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SKY  作者: RUI
REDROSE

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13/120

Sky13-中立という鎖-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 

 ブリーフィングルームの空気は、朝の冷気とは別の意味で冷たかった。

 天井から下がる白い蛍光灯。壁一面のスクリーンには、北半球の地図が俯瞰で映し出されている。

 青、赤、そして薄い灰色。

 連合加盟国は青で塗られ、帝国領は赤、そのどちらでもない細い帯と島々が、灰色に浮かび上がっている。

 その灰色の海の上に――小さく「第七基地」のマーカー。

(……灰色の上なんだ)

 アスミは、胸の奥でぼんやりとつぶやいた。

 ヴィーラ部隊、機動歩兵、通信、整備、事務方。

 制服も作業着もごちゃ混ぜになった人間たちが、階段状の席にぎっしり座っている。

 前列の机には、今日の資料が積まれていた。タイトルは、味気ない。

『アルクトリア皇国領内における武力行使制限に関する再確認』

 紙の上の活字を見ているだけで、頭が固くなるような文言だ。

「――静かにしろ」

 軽く咳払いをしながら前に出てきたのは、作戦担当のライル少佐だった。

 その横から、あくびを噛み殺し損ねたハイルトンがひょいと顔を出す。

「続けろ」

 第一ボタンは今日も外されているが、その目だけはスクリーンの地図をじっと見ている。

「では、統合司令部およびアルクトリア皇国からの通達を共有する」

 少佐が端末を操作すると、地図の上に複数の線と斜線が重なった。

 北方海域を挟んで、赤い帝国領と青い連合加盟国。その真ん中あたりに、灰色で囲われた細長いエリア。

「まず前提として――ここアルクトリア皇国は、国際協定上“永世中立国”の扱いだ」

 少佐の声は、よく通るが平坦だった。

「我々北方第七基地は、そのアルクトリア領内に置かれた“防衛拠点”に過ぎない。連合軍であって連合軍でない。……この微妙な立場を、忘れないようにしてほしい」

 ざわっと、小さな息の動きが後ろの方で揺れる。

「先日の小規模交戦、および昨日の基地防衛戦を受けて、アルクトリア政府から“武力行使の条件の再確認を求める”照会が来ている」

 スクリーンの片隅に、文書の一部が抜粋表示される。

『中立領域内における武装勢力の活動は、専ら防衛目的に限られるものとし――』

「要するに、“守るのは構わないが、戦争を拡大させるな”ということだ」

 少佐が噛み砕くように言った。

「具体的には、以下の三点」

 一つ、と指を立てる。

「ヴィーラ部隊および機動兵器が武力行使を許されるのは、“アルクトリア領空・領海・領土内に敵が侵入、または侵入しようとした場合のみ”。こちらから国境線を越えて攻撃することは禁止されている」

 スクリーン上で、極細の白い線が帝国領との境目をなぞる。

 その線の向こう側は、薄く赤く塗られたままだ。

「二つ。敵部隊が領外へ退いた場合、追撃は禁止。たとえ敵の背中が見えていても、国境線から先は撃てない」

 ざわ、と今度は少し大きく空気が揺れた。

 どこかで小さく「ふざけんなよ」という呟きが漏れ、隣の隊員に肘でつつかれる音が聞こえる。

「三つ。アルクトリア領外で発生した戦闘に対して、北方第七基地からヴィーラおよび地上部隊を“出撃させること”は原則禁止。例外は――」

 少佐が資料の一行をなぞる。

「“救難および人道目的に限る”。要は、難破船の救助や避難民の収容、災害支援などに限る、ということだ」

(……それって)

 アスミは、手元の紙に目を落とした。

 宇宙まで飛べる機体とパイロットがいても。

 帝国と連合がどれだけ撃ち合っていても。

 ここから飛べるのは、“ここに飛んで来たもの”に対してだけ。

 後列のどこかから、ぼそっと声が漏れた。

「……そこまでがんじがらめにしなくてもいいんじゃないっすか」

 笑い半分、苛立ち半分、といった響きだ。

 ライル少佐は一瞬だけそちらに視線を向け、それから端末の画面を指先で軽く叩いた。

「“地上でオルタイトを本気で撃つな”って決まったのが、その条約だ」

「そんなに危ないんですか」

 誰かの小さな疑問が、アスミの喉元にも引っかかる。

「昔、一回だけやらかした馬鹿がいてな」

 今度は、前に立っていたハイルトンがぽつりと口を挟んだ。

「国がひとつ、地図から消えた」

 ブリーフィングルームの空気が、きゅっと冷たくなる。

「そいつの代わりに、“地上使用禁止”って一行が紙の上に増えた。……現実が動くのなんて、そのくらい鈍い」

「以上が、アルクトリア側の要求だ」

 少佐は淡々とまとめる。

「連合本部もこれに同意している。“アルクトリアを戦場にしない代わりに、北の難民とオルタイト鉱脈への干渉を制限する”という政治取引だ。……詳しい内訳は、俺も知らん」

