表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SKY  作者: RUI


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/48

Sky-22-守られている自分-

 


 夜が変わっても、胸の奥は夜のままだった。


 補給都市の朝は薄い雲に覆われていて、光は白く濁っている。コンテナを積み上げた壁の上を、冷たい風がさらっていった。

 仮設滑走路では、まだエンジンをかけていない輸送機の機体が並び、その間を整備兵たちが眠そうな顔で行き来している。


 あすみは、その喧騒から少し離れたところで、空になったマグカップを両手で包んでいた。

 中身はとっくになくなっていて、温度だけがかすかに残っている。


 右の腰には、いつも通りホルスター。

 革の感触は昨日と同じなのに、その重さだけが違って感じられた。


「……古賀二等兵」


 背中から呼ばれる。


 振り向くと、連合側の連絡将校が立っていた。昨日の夜、路地の近くで見かけた顔だ。

 疲れの抜けない目の下に、くっきりとクマができている。


「はい」


「司令部の仮設オフィスまで。昨夜の件で、報告書の確認と署名だ」


 来たか、と思う。


 逃げ場は最初からない。

 逃げるつもりも、ない。


 空になったカップを返却用の箱に置き、あすみは将校の後ろについて歩き出した。


 *


 コンテナを改造した仮設オフィスは、紙とインクとコーヒーの匂いがした。


 壁にはこの都市の地図と補給路が貼られ、机の上には書類の山。小さな電気ストー

 ブが一台置かれているが、足元までは暖かさが届いてこない。


「ここだ」


 将校が一つの机を示す。簡易椅子が向かい合うように置かれ、その間に薄いファイ

 ルが一冊。


 《事案報告:中立国補給都市における避難民保護について》


 タイトルだけが、黒々と印刷されていた。


「内容は、事実関係だけです。読み上げますか?」


「自分で読みます」


 短く答え、ファイルを開く。


 ・発生時刻

 ・場所:路地裏(区画G-3裏通り)

