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SKY  作者: RUI
REDROSE

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16/117

Sky16ー雪原の薔薇ー

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 



 世界が、一瞬、音を失った。

 そう思うほどの衝撃だった。


 司令室の窓が、鈍い音を立てて揺れる。天井から細かな粉雪のように石膏が落ち、机上のカップがかすかに跳ねた。


「今のは⸺」

「基地近郊に着弾。南西側の外周壁です!」

 オペレーターが叫び、別のモニターに切り替える。

 雪に覆われた外周壁の一角が、黒く抉れていた。白と灰と、爆炎の名残の煤が混ざり合う。


「砲撃……距離は?」

「山裾からの長距離砲です。位置、このライン⸺」


 地図上に、細く赤い線が引かれる。

 北東へ向かう避難ルートとは別に、南西側の山脈から、基地へまっすぐ伸びる一本の射線。


「……完全に、“ここ”狙いってわけか」

 ハイルトンは低く呟いた。


 避難ルートを狙う部隊とは別に、もうひとつ⸺基地そのものを沈めるつもりの砲兵隊がいる。


「照準修正の周期は?」

「一発撃って、三十秒前後ごとに位置微調整してます。二、三発目で⸺」

 オペレーターの喉が、ごくりと鳴る音がマイク越しに聞こえた。


「⸺司令棟、直撃コースに」

 司令室の空気が、一瞬だけ凍る。

「地下のシェルターは?」

「避難集落からの民間人は、ほぼ収容完了。……まだ搬送中の子も数人……」

 小さく表示された、地下シェルター内のモニターに、見覚えのある顔が映った。

 ナイルとハルの親子だ。薄い毛布を肩にかけ、狭いシェルターの隅で身体を寄せ合っている。

 不安を隠せていない目で、頭上の揺れをじっと見上げていた。


「……」

 ハイルトンは、静かにカップを置いた。

「ヴィーラに打ち返させるしかない。山裾の砲座を潰せるやつは?」


「戦闘空域のマップ、更新します。現在戦闘中の機は⸺」

 マップを拡大すると、山の稜線の影に、微かに熱源の群れが見えた。雪に埋もれた長距離砲座と、それを護る装甲車両の輪郭。


 《……マジかよ》

 別回線から漏れたマルコの声は、半分笑い、半分引きつっていた。

 《あそこ、地対空も対装甲もガチガチだぞ。雪庇の下に潜ってやがる》


「アルファ小隊は?」

「アルファ1は上空、航空戦継続中。アルファ3は弾薬残量がギリギリで、いったん補給に戻してます。アルファ2のみ、稼働可能」


 司令室の視線が、一斉に一箇所へ集まる。

 マップの中央近く。

 避難ルートと基地のちょうど中間、高度の低い軌道を滑っている一機⸺


 アルファ2。アスミ・レイナー。


「……一機でやれるか?」

 誰かの呟き。

「やらなきゃ、ここまで吹き飛びます」

 リーサ軍曹が淡々と言った。


 *


 《アルファ2》

 耳の中に、司令室直通の回線が割り込んできた。

「……聞こえてます」

 アスミは、ヘルメット越しに短く答える。

 さきほどまでの戦闘で、手足は鉛みたいに重い。それでも、視界の中の世界はまだはっきりしていた。

 息を吸って、吐く。肺に入る空気は冷たく、少しだけ金属の匂いがする。


 《南西の山裾に、長距離砲座が隠れてる。今、その一発が基地外周を抉った》


「外周……」

HUDの角に小さく映る映像には、黒く焦げた壁。雪煙に混ざって舞う黒い粉。


 《次の一発が、基地の上に落ちる。このまま撃たせれば、シェルターも巻き込まれる》

 地下のモニター映像が、ほんの一瞬だけ優先表示される。

 ハルが、頭上を見上げたタイミングと、基地の天井がかすかに鳴るタイミングが重なった。


(……ここを抜かれたら⸺)

