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SKY  作者: RUI


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29/44

Sky29-出発-



 朝の北方第七基地は、いつも通り冷たかった。

 吐く息が白く伸びて、すぐにほどける。格納庫のシャッターは半分開いていて、その向こうに並んだSKYの機体と、滑走路脇では小さめの輸送機が腹を開けて待っている。

 金属を叩く音と、人の声と、工具箱の蓋が閉まる音。出発前の基地だけが持つ、ざわついた空気だった。


「よし、パネル締め直し完了っと」


 ラルフがSKYの脚部に腰を乗せたまま、レンチをくるりと回す。


「今さら締め直すなよ。昨日のうちにやっとけ」


 下で工具箱を支えるジンが、呆れたように見上げた。


「うるせえな。うちの子、よそに貸し出すってだけでメンタルやられてんだよ。ピカピカにして渡さねえと、整備班の名折れだろ」


「はいはい、“うちの子”ね。権利証でも出してみろってんだ」


 口ではそう言いながら、ジンの手つきも丁寧だった。ケーブルを一本ずつ指で追って、パネルの縁に隙間がないか確かめる。


「……戻ってきたときに“あれ? なんかガタ来てません?”とか言われたら寝込むしな」


「だろ? だから今のうちに磨いとく」


 ラルフは胸ポケットから布切れを出して、キャノピーの端をきゅっと拭いた。


「おーい、あすみー!」


 少し離れたところでマルコが手を振っている。地上防衛隊の隊員たちが滑走路脇に並び、その後ろにナイルとハルの姿もあった。

 ハルは分厚いコートに埋もれながら、まだ眠そうな目でSKYを見上げている。


「……起きてる?」


「起きてるもん!」


 セリが軽く手を振ると、ハルはむくれたように頬を膨らませた。


 あすみはみんなに手を振り返してから、時計を見た。

(まだ、ちょっと時間ある)


「どうした?」


 隣でヘルメットを抱えていたセリが首をかしげる。


「ごめん。ちょっとだけ、行ってくる」


「たぬきか?」


「うん。……捕まってきます」


「じゃあ機体の方は見とく。逃げるなよ、一等兵」


「逃げません、一等兵」


 軽口を投げ合って、あすみは格納庫を出た。



司令室の前まで来ると、廊下の空気が少し違った。

暖房の風が弱く回っていて、紙とインクの匂いが混じっている。ここだけ足音が遠い。


あすみは一度息を整えて、ノブに手をかけた。金属が冷たい。

扉は少しだけ開いていて、隙間から灯りが床に細く落ちている。


「……失礼します」


押し開けると、書類の匂いが濃くなった。机の上だけじゃない。棚にもワゴンにも紙束が積まれている。

端末がスリープから切り替わる電子音が一つ。空調の振動で、ペン立ての中のペンがかすかに触れ合った。


机の端に写真立てがあった。書類の角に押されて少し傾いている。隠す置き方じゃない。


あすみは、そこで足が止まった。

ガラスの奥に、ノーザン・クロスの艦影。艦の前で肩を寄せ合う人影。冬の光が反射して、顔の輪郭が少し白い。


真ん中にラナがいる。腕の中に小さな子ども――自分。頬が丸い。

隣に同じくらいの子がいる。幼いのに、目だけがまっすぐだ。――カイト。


少し後ろにエリン。視線が落ち着いていて、写真の外まで見ているみたいに立っている。

端の方に、笑っている女の人。隣に、ふざけた顔の男。二人の距離が近い。


(お父さん……と、お母さんだ)


喉の奥がきゅっと鳴った。写真の中に自分がいることが、急に重くなる。

触れないまま、もう一歩だけ近づく。


(…みんな、ここにいたんだ…)


そのとき、背後で紙が擦れる音がして、扉が小さく鳴った。

キヌアが書類束を抱えたまま顔を出す。


「古賀一等兵?」


あすみは反射で視線を切った。切っても、艦の輪郭だけが目の裏に残っている。


「司令、いますか?」


「さっきまでいましたけど……もう出られましたね。『紙の匂いしかしないところにずっといると眠くなる』って、屋上の方へ」


「……ですよね」


 妙に納得してしまって、あすみは頭を下げる。


「ありがとうございます。屋上、行ってみます」


「転ばないように」


 キヌアのいつも通りの一言に背中を押されて、階段を上る。鉄の手すりが冷たく、手袋越しにもひやりとした。


 屋上の扉を押し開けると、北方の風が一気に吹き込んでくる。頬の端が刺されるみたいに冷える。

 基地の外れを見下ろせるベランダの手すりに寄りかかって、ハイルトン・グレイ大佐――たぬき司令がいた。コートの襟を立てて、ポケットに手を突っ込んだまま、目だけが遠くを見ている。


