Sky24-動き始める世界-
昼どきの食堂は、 いつもより少しだけざわついていた。
金属トレイのぶつかる音と、 スープの匂いと、 安っぽい蛍光灯の白い光。 その奥で、 壁にかかっている大型モニターだけが、 別の世界の空気を流している。
『⸺西方戦線の緊張がいっそう高まり⸺』
キャスターの落ち着いた声にかぶさるように、 画面の下ではテロップが忙しく流れていった。
《帝国軍、 大規模会戦準備か》
《帝国、 新兵器を投入》
《連合艦隊、 再編計画を公式発表》
文字列がひたすら右から左へ。 あすみは、 スプーンを持った手を止めて、 それをぼんやりと眺めた。
「うわあ、 また物騒な字面だな」
隣のテーブルから、 聞き慣れた現場ノリの声が飛んでくる。
振り向けば、 マルコ伍長がパンをかじりながら画面を顎で指していた。 向かいにはラルフとジン。
作業着の袖をまくったまま、 メシ時だけヘルメットを外した、 いつもの整備班トリオだ。
「“西の方、 ついに本気で殴り合う”って感じですね、 これ」
ジンが笑いながらジュースのパックを吸う。
「やめろ、 格好よく言うな。 あっちは殴り合い、 こっちは⸺」
ラルフが、 ため息混じりにスプーンを振った。
「こっちは旧式トラックで雪道走って、 タイヤ鎖つけたり外したりだぞ。 新兵器くださいよ新兵器」
「お前に新兵器持たせたら、 まず名前つけるだろうが」
「当然だろ、 “第三北方トラック隊・誇りの⸺”」
「長いよ」
ぽんぽんと、 しょうもないやり取りが飛び交う。
笑い声はあるのに、 奥底に沈んでいるものは軽くないのが、 あすみにも分かった。
モニターの映像が切り替わる。 西方戦線の衛星写真、 赤い矢印、 海上に浮かぶ艦隊の影。
“あっち”の緊張が上がるたび、 ここみたいな “端っこ”にも、 少し遅れて波が来る。
今までも何度か、 そういうことはあった。 けれど――今日は、 少し波の高さが違う気がした。
「……」
スプーンを口に運んでも、 味がよく分からない。 塩気だけが、 妙に強く舌に残る。
手元の端末が、 小さく震えた。
『【北方第七基地・全隊員向け通達】』
画面の片隅に、 システムからの通知がポップアップする。
ほとんど同じタイミングで、 ほかのテーブルでもあちこちから 「ピッ」 「ピッ」 と音が上がった。 地上班も、 整備班も、 通信も。 皆が一斉に端末へ視線を落とす。
あすみも、 親指で画面をタップした。
⸺そこに並んでいたのは、 いつもの補給予定や勤務シフトではなかった。
『各基地は、 Sランク適合者の運用状況および稼働可能枠を至急報告のこと』
『連合艦隊再編に伴い、 SKY部隊の一部を西方前線へ配備する案、 協議中』
『配備候補として、 北方第七基地より1~2名を抽出予定』
文字を追った瞬間、 身体の内側で、 何かがざらりと逆立った。
……Sランク適合者
その単語は、もう何度も聞いたことがある。
医務室で、 ブリーフィングで、
LAA時代にミュラー教官の口からも。
自分の検査結果に貼られたラベルとして。
けれどそれが、 こうして文書の中で⸺
いくつもある項目の一つとして、
戦力配分の行の一つとして、 淡々と並んでいるのを見
るのは、 初めてだった。
項目……
Sランク適合者=あすみ。
頭では当然わかっている式が、 文字情報を通すと急に冷たくなる。
数値と資格で名前が消えて、 自分の場所だけが、 マップの上で勝手に動かされる感覚。
ごくり、 と飲み込んだスープが、 喉の奥で引っかかったような気がした。
「おーいおーい」
向こうのテーブルで、 ジンが端末を掲げる。
「『SKY部隊の一部を前線艦隊へ配備案』
だってよ。 ねえ伍長、 これって」
「案、だからな」
マルコは、 パンをちぎりながら顔をしかめる。
「案のままでいてくれりゃ一番いいんだが。
……“北方から一機持ってく”って、 普通まず
こっちの地上防衛と相談するだろ」
「やっぱ行くなら、 アルファ隊っすよねえ」
ラルフが、 あすみのほうをちらりと見る。 視線が合う前に、 ジンがにやにやしながら小声を足した。
「“北方の赤い薔薇”、 前線に持ってくんじゃねえの?
