Sky19-補給路の影-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
基地の外へ出る装甲車の中は、暖房が効きすぎていて乾いていた。
アスミは窓の外を見て、何もない雪原に目を置こうとして、うまくいかなかった。
任務に向かう装甲車の中でアスミは窓の隙間から外を見ていた。
隣のセリが、黙ったまま腕を組む。山道を抜けて、谷がひらける。雪の白が途切れて、鉄と灰色が増えていく。
その先に突然、街が現れた。
山脈の裾野に、突然ひらけた灰色の街があった。谷を削って造られた一本の道路。その先に積み上げられたコンテナと燃料タンク、仮設バラックとテント。舗装しきれない地面には、装輪車のタイヤ跡と荷馬車の車輪の筋が幾重にも重なっている。
中立国側の補給拠点都市 ラスグランテ
NTO統合軍北方基地から、装甲車で数時間の場所に街はあった。
「……すごい、混み方」
ゲート脇に立ちながら、アスミは思わず声を漏らした。
前も後ろも、トラックと装甲車と荷車だらけだった。NTOの紋章、中立国の紋章、見慣れない他国軍のマーク。鉄と油の匂いの間を縫うように、ロバに荷を積んだ商人の隊列が進む。その足もとでは、子どもが砂ぼこりで茶色くなった靴を気にしながら、母親のコートの裾を握りしめている。
「北方基地の補給路とは、だいぶ雰囲気違うな」
隣で腕を組んでいるセリが、低くつぶやいた。
二人は今日はパイロットスーツではない。支給された冬用戦闘服に、防寒コート。ヴィーラは拠点奥の整備棟で分解され、定期点検を受けている。
その間、彼らに割り振られた任務は、補給車列の護衛とゲート周辺の警戒だった。
「ほんと。なんか、世界の端っこ全部がここに流れ込んできてる感じ」
アスミは、視線だけ動かして周囲を見回す。
トラックの列。荷車の列。そして人だけの列。
ゲート脇に車両とは別に歩行者用の細い通路が作られている。そこに伸びる長い列には、紙切れを握りしめた人たちが、少しずつ前へ押し出されていた。
軍服ではない。色あせたワンピース。毛玉だらけのカーディガン。膝の抜けたズボン。サイズの合わないコート。
「……避難民?」
アスミは横目で避難民の列を見た。
「ここの医療区画に回すって、ブリーフィングで聞いただろ」
セリは静かに答えた。その視線も、列の方へ向いている。
列の多くは女性だった。年配の人もいるが、アスミ達と同じくらいの年頃に見える人が一番多い。
肩をすぼめ、声を潜め、視線を落としたまま、ただ前に進むことだけに集中しているように見える。
風が谷を抜けた。ばさ、とコートの裾がめくれる。
その一瞬、厚手のタイツの隙間から白い肌がのぞいた。そこに、不自然な色むらがある。黄色と薄紫が混じったような、消えかけのあざ。すぐに、持ち主の手が裾を押さえた。
反射の速さに、アスミの喉がひくりと鳴る。
その手の爪には、くすんだ赤が残っていた。きれいに塗る余裕はなかったのだろう。根元だけ色がはげ落ち、縁が黒ずんでいる。すぐ前に並んでいる別の女性は、襟元を何度も直していた。
ボタンの位置をひとつ掛け違えているせいで、片側だけが妙に開いている。そこからのぞく鎖骨のあたりに、粉っぽい肌色の筋が見えた。上から厚く塗ったファンデーションが、うまく馴染めずに浮いている。
粉の下に隠したものを、想像してしまう。
「アスミ」
セリが小さく呼んだ。
「……うん」
答えながらも、視線は列から離れない。
列の少し後ろに、まだあどけなさの残る少女がいた。アスミより少し年下だろうか。借り物らしい大きなコートに身を沈め、袖の中に両手を隠している。裾からのぞく足首は、赤くなっていた。靴は合っていない。かかとが半分浮いたまま、歩くたびにつま先が先に地面を探る。
ゲート側から、中立国兵の怒鳴り声が飛んだ。意味は分からないが、調子は荒い。
少女の肩が、びくりと跳ねる。袖の中から、そっと片手が出た。
前に立つ女性のコートの裾を、迷うように掴む。袖口から覗いた手首には、細い赤い線がいくつも走っていた。縄か、何か固いもので強く縛られていた跡。すでに赤黒くなりかけている。
(見なかったことに⸺)
そう思うより先に、少女が顔を上げた。フードの影から覗いた瞳と、アスミの視線がぶつかる。
