表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SKY  作者: RUI
REDROSE

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/120

Sky17-赤い折り紙

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 誰かが、呼んでいる気がした。

 深い水の底から、名前だけがぼんやり浮かんでくる。


「……レイナー二等兵」

 硬い声。聞き覚えのある響きだった。

「レイナー。起きられるか?」


 瞼が重い。ゆっくりと持ち上げると、視界の半分が白で埋まった。

 天井。白いカーテン。鼻に抜ける消毒液の匂い。

 規則正しく鳴る医療モニターの電子音が、遅れて耳に届く。


(……医務室)


 そこまで思い出した時、こめかみの奥がきゅっと痛んだ。


「……っ」

 思わず眉をしかめると、視界の端に影が差し込む。

「起きたか、レイナー二等兵」


 眼鏡越しにこちらを覗き込んでいたのは、シラトだった。白衣の袖口から覗く端末が、淡い青色の光を返している。

「ここは北方第七基地の医務室。分かるか?」

「……はい。……頭が、ちょっと痛いです」

「だろうな」

 シラトは苦笑しながら、手元の端末を操作する。

「オルタイト出力が限界値を超えた。しばらくは頭痛と倦怠感、それから眩暈が出る可能性が高い。驚くほど“普通の症状”だが、油断は禁物だ」


 その言い方が少しおかしくて、アスミはかすかに笑いそうになった。

「どのくらい……寝てましたか」

「戦闘終了から、丸一日弱。今は翌日の午前だ」


 ――翌日。

 そこで、記憶がようやく連続する。


 山裾。砲座。赤く染まったバー。雪をえぐる閃光。

 砲身を引き抜いた瞬間の、世界の輪郭が変わる感覚。そして、帰投ルートの途中で視界が白く滲んだところまで。


「……基地は?」

 喉が少し渇いていた。それでも、その問いだけは最初に出てきた。


 シラトは、はっきりと頷いた。

「外周壁は抉られたが、シェルターは無事。民間人の死者はゼロ。……君が、砲座を“抜いてくれた”おかげだな」

「……よかった」


 本当に、心からそう思った。

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。同時に、少しだけ怖くもなった。


 オルタイト反応値が、あれほどはっきり「赤」に染まるなんて。

 分かってはいた。けれど、実戦で起きたことを思い出すだけで、指先がじんと重くなる。


「他に、変な自覚症状は?」

「……ちょっと、世界が……近かった、です」

「近かった?」

 シラトが首をかしげる。

「雪とか、音とか……砲座の中とか。全部、線みたいに見えて……どこをどう通れば当たらないか、頭の中に勝手に浮かんで」


 言葉にすると、ますます現実味が薄くなる。


「怖かったか?」

「……踏み込む前は。踏み込んだ後は、あんまり」

 自分で答えながら、アスミは少しだけ目を伏せる。

「……怖いのは、その先に行かなかった時の方でした」


 砲撃で吹き飛ぶ基地。シェルターごと埋まる地下。兄妹の声が途切れる瞬間。

 そのイメージの方が、よほど怖かった。


 シラトは、しばらく黙って彼女を見つめていた。

 やがて、小さく息を吐く。


「正直に言うとな」

 カルテを閉じ、椅子の背にもたれかかる。

「君みたいな反応値の持ち主は、医者としては“扱いたくない患者”だ」

「……え?」

「出力を絞れば、誰よりも頼りになる盾になる。踏み込み方を間違えれば、自分も周りも焼きかねない。だからみんな、君に期待しながら、同じくらい怖がってる」


 アスミは、一瞬だけ言葉を失った。


(怖がられてる)