そりゃ上も使いたくなるっしょ」
「やめろ、 その呼び名で呼ぶなって」
マルコが即座にツッコミを入れる。
「ここ空にしてどうすんだよ。 境界線丸裸だぞ。
雪と狼しか守ってくれねえぞ」
「でも、 戦争終わらせるなら“殴り合いのリング”に出ろって話でもあるんじゃないっすか」
「お前は本当に一言余計だな!」
笑い声と文句がぶつかりあう。
あすみは、 トレイの上で静かにスプーンを置いた。
聞こえてないふりをするのは、 もう慣れている。
でも、 耳は勝手に拾ってしまう。
北方の赤い薔薇
誰かがつけたそのあだ名が、 勝手に歩き回っている。
飛んでいるのは自分の機体なのに、 名前だけが先にひとり歩きして、
どこか遠くの会議室まで行ってしまう。
戦力。 一部を前線へ
文字とざわめきが、 食堂の空気を少しずつ変えていく。
硝煙も血の匂いもないのに、 ここも戦場の一部なんだな、 とあすみは思った。
*
北方第七基地・司令室。
窓の外では、 雪が細かくなったり止んだりを繰り返している。
日付の感覚を狂わせる灰色の空の下で、 この部屋だけは、 いつもと同じ量の書類が積まれていた。
「……ふあ」
ハイルトン・グレイ大佐は、 いつものようにやる気のない欠伸を一つ落としてから、
目の前の通達書類をペラペラとめくった。
「大本営より通達。 『連合艦隊再編に伴い⸺』」
正面のデスクで、 キヌア・フェルド中尉が抑揚の少ない声で読み上げる。
眼鏡の奥の目は、 ひたすら仕事モードだ。
「『北方第七基地よりSKY部隊1~2名を、 再編される西方前線艦隊に一時配属する案につき、 協議に応じられたし』……だそうです」
「うちから抜く前提で話し始めてるのは、 “案”じゃなくて “決定”って言うんだがなあ」
ハイルトンは、 書類を持つ指先だけで小さく肩をすくめた。
隣のコンソールでは、 リーサ軍曹が静かに通信ログを整理している。
半分はこちらの会話も聞いているのか、 聞いていないのか。
「Sランクパイロットを “より有効な戦線へ”、 とありますね」
キヌアが別の紙に目を通しながら付け足す。
「“より有効な戦線”ねえ」
ハイルトンは、 椅子の背にもたれたまま天井を眺めた。
「ここを空にして前線に出るのは愚策だ、 と書いて返したら、 何ページ分になるかね」
「中立圏の北の境界線、 誰が見張るつもりなんでしょうね」
淡々としたキヌアの言葉に、 リーサが端末から目を離さずに続ける。
「ですが、 大佐。 どこかで折れる必要があるのも事実です」
「分かってる」
ハイルトンはすぐにそう言った。
こちらの戦力も有限で、 あちらの戦線も有限で。
どこかから誰かを引き剥がして、 どこかに貼り付ける。 それが 「再編」 というやつだ。
それが分かっているからこそ、 簡単には首を縦には振りたくない。
「赤い薔薇を前線に送れば、 戦況は動くでしょうね」
リーサが、 いつもの無表情で言う。
「もう本部のほうでも噂になっているそうですよ。 “北方の赤い薔薇”」
「誰だ、 そんな名前を真面目な会議で口にしたやつは」
ハイルトンは、 露骨にいやそうな顔をした。
「……ああ、 いや。 だいたい想像はつくけどな。 あのへんの地上伍長とか、 整備の誰かと
か」
端末の画面に、 ほかの基地からの報告が流れていく。
