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SKY  作者: RUI


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18/45

Sky18-机の上の避難-



 外の風が、司令室の窓を低く鳴らしていた。


 薄く曇ったガラス越しに見えるのは、いつも通りの雪と灰色の空。

 ——のはずなのに、部屋の中の空気はいつもより冷たかった。


 中央の卓上に、立体映像のウィンドウが浮かんでいる。


『……以上が、連合本部からの最新指針だ』


 映像の向こうにいるのは、スーツ姿の中年男だった。

 軍人ではない。肩章の代わりに、胸元に小さなバッジをいくつも付けている官僚タイプだ。


『北方第七基地は、今後“前線に準ずる防衛拠点”として扱う。Sランク搭乗員の運用についても、優先的な戦略配備を——』


「はいはい、聞こえてる」


 ハイルトン・グレイ大佐は、湯呑みを片手に、ソファにだらしなく腰を沈めたまま返事をした。


 第一ボタンは相変わらず開いている。

 ネクタイは……今日も見当たらない。


『古賀あすみ二等兵——オルタイト適性Sランク。今回の戦闘記録を拝見したが、非常に有用な戦力だ。今後は北方に留め置くのではなく、より直線的な前線艦隊への——』


「前線、ねぇ」


 ハイルトンは、わざとらしく言葉を切った。


『なにか?』


「確認したいんだが、本部さん」


 湯呑みを傾ける。

 茶をすすって、吐く息は軽い。


「北方第七基地は、“前線に準ずる”じゃなくて、“前線”ってことでいいんだな?」


『……表現上の問題だ。細かい——』


「“前線に準ずる”ってのはさ」


 ハイルトンは笑っている。

 でも、その目は笑っていない。


「本部が責任を持たないための便利な言葉だろ。現場だけ前線に放り込んで、紙の上じゃ準ずるで逃げる」


『——』


「いや、悪い悪い。俺、性格が悪いもんでさ」


 わざとらしく肩をすくめた。


「でもな、“前線”ってのは、“真っ先に死ぬやつがいる場所”だ。本部がそう呼ぶなら、それで構わねぇ。——ただし」


 そこで一拍置く。


「前線に昇格させるなら、前線らしく“子どもを下げる”許可も一緒に寄越せ。安全圏の施設に回すための輸送枠と、諸々の手続き一式」


『民間避難民の移送は、現場の判断で——』


「できねぇよ」


 珍しく、言葉を遮った。


「そっちが“前線”って言った。その口で、今さら“検討”はねぇだろ。本部ってのは、もっと偉そうに決めるもんだ」


 ハイルトンが湯呑みを卓に置いた。

 かちり、と乾いた音がして、司令室の空気が一段だけ締まる。


 見えないところで、どこかを押し込むような声音。


『……分かった。北方第七基地の民間避難民については、優先退避対象として扱う。輸送の便と受け入れ先については、後ほど正式な文書を——』


「それでいい」


 ハイルトンは、立体映像の窓を見上げた。


「あと、Sランク搭乗員の運用指針とやらも、文書で頼む。現場判断の余地は、こっちで勝手に詰める」


『了解した』


 通信が切れると同時に、司令室の空気が少しだけ緩んだ。


 ハイルトンは湯呑みを取って、また茶をすすった。


「……ったく。遅ぇんだよ、本部は」


 背後で、控えていた副官が小さく咳払いをする。


「大佐。避難の件、よろしいのですか」


「よろしいもなにも」


 ハイルトンは肩を回す。


「今の北方は、いつ砲撃が来てもおかしくない。前線に昇格するなら、子どもは下げる。それだけだ」


 副官が頷く。


「受け入れ先は?」


「南方の保護施設だ。連合本部の管轄じゃない。ゼルンハイト系のNGOが運営しているとこだ」


「さすがに、手が早いですね」


「手が早いのは、あすみがあれだけ目立ったからだろ」


 ハイルトンは、窓の外を一瞬だけ見た。


「……“赤い薔薇”。あの呼び名が外まで転がってりゃ、帝国だって黙ってねぇ。子どもを置いとく理由がひとつもない」


 副官の表情が固くなる。


「……つまり」


「うん。政治の臭いがする。北方はもう、そういう場所になった」


 ハイルトンは、湯呑みを持ったまま立ち上がる。


「だからこそ、あの子らは下げる。守れるものは守る。……守れないものが増える前にな」



 簡易居住区の一室。


 窓の外には雪。

