Sky33-落ちた先で-
⸺世界がほどけた日のことを、 カイトは 「夢だった」 とは思えないでいる。
*
「おーい、 昼休み、 外のデッキ行かね? 地球見えるらしいぞ!」
ジョンの声が教室の後ろから飛んできて、 クラスがざわっと沸いた。
「行く行く!」
「今日は雲少ないって!」
いつもの騒がしさ。
窓の外には、 飽きるほど見慣れた宇宙と、 コロニーの骨組み。
カイトは、 自分の机の上のプリントを指でとんとん叩いていた。
進路希望調査、 ね……
パイロット養成科。
軍高。
試験の話。
さっきまで、 あすみと廊下を歩きながら話していた進路の続きが、 まだ頭に残っている。
俺は、 パイロットに⸺
「カイトー、 行こうぜ! セリも来いって!」
ジョンが前の列にぐいっと身を乗り出す。
隣の席のセリが、 面倒くさそうに眉をひそめた。
「なんで俺まで」
「地球だぞ? 今日の位置なら綺麗に見えるって!」
ジョンの大げさな身振りに、 周りが笑う。
その笑い声の中で⸺カイトは、 教室の前の方に目をやった。
あすみが、 まだ机にプリントを出したまま、 ペンを持った手を止めている。
窓の外じゃなくて、 白い紙の方をじっと見ていた。
……進路、 どうするのか、 ちゃんと聞く前だったな
聞こうと思えば、 いつでも聞ける。
明日でも、 明後日でも、 その先でも。
⸺そう思っていた。
その瞬間までは。
「じゃあ、 昼になったら⸺」
ジョンの声が途中で、 ぶつっと切れた。
蛍光灯が一瞬、 ぴくりと明滅する。
世界が、 ちか、 と瞬いた気がした。
「……今、 何⸺」
誰かが言いかけた時。
床が、 ぐにゃりと波打った。
机がずれる。
椅子が倒れる音。
顔を上げた瞬間、 黒板の縁が、 線になってほどけていくのが見えた。
「きゃ⸺!」
別のクラスの叫び声が、 壁の向こうから重なって聞こえる。
窓枠が、 点の集まりになって崩れた。
隣の席のやつの顔が、 モザイクみたいに砕けていく。
「⸺ッ!?」
カイトは反射的に、 前の列へ手を伸ばした。
「あす⸺」
名前を呼ぶ前に、 その姿が溶けていく。
アンの笑い声。
セリの低い声。
ジョンの大げさな文句。
全部が、 ノイズになってちぎれた。
耳鳴り。
遠くで怒鳴る大人の声。
「システムが⸺!」
「戻せ! まだ⸺!」
聞き慣れない叫びが、 白いノイズと一緒に流れ込んでくる。
なに、 これ⸺
視界が、 真っ白になった。
そして、 そのまま。
世界ごと、 落ちた。
⸺次に目を開けた時、カイトの体感では 「一瞬」 だった。
重たい瞼。
鼻の奥をくすぐる、 乾いた薬品とプラスチックの匂い。
……ここ、 どこだ
ぼやけた視界の中で、 真っ先に見えたのは、 薄いパネルの光だった。
曲面に沿って並んだ小さな文字と数字。
見慣れた学園コロニーの天井じゃない。
……ポッド?
