Sky14-オルタイトと搭乗員-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
医務棟の診察区画は、外の寒さが嘘みたいにあたたかかった。
消毒液のにおいが、白い壁と床に薄く染みついている。壁際には簡易モニターが並び、奥のカーテンの向こうでは、誰かが検査を受けているらしく、機械の小さな駆動音が規則正しく響いていた。
廊下のベンチには、順番待ちの兵士たちが腰を下ろしている。上着の襟を立てたまま腕を組む者、眠そうに壁にもたれる者、端末を眺める者。外気の冷たさをまだまとった軍服の布が、時折こすれる音を立てた。
アスミはベンチの端に座り、手袋を外した指先を膝の上で重ねていた。隣ではセリが、退屈そうに足先を揺らしている。その向こうで、マルコが首の後ろを押さえながら話していた。
「最初は、戦闘機をオルタイト仕様にするつもりだったんだってよ」
マルコは、声を潜めるでもなく、いつもの調子で言った。
「それが、帝国が人型兵器の開発に着手したもんだから、北半球の国がこぞって開発したわけ。結局NTOが発足して、統合軍として戦闘機要員を丸ごとヴィーラ搭乗員にしたんだよ」
セリは膝に肘を置き、横目でアスミを見る。アスミは小さく頷いた。
「俺は、セレスタとガルディアが先頭切って資金出したって聞いた」
「ま、俺らは歩兵部隊だから、お前たちみたいに月一の血液検査も、ここの端子の検査もいらないんだけどさ」
そう言って、マルコは自分の首の後ろを指で指した。アスミもつられるように、首の後ろへ手を伸ばす。髪の下に隠れた接続端子の感触が、指先に小さく引っかかった。
「お前らも退役する時には選べるはずだぜ。それを埋めるのか、残すのか」
神経接続端子の埋没処置。
その言葉を頭の中でなぞった瞬間、アスミは急に首の後ろが重くなったような気がした。
これは、ただ機体を動かすための装置ではない。機体と自分を、神経の奥でつなぐための端子だ。
そう理解した瞬間、皮膚の下にあるはずの小さな異物が、急に存在感を持った。
「これは……機体と一体化するための端子なんだ」
アスミが小さく呟くと、セリが呆れたように眉を上げた。
「今更かよ。だからDNA異常を起こさないように、血液検査を毎月やってんだろ。そんなことより、お前の番だぞ。早く行け」
その声に重なるように、診察室の扉の向こうから呼び出し音が鳴った。
「次。レイナー二等兵」
「はい」
名前を呼ばれて、アスミは椅子から立ち上がった。
「そうだぞ」
マルコがベンチの背にもたれたまま、軽く顎を上げる。
「異常なんて起こしてみろ。お前のパイロット人生終わりだ。ただでさえヴィーラパイロットは身体的負担が大きいんだからな」
セリは、口元だけで笑った。
「その分、給料もいいし、女の子にはもてますけどね」
「はいはい」
アスミは短く返して、診察室の方へ向かった。
廊下のベンチには、さっきまで一緒にいた歩兵たちが、順番待ちでぐったりしている。誰かが小さく欠伸をし、別の誰かが腕をさすった。
扉の横の認証ランプが青く点る。アスミはひとつ息を吸ってから、中へ入った。
細長い診察室の中央には簡易ベッドが置かれ、その脇に端末とモニターが並んでいた。白い照明は明るすぎず、機械の駆動音だけが低く部屋を満たしている。
白衣を着た軍医が、データパッドをめくっていた。
年の頃は三十代後半くらい。黒髪をひとつに束ね、眼鏡の奥の目が少し眠たそうに見える。
「北方基地医務班、シラト軍医だ。よろしくな」
「アスミ・レイナー二等兵です。よろしくお願いします」
「そんなに緊張しなくていい。今日は定期の反応検査と問診だけだ。――ああ、心電図つけるから、上着だけ脱いでこっち」
言われるままに、アスミはジャケットを脱いでベッドに腰掛けた。
診察室の中は暖かいはずなのに、薄い検査着越しに空気が触れると、肩のあたりが少し冷えた。
シラトが手際よくセンサーを取り出す。冷たいパッドが、胸と腕に貼り付けられた。思わず背筋がわずかに伸びる。
「脈、ちょっと速いな。寒いからか?」
「……さっきまで外にいたので」
「なるほどな。――じゃ、楽にして。モニター見るだけだから」
