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SKY  作者: RUI


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16/44

Sky16ー雪原の薔薇ー

 



 世界が、一瞬、音を失った。



 ⸺と思うほどの衝撃だった。


 北方第七基地・司令室の窓が、鈍い音を立てて揺れる。

 天井から細かな粉雪のように石膏が落ち、机上のカップがかすかに跳ねた。


「今のは⸺」


「基地近郊に着弾。南西側の外周壁です!」


 オペレーターが叫び、別のモニターに切り替える。


 雪に覆われた外周壁の一角が、黒く抉れていた。

 白と灰と、爆炎の名残の煤が混ざり合う。


「砲撃……距離は?」


「山裾からの長距離砲です。位置、このライン⸺」


 地図上に、細く赤い線が引かれる。

 北東へ向かう避難ルートとは別に、南西側の山脈から、基地へまっすぐ伸びる一

 本の射線。


「……完全に、“ここ”狙いってわけか」


 ハイルトンは低く呟いた。


 避難ルートを狙う部隊とは別に、もうひとつ⸺


 基地そのものを沈めるつもりの砲兵隊がいる。


「照準修正の周期は?」


「一発撃って、三十秒前後ごとに位置微調整してます。二、三発目で⸺」


 オペレーターの喉が、ごくりと鳴る音がマイク越しに聞こえた。


「⸺司令棟、直撃コースに」


 司令室の空気が、一瞬だけ凍る。


「地下のシェルターは?」




「避難集落からの民間人は、ほぼ収容完了。……まだ搬送中の子も数人……」


 小さく表示された、地下シェルター内のモニターに、見覚えのある顔が映った。


 ナイルとハルだ。


 薄い毛布を肩にかけ、狭いシェルターの隅で身体を寄せ合っている。

 不安を隠せていない目で、頭上の揺れをじっと見上げていた。


「……」


 ハイルトンは、静かにカップを置いた。


「SKYに打ち返させるしかない。山裾の砲座を潰せるやつは?」


「戦闘空域のマップ、更新します。現在戦闘中の機は⸺」


 マップを拡大すると、山の稜線の影に、微かに熱源の群れが見えた。

 雪に埋もれた長距離砲座と、それを護る装甲車両の輪郭。


 《……マジかよ》


 別回線から漏れたマルコの声は、半分笑い、半分引きつっていた。


 《あそこ、地対空も対装甲もガチガチだぞ。雪庇の下に潜ってやがる》


「アルファ小隊は?」


「アルファ1は上空、航空戦継続中。アルファ3は弾薬残量がギリギリで、いった

 ん補給に戻してます。アルファ2のみ、稼働可能」


 司令室の視線が、一斉に一箇所へ集まる。


 マップの中央近く。

 避難ルートと基地のちょうど中間、高度の低い軌道を滑っている一機⸺


 アルファ2。

 古賀あすみ。


「……一機でやれるか?」


 誰かの呟き。


「やらなきゃ、ここまで吹き飛びます」


 リーサ軍曹が淡々と言った。




 *


 《アルファ2》


 耳の中に、司令室直通の回線が割り込んできた。


「……聞こえてます」


 あすみは、酸素マスク越しに短く答える。


 さきほどまでの戦闘で、手足は鉛みたいに重い。

 それでも、視界の中の世界はまだはっきりしていた。


 息を吸って、吐く。

 肺に入る空気は冷たく、少しだけ金属の匂いがする。


 《南西の山裾に、長距離砲座が隠れてる。今、その一発が基地外周を抉った》


「外周……」


 HUDの角に小さく映る映像には、黒く焦げた壁。

 雪煙に混ざって舞う黒い粉。


 《次の一発が、基地の上に落ちる。このまま撃たせれば、シェルターも巻き込まれ

 る》


 地下のモニター映像が、ほんの一瞬だけ優先表示される。


 狭い空間。

 震える肩。

 子供たち。


 ハルが、頭上を見上げたタイミングと、基地の天井がかすかに鳴るタイミングが

 重なった。


(……ここを抜かれたら⸺)


