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SKY  作者: RUI
REDROSE

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22/117

Sky-22-守られている自分-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 


 夜が変わっても、胸の奥は夜のままだった。

 補給都市の朝は薄い雲に覆われていて、光は白く濁っている。コンテナを積み上げた壁の上を、冷たい風がさらっていった。仮設滑走路では、まだエンジンをかけていない輸送機の機体が並び、その間を整備兵たちが眠そうな顔で行き来している。


 アスミは、その喧騒から少し離れたところで、空になったマグカップを両手で包んでいた。中身はとっくになくなっていて、温度だけがかすかに残っている。

 右の腰には、いつも通りホルスターがついている。革の感触は昨日と同じなのに、その重さだけが違って感じられた。


「……レイナー二等兵」

 背中から呼ばれ振り向くと、NTO側の連絡将校が立っていた。昨日の夜、路地の近くでセリを呼びに来た兵士だ。疲れの抜けない目の下に、くっきりとクマができている。

「はい」 

「司令部の仮設オフィスまで。昨夜の件で、報告書の確認と署名だ」

 来たか、と思う。

 逃げ場は最初からない。逃げるつもりも、ない。

 空になったカップを返却用の箱に置き、アスミは将校の後ろについて歩き出した。


 *


 コンテナを改造した仮設オフィスは、紙とインクとコーヒーの匂いがした。

 壁にはこの都市の地図と補給路が貼られ、机の上には書類の山。小さな電気ストーブが一台置かれているが、足元までは暖かさが届いてこない。

「ここだ」

 将校が一つの机を示す。簡易椅子が向かい合うように置かれ、その間に薄いファイルが一冊。


 《事案報告:中立国補給都市における避難民保護について》


 タイトルだけが、黒々と印刷されていた。

「内容は、事実関係だけです。読み上げますか?」

「自分で読みます」

 短く答え、ファイルを開く。


 ・発生時刻

 ・場所:路地裏(区画G-3裏通り)