シラトは、アスミの上に吊り下がったモニターに視線を移した。
波形と数字が、次々と並んでいく。心拍、血中酸素濃度、神経反応、オルタイト反応値。青白い文字が、無機質に更新され続けた。
「オルタイト反応値……ふん」
シラトが短く息を漏らす。
「やっぱり高いな。LAA時代の報告から変わらず、上限ぎりぎり」
「……やっぱり、高いんですか?」
アスミは、自分の胸のあたりを見下ろした。そこにはただ、呼吸に合わせて上下する自分の身体があるだけだった。
「高い。普通の搭乗員が、だいたいこの辺――」
シラトは画面上の数値を指でなぞった。
「ここからここまでが“安全圏”。それより上は、“許容範囲”。で、お前は――」
指が、さらにその上の数字で止まる。
「この、限界線のひとつ下。ちょうど“赤くなりやすい”ゾーン」
「……赤くなる、って」
聞き慣れた言葉だった。
訓練でも、講義でも、格納庫の噂話でも聞いたことがある。それでも、あすみはあえて確かめた。
「教範では、なんて習った?」
「オルタイトが限界値を超えて励起すると、搭乗員の身体と精神に過負荷がかかって、視覚情報に色の偏りが出ることがある……って」
「正解だ。――現場では、それを“赤くなる”って言う」
シラトは、慣れた調子で説明を続けた。
「オルタイトの核心部は、刺激されると光を放つ。正常なら青から黄色。安全圏内。だが、限界近くまで引っ張ると、波長が偏って赤寄りの帯になる」
モニターに簡易の図が出された。青から黄色、そして赤へと変わるグラデーションが、無機質な線として表示される。
「それが視覚的にも、コクピットの中で“赤く”見える。もちろん、かっこいい言い方もある。『限界突破』『覚醒』とかな」
口調は淡々としていたが、どこか皮肉っぽかった。
「だが、医学的には、あれはただの“過負荷”だ。脳にも身体にも、負債が残る」
「……負債」
アスミは、その言葉を繰り返した。
「神経系の焼き切れ。心臓負荷。血管系の損傷。昔、赤化状態になって数分飛んだままコクピットの中でそのまま心停止したパイロットがいた」
診察室の空気が、ひんやりと変わった気がした。
機械の音は変わらない。モニターの数字も、規則正しく流れている。それなのに、言葉だけが部屋の温度を下げた。
「無理に飛んで長生きしたやつは、いない」
アスミは、わずかに喉が鳴るのを自覚した。
「……私も、いつか、そうなるんですか」
「さあな」
シラトは、あっさりと肩をすくめた。
「そんな未来の話、医者の仕事じゃない。俺達の仕事は、“今日の時点では安全かどうか”を判断することだけだ」
彼はモニターに映る波形を、少し拡大する。
「今のところ、お前の数値は“高いけど安定”。だから、飛ばしてる。ただし」
そこで、表情が少しだけ真面目になる。
「オルタイト反応が高いってことは、“限界が近い”って事でもある。普通の奴がまだ余裕の出力でも、お前にとっては既にぎりぎりかもしれない」
「……」
「だから、自分の体感だけで“まだ行ける”って判断するな。レイナー二等兵、お前は特に」
名前を呼ぶ声が、少しだけ低くなった。
「赤くなり始めたら、その先にあるのは“かっこいい覚醒”じゃなくて、“戻れない領域”だ。それを先に教えておく」
アスミは、小さく息を吐いた。
「……はい。分かりました」
「よろしい」
シラトはうなずいてから、別の画面を呼び出した。オルタイト反応値のグラフが端へ寄り、今度は細かな数列とDNAの図が並ぶ。
「ついでに、遺伝子検査の結果もざっと見るか。これは、もう事前に聞いてると思うが」
「“異常”ってやつですか」
「そう。適性の、裏側の話」
画面に並ぶ数列は、アスミにとってほとんど意味を持たない。ただ、自分の身体の内側を勝手に記号へ置き換えられているようで、胸の奥が少し落ち着かなかった。
「ヴィーラ搭乗員全員、例外なく“普通じゃない”体をしてる。生まれつきか、幼少期に調整されたかは人によるが、血液中のOD因子が発現している」
一本のラインを指でなぞりながら言う。
「オルタイトと脳を直接リンクさせるために、神経系と代謝系に細かい“改造”が入ってる。耐性を上げて、反応速度を上げて、その代わりにどこかを削ってる」
