく知ってる、アスミ・レイナーの母親だ」

 胸の奥で、何かが派手な音を立てて崩れた。

 教室で笑っていたアスミ。廊下で横に並んで歩いたアスミ。

「ちゃんと帰ってくるからな」と言った自分に、少し震えた声で「待ってるよ」と返したアスミ。

 アスミが本来帰るはずだった場所を壊したのが、自分の父親。

 胃の底から吐き気に似た感覚が込み上げた。呼吸が浅くなり、テーブルの端を掴もうと伸ばした指先が、わずかに届かず空を切った。

「お前は今、人質だ」

 ケイの声が、崩れかけた意識を現実へ引き戻す。

「皇王の息子って札を、帝国の喉元に突きつけるための」

 淡々とした言い方なのに、一言一言が鉛のように重かった。

 カイトはゆっくり顔を上げた。喉がひどく乾いている。

「……じゃあ、俺を返して」

「返すことも、できなくはない」

 ケイは遮らなかった。ただ、いくつかある選択肢の一つとして言葉を並べる。

「連合に渡して、“何も知らないまま眠っていた学生でした”って書類を整えることも、理屈の上ではできる」

 ケイの指先が、端末の画面をトン、と軽く叩いた。乾いた音が、二人の間に落ちる。

「ここで見たものを全部忘れたふりをして、またどこかの保護施設で眠り直すこともな」

 それは甘い逃げ道のようでいて、もう逃げ道ではなかった。

 さっき見せられた名前も、数字も、写真の中で笑っていたノエルの顔も、頭から消えることはない。何も知らなかったふりなどできないことを、カイト自身が一番よく分かっていた。

「ここに残れば」

 ケイは続けた。

「お前は《ARCLINE》の一員として、帝国を折る刃になる」

 NTOの兵でもない。帝国の兵でもない。どちらの旗にも属さない、第三の場所。

「帰るか、ここにいるか」

 ケイの声は静かだった。

「決めるのは、お前だ」

 部屋の空気が張り詰めた。空調の音が低く唸り、端末の淡い光だけがカイトの手元を照らしている。

 カイトは椅子に座ったまま、しばらく何も言えなかった。ただ、自分の両手を見るしかなかった。頭の中は、いくつもの記憶と、今知らされた事実とで、ぐちゃぐちゃにかき乱されていた。

 昨日まで自分がいたと思っていた世界。

 笑ったアスミの横顔。セリやジョンやアンの笑い声。そのすぐ隣で、パイロットになると胸を張っていた自分。

 あの時の自分は、本当に何も知らなかった。

 戻って、昨日の続きみたいな顔で、あの場所に立てるか。

 何もなかったような顔で、全部知らないふりをして、ただいまと言えるか。

 喉の奥から、笑いにもならない息が漏れた。

「……帰れないだろ、もう」

 自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。

 ケイが、わずかに目を細める。

 カイトは膝の上で固く握りしめていた拳を、指先からゆっくりとほどいた。

「……ここにいる」

 言葉が口から出た瞬間、自分の背後で何かが閉じたような気がした。もう元には戻れない。

 この先、ARCLINEに残ったところで、自分に何ができるのかは分からない。けれど、ケイから聞かされたことがすべて真実なら、自分はアスミのそばにいるべきではない。

「そうか」

 ケイの返事は、それだけだった。

 喜びも、安堵も、勝ち誇るような気配もない。

 ただ、自分と似た種類の諦めをどこかに抱えた大人の目だけが、逃げることなく真っ直ぐこちらを見ていた。

 カイトは握った拳へ視線を落とし、そのまま見つめていた。

 もう会えない、あの笑顔の残像が、掌の内側に一瞬だけ蘇った。

本作の本文・設定・登場人物・固有名詞・世界観・構成を、作者の許可なく転載、複製、翻案、要約転載、データセット化、AI学習・機械学習・生成AIサービスへの入力、解析、再配布に利用することを禁じます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。