Sky3-宇宙(ソラ)に出る理由
あすみの身体は、もう走り出していた。
医務室の自動扉を乱暴に開けて、通路を駆ける。
息が苦しい。足が追いつかない。
それでも、止まったら二度と動けなくなる気がして、ひたすら前だけを見ていた。
(会わなきゃ。行かなきゃ。どこかに、外に——)
どこへ向かっているのか、自分でも分からない。
ただ本能のように、この艦の「奥」へ、奥へと走っていた。
*
金属の床を叩く足音の先に、重い扉が現れた。
【第3格納庫】と書かれた注意プレート。
警告灯がゆっくりと回転し、赤い光が廊下を舐める。
(ここ……)
誰かの怒鳴り声が内側から聞こえる。
「いいか、急げよ! 次のテストフライトまで時間がないんだ!」
自動扉が開いた瞬間、あすみは息を呑んだ。
天井近くまで届く白銀の機体。
人間より少し細長いプロポーションで、余計な出っ張りのない滑らかなライン。
装甲は雪のように白く、関節や装甲の継ぎ目だけが、薄く青い光を帯びている。
肩口には連合の識別マーク、脚部にはまだ試験機を示すグレーのライン。
顔にあたる部分には目も口もなく、細いバイザー状のスリットが一本走るだけだ。
背中には折りたたまれたウイングフレーム。
胸部中央の装甲は他より一段だけ深く沈み込み、その奥で、青白いコアユニットが脈打つように点滅していた。
人の形をしているのに、人ではない。
でも、その姿は確かに——どこまでも遠い空を連想させた。
(これが……SKY……)
コロニーの授業で何度も見た映像。
「宇宙人型機動兵器」と教科書には書かれていた。
でも、本物は——もっと静かで、もっと綺麗で、もっと遠かった。
気付けば、足が勝手に格納庫の中へ踏み込んでいた。
「おい、君! 危ないから——」
整備士の声が聞こえたが、耳には入らない。
機体の胸部へ続く整備用の梯子を、あすみは息を切らしながら登っていく。
(これに乗れば、いける。
外に。カイトのいる“どこか”に——)
ハッチの端に手をかける。
白銀の装甲は冷たいはずなのに、指先の奥がじんわりと熱くなった。
「開いて……」
力任せに引こうとした瞬間、警告音が鋭く鳴り響いた。
【パイロット認証がありません】
【コクピットハッチはロックされています】
機械的な声が、乾いた格納庫に響く。
「どうして……!開いて!」
爪が剥がれそうになるほどハッチを叩く。
届かない。届かせてくれない。
胸の奥が、きしむように痛む。
(行かなきゃ。今ここで行かなかったら——)
「——あすみ!」
腰のあたりを、強い力が引いた。
身体が梯子から剥がされるように後ろへ引き倒され、視界が揺れる。
「危ないだろ! 勝手に乗ろうとするな!」
背中を支えた腕の主は、セリだった。
「離して! 乗らなきゃ……あれに乗らなきゃ、カイトのところに——!」
「今のあすみが乗ったら、死ぬ!」
セリの声が怒鳴りに近い音量で響く。
見慣れた穏やかな目が、今は必死に見開かれていた。
本当は「よくない」ことなんて分かっている。
でも、ここで止まったら、本当に二度と会えなくなる気がした。
「……お願い、セリ。
探しに行かなきゃ。今行かなきゃ、どんどん遠くへ——」
「パイロット認証も、訓練もなしで出ていったら、真っ先にSKYに殺されるのはお前だ!」
その言葉に、何かがプツンと切れた。
後ろから押さえているセリの胸を、前よりずっと細くなった手で何度も叩きながら
「じゃあ、セリが行ってよ!アレに乗って、カイト探しに行ってよ!!」
涙も叩く腕も止まらず、どうにもならない感情の全てをぶつける
セリが叩いてくる手首をぎゅっと掴んだ。爪が食い込みそうなほど強く。
「…俺だって行きたいよ…」
セリの声が小さく震えた。
格納庫の空気が、急に冷たく感じた。
さっきまで近くに見えていた白銀の機体が、急に遠いものになる。
「……やだぁっ……」
あすみの指先が、空を掴むみたいに宙を掻いた。
涙で目の前が霞んでいる、ぼやけた視界の中
ほんの一瞬、SKYの胸のコアが微かに明滅する。
(——聞こえた?)