 ・関与者:連合軍パイロット一名/中立国軍兵一名/避難民女性一名

 ・中立国兵による不適切行為の発生

 ・古賀二等兵による制止行動

 ・拳銃の抜銃/発砲無し


 淡々とした文が並ぶ。

 一行一行が、昨夜の景色と重なっていく。


 壁に押し付けられた細い肩。

 ずれたコート。

 切れたボタン。

 酒の匂い。

 舌打ち。

「覚えとけよ、連合の“薔薇”」。


 手袋越しの指先が、紙の縁をわずかに強く掴んだ。


「……記載に誤りはありません」


 あすみは視線を上げずに言った。


「ここに署名を」


 将校が最後の欄を指さす。


 ペンを受け取り、自分の名前を書く。

 筆圧が少し強くなっているのが、自分でも分かる。


 ペン先が紙を離れたところで、将校がようやく口を開いた。


「規則だけで言えば、まず上官を呼び、基地憲兵に引き渡すのが筋です」


「分かっています」


 あすみは素直にうなずいた。


「でも、昨夜はそれをしていたら間に合わなかったでしょう」


 将校の声に、疲れた笑いが混じる。


「……個人的には、助かりました。


 中立側とも話をつけました。あちらも“問題行為”だったことは認めています」


「処分は……」


「ありません」


 きっぱりと言われる。


「ただし、“建前として”一度は言っておきます。

 次に似た事があったら、まず誰かを呼んでください。」


「……検討します」


 本心からの返事だった。


 将校は満足そうでも、不満そうでもない顔で頷く。


「署名、ありがとう。戻っていい」


 仮設オフィスを出ると、外の空気は少しだけ眩しかった。


 コンテナの影と影の間に、ひとり立っている人影が見える。


 セリだった。


 ジャケットのチャックを一番上まで閉め、腕を組んで壁にもたれている。

 視線はこちらに向けられているのに、目だけが少し、暗い。


「……待ってたの?」


「待ってた」


 いつものように軽口で返してはこない。


 あすみは、一歩近づいた。


「報告書、もう読んだ?」


「読んだ」


 返ってきた声は短くて、冷えた鉄みたいだった。


「中立兵が避難民に手を出そうとしてたこと。

 お前が止めに入ったこと。

 路地の中で、銃を抜いたこと。

 ――発砲は無し」


 淡々と事実だけを並べる。




 あすみは、何も言えなかった。


 セリは、しばらく黙ってあすみを見ていた。


 風が、二人の間を通り過ぎる。

 遠くの方でトラックのエンジン音が響き、誰かが笑う声が聞こえる。


 ここだけ、音の届かない場所みたいだった。


「……中に入るか」


 セリが先に口を開いた。


「ああいう話は、外でするもんじゃない」


 簡易ブリーフィングルームのドアを開ける。昨日も何度か使った、地図だらけの小さな部屋だ。

 机の上に置きっぱなしの紙コップの中身は、もう冷たくなっている。


 ドアが閉まる。

 外の喧騒が薄くなった。


 セリは、それからやっと、ちゃんとあすみの方を向いた。


「なんで、一人で行った」


 最初の一言は、それだった。


 怒鳴り声ではない。

 でも、机の上の紙コップの水面が揺れてもおかしくないくらい、芯のある声だった。


「……聞こえちゃったから」


 あすみは正直に答える。


「声が。…はっきりした言葉じゃなかったけど。

 でも、“あのままじゃダメ”って分かったから」


 足が勝手に動いた。

 そう言おうとして、飲み込んだ。


「無線は持ってただろ」


 セリの問いは、静かに続く。


「一言呼ぶ時間は、なかったか?」


「……あったと思う」


 嘘はつけない。


 路地の入口で立ち止まった瞬間。

 頭の中に「セリ」の二文字は確かに浮かんだ。


 その次に浮かんだのは、“間に合わない”という感覚だった。


「呼んでから走ったら、その一瞬で何かが終わってるかもしれないと思ったから。それで、走った」


 自分でも、あまり説明になっていないと思う。


 セリは、少しだけ目を閉じた。


 睫毛の影が、頬に落ちる。


「……その判断を、全部間違いだとは言わない」


 やがて目を開けて、そう言った。


「もし俺がそこにいても、多分同じタイミングで走るし、銃も抜いたと思う」


「じゃあ――」


「でもな」


 言葉を重ねようとした口を、セリが静かに遮った。


「それでも、“なんで俺を呼ばなかった”ってことには、怒ってる」


 あすみは、息を飲んだ。


「……怒ってるの?」


「怒ってる」


 はっきりと言う。


「一人で路地に入ったことにも。

 銃を抜いたことにも。

 ――それを“全部一人でやった”ことにも」


 机の端を掴んだセリの指先が、僅かに白くなっていた。


 いつもは、人の話を聞いてから言葉を選ぶ方だ。

 今は、先に感情が出てきてしまっているのが分かる。


「あすみ。お前、守る側に立ちたいんだよな」


 問いというより、確認。


「……立ちたい、と思ってる」


 あすみは、ゆっくり頷いた。


「立たなきゃいけない、の方が近いかも。

 見たからには、見なかったふりできないし」


 路地で見たもの。

 避難民の列で見た目。

 ナイルやハルの顔。


 全部、もう目の裏から消えてくれない。


「だったら、なおさらだ」


 セリは言う。


「“守る側”だからって、自分をひとりにすんな」


 その一言が、胸の奥にじかに刺さった。


「……ひとりにしてるつもり、なかった」


 反射で返す。


 でも、昨夜の光景を思い出すと、自分の言葉が薄いことはすぐに分かる。


 あの路地にあったのは、自分と、あの子と、銃だけだった。

 セリも、基地も、連合も、全部画面の外側に追いやっていた。


「俺は、お前のバディだ」


 セリは、机から手を離し、代わりに自分の胸の前で指を組んだ。


「前線でも、訓練でも、補給任務でも。

 “何かあったとき、一番最初に呼ばれる側”でいたい」


「……そんな重いこと、さらっと言う?」


 思わず口元が緩む。


 だけど、すぐ真顔に戻る。


「重く言わないと伝わらない」


 セリは、少しだけ苦笑した。


「お前、すぐ“自分で何とかしよう”って思うだろ。

 その根性はいいところでもあるけど、

 “守る側”をやりたいなら、“守られてる自分”がいることも、一緒に自覚しろ」


「守られてる、自分……」


 その言葉を、口の中で転がしてみる。


 思い出す。


 訓練で倒れそうになった時、黙って肩を貸された。

 教官に怒鳴られて落ち込んだ時、隣で変な冗談を言ってくれた。

 北方基地でも、避難集落でも、気付けばいつも、近くで“何かしてくれていた”相棒。


(いつもセリがいるから)


 胸のどこかで、はっきり形になる。


「うん、そうだね。ありがとう、セリ」


 それは、ずっと前から事実だったのに、やっと言葉になった。


 セリが、ほんの一瞬だけ目を丸くした。


 すぐに小さく笑う。


「自覚したならよし」


「偉そう」


「偉いんだよ。俺はお前よりちょっとだけ冷静だからな」


 ムカつくのに、腹は立たない。

 むしろ、その言い方がいつも通りで、少しほっとする。


 でも、胸の中にはもう一つ、別の感情があった。


 路地で見た女の子。

 震える肩。

 押し殺した「大丈夫」。


(あの子みたいな子は、他にもいる)