灰色とも薄茶ともつかない色。その奥が、どこか「空いて」いる。
驚きや恐怖が、何度も途中で止められたあとみたいに、表に浮かんでこない。
一秒もない、短い時間。
前が詰まり、列がじわりと動いた。少女はすぐに視線を落とし、前へ押し出されていく。接点はすぐ切れたが、その目だけが、アスミの胸の内側に焼き付いた。
「難民受付と医療テント、こっちって言ってたな」
セリが、列の先を顎で示す。
ゲート脇の大きな白いテント。入口には、中立国の役人らしい男と、連合軍の衛生兵が立っている。紙を受け取り、何かを尋ね、番号札を渡す。その先には、赤い十字が掲げられた医療テント。さらに奥には、警備兵が立つ小さなテントがいくつかあった。
アスミは無意識に息を浅くした。
「……普通の人ばっかりだ」
気づけば、言葉が漏れている。
「普通って?」
セリの問いは、責めるでもなく、ただ確認するようだ。
「服も、歩き方も……昨日まで、どこかで普通に暮らしてた人たちに見えるってこと。主婦とか、学生とか、店員さんとか……そんな、感じ」
「ああ」
セリは短く相槌を打つ。
「こっち側に来るまでは、戦争に関係ないはずだった人たち、だな」
列の前方で、ひとりの女性が足をもつれさせた。すぐ後ろの人が肩を支える。その女性のスカートの裾は裂けていて、焦って縫い合わせた糸が、歩くたびに引きちぎれそうに伸びている。
「……NTOは、ちゃんと守れてるのかな」
アスミは、自分でも唐突だと思う言葉を口にしていた。
セリは、すぐには答えなかった。彼の視線は遠く、車列の向こう側に投げられている。
「守れた人もいるし、間に合わなかった人もいる」
ようやく返ってきた言葉は、簡単で、それ以上でもそれ以下でもない。
「俺たちがここにいるのも、“これ以上”を増やさないためだ。……少なくとも、それくらいの意味はある」
「……うん」
納得したわけではない。でも、否定もできない。
ゲートの向こうで、誰かの笑い声が上がった。別の場所では怒鳴り声。
トラックのエンジン音と、荷台の鉄がぶつかる音。そのどれにも埋もれてしまいそうな、小さな子どもの泣き声が、一瞬だけ混じって、すぐに消えた。
「セリ。私たち、明日もここ?」
「明日は補給路の途中まで護衛して、そこで引き継ぎだってさ」
セリは腕時計をちらりと見てから、アスミに視線を戻す。
「アスミ。任務中に、全部見ようとするなよ」
「……見ちゃったから、困ってるんだけど」
自分でも驚くくらい、素直な返事になった。
セリはふっと目を細める。
「そういう時は、“見る場所”を決めるんだ」
「見る場所?」
「今は、列ぜんぶじゃなくて⸺」
セリはアスミの肩越しに、ゲートの向こうを見た。
「明日走る補給路。そこだけ見てろ。
そっちをちゃんと見てれば、少なくともあのトラックの中身は前線まで届く」
補給車列の先を見る。中立国の街の外へ伸びる一本の道。
その先には、まだ雪の残る山と、さらにその向こうに広がる北方の空がある。
「……分かった」
すぐに割り切れたわけではない。胸の奥にさっきの少女の瞳が、まだくっきり残っている。
それでも、目を逸らさないと前に進めないことがある、ということも分かっている。
「じゃあ私は、補給路を見る。セリは?」
「お前」
セリは、少しだけ口元を緩めた。
「俺は、お前を見る」
「は?」
思わずそちらを向くと、彼はいつもの冷静な表情に戻っていた。
「お前が変な無理しないかどうか、って意味だよ。俺のバディが壊れたら困るからな」
「……ちょっと。気持ち悪い言い方しないで」
セリの軽口に文句を言いながらも、アスミの肩の力がほんの少しだけ抜けた。
列は、まだ続いていた。テントの入口で一人ずつ立ち止まり、何かを飲み込んでから白い布の向こうに消え
ていく。戦争に巻き込まれた“普通の女の人たち”。それらを、アスミは胸の奥にそっと畳んでしまい込む。
捨ててしまうのではなく、今は動ける場所に押しやるように。
明日、補給路を護衛する時。今日見たものが、きっと頭をよぎる。
その時、自分がどうするのかまだ分からない。
ただひとつ分かるのは、北方基地からここまで延びてきた一本の道の上に、自分たちの足跡も、あの人たちの足跡も、同じように刻まれているということだった。