「……でも、今回の“赤”は、ギリギリのところで引き戻せている。バイタルログを見る限り、身体の限界を無視して暴走していたわけではない」

 端末を軽く叩きながら言う。

「君が“嫌だ”と思ったところで止めたのか、オルタイトがそこで止まってくれたのかは分からない。でも、事実として――基地は生きているし、君もこうして話をしている」


 シラトは、端末の表示を落とした。


「褒めはしない。あれを繰り返されたら、医務室がもたないからな」

「……はい」

「ひとまず、今日一日はここでおとなしくして。夕方までは観察入院。その後は、司令の判断だ」


 シラトが立ち上がりかけて、ふと思い出したように振り返る。

「あぁ、そうそう」

「?」

「君のあだ名、勝手に決まりそうだから、覚悟しておいた方がいい」

「……あだ名?」

 アスミが首をかしげると、シラトは表情を変えずに言った。

「そのうち嫌でも耳に入る。北方は、噂が回るのが早い」


 そう言い残して、カーテンの向こうへ消えていった。

 カーテンレールが、小さく乾いた音を立てた。


 *


 医務室のカーテンの外側、壁際のパイプ椅子にはセリが丸くなって寝ていた。

 制服の上着を羽織ったまま、腕を組んで椅子に座り、首を傾げた不自然な姿勢。

 長くなった前髪が額にかかり、寝息は驚くほど静かだ。


 シラトがそっと肩に触れる。

「アンダーソン二等兵」

「……っす」


 短く返事をして、セリは反射的に背筋を伸ばした。

 次の瞬間、自分がどこにいるか思い出したらしく、慌てて立ち上がる。


「すみません、寝てました」

「そのまま床で寝られるよりはマシだ。首、痛くないか?」

「……まあ、ちょっと。で、アスミは?」

「目を覚ました。頭痛と倦怠感はあるが、命に別状なし。それと――」


 シラトは、さっきと同じ説明をもう一度、端的に伝える。

 セリの顔が少しだけ強ばった。


「ログを見る限り、“自爆覚悟”みたいな踏み込み方ではなかった。それだけは救いだ」

「……あいつ、自分には甘いくせに、他人のためには平気で無茶するから」

 セリは苦々しそうに言った。

「俺が見てれば止められる、なんて、自信はないですけど」

「君が止める役なのか、飛ばせる役なのかは分からないが、今回のログは本部に送られたからな」


 シラトが少しだけ意味ありげに言った。

 セリはシラトを一瞬見ると、医務室のカーテンへ視線を戻した。


「中を覗いても構わんが、刺激はしないように。……怒って泣かせるなよ」

 シラトはそう言うと、廊下を歩いて行った。


「泣くのは俺だっての」

 セリは、そう呟くと、小さく舌打ちをするような顔でカーテンに手をかけた。


 *


 食堂は昼のピークを少し過ぎた時間帯で、騒がしさがまだ残っていた。

 金属の食器が重なる音と、湯気の匂い。任務明けの兵士たちの声が、天井の低い照明に混ざっている。


「でよ、その瞬間よ」

 マルコ伍長が、テーブルに肘をつきながら身振り手振りを交えて話している。

「雪庇のとこから、スコンって飛び出してさ。砲台の真上まで行くじゃん?」

「うんうん」

「そっからクルッと半回転して、砲身ぶっこ抜きだぞ? あれ見て股関節と腰を心配したの、俺だけか?」

「股関節心配するなよ」


 向かいに座る地上兵が、笑いながらスプーンを回す。

「普通、あのタイミングで“生きて帰って来るかどうか”だろ」

「それも心配してたよ! でもさぁ……」


 マルコは、テーブルの上に例のスープ皿を置き直し、指でぐるぐると縁をなぞった。

「最後、砲座んとこが薔薇みたいに開いたろ。赤く」

「言い方」

「いやマジで。雪と煙と火花が混じって、あんな色になるか普通?」


 隣のラルフが、少しだけ顔をしかめる。

「あんま楽しそうに言わないでくださいよ。あっち側は、たぶん地獄なんですから」

「楽しんでるわけじゃねぇって。ただ……」


 マルコは、さっき自分の口から出た言葉を思い出す。


『北方の赤い薔薇だな、ありゃ』


「口から勝手に出ちゃったんだよ。なんか、しっくりきちまってな」

「言い得て妙なのが腹立つんですよね……」

 ラルフはため息をつく。

「で、それをまた食堂で広めてるマルコ伍長の悪癖ですよ。本人にバレたら、どう責任取るつもりなんですか」

「やべ。本人には絶対言うなよ」


 自覚だけはあるらしい。


「でもさ、結果的に基地守ったのはあいつだぜ? あの兄妹も、避難集落も、司令棟も。誰かがあの砲座止めなきゃ、ここ全部穴あきチーズになってた」

「……それは、そうですけど」

「だからさ」

 マルコは、スプーンでスープをひとすくいし、口に運ぶ。

「怖えのも分かるけどよ、俺は“あいつが味方で良かった”って方が先に来るんだわ」


 その言葉に、そこにいた何人かが、小さく頷いた。


「北の赤い薔薇、ねぇ……」

