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SKY  作者: RUI
REDROSE

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29/117

Sky29-出発-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。



 朝の北方第七基地は、いつも通り冷たかった。

 吐く息が白く伸びて、すぐにほどける。格納庫のシャッターは半分開いていて、その向こうに並んだヴィーラの機体と、滑走路脇では小さめの輸送機が腹を開けて待っている。

 金属を叩く音と、人の声と、工具箱の蓋が閉まる音。出発前の基地だけが持つ、ざわついた空気だった。


「よし、パネル締め直し完了っと」

 ラルフがヴィーラの脚部に腰を乗せたまま、レンチをくるりと回す。

「今さら締め直すなよ。昨日のうちにやっとけ」

 下で工具箱を支えるジンが、呆れたように見上げた。

「うるせえな。うちの子、よそに貸し出すってだけでメンタルやられてんだよ。ピカピカにして渡さねえと、整備班の名折れだろ」

「はいはい、“うちの子”ね。権利証でも出してみろってんだ」

 口ではそう言いながら、ジンの手つきも丁寧だった。ケーブルを一本ずつ指で追って、パネルの縁に隙間がないか確かめる。

「……戻ってきたときに“あれ? なんかガタ来てません?”とか言われたら寝込むしな」

「だろ? だから今のうちに磨いとく」

 ラルフは胸ポケットから布切れを出して、キャノピーの端をきゅっと拭いた。


「おーい、レイナー!」

 少し離れたところでマルコが手を振っている。地上防衛隊の隊員たちが滑走路脇に並び、その後ろにナイルとハルの姿もあった。

 ハルは分厚いコートに埋もれながら、まだ眠そうな目でヴィーラを見上げている。

「……起きてる?」

「起きてるもん!」

 セリが軽く手を振ると、ハルはむくれたように頬を膨らませた。

 アスミはみんなに手を振り返してから、時計を見た。

(まだ、ちょっと時間ある)


「どうした?」

 隣でヘルメットを抱えていたセリが首をかしげる。

「ごめん。ちょっとだけ、行ってくる」

「司令?」

「うん。……捕まってきます」

「じゃあ機体の方は見とく。逃げるなよ、一等兵」

「逃げません、一等兵」

 軽口を投げ合って、アスミは格納庫を出た。



司令室の前まで来ると、廊下の空気が少し違った。

暖房の風が弱く回っていて、紙とインクの匂いが混じっている。ここだけ足音が遠い。

アスミは一度息を整えて、ノブに手をかけた。金属が冷たい。扉は少しだけ開いていて、隙間から灯りが床に細く落ちている。


「……失礼します」


押し開けると、書類の匂いが濃くなった。机の上だけじゃない。棚にもワゴンにも紙束が積まれている。

端末がスリープから切り替わる電子音が一つ。空調の振動で、ペン立ての中のペンがかすかに触れ合った。


机の端に写真立てがあった。書類の角に押されて少し傾いている。隠す置き方じゃない。


アスミは、そこで足が止まった。

ガラスの奥に、ノーザン・クロスの艦影。艦の前で肩を寄せ合う人影。冬の光が反射して、顔の輪郭が少し白い。


真ん中にラナがいる。腕の中に小さな子ども――自分。頬が丸い。

隣に同じくらいの子がいる。幼いのに、目だけがまっすぐだ。――カイト。

少し後ろにエリン。視線が落ち着いていて、写真の外まで見ているみたいに立っている。

端の方に、笑っている女の人。隣に、ふざけた顔の男。二人の距離が近い。


(お父さん……と、お母さんだ)

喉の奥がきゅっと鳴った。写真の中に自分がいることが、急に重くなる。触れないまま、もう一歩だけ近づく。

(…みんな、ここにいたんだ…)

