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SKY  作者: rui0308
3/8

Sky3-宇宙(ソラ)に出る理由

あすみの身体は、もう走り出していた。


 医務室の自動扉を乱暴に開けて、通路を駆ける。

 息が苦しい。足が追いつかない。

 それでも、止まったら二度と動けなくなる気がして、ひたすら前だけを見ていた。


(会わなきゃ。行かなきゃ。どこかに、外に——)


 どこへ向かっているのか、自分でも分からない。

 ただ本能のように、この艦の「奥」へ、奥へと走っていた。



 金属の床を叩く足音の先に、重い扉が現れた。


 【第3格納庫】と書かれた注意プレート。

 警告灯がゆっくりと回転し、赤い光が廊下を舐める。


(ここ……)


 誰かの怒鳴り声が内側から聞こえる。


「いいか、急げよ! 次のテストフライトまで時間がないんだ!」


  自動扉が開いた瞬間、あすみは息を呑んだ。


 天井近くまで届く白銀の機体。

 人間より少し細長いプロポーションで、余計な出っ張りのない滑らかなライン。


 装甲は雪のように白く、関節や装甲の継ぎ目だけが、薄く青い光を帯びている。


 肩口には連合の識別マーク、脚部にはまだ試験機を示すグレーのライン。


 顔にあたる部分には目も口もなく、細いバイザー状のスリットが一本走るだけだ。


 背中には折りたたまれたウイングフレーム。

 胸部中央の装甲は他より一段だけ深く沈み込み、その奥で、青白いコアユニットが脈打つように点滅していた。


 人の形をしているのに、人ではない。

 でも、その姿は確かに——どこまでも遠い空を連想させた。


(これが……SKY……)


 コロニーの授業で何度も見た映像。

 「宇宙人型機動兵器」と教科書には書かれていた。


 でも、本物は——もっと静かで、もっと綺麗で、もっと遠かった。


気付けば、足が勝手に格納庫の中へ踏み込んでいた。


「おい、君! 危ないから——」


 整備士の声が聞こえたが、耳には入らない。


 機体の胸部へ続く整備用の梯子を、あすみは息を切らしながら登っていく。


(これに乗れば、いける。

 外に。カイトのいる“どこか”に——)


 ハッチの端に手をかける。

 白銀の装甲は冷たいはずなのに、指先の奥がじんわりと熱くなった。


「開いて……」


 力任せに引こうとした瞬間、警告音が鋭く鳴り響いた。


 【パイロット認証がありません】

 【コクピットハッチはロックされています】


 機械的な声が、乾いた格納庫に響く。


「どうして……!開いて!」


 爪が剥がれそうになるほどハッチを叩く。

 届かない。届かせてくれない。


 胸の奥が、きしむように痛む。


(行かなきゃ。今ここで行かなかったら——)


「——あすみ!」


 腰のあたりを、強い力が引いた。


 身体が梯子から剥がされるように後ろへ引き倒され、視界が揺れる。


「危ないだろ! 勝手に乗ろうとするな!」


 背中を支えた腕の主は、セリだった。


「離して! 乗らなきゃ……あれに乗らなきゃ、カイトのところに——!」


「今のあすみが乗ったら、死ぬ!」


 セリの声が怒鳴りに近い音量で響く。

 見慣れた穏やかな目が、今は必死に見開かれていた。


 本当は「よくない」ことなんて分かっている。

 でも、ここで止まったら、本当に二度と会えなくなる気がした。


「……お願い、セリ。

 探しに行かなきゃ。今行かなきゃ、どんどん遠くへ——」


「パイロット認証も、訓練もなしで出ていったら、真っ先にSKYに殺されるのはお前だ!」


その言葉に、何かがプツンと切れた。


後ろから押さえているセリの胸を、前よりずっと細くなった手で何度も叩きながら


「じゃあ、セリが行ってよ!アレに乗って、カイト探しに行ってよ!!」


涙も叩く腕も止まらず、どうにもならない感情の全てをぶつける


セリが叩いてくる手首をぎゅっと掴んだ。爪が食い込みそうなほど強く。


「…俺だって行きたいよ…」


 セリの声が小さく震えた。


 格納庫の空気が、急に冷たく感じた。


 さっきまで近くに見えていた白銀の機体が、急に遠いものになる。


「……やだぁっ……」


 あすみの指先が、空を掴むみたいに宙を掻いた。

涙で目の前が霞んでいる、ぼやけた視界の中

 ほんの一瞬、SKYの胸のコアが微かに明滅する。


(——聞こえた?)