 ・関与者:連合軍パイロット一名/中立国軍兵一名/避難民女性一名

 ・中立国兵による不適切行為の発生

 ・古賀二等兵による制止行動

 ・拳銃の抜銃/発砲無し


 淡々とした文が並ぶ。一行一行が、昨夜の景色と重なっていく。

 壁に押し付けられた細い肩。ずれたコート。切れたボタン。酒の匂い。舌打ち。

 手袋越しの指先が、紙の縁をわずかに強く掴んだ。

「……記載に誤りはありません」

 あすみは視線を上げずに言った。


「ここに署名を」

 将校が最後の欄を指さす。ペンを受け取り、自分の名前を書く。筆圧が少し強くなっているのが、自分でも分かる。ペン先が紙を離れたところで、将校がようやく口を開いた。

「規則だけで言えば、まず上官を呼び、基地憲兵に引き渡すのが筋です」

「分かっています」

 アスミは素直にうなずいた。


「でも、昨夜はそれをしていたら間に合わなかったでしょう」

 将校の声に、疲れた笑いが混じる。

「……個人的には、助かりました。中立側とも話をつけました。あちらも“問題行為”だったことは認めています」


「処分は……」


「ありません」

 きっぱりと言われる。

「ただし、“建前として”一度は言っておきます。次に似た事があったら、まず誰かを呼んでください。」


「……検討します」

 本心からの返事だった。

 将校は満足そうでも、不満そうでもない顔で頷く。

「署名、ありがとう。戻っていい」

 仮設オフィスを出ると、外の空気は少しだけ眩しかった。コンテナの影と影の間に、セリが立っていた。

 ジャケットのチャックを一番上まで閉め、腕を組んで壁にもたれている。視線はこちらに向けられているのに、目だけが少し、暗い。


「……待ってたの?」

 アスミがセリを見上げて言った。

「待ってた」

 いつものように軽口で返してはこない。

 アスミは、一歩近づいた。

「報告書、もう読んだ?」

「読んだ」

 返ってきた声は短くて、冷えた鉄みたいだった。

「中立兵が避難民に手を出そうとしてたこと。お前が止めに入ったこと。路地の中で、銃を抜いたこと。発砲は無し」

 淡々と事実だけを並べる。アスミは、何も言えなかった。

 セリは、しばらく黙ってアスミを見ていた。

 風が、二人の間を通り過ぎる。遠くの方でトラックのエンジン音が響き、誰かが笑う声が聞こえる。

 ここだけ、音の届かない場所みたいだった。


「……中に入るか」

 セリが先に口を開いた。

「こういう話は、外でするもんじゃない」


 簡易ブリーフィングルームのドアを開ける。昨日も何度か使った、地図だらけの小さな部屋だ。

 机の上に置きっぱなしの紙コップの中身は、もう冷たくなっている。

 ドアが閉まると、外の喧騒が薄くなった。

 セリは、それからやっと、ちゃんとアスミの方を向いた。


「なんで、一人で行った」

 最初の一言は、それだった。

 怒鳴り声ではない。でも、机の上の紙コップの水面が揺れてもおかしくないくらい、芯のある声だった。

「……聞こえちゃったから」

 アスミは正直に答える。

「声が。…はっきりした言葉じゃなかったけど。でも、“あのままじゃダメ”って分かったから」

 足が勝手に動いた。そう言おうとして、飲み込んだ。

「無線は持ってただろ」

 セリの問いは、静かに続く。

「一言呼ぶ時間は、なかったか?」


「……あったと思う」

 嘘はつけない。路地の入口で立ち止まった瞬間。頭の中に「セリ」の二文字は確かに浮かんだ。

 その次に浮かんだのは、“間に合わない”という感覚だった。

「呼んでから走ったら、その一瞬で何かが終わってるかもしれないと思ったから。それで、走った」

 自分でも、あまり説明になっていないと思う。

 セリは、少しだけ目を閉じた。睫毛の影が、頬に落ちる。

「……その判断を、全部間違いだとは言わない」

 やがて目を開けて、そう言った。

「もし俺がそこにいても、多分同じタイミングで走るし、銃も抜いたと思う」

「じゃあ――」

「でもな」

 言葉を重ねようとした口を、セリが静かに遮った。

「それでも、“なんで俺を呼ばなかった”ってことには、怒ってる」

 アスミは、息を飲んだ。

「……怒ってるの?」

「怒ってる」

 はっきりと言う。


「一人で路地に入ったことにも。銃を抜いたことにも。それを“全部一人でやった”ことにも」

 机の端を掴んだセリの指先が、僅かに白くなっていた。

 いつもは、人の話を聞いてから言葉を選ぶ方だ。今は、先に感情が出てきてしまっているのが分かる。

「お前、守る側に立ちたいんだよな」

 問いというより、確認。

「……立ちたい、と思ってる」

 アスミは、ゆっくり頷いた。

「立たなきゃいけない、の方が近いかも。見たからには、見なかったふりできないし」


 路地で見たもの。避難民の列で見た目。ナイルやハルの顔。

 全部、もう目の裏から消えてくれない。


「だったら、なおさらだ」

 セリは言う。

「“守る側”だからって、自分をひとりにすんな」

 その一言が、胸の奥にじかに刺さった。


「……ひとりにしてるつもり、なかった」

 反射で返す。でも、昨夜の光景を思い出すと、自分の言葉が薄いことはすぐに分かる。


 あの路地にあったのは、自分と、あの子と、銃だけだった。セリも、基地も、連合も、全部画面の外側に追いやっていた。


「俺は、お前のバディだ」

 セリは、机から手を離し、代わりに自分の胸の前で指を組んだ。

「前線でも、訓練でも、補給任務でも。“何かあったとき、一番最初に呼ばれる側”でいたい」


「……そんな重いこと、さらっと言う?」

 思わず口元が緩む。だけど、すぐ真顔に戻る。


「重く言わないと伝わらない」

 セリは、少しだけ苦笑した。


「お前、すぐ“自分で何とかしよう”って思うだろ。その根性はいいところでもあるけど、

 “守る側”をやりたいなら、“守られてる自分”がいることも、一緒に自覚しろ」


「守られてる、自分……」

 その言葉を、口の中で転がしてみる。

 思い出す。

 訓練で倒れそうになった時、黙って肩を貸された。教官に怒鳴られて落ち込んだ時、隣で変な冗談を言ってくれた。北方基地でも、避難集落でも、気付けばいつも、近くで“何かしてくれていた”相棒。


(いつもセリがいるから)

 胸のどこかで、はっきり形になる。

「うん、そうだね。ありがとう、セリ」

 それは、ずっと前から事実だったのに、やっと言葉になった。

 セリが、ほんの一瞬だけ目を丸くした。


 すぐに小さく笑う。

「自覚したならよし」

「偉そう」

「偉いんだよ。俺はお前よりちょっとだけ冷静だからな」

 ムカつくのに、腹は立たない。むしろ、その言い方がいつも通りで、少しほっとする。

 でも、胸の中にはもう一つ、別の感情があった。


 路地で見た女の子。震える肩。押し殺した「大丈夫」。

(あの子みたいな子は、他にもいる)