 胸の奥に、冷たい何かが落ちる。

 守りたい対象に、初めて「基地」がはっきり入った気がした。

 北方基地

 難民の村

 避難民

 全部ひっくるめて、ここが、自分の「いる場所」だ。


 《アルファ2、聞こえるか》

 リーサの声が、少しだけ柔らかくなる。

 《正直に言う。ここを抑えられる機体は、今、お前しか飛んでない》

 少し間があった。

 《……行けるか》

「行け」とは言わない。それでも、その問いかけの意味ははっきりしていた。


 アスミは、自分の指先を見た。手袋越しでも、操縦桿を握る指が薄く震えているのが分かる。


(怖いのは⸺)

 さっき、オレンジ色の一歩手前まで踏み込んだ感覚が、まだ身体のどこかに残っている。

 あの先。信号の色が、黄色から赤へ変わる場所。


(怖いのは、“そこ”じゃない)

 少しだけ笑ってしまう。怖いのは、その先に踏み込まないで、ここを焼かせることの方だ。


「……行きます」

 静かに言った。

「アルファ2、南西山裾の砲座を叩きます。ルート、ください」


 《了解。アルファ2に攻撃ルート送信⸺》

 HUD上に、新しいラインが浮かび上がる。山の谷間を縫って、雪庇の影に潜り込む一本の細い軌道。

 対空砲座の死角をぎりぎり通れる、紙一重のルート。


 《ただし、あれを素の出力で抜けた例はない。……オルタイト出力は、お前の判断に委ねる》

「責任重大ですね」

 《元から重大だ》

 リーサのあっさりした返しに、あすみはほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 *


 山裾は、低い雲の影になっていた。雪と岩と氷が、灰色の濃淡だけで世界を塗っている。

 その中に、人工的な直線⸺砲身の影と、装甲車両の輪郭。

 遠くから見れば、ただの小さな黒い塊だ。だが、そのひとつひとつが、ここにいる全員の生死を握っている。


 《砲兵隊、装填動作入りました! 次弾発射まで約二十秒!》


 司令室の声が高くなる。同時に、砲身の角度がわずかに変わる映像が映った。

 今度は、本当に基地を狙っている。


「出力、上げます」


 自分で宣言してから、スライダーに触れる。信号がまた緑から黄色へ上り始める。


 《アルファ2、出力八十五パーセント⸺》


 胸が熱くなる。視界が、少しだけ色を増したように感じる。


 黄色。オレンジ。


 《九十五⸺九十七⸺》


「……っ」

 ヘルメットの内側で、歯を強く噛む。

 さっきの「ギリギリ」の場所を越えるのに、ほんの僅かな勇気が要った。


(ここを抜かれたら、あの子たちも⸺)


 ナイルの硬い横顔。ハルの震える指。

 ラルフが「こいつはわが子」みたいに撫でていたヴィーラ。

 マルコの「守るために銃を持つ」って言った顔。リーサの声。

 ハイルトンの、だらしない制服。


 みんな、この白い基地の中にいる。

その全部が、爆炎の向こうに消えるイメージを、あすみは一度だけはっきり思い描いた。

 そして⸺


(嫌だ)

 その一言だけを、胸の奥で強く握りしめる。指先が、ほんの少しだけ操縦桿を押し上げた。


 《⸺出力、限界値超過!》

 警告音が、耳の中で一段高く跳ねる。


 《OR反応値、規定値をオーバー! 赤域に突入!》


 HUDの右側。ミュラー教官に怒られていた、あの色、それが、滑らかなグラフの上を染めた。

 黄色でもオレンジでもない。

 深い、薔薇の花びらみたいな赤。


 視界の端で、その色がふっと滲んで見えた。


 *



 世界の輪郭が変わった。雪の粒が、ひとつひとつ見える。

 空気の密度に、濃いところと薄いところがはっきり分かる。


 砲座の影。

 砲身の微妙な角度。

 兵士たちの動き。


 全部が、線と点になって、頭の中に「当たる、当たらない」の図として浮かぶ。


(……あ、これ、まずいな)