「……どこか、って」
「人によって違う」
シラトは、あっさりと言った。
「体力が落ちやすくなる奴もいるし、怪我の治りが妙に早い代わりに、年を取るのが早く感じるって言う奴もいる。髪や目の色が変わることもある」
「目と髪……」
思わず自分の前髪を指先でつまんだ。変わってしまうかもしれないもの。
変わったときに、自分が自分だと分かるのかどうか。
そこまで考えかけて、首を小さく振る。
「……やっぱり、あんまり考えたくない話ですね」
「普通の反応だ。考えすぎると眠れなくなるからな」
シラトはそう言って、淡々とモニターを閉じた。
「連合の公式見解では、“機能強化の範囲内で、健康に問題はない”ってことになってる。だが、俺達現場の医者からすれば、“完全に安全とは言い切れない”」
「……正直ですね」
「基地の軍医ってのはな、綺麗事を言っても誰も得しない職業なんだよ」
少しだけ笑って、それから続ける。
「お前の遺伝子パターンは、典型的なオルディア系血統に、連合側での微調整が少し入ってる。どのみち、普通のコロニー育ちとは別物だ」
「……」
「だからといって、“化け物”扱いされる筋合いはない。ただ、“普通の人間と同じじゃない”って事実は、本人が一番ちゃんと分かっておけ」
アスミは、胸の奥が少しだけざらっとするのを感じた。小さい頃から、何度も聞いてきた言葉だ。
特別。適性。普通じゃない。嬉しいと感じたことは、一度もない。
「質問、あるか?」
「……この検査って、セリも受けてるんですよね」
「ああ。アンダーソン二等兵か。アイツは」
シラトは端末を少しスクロールして、別のファイルを開いた。
「反応値は中の上。遺伝子パターンは、連合側の典型的なSKY用調整型。副作用は軽微だな」
「副作用……何かあるんですか?」
「本人が一番気にしてるのは、“将来ハゲないかどうか”らしい」
「……は?」
アスミは思わず顔を上げた。
「検査のたびに聞いてくる。“先生、遺伝子いじってるってことは、髪とか早く抜けたりしません?”ってな」
医務室の空気が、少しだけ和らいだ。
「安心しろ。すぐにはハゲない。今のパターンだと、たぶん普通の人並みだ」
「……普通に伝えてあげてください、それ」
「伝えてる。毎回な。人によって、不安に思うところは違うってことだ」
シラトは、モニターを閉じた。
「よし。数値は問題なし。アスミ・レイナー二等兵、現時点では搭乗継続に支障なし」
「……ありがとうございました」
センサーを外され、上着を着直した。袖を通した瞬間、軍服の重さが肩に戻る。
診察室を出る前、ふと振り返った。
「先生……私が、もし“赤くなり始めたら”。その時も、ちゃんと止めてくれますか」
自分で言って、少し変な質問だと思った。それでも、聞かずにはいられなかった。
シラトは、わずかに目を細めた。
「医者としては、“止める”と約束したいところだが――」
そこで視線を外して、窓の外の雪をちらりと見る。
「戦場ではな、俺が止める前に、自分で止まれないと間に合わないことが多い」
アスミの喉が、また小さく鳴った。
「だから、こう言っておく。“自分で止まれ”」
短く、はっきりとした言葉だった。
「それができない奴は、赤くなる資格もない」
アスミは小さく頷いて、診察室を出た。
「どうだった?」
廊下のベンチで、セリが足をぶらぶらさせながら聞いてくる。膝の上には検査用の書類が置かれているが、ほとんど読んでいないらしかった。
「禿げないって言ってたよ」
「は?」
「先生が。セリは、たぶん、ハゲないって」
「お前、何の検査してきたんだよ」
セリが額にしわを寄せる。
「言ったの、セリでしょ。“ハゲません?”って」
「聞くなよ、人前で! ……マジで言ってんのか、あの医者」
「ふふ」
不意に、笑いがこぼれた。さっきまで胸の奥に沈んでいた重さが、少しだけ緩む。
廊下の向こうでは、他の隊員たちが順番を待ちながら、ニュース端末の画面を覗き込んでいる。小さな音量の報道音声が、医務棟の静けさに薄く浮いていた。
『――西方前線において、帝国軍新型艦の目撃情報が――』
『アルクトリ中立諸島での、連合・帝国双方の代表会談は、依然として――』