 最後だけ少しだけ苦笑が混じった。

「では、この前提で――今後の基地運用方針を、司令より」

 少佐が一歩下がる。

 代わって前に出たハイルトンは、相変わらずだらしない立ち姿のまま、両手をポケットに突っ込んだ。

「……要するにだ」

 最初の一言は、いつも通り緩い。

「ここは、“前線基地”じゃなくて、“中立国の防波堤”だってことだ」

 スクリーン上の第七基地のマーカーを指で軽く叩く。

「帝国がこの灰色の上で暴れたら、中立国への侵略。連合がこの灰色から出張って帝国を殴ったら、“中立国を盾に戦争してる”って話になる」

 視線が、ゆっくり部屋を横断する。

「だから俺たちは、“ここまで”しか撃てない」

 白い線。

 E-5からG-6のラインが、地図の上で静かに光っている。

「お前らが血を流して守ったラインだ。悪いが、そのラインの向こうは、今は別の誰かの仕事だ」

 昨日の戦いの映像が、モニターの片隅で再生される。

 雪煙の中、装甲車両の前に立ちはだかる白銀の機体。砲撃を正面から受け止めて、膝で踏みとどまる姿。

(……アルファ2)

 アスミは、無意識に自分の機体番号を頭の中で呼んだ。

 あの一歩先に、敵はまだいる。あの一歩先で、誰かが死んでいるかもしれない。

(飛べるのに、飛べない)

 喉の奥で、言葉にならない言葉が渦を巻いた。

 宇宙に出れば、どこまでが自分の届く範囲で、どこから先が届かないのか、HUDが教えてくれる。

 ここでは、線を引いているのは地図じゃない。条約と政治と、中立という単語だ。

「中立だからこそ、ここで守れる命もある」

 ハイルトンが、ぽん、と白い線の後ろ側――北方基地と避難集落のマーカーが並ぶエリアを指した。

「帝国にとっても、連合にとっても、“これ以上突っ込んだら面倒なことになる場所”だ。だからこそ逃げてこられた連中がいる。ここに難民キャンプが作れた」

「でもな」

 そこで、ハイルトンの声が少しだけ低くなった。

「“中立だから守れない命”も、確かにある」

 スクリーンの地図が、別の領域を映し出す。

 西方の海沿い。地上戦のニュース映像が、音を消されたまま流れた。

 黒煙を上げる市街地。

 崩れたビル。

 爆走する戦車。

「西の前線で燃えてる街に、第七基地からヴィーラを飛ばすことはできない。アルクトリア領上空を通過させた瞬間、中立条約違反だ」

 淡々とした説明が、逆に重かった。

「だから、“飛べるのに飛べない”。そういう現場は、これからいくらでも出てくる」

 胸の中のもやもやを、まるごと言葉にされた気がした。

 視界の端で、マルコ伍長が拳を握るのが見える。リーサ軍曹は、真顔で端末を見つめたままだ。

「中立ってのはな」

 ハイルトンは、そこで一度だけ息を吐いた。

「どっちの死人も数えるって意味だ」

 部屋の空気が、きゅっと締まる。

「帝国側の民間人が死んでも、西側の兵士が死んでも、“ここで手を出さないこと”を選んだ結果として、全部こっちの数字にも入る」

 その言い方は、責めているようでいて、責めてはいなかった。

「それでも――“この灰色を戦場にしない”って決めたのが、アルクトリアであり、連合であり、世界だ」

 中立国の王家。

 外交官。

 協定にサインをした誰か。

 アスミは、その顔を想像できない。

 ただ、この基地にいる誰もが、その決定の上で働いている、ということだけが分かる。

「現場の俺たちにできるのは、一つだ」

 ハイルトンは、スクリーンに触れるのをやめて、こちらを見た。

「こっち側に逃げてきたやつは、絶対に守る。線の向こうで死ぬやつは――“数える”。目を背けない。それだけだ」

 それだけだ、と言うには重すぎる仕事。

 でも、他に嘘を混ぜようとしない言い方だった。

「……以上。質問があるなら、あとで作戦科か俺のところに来い。ここでは政治の愚痴は禁止だ。言ってもいいが、誰も給料を上げてくれない」

 最後だけ、いつもの調子を取り戻して笑いを取る。

 乾いた笑いが、少しだけ部屋の緊張を緩めた。

「ヴィーラ部隊および機動歩兵は、このあと詳細ブリーフィング。その他の部署は通常業務に戻れ」

 解散の声とともに、椅子が一斉に軋んだ。

 *

 ブリーフィングルームを出ると、廊下には冷たい風の匂いが薄く漂っていた。

 雪を運んできたような空気。

 マルコが前を歩きながら、ぼそっと言った。

「……“どっちの死人も数える”、ね」

「中立って、そういうもんなんだろ」

 隣の歩兵が肩をすくめる。

「あっちで死んだやつの分まで、こっちで血圧上げろってことだ」

「やだな、それ」

 マルコは笑ったが、その笑いは乾いていた。

 少し後ろを歩いていたアスミは、会話に割り込まず、その背中を見ていた。

(どっちの死人も、数える)

