Sky30-潮と鉄の匂い-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
輸送機の窓の外が、 ふっと色を変えた。
どこまでも続いていた雲海がほどけて、 その下に、 濃い青と薄い青の境目が広がる。
輪っかみたいな島々が、 白い砂浜を細い線にしながら点々と並んでいた。
……これが、 中立諸島か
セリはヘルメットを膝に抱えたまま、 小さく息を吐いた。
《これよりアルクトリ中立諸島・第3港湾区域に着陸する。 燃料補給および装備点検のため、 およそ四時間の停泊予定だ》
機内スピーカーのアナウンスに、 軽いざわめきが広がる。
「四時間かぁ……微妙に観光できそうで、 できなそうな時間だな」
隣で伸びをしながらぼやいたのは、 同乗しているパイロットの一人⸺エリオット・ハートマン少尉だ。
西方本拠地所属の先輩で、 妙に陽キャで口がよく回る男である。
「海ぐらいは見れるだろ。 あと飯」
「飯は大事だな。 北方の飯、 まずくはないけど、 凍ってんだよな。 全部」
「凍ってないだろ」
そんな他愛のない会話をしているうちに、 機体がふわりと揺れ、 重たい脚が甲板を踏んだ感覚が伝わってくる。
エンジン音がだんだん低くなり、 ブレーキの感触。 やがて 「到着」のランプが灯った。
*
格納区画から降りてくると、 中立基地の空気は、 北方とまるで違っていた。
湿った暖かさ。 オイルと潮の匂いが混じっている。 遠くで波の音がして、 港の方角からはトラックとクレーンの機械音が途切れ途切れに届く。
その上に、 スピーカーから流れる安っぽい音楽と、 人の喋り声。
……ほんとに、 戦争中か?
セリは一瞬、 場違い感に眉をひそめる。
基地のロゴが入った鉄扉を抜けると、 その先にはもう、 ほとんど普通の港町だった。
白壁の建物がぎっしり並び、 通りには観光客らしき私服の人間も歩いている。
すれ違う中には、 連合軍の制服もあれば、 他国軍、 傭兵風の装備、 作業着姿の港湾労働者も混じってい
た。
建物の壁には、 「傭兵募集」 「船員求む」 みたいな貼り紙。 その横に、 戦況ニュースのポスターや、 行方不明者の告知。
……やっぱり、 戦争中だな
セリの手のひらの中で、 携帯端末が震えた。
「あ」
ポケットから取り出して画面を見る。
差出人:アン。
『中立圏寄るなら、 アルクトリの港のマーケットで、 これ見つけてきて』
短い文字と一緒に、 小さな写真が添付されている。 白い貝殻を編み込んだ、 少し素朴なブレスレットだ。
「あ、 これアンが欲しかったやつだ」
すぐ隣から覗き込んできた声に、 セリは少し驚いて顔を上げる。
いつの間にか、 アスミがすぐそばに来ていた。 フライトジャケットのまま、 端末を片手に、 同じように画面を覗き込む。
「……お前、 まだ連絡取ってるの?」
「毎日メールしてるよ?」
「毎日?」
「うん。 返事は遅いけど、 ちゃんと返ってくるし」
アスミがそう言って、 少しだけ嬉しそうに笑った。
セリはその横顔を見て、ぼそっと漏らす。
「……あいつ、 俺には返信しないのに」
アスミがきょとんとした顔でこちらを見た。
「当たり前でしょ。私、友達だもん」
セリがアスミを横目で睨む。
「俺の方が、付き合いは長いぞ」
「はいはい」
アスミは軽い相槌を打ちながら前を歩く。そのとき、 背後から名前を呼ばれた。
「レイナー二等兵ですね?西方統合本部との機体整備の件で確認があります。本船から回線を開きます。すぐに戻ってください」
振り向くと、 輸送機側の将校が立っていた。 階級章は中尉。 北方の人間じゃない、 見慣れない顔だ。
「あ、はい!すぐ行きます!」
アスミは慌てて端末を閉じると、 セリのほうを振り返った。
「ごめん、先に戻る」
「はいはい。 アン用の土産も探しておく」
「よろしくね、 セリ」
手をひらひら振って走り去っていく背中を見送りながら、 セリは小さく息を吐いた。
……まあ、 あいつはあいつで忙しいか