断片的なニュースが、白い廊下に流れていく。誰かが舌打ちをし、誰かが「またか」と呟いた。
その音を聞きながら、アスミはさっきのシラトの言葉を思い出していた。
普通じゃない体。
オルタイト。
赤くなる資格。
胸のあたりが、少しだけ重くなる。
「……どうした」
隣で、セリが覗き込んだ。
「なんでもない」
あすみは首を振り、ニュース端末から視線を外した。
*
医務棟と司令室をつなぐ細い通路で、シラトは一枚のファイルを持って立ち止まっていた。
通路の窓には、外の雪が細く張りついている。暖房の効いた空気と、ガラス越しの冷たさが混ざって、窓際だけが少し白く曇っていた。ファイルの端を指で揃えてから、司令室の扉をノックした。
「大佐、定期検査のレポートです」
中から気の抜けた声が返ってくる。
「どうぞ」
中に入ると、ハイルトンがいつものソファに沈み込んでいた。机の上には、コーヒーカップと書類の山。暖房は効いているはずなのに、部屋全体には北方基地特有の乾いた寒さが残っている。
「北方第七基地司令、ハイルトン・グレイ大佐」
「その前振り、要るか?」
「形式です。レイナー二等兵とアンダーソン二等兵の分、まとめておきました」
シラトは、ファイルを机の上に置いた。
ハイルトンは面倒くさそうにそれを開く。だが、ページをめくる指先だけが、どこか丁寧だった。
「……ふん」
目線が、ある数字のところで止まる。
「やっぱり高ぇな、レイナーの方」
「はい。安全域の天井ぎりぎり。ただ、現状は安定してます」
「“現状は”か」
「ええ。今のところ」
シラトも、ソファの背にもたれながら言う。
「昔みたいに、“限界突破で突っ込ませろ”って空気なら、とっくに前線に放り出されてますね」
「勘弁してくれ」
ハイルトンは、鼻で笑った。
「そういう芸当は、テストパイロットとケイ・レイナーだけでたくさんだ」
「ミュラー中尉からの報告も目と通しましたが、レイナー二等兵に関してはとにかく赤化させないようにしていたようですね」
「随分と守りに入ってたんだな」
言いながら、表情の片隅に、わずかな苦笑が浮かぶ。
「……で、どうなんだ。医者目線で見て」
ハイルトンはファイルを閉じ、指先で軽く叩きながら問う。
「レイナーはどっちに転びそうだ」
シラトは、少しだけ考えるように目を伏せた。窓の外では、雪が風に流されている。
「今のところは、“守るために踏み込む”方です。自分のためじゃなく、誰かのために」
「ふん」
「ただ、その“誰か”が増えすぎると、止まれなくなるタイプですね。届く限りは全部抱え込もうとする」
「……ミュラーとケイの悪いとこ取りか」
ぽつりと、昔の名前が出る。シラトは、何も言わなかった。
「こっち側で、ちゃんと生かして返してやれると思うか」
ハイルトンの声が、ふと、電話越しに聞いたミュラーの台詞と重なった。
――あの子、ちゃんと“こっち側”で生かして返して下さいよ。
シラトリは、少しだけ肩をすくめた。
「それは、大佐の仕事でしょう」
「人のせいにするな」
「医者はいつも、人のせいにされる側ですから」
軽口で流してから、シラトは真面目な声に戻った。
「少なくとも、今はまだ、“赤くなる資格”はありますよ」
「資格、ね」
「自分の足で踏み込んで、自分の意思で止まろうとしてる限りは」
ハイルトンは、窓の外の雪を一瞥した。灰色の空の下で、北の風がうねっている。
「じゃあ、こっちの仕事は」
彼は、コーヒーカップを持ち上げながらぼそっと言う。
「“止まれなかった時に、ちゃんと止めてやること”か」
「それができる上官は、多くないです」
「おだてても何も出ないぞ」
「おだててませんよ。報告は以上です。どうか、脳と心臓の負債は、ほどほどの範囲でお願いします」
シラトリは敬礼をして、司令室を出た。
扉が閉まると一人になった部屋で、ハイルトンはファイルを指先でとんとんと揃えた。
「……どっちに転ぶか分からん、か」
天井を見上げる。
「せめて、“あの頃”よりはマシな転び方をしてくれるといいんだがな」
呟きは、誰に向けたものでもなかった。北方の風が、窓をわずかに揺らした。
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