訓練で見た医療カプセルに似ている。
でも、 色も、 配置も違う。
カイトはゆっくりと手を動かした。
指先が、 なめらかな透明素材に触れる。 ガラスとも違う、 合成樹脂の冷たさ。
「……」
喉がからからに乾いている。
声を出そうとしても、 最初の一音が引っかかった。
代わりに、 頭の中で言葉が駆け回る。
教室……だった。 進路調査。 昼休みで⸺
あすみ。
セリ。
アン。
ジョン。
手を伸ばした先で、 全部が線になって崩れた光景が、 一瞬だけフラッシュバックする。
……夢、 じゃない
胸の奥がぞわりと冷えた時⸺
足元の方から、 低いモーター音がした。
ゴウン、 と鈍い音を立てて、 外側のロックが外れる感触が伝わってくる。
視界の上の方で、 密閉されていた蓋が、 ゆっくりとスライドした。
冷たい空気が、 細い隙間から流れ込んでくる。
ポッドの外は、 薄暗い。
白い蛍光灯の光が、 天井に細い線を描いている。
金属製の壁。 むき出しの配管。
学園コロニーの医務室とは、 全く違う匂いと色。
……ここ、 学園じゃない
カイトは、 慎重に上体を起こした。
身体は、 長く寝ていた後みたいに少し重い。
関節がぎし、 と抗議するように軋む。
ポッドの縁に両手をかけて、 外へ足を下ろす。
床は冷たい金属だった。
裸足に近い足裏に、 ざらっとした感触が伝わる。
部屋は、 思っていたより狭い。
四角い箱をそのまま伸ばしたような空間に、 ポッドが一台だけぽつんと置かれている。
窓はない。
壁には、 規格番号が白いペンキで雑に書き込まれているだけ。
学園の教室のような、 カレンダーも、 掲示物もない。
……どこだよ、 ここ
喉の奥で、 ようやく声が形になった。
「……誰か、 いるんですか」
自分の声が、 金属の壁に反射して、 薄く響く。
返事はない。
カイトは、 ポッドのそばに立ったまま、 耳を澄ませた。
遠くで、 何かが回っている音がする。
一定のリズムで振動している。 エンジンか、 推進炉か。
……艦の中、 か?
学園から見えた軍艦の内部を、 何度か資料で見たことがある。
でも、 そこで見たどの映像とも、 少し違う。
帝国の紋章も、 連合軍のマークもない。
床と壁は、 どこか 「無印」 のままだ。
じわりと、 不安が背中を這い上がってきた時⸺
ドアの向こうで、 足音がした。
硬いブーツが金属を踏む、 規則的な音。
真っ直ぐ、 ここに向かってくる。
カイトは反射的に身構えた。
逃げ場はない。
ポッドと壁の間に少し隙間があるだけ。
ドアが、 一度だけ短くノックされてから、 スライド音と共に開いた。
光の向こうから、 ひとりの男が入ってくる。
見覚えのない顔。
軍服でも、 帝都の礼服でもない。
シンプルなジャケットとパンツ。 だけど、 立ち方や目つきは、 どう見ても軍人のそれだ
った。
カイトの視線が、 自然と相手の手元と腰回りを探る。
武器の有無。
階級章。
どれも、 知っている形式じゃない。
……誰だ……?
男は、 部屋の中央にある簡素なテーブルと椅子を指で示した。
「⸺起きたばかりで悪いが、 座れ」
低く、 抑えた声。
命令口調ではあるのに、 不思議と尖ってはいなかった。
カイトは、 一瞬だけその場に突っ立ったまま固まる。
頭の中にはまだ、 教室のざわめきと、 あすみの横顔が残っている。
ここ、 どこだ。 みんなは? あすみは?
質問が喉元まで上がってきて、 まとまらない。
男の視線だけが、 静かにこちらを捕まえている。
逃げても意味がない。
そう判断するまでに、 そんなに時間はかからなかった。
カイトは、 ゆっくりとテーブルの方へ歩いた。
椅子を引く音が、 やけに大きく聞こえる。
腰を下ろすと、 ようやく男が反対側に座る。
少しの沈黙。
先に口を開いたのは、 カイトの方だった。
「……ここは、 どこですか」
自分でも驚くくらい、 声がかすれている。
「俺は……」
一度、 言葉を探すように息を吸う。
「あすみたちは、 みんなは⸺どこに行ったんですか」
問いは、 半分は相手に向けて。
半分は、 まだほどけきれていない 「昨日」 へ向けて。
男は一瞬だけ目を細めた。
その答えが、 今のカイトにとってどれくらい致命的かを計算しているような、 そんな目だった。
答えは、 まだ返ってこない。
金属の壁が、 低く唸る。
カイトの世界は⸺落ちたまま、 まだ着地していない。