 そんな気がしたけれど、次の瞬間にはもう、セリの腕の中に押し込められていた。


「——あすみ!」


 駆け込んできた声が、格納庫に重なる。


 アンとジョンだ。

 整備士たちも集まってきて、口々に何かを言っている。


「……ごめん……」


 何に対して謝っているのか、自分でも分からない。


 ただひとつ分かるのは——

 あの白銀のSKYが、「外」と「あの約束」への唯一の道だということだけ。



 その夜。

 艦の小さなラウンジで、ラナ艦長とエリンが向かい合っていた。


 窓の外には、静かな星の帯。

 テーブルの上には、飲みかけのマグカップが二つ。


「……格納庫で暴れたって?」


 ラナがファイルを閉じる。


「暴れた、のかしらね。

 あの子なりに、必死だっただけよ。」


 エリンは、苦く笑った。


「でも、SKYのハッチに素手で触るなんて、普通はしない。

 あれは……“血”ね」


「オルタイトと反応する血統。

 ——そのために、私たちはあの子たちをここまで運んできた」


 ラナはカップを持ち上げるが、中身を口に運ぶことなく、また置いた。


「十三年間、プログラムの中で眠らせて。

 世界が終わる日を二回も経験させて。……正しい事をしたと思っていたのに…」


「そうね」


 エリンは、正面からその言葉を認める。


「正しかったなんて、今となってはとても言えない。」


「でも結局、SKYに手を伸ばした」


  エリンはカップの縁を指でなぞりながら、かすかに笑った。


「あの子は、そういう子よ。」


 ラナは、静かに頷いた。




 数日後の夕方。


 あすみが自室のベッドで横になっていると、ノックもせずにドアが開いた。


「……あすみ、大丈夫?」


 アンだ。顔だけひょこっと覗かせて、部屋の中の様子を一瞬確認してから、遠慮がちに中へ入ってくる。


「……うん」


 短く返すと、声が自分のものじゃないみたいに乾いて聞こえた。


 アンはベッドの端に腰を下ろし、両手を膝の上でぎゅっと握る。

 あすみの横顔を覗き込もうとして、途中でやめて、視線を床に落とした。


「進路の事、もう決めた?」


 あすみの目は、アンではなく扉の方に向かっている。


「……聞いてこいって言われたの?」


 少し間をおいてから、アンは静かに答える。


「……うん。」


 その声にも、少しだけ疲れが滲んでいた。


 少しの沈黙のあと、あすみは力なく呟く。


「……本当に全部嘘だったんだね…」


 アンは、その言葉から逃げないように、一度だけ深く息を吸ってから、あすみを真っ直ぐ見つめた。


「……うん。

 確かに、最初は監視対象者だったけど、皆で過ごした時間、話してた事は全部本当の事だよ。」


 あすみは、ゆっくりと目を閉じて静かに言う。


「……もう少し眠りたい。」


 その言葉に、アンの指先がぴくりと動いた。

 何か言いかけて、唇を噛む。


「……わかった。」


 それだけを、そっと置くように言った。


 立ち上がるとき、アンの肩がかすかに震えているのが、まぶたの裏越しにも分かった気がした。


 部屋から出ると、心配そうにジョンがドアの前で待っている。


「どうだった?」


 アンの声が震える。その目には、もう涙が溜まっていた。


「……私達、あすみを傷つけた……」


 ジョンは、アンの肩にそっと手を置いた。その手もまた、気づかないふりをしているだけで、確かに震えている。


「大丈夫、わかってくれるよ。

 ……あいつ、そういうやつだろ」


 アンは小さく頷いた。でも足はすぐには前に出ず、二人とも、しばらくドアの前で立ち尽くしていた




 少し後。


 艦の窓が大きく開けられた展望デッキに、あすみは立っていた。


 外には、青い地球が浮かんでいる。

 画面越しではない、本物の星。


「聞いたわよ。パイロット養成科。本気で行くつもり?」


 後ろからかけられた声に振り向くと、艦長——ラナが立っていた。


 短く切った髪と、鋭い目。

 でも、その奥にはいつも静かな優しさがある。


「……はい。」


 あすみは再び宇宙ソラを見上げる


「私決めたんです、探すって。

 宇宙ソラにいれば、いつか会えると思うから」


 

カイトが言った、「ここにちゃんと帰ってくるからな」という言葉が、胸の奥で反響する。


 あの教室も、あの廊下も、もう存在しない。

 それでも——。


(あの約束だけは、本物だった)


 ラナ艦長は、しばらくあすみを見つめてから、小さく笑った。


「……上層部が聞いたら、泣いて喜ぶわね。

 うちの艦から、もう一人SKY志望が出たって」


「……軍は…嫌いですけど。」


「ふふ。そうね」


 ラナは、窓の外の地球を見上げる。


「綺麗な宇宙ソラね」


 ガラスの向こうで、青い星がゆっくりと回っていた。

 白い雲の帯が、その上を薄くなぞるみたいに流れていく。

 教室の窓に映っていた地球と、色も形もほとんど同じなのに——

 ここからは、戦争も民族狩りも何も見えない。



(ここからなら、どこへだって行ける。

  いつか、カイトのいる空にもーー)


 あすみは、拳を握りしめた。


「私、強くなります」


 たとえ自分の足元が、もう「普通」ではなくなってしまったとしても。


 あの日、コロニーで交わした約束と、

 格納庫で見上げた白銀のSKYの姿だけを頼りに

 あすみは、パイロット養成科への道を選んだ。


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