 胸の奥に、冷たい何かが落ちる。


 守りたい対象に、初めて「基地」がはっきり入った気がした。


 避難車列。

 兄妹。

 北方基地。


 全部ひっくるめて、ここが、自分の「いる場所」だ。


 《アルファ2、聞こえるか》




 リーサの声が、少しだけ柔らかくなる。


 《正直に言う。ここを抑えられる機体は、今、お前しか飛んでない》


 少し間があった。


 《……行けるか》


「行け」とは言わない。

 それでも、その問いかけの意味ははっきりしていた。


 あすみは、自分の指先を見た。


 手袋越しでも、ハーネスを握る指が薄く震えているのが分かる。


(怖いのは⸺)


 さっき、オレンジ色の一歩手前まで踏み込んだ感覚が、まだ身体のどこかに残っ

 ている。


 あの先。


 バーの色が、黄色から赤へ変わる場所。


(怖いのは、“そこ”じゃない)


 少しだけ笑ってしまう。


 怖いのは、その先に踏み込まないで、ここを焼かせることの方だ。


「……行きます」


 静かに言った。


「アルファ2、南西山裾の砲座を叩きます。ルート、ください」


 《了解。アルファ2に攻撃ルート送信⸺》


 HUD上に、新しいラインが浮かび上がる。


 山の谷間を縫って、雪庇の影に潜り込む一本の細い軌道。

 対空砲座の死角をぎりぎり通れる、紙一重のルート。


 《ただし、あれを素の出力で抜けた例はない。……オルタイト出力は、お前の判断

 に委ねる》


「責任重大ですね」


 《元から重大だ》


 リーサのあっさりした返しに、あすみはほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 *


 山裾は、低い雲の影になっていた。


 雪と岩と氷が、灰色の濃淡だけで世界を塗っている。


 その中に、人工的な直線⸺砲身の影と、装甲車両の輪郭。


 遠くから見れば、ただの小さな黒い塊だ。

 だが、そのひとつひとつが、ここにいる全員の生死を握っている。


 《砲兵隊、装填動作入りました! 次弾発射まで約二十秒!》


 司令室の声が高くなる。

 同時に、砲身の角度がわずかに変わる映像が映った。


 今度は、本当に基地を狙っている。


「出力、上げます」


 自分で宣言してから、スライダーに触れる。


 バーが、また緑から黄色へ上り始める。


 《アルファ2、出力八十五パーセント⸺》


 胸が熱くなる。

 視界が、少しだけ色を増したように感じる。


 黄色。

 オレンジ。


 《九十五⸺九十七⸺》


「……っ」


 ヘルメットの内側で、歯を強く噛む。


 さっきの「ギリギリ」の場所を越えるのに、ほんの僅かな勇気が要った。


(ここを抜かれたら、あの子たちも⸺)


 ナイルの硬い横顔。

 ハルの震える指。




 ラルフが「こいつはわが子」みたいに撫でていたSKY。

 マルコの「守るために銃を持つ」って言った顔。

 リーサの声。

 たぬき司令の、だらしない制服。


 みんな、この白い基地の中にいる。


 その全部が、爆炎の向こうに消えるイメージを、あすみは一度だけはっきり思い

 描いた。


 そして⸺


(嫌だ)


 その一言だけを、胸の奥で強く握りしめる。


 指先が、ほんの一ノッチだけスライダーを押し上げた。


 《⸺出力、限界値超過!》


 警告音が、耳の中で一段高く跳ねる。


 《OR反応値、規定値をオーバー! バーが赤域に突入!》


 HUDの右側。

 今まで見たことのない色が、滑らかなグラフの上を染めた。


 黄色でもオレンジでもない。


 深い、薔薇の花びらみたいな赤。


 視界の端で、その色がふっと滲んで見えた。


 *



 世界の輪郭が⸺変わった。



 雪の粒が、ひとつひとつ見える。


 空気の密度に、濃いところと薄いところがはっきり分かる。



 砲座の影。

 砲身の微妙な角度。

 兵士たちの動き。



 全部が、線と点になって、頭の中に「当たる/当たらない」の図として浮かぶ。




(……あ、これ、まずいな)