「通信室にももう話回ってきてますよ。『あの子』ってだけで通じる時点で、割と終わってます」

「やっぱそうか」


 笑い声が、湯気と一緒に天井に昇っていく。

 医務室のベッドの上で眠っている本人に、その噂が届くのは、たぶんそう遠くない。


 *


 司令室の窓越しに見える外周壁には、まだ昨日の傷跡が生々しく残っていた。

 黒く抉れた外壁。修理班のクレーンが行き来し、溶接の火花が雪の上に散る。


「……赤いな」

 モニターに映る戦闘ログを眺めて、ハイルトンがぼそっと呟いた。


 隣の画面には、オルタイト反応値のグラフ。

 緑から黄色、オレンジへ。そこから一気に跳ね上がって、深い赤のゾーンに滑り込んでいる。

 それは、きれいと言えばきれいで、同時にぞっとする色でもあった。


「踏み込みすぎですね」


 キヌア中尉が腕を組んだまま言う。

「普通は、黄色の中で足がすくみます。あそこまで行って、“嫌だ”の一言で踏み切る新人は、あまり見たくありません」


「医務班はなんて?」

「身体的なダメージは“軽度のリバウンド”扱いに収まっています。脳波も異常なし。ただ――」

 キヌアは別のレポートを表示させる。

「興味深いことがひとつ。出力ピークの直前、心拍数が一瞬だけ下がっています」

「下がる?」

「ええ。普通は恐怖や興奮で跳ね上がるところが、あの子は一瞬、すとんと落ちています。そのあと、『嫌だ』と呟いたタイミングでまた上がる」


 ハイルトンは眉を上げた。

「……怖がって、震えながら踏んだわけじゃない、ってことか」

「たぶん、『それ以外の選択肢を捨てた』時の心拍ですよ。――あの兄妹の顔でも浮かべたんでしょう」


 ナイルとハルの避難ログが、隅に小さく映る。

 ハイルトンは、無精髭を指で撫でながら、しばらく黙っていた。


「どうします? 中央本部にはすでに戦闘ログが届いていると思いますが」

「簡単な話じゃないな」

 ハイルトンは、窓の外に視線を滑らせる。

「上から見れば、“兵器”だ。オルタイトの塊に、自我がくっついてるようなもの。前線に出せって話がすぐにくるだろう」


 キヌアは、ハイルトンが見ていた画面へ視線を移した。

「でも、現場から見れば“盾”です。あれだけの火力を一瞬で殺せる子は、そうはいません」


 ハイルトンは、机の上に置かれた古い写真立てにちらりと目をやった。

 若い頃の自分。ノーザンクロス。そこに並ぶ、懐かしい顔ぶれ。


「……あいつらが残した“願い”を、途中で放り投げる趣味はない」


 写真には、小さな女の子を抱き上げるパイロットスーツの男と、微笑んでいる妻。

 その隣には、子どもを抱き上げている白衣の女性医師と、髪をかき上げて笑っているパイロットスーツの青年が写っている。


 ケイ・レイナー。

 ノエル。

 ミュラー。

 それから――カイトとエリン。


「“純粋なオルディア”を、こっち側で生かして戻す。それがノエルの条件だった」

 ハイルトンは写真を眺めながら静かに言った。


「本人には言わないんですか?」

「言えるわけないだろ。あの目で睨まれるのはごめんだ」

 ハイルトンは小さく笑った。

「当面は、今まで通りだ。無茶はさせない。けど、引き剥がしもしない。“こっち側”で戦い方を覚えさせる。中央本部からの前線投入の打診は、極力止めておけ」


 キヌアがため息を落とす。

「……楽な道ではないですね」

「楽な道なら、北に左遷されてないさ」


 ハイルトンの目の奥だけが、わずかに鋭く光る。

「ケイの娘ってだけで、中央の奴らは喉から手が出るくらい欲しがってる。俺ができるのは、ここに長く止めることだけだ」


 ハイルトンは、窓の外へ再び視線を移した。

 外では、溶接の火花が雪に落ち、すぐに消えていく。


 *


 夕方になると、医務室の窓から西陽が差し込んだ。

 窓の外の雪に夕陽が反射して、細かい光の粒が雪原一面に広がっていた。


 アスミがベッドから窓の外を眺めていると、誰かが医務室の前に立った。

 人影の背は低い。

 アスミがそれに気づき、ベッドから降りてドアに手をかけると、廊下を走り去っていく足音がした。


 ドアを開けると、赤い紙で折られた花が一つ置いてあった。


 アスミはそれを拾い上げると、周囲を見回したが、廊下にはもう誰もいなかった。

 顔の前で赤い紙の花をくるりと動かして、少しだけ微笑む。


「可愛い」


 きっとハルかナイルが置いてくれたんだろうと、すぐに分かった。

 アスミは、手の中にあるその花を、ベッド脇に吊るした上着の胸ポケットへ入れた。


 オルタイトに反応する特別な血。

 上限を振り切っても、壊れずに戻ってこられる身体。

 そのおかげで基地を守れた。ナイルとハルを、自分の居場所を守れた。


 それが、ほんの少しだけ誇らしかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