 数字になる前に。名前が消える前に。

「お、Sランクさん」

 背後から、ラルフの能天気な声が飛んできた。

「難しい話をいっぱい聞かされた顔してるな」

「中立とか条約とかは、俺ら整備にはよく分かんねぇけどさ」

 ラルフは、口元を緩めて笑う。

「“ここから先に行くな”って線を決めてくれるやつがいないと、お前らはどこまでも行こうとするからな。……それだけは分かる」

「ラルフ、それ悪口だぞ」

 後ろからジンがぼそっと突っ込む。でも、その声には少しだけ優しさが混じっていた。

「行けと言われれば飛ぶ。行くなと言われれば止まる。……それができなきゃ、パイロットも基地も潰れる」

 ジンが、ポケットから煙草ケースを出しかけて、リーサの姿を見つけ、慌てて引っ込めた。

「吸うなって言いましたよね」

 リーサの目が鋭くジンを睨む。

「まだ吸ってない」

「準備した時点でアウトです」

 そんなやり取りを横目で見ながらも、アスミの頭は、さっきの白い線にまだ引っかかっていた。

(“ここまで”しか、飛べない)

 分かっている。条約がなければ、この基地ごと戦場に飲まれる。

 兄妹の部屋も、雪かきに文句を言うマルコも、整備区画で文句を言うジンも。

 何もかも一緒に、赤と青のどちらかに塗りつぶされてしまう。

 *

 風よけの壁の陰で、ハイルトンはコートの襟を立てて立っていた。

 手には、湯気の出ていないマグカップを持っている。

「……またここか」

 背後から聞こえた声に振り向くと、そこにはアスミがいた。

「司令こそ、またここにいるんですね」

「ここはなぁ、サボるのにちょうどいいんだよ」

 ハイルトンがマグカップに入ったコーヒーを飲みながら、顔を上に向けた。

「サボりって言い切っちゃうんだ」

 アスミも、隣に立って同じように空を見上げた。

 雲の切れ間に、まだ明るい星が一つ二つ覗いている。

「さっきの、ブリーフィングの話ですけど。“どっちの死人も数える”って、司令は本当にやってるんですか」

 ハイルトンは、少しだけ目を細めた。

「どういう意味だ」

「……怖くないんですか」

 言葉を選びながら、アスミは続ける。

「守れた人も、守れなかった人も、全部“自分たちの数字だ”って思ったら……」

 自分でも、昨日と同じ質問をしていると気づく。

 全部守ろうとしたら足が折れる。全部抱えたら立てなくなる。

 それでも――。

「怖いに決まってるだろ」

 あっさりとした返事だった。

「俺だって、偉そうなことを言ってる割に、寝る前に数字を数え始めると眠れなくなる」

「だから途中でやめて酒を飲む。ただな」

 ハイルトンは、マグカップを空に突き上げるようにしてから、ゆっくり下ろした。

「数えないでいると、“誰も死んでない”ことになる。それはそれで、もっと嫌なんだよ」

 風が、少しだけ強く吹いた。

「中立ってのは、どっちの死人も数えるって意味だ。……それをしないなら、“中立です”なんて格好つける資格はない」

 その言い方は、どこか自嘲にも近かった。

「お前は、まだ全部数えようとするな」

 視線が、横からアスミを捉える。

「目の前にいる非戦闘員を守れ。……それだけで、しばらくは十分だ」

 アスミは、空を見上げた。

 灰色と群青の境目。星と雲の境目。白い線。

 地図の上に引かれたそれを、今はまだ、自分の足で越えることはできない。

「守るために飛ぶんですね」

 アスミの言葉に、ハイルトンはゆっくりと答えた。

「そうだ。お前は、守るために飛べ」

 ハイルトンはいつの間にか、空からアスミへと顔を戻していた。

「他の誰が何と言っても、あのコクピットは人間を守るためにある」

 アスミは、ハイルトンの真剣な表情に一瞬だけ息が止まりそうになった。

「……驚いた。司令って、すごい理想主義者なんですね」

 ハイルトンは少し口元を緩ませると、また顔を空に向ける。

「やっぱ、似るもんだな」

 その言葉の意味がアスミには分からなかった。でも、ハイルトンには聞かなかった。

 聞かなくても、いい気がした。

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