 どこか冷静な自分が、ぽつりと呟いた。


 でも、その「まずさ」に浸っている時間はなかった。


 スラスターを吹かす。


 機体が、雪原から弾かれた矢みたいに飛び出した。


 今までと同じスロットル位置なのに、加速が違う。

 身体にかかるGも重くなっているはずなのに、不思議と苦しくない。


 逆に、身体の方が機体に引っ張られていく。


 雪庇の影をなぞる動きが、ピアノの鍵盤を滑る指みたいに滑らかだった。


 対空砲火が遅れて上がる。

 白い光の線が、後ろに流れていく。


 一瞬だけでも判断が遅れたら、ここで撃ち落とされる。


 それを理解しているのに、恐怖よりも⸺


(届く)


 その確信の方が、ずっと先にあった。


 砲座が見えた。


 雪と岩を掘り下げて作られた半地下の砲台。

 長距離砲身が、基地の方向へ向けられている。


 砲口の中で、淡い光が脈動していた。


 《発射まで、残り五秒⸺》


 遠い誰かの声。


 その一瞬の間に、あすみはルートを決める。


 真正面からでは間に合わない。

 砲身をへし折るだけの時間もない。


 なら⸺


 砲身ごと、「根元」から引きちぎればいい。




「⸺行くよ」




 誰にともなく呟いた。


 機体の左脚を、雪庇の縁に押し当てる。

 ほんの一瞬だけ反発力を借りる。


 そのまま、砲座の真上を飛び越え⸺


 背中側のスラスターを、逆噴射。


 機体を半回転させながら、砲座の内側へ落ちていく。


 真下に見えるのは、砲座の天井。

 雪を削って固められたコンクリートの輪。


 あすみは、機体の腕を伸ばした。


 白銀の右腕が、砲身の基部に向かって伸びる。


 握った。


 金属と金属がぶつかる嫌な感触。

 骨の芯まで響く振動。


 そのまま、全身の力で⸺


「⸺っ!」


 引き抜いた。




 世界が、赤い線で裂けたように感じた。




 砲身が根元から軋みを上げる。

 固定フレームが、悲鳴のような音で割れる。


 オルタイト出力バーが、真っ赤に跳ね上がった。


 《負荷限界! 関節部に異常値⸺》


 警告の声が怒涛のように溢れる。


 それでも、右腕は離さなかった。


 砲身が、雪と鉄くずと一緒にもぎ取られる。


 同時に、砲座から伸びていた配線が火花を散らした。




 赤い。




 火花の色か、自分の視界に滲んだ色か、区別がつかない。


 ただひとつはっきりしているのは⸺


 砲口の中の光が、そこで完全に途切れたこと。


「⸺終わった」


 息が、勝手に漏れた。


 *


 外から見れば、それは一瞬の閃光だった。



「なんだ、今の動き……」



 地上防衛隊の塹壕から見ていたマルコは、ぽかんと口を開けたまま呟いた。



 雪原の上。

 一機のSKYが、山の影へ飛び込んだと思った瞬間⸺


 砲座の上で、薔薇がひとつ、開いたように見えた。



 赤い爆ぜ方だった。



 いつもの火と煙の色じゃない。

 夕日の色に似た、でももっと濃くて冷たい、薔薇色の閃光。


 その中心から、白銀の機体が抜け出してくる。


 右腕には、砲身を半分引きちぎったままぶら下げて。


「……おいおい」


 隣の兵士が、笑うしかないという顔で口笛を吹いた。


「なんだありゃ。花びら撒き散らしてるみてぇじゃねぇか」


「撃ってる奴の方は、血の気引いてるだろうよ」


 マルコは、轟音と震動の向こうで、いつか聞いた言葉を思い出した。


 ラルフが、あすみの機体に名前をつけたがっていた時のことだ。


『北方の白い花、って感じじゃないですかね、あの子』


 あのときは笑って流した。



 今、目の前で見ている光景は⸺


 白い花どころではない。


 雪原の上に咲いた、真っ赤な何か。




「……北方の赤い薔薇、だな、ありゃ」


 ふと口から零れた言葉に、自分で少し驚く。




「は?」


 隣の兵士が聞き返す。



「いや、ほら見ろよ。雪の上に赤いの撒き散らして、あの綺麗な顔してよ」


 遠く、モニター越しの拡大映像には、ヘルメットを被った少女の横顔が一瞬だけ

 映る。

 視界の外側に赤い反応値のバーが光っている事など、彼らは知らない。