「司令、ここにいたんですね」


 声をかけると、彼は片目だけこちらに向けた。


「ん。出発準備はできたか」


「はい。……探しましたよ。司令室まで行っちゃいました」


「物好きだな。あそこは書類とため息しかないぞ」


「ふふ。私、司令室で見ちゃいました。」


「……なんだ」


 あすみは少しだけ間を置いてから言った。


「私の両親は、どんな人でしたか?」


 ハイルトンのまぶたが、わずかに上がる。


「……見たのか」


「……はい。机の上の写真、勝手に見ちゃいました。ごめんなさい」


「隠してたわけじゃない。片付けてないだけだ」


 風の音だけが二人の間を通り過ぎた。雪は降っていないのに、空気だけがきゅっと締まっている。


「……お前は、見た目は母親似で、中身は父親似だ」


 静かに落とされた言葉に、あすみは思わず自分の指先を見下ろした。


「……中身、ですか」


「前に出たがるとことか、余計なもん背負い込むとことか、な」


「……そうなんだ……」


 写真の中の母の柔らかい笑顔と、父の少し不器用そうな横顔が、頭の中で重なる。

 その写真の端に、ミュラーとたぬきと、ラナと、知らない大人たちが一緒に写っていた気配まで思い出して、胸の奥が少しだけ詰まった。


「……あの馬鹿は、まだ帰ってこないのか」


 ハイルトンが独り言みたいに言う。


「あの馬鹿?」


「お前の父親だ」


「あ……はい。どこで何してるかも分かりません」


「あいつは昔から、人に面倒を押し付ける」


「……私の事ですか?」


「半分な。お前をこっちに押し付けたのはミュラーだ」


「あはは。あの写真のミュラー教官、若かったですね」


「入隊したての頃だからな、今のお前達より若かったぞ」


 くすっと笑い合って、また少し沈黙。

 基地のアンテナが風で鳴り、金属が乾いた音を返した。


「……私たち、みんなに守られてたんですね」


 あすみがぽつりと言うと、たぬきは肩をすくめた。


「お前らの世代は、最初から守る側じゃなくて守られる側だ。当たり前だ」


「……今は、守る側でもいるつもりです」


 言いながら、避難集落の兄妹と、中立圏の人たちと、北方の境界線のことが浮かんだ。守られてきた側で、終わりたくない。


「なら、自分の分だけ守れ。全部抱え込むな。

 それはあの馬鹿でも無理だった」


 “あの馬鹿”が誰か、もう聞かなくても分かった。


「……はい」


 本当は、また抱え込む気がしている。でも、そう言い切れるようになりたい。


 遠くでエンジンの試運転音が高くなった。


「そろそろ行け。一等兵。置いてくぞ」


「……はい。行ってきます、司令」


 あすみは頭を下げて、階段へ向かった。



 滑走路には薄く霜が降りていた。

 エンジンをかけたSKYが二機、並んでいる。輸送機はその後ろで待機し、搭載するコンテナと人員を順番に飲み込んでいた。


「遅いぞ。一等兵」


 機体の横で待っていたセリが、ヘルメット越しに顔をしかめる。


「たぬきに捕まってた?」


「うん、ちょっとだけ」


「……お前、泣いてない?」


「泣かされてません。風が冷たかっただけです」


「はいはい」


 セリが苦笑する。


 見送り組が列を作っている。


「おーい、うちの子を返せよー!」


 ラルフがキャノピーに向かって両手を振る。ジンがその頭をぽかんと叩いた。


「返せよじゃねえよ。ちゃんと働かせてもらえ。帰ってきたらまたオイルまみれにしてやるからな!」


「それ脅しじゃないよね?」


 あすみが笑うと、整備班の二人も笑った。


 マルコは腕を組んでSKYを見上げている。


「こっちの赤い薔薇が抜けたら、境界線が寂しくなんだろ」


「誰が薔薇ですか。棘ありますよ」


「それでこそだ。次会うときも、ちゃんと棘付きで頼む」


「……次、ちゃんと会いましょうね」


「ああ」


 短い握手。


 ナイルとハルは少し離れたところから見ていた。ハルは背伸びしてでも空を見ようとしている。


「……行くんですね」


 ナイルが近づいてきて、ぽつりと言った。


「うん。ちょっと西の方まで」


「……行ってらっしゃい」


「行ってきます」


 今度は迷いなく返せた。


「いってらっしゃい、空の人!」


 ハルの声は今日も元気だった。



 コクピットに乗り込み、ハーネスを締める。

 HUDが起動し、表示が一つずつ立ち上がっていく。耳に入るエンジン音はいつもと同じなのに、今日は少しだけ近く聞こえた。


《アルファ2、システムオールグリーン》


《アルファ3も同じく。いつでもいける》


《了解。北方第七基地管制、こちらアルファ2、3。出発準備完了》


《こちら管制。アルファ2、3、滑走路へ進入を許可する》


 SKYがゆっくり動き出す。滑走路の端へ転がる間、視界の端で見送り組の列が流れていく。

 ラルフが大げさに手を振り、ジンが横から止めて、結局二人とも全力で振っている。

 マルコが腕を上げる。ナイルが小さく会釈し、ハルが飛び跳ねている。

 キヌアは静かに立ち、リーサは無線室の窓際からこちらを見ていた。

 その少し後ろに、ハイルトンがポケットに手を突っ込んだまま、だるそうな顔で空を見上げている。


《古賀、アンダーソン》


 無線に低い声が乗った。


《はい!》


 思わず二人とも声がそろう。


《――帰ってこい。それだけだ》


 胸が一瞬だけ縮む。けれど次の瞬間には、声が自然に出た。


「セリ」


「ん」


「……行ってきます」


「聞こえてる。ちゃんと帰ろうな」


《アルファ2、3、離陸を許可する》


 スロットルを押し込む。機体が震え、滑走路を走り出す。

 地面の振動が軽くなって、ふっと重力の感覚が変わる。


 北方第七基地が、ゆっくり遠ざかっていく。

 格納庫、司令棟、射撃場、居住区。人の列。小さな点になっていく手。


(必ず、帰ってくる)


 雲が一つ、流れていった。

 その切れ目の向こうに、薄い青が見えた。


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