 どこか冷静な自分が、ぽつりと呟いた。でも、その「まずさ」に浸っている時間はなかった。

 スラスターを吹かす。機体が、雪原から弾かれた矢みたいに飛び出した。


 今までと同じスロットル位置なのに、加速が違う。身体にかかる重力も重くなっているはずなのに、不思議と苦しくない。逆に、身体の方が機体に引っ張られていく。雪庇の影をなぞる動きが、ピアノの鍵盤を滑る指みたいに滑らかだった。

対空砲火が遅れて上がる。白い光の線が、後ろに流れていく。一瞬だけでも判断が遅れたら、ここで撃ち落とされる。

 それを理解しているのに、恐怖よりも届くというその確信の方があった。

 砲座が見えた。

 雪と岩を掘り下げて作られた半地下の砲台。長距離砲身が、基地の方向へ向けられている。

 砲口の中で、淡い光が脈動していた。


 《発射まで、残り五秒⸺》

 遠い誰かの声。


 その一瞬の間に、アスミはルートを決める。

 真正面からでは間に合わない。砲身をへし折るだけの時間もない。

 それなら、砲身ごと、「根元」から引きちぎればいい。


「行くよ」

 誰にともなく呟いた。

 機体の左脚を、雪庇の縁に押し当てる。ほんの一瞬だけ反発力を借りる。

 そのまま、砲座の真上を飛び越え背中側のスラスターを、逆噴射した。

 機体を半回転させながら、砲座の内側へ落ちていく。


 真下に見えるのは、砲座の天井。雪を削って固められたコンクリートの輪。

 アスミは、機体の腕を伸ばした。白銀の右腕が、砲身の基部に向かって伸びて握った。

 金属と金属がぶつかる嫌な感触。骨の芯まで響く振動。

 そのまま、全身の力で引き抜いた。


「⸺っ!」

 世界が、赤い線で裂けたように感じた。砲身が根元から軋みを上げる。

 固定フレームが、悲鳴のような音で割れる。オルタイト出力信号が、真っ赤に跳ね上がった。


 《負荷限界! 関節部に異常値⸺》

 警告の声が怒涛のように溢れる。


 それでも、右腕は離さなかった。砲身が、雪と鉄くずと一緒にもぎ取られる。

 同時に、砲座から伸びていた配線が火花を散らした。


 赤い。

 火花の色か、自分の視界に滲んだ色か、区別がつかない。

 ただひとつはっきりしているのは砲口の中の光が、そこで完全に途切れたこと。


「終わった」

 息が、勝手に漏れた。


 *


 外から見れば、それは一瞬の閃光だった。

「なんだ、今の動き……」

 地上防衛隊の塹壕から見ていたマルコは、ぽかんと口を開けたまま呟いた。

 雪原の上。一機のSKYが、山の影へ飛び込んだと思った瞬間、砲座の上で、薔薇がひとつ、開いたように見えた。


 赤い爆ぜ方だった。

 いつもの火と煙の色じゃない。夕日の色に似た、でももっと濃くて冷たい、薔薇色の閃光。

 その中心から、白銀の機体が抜け出してくる。右腕には、砲身を半分引きちぎったままぶら下げて。

「……おいおい」

 隣の兵士が、笑うしかないという顔で口笛を吹いた。

「なんだありゃ。花びら撒き散らしてるみてぇじゃねぇか」

「撃ってる奴の方は、血の気引いてるだろうよ」

 マルコは、轟音と震動の向こうで、いつか聞いた言葉を思い出した。

 ラルフが、アスミの機体に名前をつけたがっていた時のことだ。

『北方の白い花、って感じじゃないですかね、あの子』

 あのときは笑って流した。


 今、目の前で見ている光景は⸺

 白い花どころではない。雪原の上に咲いた、真っ赤な何か。

「……北方の赤い薔薇、だな、ありゃ」

 ふと口から零れた言葉に、自分で少し驚く。

「は?」

 隣の兵士が聞き返す。

「いや、ほら見ろよ。雪の上に赤いの撒き散らして、あの綺麗な顔してよ」