そして、 自分の背中に視線を感じて振り向けば、 そこにはエリオットが腕を組んで待っていた。
「青春してるねえ、 アンダーソン」
「誰とだよ」
「よし、とりあえず飯行くぞ。 中立圏の揚げ物は油が本物だ」
二人は、宇宙港の中を歩いて行った。
*
港に面した通りは、 観光客向けの店と、 明らかに軍人・傭兵向けの店が並んでいた。海産物の匂い、 揚げ物の匂い、 甘い飲み物の匂い、 汗、 タバコ。 音楽はやたら陽気で、店先にはビーチサンダルや派手なシャツが吊るされている。
その一方で、 通りの端には、 古びたテレビがニュースを垂れ流していた。画面の中で、レジスタンス活動の話が、 淡々と読み上げられている。
《帝国支配域において、 レジスタンス組織“ARC LINE”によると見られる補給線への攻撃が続いています⸺》
「また派手にやってんな、 レジスタンス」
エリオットが揚げ物を頬張りながら、 ニュース画面を顎で示した。
「正義の味方気取りか、 ただのテロリストか。 評価が分かれてるらしいぜ?」
「どっちでもいいだろ。 敵が困ってるなら」
「現場の声~~」
軽口を飛ばしながら、 安いカウンターで出された焼き魚と謎の揚げ物を二人で平らげる。 味は、北方の凍りかけた食堂飯よりはだいぶマシだった。
「で、 どうする? もう一軒行くか?」
「いや、 俺はちょっと歩いてくる」
セリは椅子から立ち上がって、 伸びをした。
「せっかくの休憩だしな。海、ちゃんと見ときたい」
「いいねぇ、 詩人だねぇ。 じゃあ俺は酒の味を確認してくるわ」
「ほどほどにな」
「分かってるって。 一応これから本部送りの身だしな」
エリオットと別れて通りに出ると、 海からの風が真正面から吹き抜けてきた。 潮の匂いに、 どこか油の匂いが混じっている。ふと、 視界の端を、 何かがかすめた。
青い群衆の中で、 ひとつだけ、 よく見慣れた後ろ姿と同じ線が一瞬だけ見えた気がした。
………気のせい?
自分でそう言い聞かせようとする。 けれど、 足が勝手に止まった。
人混みの流れが、 その一点を飲み込んでいく。 それでも、 喉の奥がきゅっと締まる感覚だけが残った。
いや⸺
胸の奥で、 ざわ、 と何かが揺れる。
セリは、 通りの脇に開いていた細い路地に目を向けた。
さっき、 見えたと思った気配は、 あちら側から流れていったような気がする。
観光客はほとんど足を向けないような、 薄暗い裏通りだ。
建物と建物の隙間、 ゴミ箱とコンテナの間を、 わずかな夕暮れの光が斜めに差し込んでいる。
貼り紙は色褪せ、 足元の石畳には古い水たまりの跡。 潮と排気ガスと、 もう少し違う、鉄の匂い。
行っても、 何もないかもしれない。それでも、 足はもう動き始めていた。
通りの喧騒が、 背後に遠ざかっていく。
代わりに、 どこかでボトルがぶつかる小さな音や、 誰かの笑い声が、 壁に吸い込まれてくぐもって聞こえた。
曲がり角をひとつ、 ふたつ。 奥へ進むと、 路地は少しだけ開けたスペースに出た。
そこは、 ごみごみした裏庭みたいな場所だった。 使われてない木箱と、 壊れた椅子と、落書きだらけの壁。
頭上には、 洗濯物がロープに干されている。
その壁際に、 ひとつだけ、 人影が立っていた。
薄いフード付きのジャケット。 片方の肩を壁に預けて、 片足だけ少し前に出している立ち方。
手元には、 小さな火がちらっと灯っては消えた。
タバコか、 ライターか。ここからでは、 顔は見えない。
それでも、 背中の線と、 重心の置き方だけでセリには分かった。
……嘘だろ
喉が、 音にならない。あの日からずっと、 「いない」 ことに慣れようとしてきた背中だった。
その肩が、 こちらの視線に気づいたように、 わずかに揺れる。
ゆっくりと、 首がこちらへ回りはじめた。夕暮れと、 路地裏の影の境目で、 その横顔があらわれる。
セリは、自分の心臓が一度だけ派手に跳ねる音を聞いた。
……カイト
名前が喉まで上がってきた、その瞬間、時間が、 ひと呼吸ぶんだけ伸びた気がした。