各地のSランク適合者。 稼働時間。 損耗率。
数字とコードと略称ばかりの中に、 「古賀あすみ」 という具体的な名前はどこにも出てこない。
「赤い薔薇、 ですか」
キヌアが、 すっと細い息を吐いた。
「本人の耳にも、 もう入っているでしょうね」
「だろうな」
ハイルトンは書類を机に伏せて、 指先でトントンとそこを叩いた。
「⸺あれはまだ “つぼみ”だ。 勝手に名前をつけるなって、 誰か上に書いてやりたいところだが」
「では、 そのように返信を」
「皮肉を文字にすると、 軍の記録として残っちゃうからなあ」
「……ですよね」
キヌアの口元が、 わずかに緩んだ。
リーサが、 淡々と通信のチェックを続ける。
外の雪は、 相変わらず降ったり止んだりだ。
その天気の上から、 世界全体の空模様だけが、 じわじわと変わっていく。
⸺そんな感覚が、 司令室の空気にも、 確かに混じり始めていた。
*
夜の北方第七基地は、 昼より静かだった。
格納庫の灯りは既に半分落ちていて、 整備班の声ももう聞こえない。
雪かきのトラックだけが、 遠くでガラガラと鈍い音を立てている。
外気は、 頬に刺さるほど冷たいのに、 その冷たさがありがたかった。
頭の中にこもった熱を、 少しだけ持っていってくれる気がするから。
あすみは、 ジャケットの襟を指先で寄せながら、 基地の外縁のフェンス際まで歩いていった。
見上げれば、 雲の切れ間から、 わずかに星がのぞいている。
昼間、 モニターで見た “西方会戦”の図が、 頭の中でまた浮かぶ。
赤い矢印の先。 艦隊の列。 新兵器、 という言葉。
世界は、 思ったより早く動いている
北の端っこにいると、 時々忘れそうになる。
けれど、 食堂のニュースも、 通達の文言も、 さっき司令室から漏れ聞こえた忙しない足音も、
全部同じ方向を指していた。
どこかの誰かを守るために、 どこかの誰かが空から消えていく
それは、 きっともう始まっている。
自分が飛んだ空の先で、 見たことのない機体が落ちている。
地図の上でしか知らない街が、 赤い印に変わっていく。
その中に、 いつか自分の名前も混ざるのかもしれない。
「Sランク適合者」 の行が、 別の戦線の欄に移動する日が来るのかもしれない。
「……」
息を吸う。 冷たい空気が、 喉を通って肺に沈んだ。
足音が、 後ろから近づいてくる。
「寒いぞ、 こんなとこで突っ立ってると」
声だけで、 誰だか分かる。
振り向くと、 セリがポケットに手を突っ込んだまま、 肩を少しすくめて立っていた。
「ニュース見たか」
「……うん」
「嫌なうねり方してるな」
「うん、そうだね」
それだけ言葉を交わして、 しばらく二人とも黙る。
無理に慰めの冗談を言われるより、 この沈黙のほうが今は楽だった。
フェンスの向こう、 暗い空と雪の下に広がっている世界を、 あすみはもう一度見つめる。
モニターに映った地図より、 ずっと狭いのに。
この夜気の中のほうが、 ずっと大きなものが動いている気がした。
「セリ」
「ん」
「……帰ってこようね、 どこに行っても」
彼は 「うん」 と答えただけで、 ただ隣で同じ空を見上げていた。
⸺世界が動き始める音は、 ニュースより先に、 基地の空気が知っている気がした。