そんな気がしたけれど、次の瞬間にはもう、セリの腕の中に押し込められていた。
「——あすみ!」
駆け込んできた声が、格納庫に重なる。
アンとジョンだ。
整備士たちも集まってきて、口々に何かを言っている。
「……ごめん……」
何に対して謝っているのか、自分でも分からない。
ただひとつ分かるのは——
あの白銀のSKYが、「外」と「あの約束」への唯一の道だということだけ。
*
その夜。
艦の小さなラウンジで、ラナ艦長とエリンが向かい合っていた。
窓の外には、静かな星の帯。
テーブルの上には、飲みかけのマグカップが二つ。
「……格納庫で暴れたって?」
ラナがファイルを閉じる。
「暴れた、のかしらね。
あの子なりに、必死だっただけよ。」
エリンは、苦く笑った。
「でも、SKYのハッチに素手で触るなんて、普通はしない。
あれは……“血”ね」
「オルタイトと反応する血統。
——そのために、私たちはあの子たちをここまで運んできた」
ラナはカップを持ち上げるが、中身を口に運ぶことなく、また置いた。
「十三年間、プログラムの中で眠らせて。
世界が終わる日を二回も経験させて。……正しい事をしたと思っていたのに…」
「そうね」
エリンは、正面からその言葉を認める。
「正しかったなんて、今となってはとても言えない。」
「でも結局、SKYに手を伸ばした」
エリンはカップの縁を指でなぞりながら、かすかに笑った。
「あの子は、そういう子よ。」
ラナは、静かに頷いた。
*
数日後の夕方。
あすみが自室のベッドで横になっていると、ノックもせずにドアが開いた。
「……あすみ、大丈夫?」
アンだ。顔だけひょこっと覗かせて、部屋の中の様子を一瞬確認してから、遠慮がちに中へ入ってくる。
「……うん」
短く返すと、声が自分のものじゃないみたいに乾いて聞こえた。
アンはベッドの端に腰を下ろし、両手を膝の上でぎゅっと握る。
あすみの横顔を覗き込もうとして、途中でやめて、視線を床に落とした。
「進路の事、もう決めた?」
あすみの目は、アンではなく扉の方に向かっている。
「……聞いてこいって言われたの?」
少し間をおいてから、アンは静かに答える。
「……うん。」
その声にも、少しだけ疲れが滲んでいた。
少しの沈黙のあと、あすみは力なく呟く。
「……本当に全部嘘だったんだね…」
アンは、その言葉から逃げないように、一度だけ深く息を吸ってから、あすみを真っ直ぐ見つめた。
「……うん。
確かに、最初は監視対象者だったけど、皆で過ごした時間、話してた事は全部本当の事だよ。」
あすみは、ゆっくりと目を閉じて静かに言う。
「……もう少し眠りたい。」
その言葉に、アンの指先がぴくりと動いた。
何か言いかけて、唇を噛む。
「……わかった。」
それだけを、そっと置くように言った。
立ち上がるとき、アンの肩がかすかに震えているのが、まぶたの裏越しにも分かった気がした。
部屋から出ると、心配そうにジョンがドアの前で待っている。
「どうだった?」
アンの声が震える。その目には、もう涙が溜まっていた。
「……私達、あすみを傷つけた……」
ジョンは、アンの肩にそっと手を置いた。その手もまた、気づかないふりをしているだけで、確かに震えている。
「大丈夫、わかってくれるよ。
……あいつ、そういうやつだろ」
アンは小さく頷いた。でも足はすぐには前に出ず、二人とも、しばらくドアの前で立ち尽くしていた
*
少し後。
艦の窓が大きく開けられた展望デッキに、あすみは立っていた。
外には、青い地球が浮かんでいる。
画面越しではない、本物の星。
「聞いたわよ。パイロット養成科。本気で行くつもり?」
後ろからかけられた声に振り向くと、艦長——ラナが立っていた。
短く切った髪と、鋭い目。
でも、その奥にはいつも静かな優しさがある。
「……はい。」
あすみは再び宇宙を見上げる
「私決めたんです、探すって。
宇宙にいれば、いつか会えると思うから」
カイトが言った、「ここにちゃんと帰ってくるからな」という言葉が、胸の奥で反響する。
あの教室も、あの廊下も、もう存在しない。
それでも——。
(あの約束だけは、本物だった)
ラナ艦長は、しばらくあすみを見つめてから、小さく笑った。
「……上層部が聞いたら、泣いて喜ぶわね。
うちの艦から、もう一人SKY志望が出たって」
「……軍は…嫌いですけど。」
「ふふ。そうね」
ラナは、窓の外の地球を見上げる。
「綺麗な宇宙ね」
ガラスの向こうで、青い星がゆっくりと回っていた。
白い雲の帯が、その上を薄くなぞるみたいに流れていく。
教室の窓に映っていた地球と、色も形もほとんど同じなのに——
ここからは、戦争も民族狩りも何も見えない。
(ここからなら、どこへだって行ける。
いつか、カイトのいる空にもーー)
あすみは、拳を握りしめた。
「私、強くなります」
たとえ自分の足元が、もう「普通」ではなくなってしまったとしても。
あの日、コロニーで交わした約束と、
格納庫で見上げた白銀のSKYの姿だけを頼りに
あすみは、パイロット養成科への道を選んだ。