(ナイルも、ハルも。名前も知らない誰かも)


「……でも」

 アスミは、自分の手を見下ろした。

 昨夜、銃を握った右手。今は指先まで血が通っていて、きちんと温かい。

「でも、“守られてる自分”だけでいたら、多分、昨日みたいな事は止められない」

 静かに言う。

「私が守らないと壊れる誰かも、たぶん、いる。昨日のあの子みたいに。ナイルたちみたいに。名前も知らないまま、戦争の外側で押し潰されそうになってる誰かも」


 セリは何も言わずに聞いている。

 アスミは、自分の胸の中にある二つの言葉を、まっすぐに見つめた。

 守られている自分。

 守る自分。

 どっちか一方だけ選んだら、どっちも歪む気がする。


「……両方、抱え込む」

 はっきりと言った。

「もう、何も知らなかった私じゃない。どっちもちゃんと持ったまま、前に進む。」

 それは、決意というにはまだ不器用な言葉だったかもしれない。

 でも、その瞬間、胸の中で何かがカチンと音を立てて、はまった気がした。


 セリは、しばらく黙ってアスミの顔を見ていた。

 やがて、ゆっくりと頷く。

「……ああ、そうしろ」

 そして、いつもの調子で付け足す。

「だから、その全部込みで、“俺を呼べ”」


「結局そこに戻るんだ」

 呆れたふりをしながらも、笑いがこみ上げる。


「約束」

 セリが手を差し出した。


 握手でも敬礼でもない、微妙な高さ。アスミは、自分の手を重ねる。

 軍用手袋越しの感触は薄いけれど、その下にある温度は、ちゃんと伝わった。


 *



 雪混じりの風が、コンクリートの滑走路の上を走り抜けていく。格納庫の扉を叩く音が、低く響いていた。

 基地司令室の窓からは、鉛色の空が見える。

 その窓を背にして、ハイルトンは大きな机に座っていた。


 椅子にだらしなく背を預け、片膝を少し崩している。机の端には冷めたコーヒー。

 真ん中には、補給都市から上がってきた報告書の束。薄いファイルの一つを手に取り、ぺらりと開く。


 《アスミ・レイナー二等兵 中立国補給都市における避難民保護のための介入について》

 活字が整然と並んでいる。

 ハイルトンは、眠そうな目で一行ずつ追った。


 ・中立国兵による不適切行為

 ・古賀二等兵による制止

 ・拳銃の抜銃

 ・発砲無し

「……銃を抜いたか」

 誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。声は相変わらずのんびりしているのに、その目だけは、紙の行間をじっと覗いていた。

 書いてあることはシンプルだ。その割に、書いていないことが多すぎる。


「……ギリギリで止まったな」

 眉が、ごくわずかに動く。

 彼女の数値は知っている。オルタイト反応も、遺伝子的な背景も。

 Sランクの器というのは、そういう“境界”に立ち続けるものだ。

 守るためなら、迷わず撃てるタイプ。守るためなら、迷って撃たないタイプ。


 どちらにも、転べる。ハイルトンは書類から目を離し、窓の外をちらりと見た。


 雪がちらつき始めている。滑走路の端を、整備兵が小さく動き回っていた。


「司令、どうしました?」

 ドアの方からキヌアの声がした。振り向きもせずに、「なんでもない」と返す。


「新人の薔薇が、少し棘を見せただけだ」


「また変な例えを……」

 キヌアのため息混じりの声がする。


 ハイルトンは、報告書の端にペンを走らせた。


 《備考:危険状況下においても自制線を維持。ただし自己判断を優先する傾向強し。今後も注意して見守ること。バディとの連携重視。》


「あの子の命の預かり先」は、ここだ。

 壊すために預かっているわけじゃない。かといって、ただ守って眠らせておくつもりもない。


「……全部抱えるなよ、レイナー」

 机の上のファイルに向かって、小さく呟く。

 窓の外で、雪が少し強くなった。北方の風は冷たい。

 その中で、守られている自分と、守る自分。二つを抱えた小さなパイロットが、どこまで飛べるか。


 ハイルトンは、眠たそうな目の奥でだけ、鋭く空を見ていた。

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