 室内の古いストーブが、時々くぐもった音を立てている。


「ここ、“きょう”の分」


 低いテーブルの上に広げられたノートに、セリが赤ペンを走らせる。

 ペン先が紙を擦る音が、ストーブのくぐもった唸りに混ざった。


 ナイルは、腕を組んでその手元を睨みつけていた。

 ハルは、その横でひらがなの練習帳を一生懸命なぞっている。


「『ゆき』の“ゆ”が、ちょっと逆向きだな」


「……へぇ」


 ナイルは納得していない顔をした。


 セリは赤ペンを置いて、目を細める。


「逆向きでも読めるけど、教科書に合わせた方があとで困らない。な?」


 ナイルが鼻を鳴らす。


「……ふーん」


 その様子がどことなく、誰かに似ている気がして、あすみは思わず笑ってしまった。


「あすみさん、笑った」


 ハルが顔を上げる。


「……うん。ごめん」


「セリ、教えるの上手だね」



「意外とね」

 セリが、なんとも言えない顔で笑った。

 

廊下の向こうで、誰かが笑い混じりに言う声がした。——「赤い薔薇だってさ」


セリの視線が廊下の方を向いた。

「もう外に漏れてんのかよ、その呼び名……」


 あすみは、笑うこともできずに、曖昧な声を漏らす。


(……やっぱり、広がってるんだ)


 食堂でマルコがぼそっと言ったあだ名が、思ったよりずっと速く、外の世界まで転がっていったらしい。


 ハルはそれを知らないから、純粋に目を輝かせて言う。


「“あかい薔薇”のおねえちゃん、ニュースに出てたよ!」


 あすみの喉が、ほんの少し詰まる。


「……ニュース?」


「うん! すっごい人だって! でも、かわいかった!」


 ハルの言葉は無邪気で、残酷だった。


 セリが一瞬だけ、視線を外す。


「……へぇ」


 あすみは、笑うふりをした。


「そっか」


 それ以上、言えなかった。


 守れなかった子がいる。

 守れた子がいる。


 その差が、今も胸の奥で刺さっている。


 でも——


「ねえ」


 あすみは、話題を変えるように言った。


「ナイル。ハル。……近いうちに、ちょっとだけ、別の場所に行くかもしれない」


 ナイルが眉を寄せる。


「え。なんで」


「基地が、もっと危なくなったら……別の場所に行ってみるのも、悪くないかもしれないよ」


 ハルがぱっと顔を上げた。


「おひっこし?」


「うん。……避難、って言い方の方が近いかな」


 ナイルは、しばらく黙ったまま、窓の外を見ていた。


 雪。

 基地の壁。

 遠くに見える滑走路。


 あの避難列から連れてこられた時、ここはただの「知らない場所」だった。


 今は——


 雪かきの仕方を教えてくれた人がいて。

 宿題を見てくれる人がいて。

 食堂で、スープの残りをこっそり多めにしてくれる人がいて。


「……ここ、好きだけど」


 ナイルがぽつりと言った。


 その声が、あすみの胸を少しだけ締め付ける。


「うん」


 あすみは、ゆっくりと言葉を選んだ。


「ここは、“前線の前線”になっちゃうかもしれないんだって。……ここで暮らすのは、大人でも大変だよ」


 ナイルは、しばらく黙ったまま、窓の外を見ていた。


 そして、ぽつりと。


「……ハルだけでも、安全な場所に置いて、自分は基地に残りたい」


 そんな考えが、ほんの一瞬頭をかすめた。


 それが、どれだけ独りよがりかも、分かっている。


 あすみは、ゆっくりと言葉を選んだ。


「好きって思える場所を、ひとつ知ったならさ。きっと、またどこかで見つけられるよ」


 自分に言い聞かせるように。


「ここが、全部じゃない」


「……」


「いつか、ここにまた遊びに来ればいい。雪かき、手伝いに」


 ナイルの唇が、すこしだけ緩む。


「……あの、おじさん、怒るかな」


「たぬき司令?」


 思わず口から、笑いが漏れた。


「怒るかもな。……でも、許可くれたのもあの人だよ」


「……へんな、おじさん」


「へん…だけど、ちゃんと守る人だよ。」


 あすみはそう言って、ナイルの頭をぽん、と軽く撫でた。


「いつか、また来よう。……その時は、雪かき手伝ってね」


 ナイルは小さく頷く。

 ハルは、無邪気に笑った。


 ——ここは、もう“知らない場所”じゃない。

 それだけで、十分だった。


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