Sky25-波が届く-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
その日は、雪の降り方まで、落ち着きがなかった。
風がいちど強く吹くたびに、粉雪が横へ流れて、次の瞬間には真下へ落ちる。
格納庫の開口部から入り込む冷気が、通路の床をうっすら濡らして、靴裏がきしむ音を増やしていた。
整備棟の通路でも、食堂でも、喫煙所の灰皿の前でも北方第七基地のあちこちで、同じ単語が口の端からこぼれていた。
「……艦隊配属?」
ヴィーラ格納庫横のベンチで、アスミは、ねじれたボルトを指先でくるくる回しながら耳を傾けた。
少し離れたところで、ラルフとジンが工具箱を挟んでしゃがみ込んでいる。
手はしっかり動いているのに、口はそれ以上に動いていた。
「聞いたかお前。ヴィーラ部隊から最低一機は“持ってかれるらしい”ってさ」
「やめろよなんか物の言い方が物資扱いなんだよ。『薔薇一点、西方方面行き』とか伝票つけられるのか?」
「やめろその言い方こそ物資だよ」
ラルフが腹を抱えて笑う。
「でもさ〜、せっかくこっちで可愛がってきたのにさ〜。薔薇持ってかれるとか俺は耐えられんわけ。なあ?」
「俺に同意求めるな。……てか“薔薇”って整備記録に書いたら、上から本気で怒られるからやめろよ?」
二人のあいだに、ツナギとオイルの匂いと、いつものバカ話の空気が漂う。
だけど言葉の端っこに、笑い切れない引っかかりが混じっているのを、アスミは聞き取ってしまう。
……持ってかれる
ボルトを回す指が、ほんの少しだけ止まった。
格納庫の天井は高くて、外の雪の気配はほとんど届かないのに、今日は人の声の向きが揃わない。
誰かが工具を落とす音がして、拾う動きが遅れて、また別の場所で笑い声が途切れた。
*
その日の夕方、全隊員向けの呼び出しがかかった。
場所はブリーフィングルーム。
地上防衛隊も整備班も通信班も、ヴィーラパイロットも、ぎゅうぎゅう詰めになって壁にもたれている。
「全員そろったか?」
前方の壇上で、ハイルトンが、書類を片手にだるそうに首を巡らせた。
隣にはキヌアとリーサ。二人とも表情を崩さないまま、端末と隊列に目を配っている。
「では、大本営からの通達を共有します」
キヌアが、手元の端末を見ながら読み上げる。
「“あくまで案の段階ではあるが、連合艦隊再編に伴い、各地ヴィーラ部隊の一部を西方前線艦隊へ派遣する方向で協議中”とのことです」
ざわ、と小さな波が起こる。後ろのほうで、誰かが小声で「やっぱ噂マジかよ」と言った。
アスミは、セリの隣に立っていた。背中にはひんやりとした壁。前にはハイルトンの顔。
「なお、現時点では“決定”ではありません」
キヌアが続ける。
「具体的にどの基地から誰を、という話も、まだ確定していません。ただ——」
ちらり、と一瞬だけハイルトンのほうを見る。ハイルトンは、めんどうくさそうに頭を掻いた。
「……ただ、まあ、“案”って言い方してる時点で、だいたい七割方決まりだと思っておいてくれ」
「司令」
キヌアのツッコミが飛ぶ。
「本音を漏らさないでください」
「本音漏らさないと仕事続かないんだよこっちは。……ともかく」
ハイルトンは、視線を隊員たちへ向けた。
「ここを空にして前線に出るのは、俺としては愚策だと思ってる。中立圏だからって北の境界線が勝手に静かになるわけじゃない。誰が見張るんだって話だ。だが、世界のほうが動いてるのも事実だ」
ブリーフィングルームの空気が、静かに沈む。端末の通知音がひとつ鳴って、誰かが慌てて消した。
「だから、“行くな”とも、“行け”とも今は言わん。決まったら、その時はちゃんと話す。以上、現状報告だ」
そう締めくくって、ハイルトンは書類を机にぽんと置いた。
「質問は?」
手を挙げる者は、いなかった。代わりに、退出のざわめきの中で、小さな本音があちこちから漏れる。
「……行ってほしくねえな、正直」
マルコ伍長がぼそっと言い、隣にいた若い隊員がうなずく。
「でも、どこかで誰かが前に出なきゃ、この戦争終わんねえしな。言いたくねえけど」
「せめて、“うち”からは誰も行きませんでしたって顔したいですけどねー」
整備班の誰かが冗談めかすと、ラルフがすかさず肩を小突いた。
「お前さ、そういうとこ洒落になんないんだよ」
「いやでもさあ」
「でもじゃねえ」
笑いとため息の中で、アスミは黙って立っていた。
ハイルトンの「誰が見張るんだ」という言葉も、マルコの「行ってほしくねえな」も、胸のどこかに残っている。
“誰が”
自分か、誰かか。自分たちか、別の基地か。まだ具体的な名前は、どこでも出てこない。
それでも、肌が先に分かってしまう。
……たぶん、私たちだ
セリが隣で小さく息を吐く気配がした。きっと同じことを思っている。
*
夜、点呼も終わってから、アスミは一人で格納庫に寄った。
照明は半分落ちていて、自分のヴィーラだけが、天井のスポットライトを浴びて銀色に光っている。機体の足元には、ラルフが置いていったらしい工具箱が、きちんと閉められて並んでいた。
「……」
機体の前に立つと、不思議と落ち着く。金属の匂いと、油の匂いと、まだ微かに残っている空の匂い。
この機体で、北の空を何度も飛んだ。
避難列を護衛して、境界線をなぞるように飛んで、時々撃ち落として、時々守り切れなくて。
ここに残って、境界線を守る自分を想像してみる。
今まで通り、雪と雲と中立圏の街を見下ろしながら飛ぶ自分。
ナイルとハルが、冬を越して春を迎えるのを、ここから見守る自分。
……艦隊で、空を切り開く自分同時に、それとは別の映像も頭に浮かぶ。
ニュースの中の西方会戦。海の上の艦隊。見たことのない敵機。新兵器。
その中を、この機体で飛んでいる自分。
知らない街と、知らない人を守るために、知らない空域へ飛び込んでいく自分。
どちらも、自分で。どちらも、自分じゃないみたいだ。
「……行ってほしくないけど、行かなきゃ戦争終わらない、か」
マルコの言葉を、真似して口にしてみる。声は小さくて、機体に吸い込まれていった。
北方第七基地は、相変わらず雪と風とため息の匂いがする。
遠い無線室のほうから、夜勤の交信音が微かに混じってくる。どこかで扉が閉まる音がして、格納庫の空気がひとつだけ揺れた。
世界のほうが、本気で動き始めている。その波がここに届くまで、きっとそう時間はかからない。
アスミは、ヴィーラの脚にそっと手を置いた。
「……どこにいるんだろうね」
誰にでもなく、機体にでもなく、たぶん自分自身に向けて小さくつぶやいた。
その言葉は、格納庫の冷たい空気に紛れて、静かに消えていった。
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