(ナイルも、ハルも。名前も知らない誰かも)


「……でも」


 あすみは、自分の手を見下ろした。


 昨夜、銃を握った右手。

 今は指先まで血が通っていて、きちんと温かい。


「でも、“守られてる自分”だけでいたら、多分、昨日みたいな事は止められない」


 静かに言う。


「私が守らないと壊れる誰かも、たぶん、いる。

 昨日のあの子みたいに。ナイルたちみたいに。

 名前も知らないまま、戦争の外側で押し潰されそうになってる誰かも」


 セリは何も言わずに聞いている。


 あすみは、自分の胸の中にある二つの言葉を、まっすぐに見つめた。


 守られている自分。

 守る自分。


 どっちか一方だけ選んだら、どっちも歪む気がする。


「……両方、抱え込む」


 はっきりと言った。


「守られてる自分も、守る自分も。どっちもちゃんと持ったまま、前に進む」


 それは、決意というにはまだ不器用な言葉だったかもしれない。


 でも、その瞬間、胸の中で何かがカチンと音を立てて、はまった気がした。


 セリは、しばらく黙ってあすみの顔を見ていた。


 やがて、ゆっくりと頷く。


「……ああ、そうしろ」


 そして、いつもの調子で付け足す。


「だから、その全部込みで、“俺を呼べ”」


「結局そこに戻るんだ」


 呆れたふりをしながらも、笑いがこみ上げる。


「約束」


 セリが手を差し出した。


 握手でも敬礼でもない、微妙な高さ。


 あすみは、自分の手を重ねる。

 軍用手袋越しの感触は薄いけれど、その下にある温度は、ちゃんと伝わった。


 *


 その数日後。

 北方第七基地。


 雪混じりの風が、コンクリートの滑走路の上を走り抜けていく。格納庫の扉を叩く音が、低く響いていた。


 基地司令室の窓からは、鉛色の空が見える。


 その窓を背にして、ハイルトン・グレイ大佐は大きな机に座っていた。


 椅子にだらしなく背を預け、片膝を少し崩している。机の端には冷めたコーヒー。

 真ん中には、補給都市から上がってきた報告書の束。


 薄いファイルの一つを手に取り、ぺらりと開く。


 《古賀あすみ二等兵 中立国補給都市における避難民保護のための介入について》


 活字が整然と並んでいる。


 ハイルトンは、眠そうな目で一行ずつ追った。


 ・中立国兵による不適切行為

 ・古賀二等兵による制止

 ・拳銃の抜銃

 ・発砲無し


「……銃を抜いたか」


 誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。


 声は相変わらずのんびりしているのに、その目だけは、紙の行間をじっと覗いてい

 た。


 書いてあることはシンプルだ。

 その割に、書いていないことが多すぎる。


 路地の幅。

 兵士の顔の赤さ。

 女の子の震え方。

 無線に指が伸びなかった理由。

 引き金にかけた指の力。


「……ギリギリで止まったな」


 眉が、ごくわずかに動く。


 彼女の数値は知っている。

 オルタイト反応も、遺伝子的な背景も。

 Sランクの器というのは、そういう“境界”に立ち続けるものだ。


 守るためなら、迷わず撃てるタイプ。

 守るためなら、迷って撃たないタイプ。


 どちらにも、転べる。


 ハイルトンは書類から目を離し、窓の外をちらりと見た。


 雪がちらつき始めている。

 滑走路の端を、整備兵が小さく動き回っていた。


「司令、どうしました?」


 ドアの方からキヌアの声がした。


 振り向きもせずに、「なんでもない」と返す。


「新人の薔薇が、少しだけ棘を見せただけだ」


「また変な例えを……」


 キヌアのため息混じりの声がする。


 ハイルトンは、報告書の端にペンを走らせた。


 《備考:

 危険状況下においても自制線を維持。

 ただし自己判断を優先する傾向強し。

 今後も注意して見守ること。バディとの連携重視。》


「あの子の命の預かり先」は、ここだ。


 壊すために預かっているわけじゃない。

 かといって、ただ守って眠らせておくつもりもない。


「……ちゃんと生きて、帰ってこいよ」


 机の上のファイルに向かって、小さく呟く。



 窓の外で、雪が少し強くなった。

 北方の風は冷たい。


 その中で、守られている自分と、守る自分。

 二つを抱えた小さなパイロットが、どこまで飛べるか。


 ハイルトンは、眠たそうな目の奥でだけ、鋭く空を見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