Sky18-机の上の避難-
外の風が、司令室の窓を低く鳴らしていた。
薄く曇ったガラス越しに見えるのは、いつも通りの雪と灰色の空。
——のはずなのに、部屋の中の空気はいつもより冷たかった。
中央の卓上に、立体映像のウィンドウが浮かんでいる。
『……以上が、連合本部からの最新指針だ』
映像の向こうにいるのは、スーツ姿の中年男だった。
軍人ではない。肩章の代わりに、胸元に小さなバッジをいくつも付けている官僚タイプだ。
『北方第七基地は、今後“前線に準ずる防衛拠点”として扱う。Sランク搭乗員の運用についても、優先的な戦略配備を——』
「はいはい、聞こえてる」
ハイルトン・グレイ大佐は、湯呑みを片手に、ソファにだらしなく腰を沈めたまま返事をした。
第一ボタンは相変わらず開いている。
ネクタイは……今日も見当たらない。
『古賀あすみ二等兵——オルタイト適性Sランク。今回の戦闘記録を拝見したが、非常に有用な戦力だ。今後は北方に留め置くのではなく、より直線的な前線艦隊への——』
「前線、ねぇ」
ハイルトンは、わざとらしく言葉を切った。
『なにか?』
「確認したいんだが、本部さん」
湯呑みを傾ける。
茶をすすって、吐く息は軽い。
「北方第七基地は、“前線に準ずる”じゃなくて、“前線”ってことでいいんだな?」
『……表現上の問題だ。細かい——』
「“前線に準ずる”ってのはさ」
ハイルトンは笑っている。
でも、その目は笑っていない。
「本部が責任を持たないための便利な言葉だろ。現場だけ前線に放り込んで、紙の上じゃ準ずるで逃げる」
『——』
「いや、悪い悪い。俺、性格が悪いもんでさ」
わざとらしく肩をすくめた。
「でもな、“前線”ってのは、“真っ先に死ぬやつがいる場所”だ。本部がそう呼ぶなら、それで構わねぇ。——ただし」
そこで一拍置く。
「前線に昇格させるなら、前線らしく“子どもを下げる”許可も一緒に寄越せ。安全圏の施設に回すための輸送枠と、諸々の手続き一式」
『民間避難民の移送は、現場の判断で——』
「できねぇよ」
珍しく、言葉を遮った。
「そっちが“前線”って言った。その口で、今さら“検討”はねぇだろ。本部ってのは、もっと偉そうに決めるもんだ」
ハイルトンが湯呑みを卓に置いた。
かちり、と乾いた音がして、司令室の空気が一段だけ締まる。
見えないところで、どこかを押し込むような声音。
『……分かった。北方第七基地の民間避難民については、優先退避対象として扱う。輸送の便と受け入れ先については、後ほど正式な文書を——』
「それでいい」
ハイルトンは、立体映像の窓を見上げた。
「あと、Sランク搭乗員の運用指針とやらも、文書で頼む。現場判断の余地は、こっちで勝手に詰める」
『了解した』
通信が切れると同時に、司令室の空気が少しだけ緩んだ。
ハイルトンは湯呑みを取って、また茶をすすった。
「……ったく。遅ぇんだよ、本部は」
背後で、控えていた副官が小さく咳払いをする。
「大佐。避難の件、よろしいのですか」
「よろしいもなにも」
ハイルトンは肩を回す。
「今の北方は、いつ砲撃が来てもおかしくない。前線に昇格するなら、子どもは下げる。それだけだ」
副官が頷く。
「受け入れ先は?」
「南方の保護施設だ。連合本部の管轄じゃない。ゼルンハイト系のNGOが運営しているとこだ」
「さすがに、手が早いですね」
「手が早いのは、あすみがあれだけ目立ったからだろ」
ハイルトンは、窓の外を一瞬だけ見た。
「……“赤い薔薇”。あの呼び名が外まで転がってりゃ、帝国だって黙ってねぇ。子どもを置いとく理由がひとつもない」
副官の表情が固くなる。
「……つまり」
「うん。政治の臭いがする。北方はもう、そういう場所になった」
ハイルトンは、湯呑みを持ったまま立ち上がる。
「だからこそ、あの子らは下げる。守れるものは守る。……守れないものが増える前にな」
*
簡易居住区の一室。
窓の外には雪。
室内の古いストーブが、時々くぐもった音を立てている。
「ここ、“きょう”の分」