「こっちの味方で良かったって話だ」


 誰かがそう言って笑い、その場にいた何人かが「確かに」と頷いた。


 その何気ない会話が、数時間後には食堂に届き、

 さらに一日後には「北方の赤い薔薇」という言葉だけが、基地中を一人歩きする

 ことになる。


 *


 《アルファ2、出力、急激に低下!》


 医務観測室のモニターに、赤く跳ね上がっていたバーが、今度は逆方向に落ちて

 いく。


「リバウンドだ。神経負荷と一時的貧血⸺」


 《古賀二等兵のバイタル、血圧低下、心拍数減少⸺》


「すぐに帰投させろ。着陸まで持たせれば、あとはこっちでなんとかする」


 *


 コクピットの中。


 赤かった世界が、今度は逆に、色を失っていった。




「あ……れ」


 舌が、うまく回らない。


 さっきまで見えていた雪の粒も、砲座の細部も、薄い霧の向こう側に押しやられ

 たようにぼやけていく。


 頭の奥が、締め付けられるように痛い。

 それなのに、感覚はどこか遠く、現実感が薄い。


 《アルファ2、聞こえるか。古賀!》


 声が、水の底から聞こえてくるみたいに遠かった。


「……聞こえて、ます」


 喉から出たのは、自分の声とは思えないほど掠れた音。


 《帰って来い。あとは他がやる》


 グレンの声だと、気づくのに少し時間がかかる。


 機体が、自動制御に切り替わる。

 HUDに、帰投ルートが太く表示される。


(……帰る)


 その言葉だけを、胸のどこかに刻みつける。


 目を閉じたら、そのままどこかへ落ちていきそうだった。

 だから、必死で開けていた。


 雪原と、基地の輪郭。


 遠くに見えていたそれが、少しずつ近づいてくる。


 *


 ハッチが開いた瞬間、冷たい空気が頬を叩いた。


「あすみ!」


 タラップに駆け寄ったセリが、反射的に手を伸ばした。


 あすみのハーネスが外れ、身体が前へ傾ぐ。

 そのまま床に落ちそうになったところを、ぎりぎりで抱きとめる。




 軽い。




 いつもより、ずっと。


「おい、意識は?」


「……せ、り……?」


 かろうじて開いた目が、彼を捉える。

 焦点が合っているのかいないのか分からない。


 額には薄く汗。

 唇は少し白い。


「……よかった。……基地、残ってる」


 それだけ言って、力が抜けた。


「おい、あすみ!」


 呼びかけに返事はない。

 だが、胸の上下はかすかに続いている。


「バイタルは生きてる。担架!」


 医務班が駆け寄り、ストレッチャーが滑り込む。


 あすみを乗せると、彼女の髪の先に、何かがかすかに付着しているのが見えた。


 赤い。


 血かと思って一瞬身構えたが⸺


「……オルタイト光の残光、ですね」


 医務班のひとりが、冷静に呟いた。


「赤化の時だけ出る蛍光。……初めて実物を見ました」


 セリは何も言えず、その光を見つめる。


 雪の白と、髪の黒と、その先にほんの少しだけ混じった薔薇色。


「……バカ」


 小さく、誰に聞こえるわけでもなく吐き捨てた。


「自制しろって、教官に言われただろ…」




 それでも⸺




 基地の上に、まだ屋根があること。

 遠くから、避難車列の子供たちの声が、ちゃんと聞こえること。


 その全部が、目の前の少女の無茶の上に成り立っていることも、知っていた。


 *


 後に、この日の戦闘記録は、北方第七基地の戦史の中でも「最初の赤化事例」と

 して特別なマーカーを付けられることになる。


 けれど、その夜⸺


 食堂で湯気の立つスープをすすりながら、マルコがぼそっと、


「なぁ、今日のあれさ」


「どれだよ」


「あの、砲台ぶっこ抜いたやつ。……北方の赤い薔薇だよな、やっぱり」


 と笑い混じりに言ったとき、


「うわ、それ言い得て妙」「絶対本人には言うなよ」「いや、言おうぜ」


 と、あっという間にそのあだ名が広がっていく事を、


 医務室のベッドで眠り続けている本人は、まだ知らない。





 白い基地の中に、ひとつ、赤い名が咲いた日だった。




 つづく



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