 遠く、モニター越しの拡大映像には、ヘルメットを被った少女の横顔が一瞬だけ映る。

 視界の外側に赤い反応値のバーが光っている事など、彼らは知らない。


「こっちの味方で良かったって話だ」

 誰かがそう言って笑い、その場にいた何人かが「確かに」と頷いた。

 その何気ない会話が、数時間後には食堂に届き、

 さらに一日後には「北方の赤い薔薇」という言葉だけが、基地中を一人歩きする

 ことになる。


 *


 《アルファ2、出力、急激に低下!》


 医務観測室のモニターに、赤く跳ね上がっていた信号が、今度は逆方向に落ちていく。

「リバウンドだ。神経負荷と一時的貧血⸺」

 《レイナー二等兵のバイタル、血圧低下、心拍数減少⸺》

ハイルトンがリーサに低い声で言った。

「すぐに帰投させろ。着陸まで持たせれば、あとはこっちでなんとかする」

思ったよりも早く、赤くなりやがった。

ハイルトンが阻止するよりも早く、戦闘ログは本部へと送信された。

 *


 コクピットの中。

 赤かった世界が、今度は逆に、色を失っていった。

「あ……れ」

 舌が、うまく回らない。

 さっきまで見えていた雪の粒も、砲座の細部も、薄い霧の向こう側に押しやられたようにぼやけていく。

 頭の奥が、締め付けられるように痛い。それなのに、感覚はどこか遠く、現実感が薄い。


 《アルファ2、聞こえるか。レイナー!》

 声が、水の底から聞こえてくるみたいに遠かった。

「……聞こえて、ます」

 喉から出たのは、自分の声とは思えないほど掠れた音。


 《帰って来い。あとは他がやる》

 グレンの声だと、気づくのに少し時間がかかる。

 機体が、自動制御に切り替わる。HUDに、帰投ルートが太く表示される。


(……帰る)

 その言葉だけを、胸のどこかに刻みつける。

 目を閉じたら、そのままどこかへ落ちていきそうだった。だから、必死で開けていた。

 雪原と、基地の輪郭。

 遠くに見えていたそれが、少しずつ近づいてくる。


 *

 コクピットのハッチが開いた瞬間、冷たい空気が頬を叩いた。

「アスミ!」

 タラップに駆け寄ったセリが、反射的に手を伸ばした。

 アスミのハーネスが外れ、身体が前へ傾ぐ。そのまま床に落ちそうになったところを、ぎりぎりで抱きとめる。


 軽い。いつもより、ずっと。

「おい、意識は?」


「……せ、り……?」

 かろうじて開いた目が、セリを捉える。焦点が合っているのかいないのか分からない。

 額には薄く汗。唇は少し白い。

「……よかった。……基地、残ってる」

それだけ言って、力が抜けた。


「おい、アスミ!」

 呼びかけに返事はない。だが、胸の上下はかすかに続いている。

「バイタルは生きてる。担架!」

 医務班が駆け寄り、ストレッチャーが滑り込む。


 アスミを乗せると、彼女の髪の先に、何かがかすかに付着しているのが見えた。

 赤い。

 血かと思って、セリは一瞬身構えた。


「……オルタイト光の残光、ですね」

 医務班のひとりが、冷静に呟いた。

「赤化の時だけ出る蛍光。……初めて実物を見ました」


 セリは何も言えず、その光を見つめる。

 雪の白と、髪の黒と、その先にほんの少しだけ混じった薔薇色。

「……バカ」


 小さく、誰に聞こえるわけでもなく吐き捨てた。


「自制しろって、教官に言われただろ…」


 それでも、基地の上に、まだ屋根があること。遠くから、避難車列の子供たちの声が、ちゃんと聞こえること。

 その全部が、目の前の少女の無茶の上に成り立っていることも、知っていた。


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