低いテーブルの上に広げられたノートに、セリが赤ペンを走らせる。
ペン先が紙を擦る音が、ストーブのくぐもった唸りに混ざった。
ナイルは、腕を組んでその手元を睨みつけていた。
ハルは、その横でひらがなの練習帳を一生懸命なぞっている。
「『ゆき』の“ゆ”が、ちょっと逆向きだな」
「……へぇ」
ナイルは納得していない顔をした。
セリは赤ペンを置いて、目を細める。
「逆向きでも読めるけど、教科書に合わせた方があとで困らない。な?」
ナイルが鼻を鳴らす。
「……ふーん」
その様子がどことなく、誰かに似ている気がして、あすみは思わず笑ってしまった。
「あすみさん、笑った」
ハルが顔を上げる。
「……うん。ごめん」
「セリ、教えるの上手だね」
「意外とね」
セリが、なんとも言えない顔で笑った。
廊下の向こうで、誰かが笑い混じりに言う声がした。——「赤い薔薇だってさ」
セリの視線が廊下の方を向いた。
「もう外に漏れてんのかよ、その呼び名……」
あすみは、笑うこともできずに、曖昧な声を漏らす。
(……やっぱり、広がってるんだ)
食堂でマルコがぼそっと言ったあだ名が、思ったよりずっと速く、外の世界まで転がっていったらしい。
ハルはそれを知らないから、純粋に目を輝かせて言う。
「“あかい薔薇”のおねえちゃん、ニュースに出てたよ!」
あすみの喉が、ほんの少し詰まる。
「……ニュース?」
「うん! すっごい人だって! でも、かわいかった!」
ハルの言葉は無邪気で、残酷だった。
セリが一瞬だけ、視線を外す。
「……へぇ」
あすみは、笑うふりをした。
「そっか」
それ以上、言えなかった。
守れなかった子がいる。
守れた子がいる。
その差が、今も胸の奥で刺さっている。
でも——
「ねえ」
あすみは、話題を変えるように言った。
「ナイル。ハル。……近いうちに、ちょっとだけ、別の場所に行くかもしれない」
ナイルが眉を寄せる。
「え。なんで」
「基地が、もっと危なくなったら……別の場所に行ってみるのも、悪くないかもしれないよ」
ハルがぱっと顔を上げた。
「おひっこし?」
「うん。……避難、って言い方の方が近いかな」
ナイルは、しばらく黙ったまま、窓の外を見ていた。
雪。
基地の壁。
遠くに見える滑走路。
あの避難列から連れてこられた時、ここはただの「知らない場所」だった。
今は——
雪かきの仕方を教えてくれた人がいて。
宿題を見てくれる人がいて。
食堂で、スープの残りをこっそり多めにしてくれる人がいて。
「……ここ、好きだけど」
ナイルがぽつりと言った。
その声が、あすみの胸を少しだけ締め付ける。
「うん」
あすみは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「ここは、“前線の前線”になっちゃうかもしれないんだって。……ここで暮らすのは、大人でも大変だよ」
ナイルは、しばらく黙ったまま、窓の外を見ていた。
そして、ぽつりと。
「……ハルだけでも、安全な場所に置いて、自分は基地に残りたい」
そんな考えが、ほんの一瞬頭をかすめた。
それが、どれだけ独りよがりかも、分かっている。
あすみは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「好きって思える場所を、ひとつ知ったならさ。きっと、またどこかで見つけられるよ」
自分に言い聞かせるように。
「ここが、全部じゃない」
「……」
「いつか、ここにまた遊びに来ればいい。雪かき、手伝いに」
ナイルの唇が、すこしだけ緩む。
「……あの、おじさん、怒るかな」
「たぬき司令?」
思わず口から、笑いが漏れた。
「怒るかもな。……でも、許可くれたのもあの人だよ」
「……へんな、おじさん」
「へん…だけど、ちゃんと守る人だよ。」
あすみはそう言って、ナイルの頭をぽん、と軽く撫でた。
「いつか、また来よう。……その時は、雪かき手伝ってね」
ナイルは小さく頷く。
ハルは、無邪気に笑った。
——ここは、もう“知らない場所”じゃない。
それだけで、十分だった。