そのとき、背後で紙が擦れる音がして、扉が小さく鳴った。キヌアが書類束を抱えたまま顔を出す。

「レイナー一等兵?」


アスミは反射で視線を切った。切っても、艦の輪郭だけが目の裏に残っている。

「司令、いますか?」

「さっきまでいましたけど……もう出られましたね。『紙の匂いしかしないところにずっといると眠くなる』って、屋上の方へ」

「……ですよね」

 妙に納得してしまって、アスミは頭を下げる。

「ありがとうございます。屋上、行ってみます」


「転ばないように」

 キヌアのいつも通りの一言に背中を押されて、階段を上る。鉄の手すりが冷たく、手袋越しにもひやりとした。


 屋上の扉を押し開けると、北方の風が一気に吹き込んでくる。頬の端が刺されるみたいに冷える。

 基地の外れを見下ろせるベランダの手すりに寄りかかって、ハイルトンがいた。コートの襟を立てて、ポケットに手を突っ込んだまま、目だけが遠くを見ている。


「司令、ここにいたんですね」

 アスミは屋上の扉を閉め、声をかけると、彼は片目だけこちらに向けた。

「出発準備はできたか」

「はい。……探しましたよ。司令室まで行っちゃいました」

ハイルトンはふっと息を吐くと、アスミから視線を空へ戻した。

「物好きだな。あそこは書類とため息しかないぞ」

アスミはハイルトンの隣にたち、同じように上を見た。

「私、司令室で見ちゃいました。」

「……なんだ」

 アスミは少しだけ間を置いてから言った。

「私の両親は、どんな人でしたか?」


 ハイルトンのまぶたが、わずかに上がる。

「……見たのか」

「……はい。机の上の写真、勝手に見ちゃいました。ごめんなさい」

「隠してたわけじゃない。片付けてないだけだ」


 風の音だけが二人の間を通り過ぎた。雪は降っていないのに、空気だけがきゅっと締まっている。


「……お前は、見た目は母親似で、中身は父親似だ」

 静かに落とされた言葉に、アスミは思わず自分の指先を見下ろした。


「……中身、ですか」

「こうと決めたら曲げないやつだ。色んなものを背負いこむ」


「……そうなんだ……」

 写真の中の母の柔らかい笑顔と、父の少し不器用そうな横顔が、頭の中で重なる。

 その写真の端に、ミュラーとハイルトンと、ラナと、知らない大人たちが一緒に写っていた気配まで思い出して、胸の奥が少しだけ詰まった。


「……あの馬鹿は、まだ帰ってこないのか」

 ハイルトンが独り言みたいに言う。

「あの馬鹿?」

アスミがハイルトンを見た。

「お前の父親だ」

「あ……はい。どこで何してるかも分かりません」

「あいつは昔から、人に面倒を押し付ける」

ふっと口元を緩ませて、アスミは言った。

「……私の事ですか?」

ハイルトンが横目でアスミを見る。

「半分な。お前をこっちに押し付けたのはミュラーだ」

 くすっと笑い合って、また少し沈黙が落ちる。基地のアンテナが風で鳴り、金属が乾いた音を返した。


「……私たち、みんなに守られてたんですね」

 あすみがぽつりと言うと、ハイルトンは肩をすくめた。

「お前らの世代は、最初から守る側じゃなくて守られる側だ。当たり前だ」


「……今は、守る側でもいるつもりです」

 言いながら、避難集落の兄妹と、中立圏の人たちと、北方の境界線のことが浮かんだ。守られてきた側で、終わりたくない。


ハイルトンは、少しだけ長く、ため息に近い息を吐いた。

「立場が変われば、人間も変わる。同じ“守る”でも、国境をまたげば意味が違う」

 そこで一度、声が低くなった。

「忘れるな。人が抱えられるものは、そう多くない」


 アスミはハイルトンを見た。

「届くところだけ見る。……ですよね」


 二人とも、それ以上、言葉は出さなかった。遠くでエンジンの試運転音が高くなった。


 ハイルトンが指で屋上の扉を指して言った。

「そろそろ行け。一等兵。置いてくぞ」


「……はい。行ってきます、司令」

 アスミは頭を下げて、階段へ向かった。



 滑走路には薄く霜が降りていた。輸送機が待機し、搭載するコンテナと人員を順番に飲み込んでいた。


「遅いぞ。一等兵」

 機体の横で待っていたセリが、顔をしかめる。


「司令に捕まってた?」

「うん、ちょっとだけ」

「……お前、泣いてない?」

「泣かされてません。風が冷たかっただけです」


「はいはい」

 セリが苦笑する。


 見送り組が列を作っている。

「おーい、うちの子を返せよー!」

 ラルフがキャノピーに向かって両手を振る。ジンがその頭をぽかんと叩いた。

「返せよじゃねえよ。ちゃんと働かせてもらえ。帰ってきたらまたオイルまみれにしてやるからな!」

「それ脅しじゃないよね?」

 アスミが笑うと、整備班の二人も笑った。



 輸送機に乗り込み、ハーネスを締める。

 機体がゆっくり動き出す。滑走路の端へ転がる間、視界の端で見送り組の列が流れていく。

 ラルフが大げさに手を振り、ジンが横から止めて、結局二人とも全力で振っている。

 マルコが腕を上げる。ナイルが小さく会釈し、ハルが飛び跳ねている。

 キヌアは静かに立ち、リーサは無線室の窓際からこちらを見ていた。

 その少し後ろに、ハイルトンがポケットに手を突っ込んだまま、だるそうな顔で空を見上げている。


《レイナー、アンダーソン》

 無線に低い声が乗った。

《はい!》

 思わず二人とも声がそろう。

《――帰ってこい。それだけだ》


 地面の振動が軽くなって、ふっと重力の感覚が変わる。

 北方第七基地が、ゆっくり遠ざかっていく。

 格納庫、司令棟、射撃場、居住区。人の列。小さな点になっていく手。


(必ず、帰ってくる)


 雲が一つ、流れていった。その切れ目の向こうに、薄い青が見えた。


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