Sky119-砂上の楼閣-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
会議の翌日、正式にノーザンクロスとARCLINEの合同任務が決定した。
ARCLINEは一度、本部へ戻ってから補給を済ませ、宇宙へ出てノーザンクロスと合流する予定になっている。合流は二週間後。それまでに関係各所への連絡と契約書類の調印作業で、ケイもARCLINE内部も慌ただしく動いていた。
ミリス島の空は、朝から薄い雲に覆われていた。海から吹き上げる湿った風が、格納庫の外壁を低く鳴らしている。搬入口の巨大な扉は半分だけ開かれ、外の白い光と、艦内の冷たい照明が床の上で境目を作っていた。
本部へ戻ってから二日。母艦の格納庫では、ノーザンクロスの整備員へARCLINEの機体情報を共有するための管理システムの調整作業が行われていた。大型端末の画面には機体識別番号と整備ログが並び、整備用ドローンの羽音が足元をかすめていく。
整備長のタミルは、急に決まったNTOとの協力体制に、一番正直に不満を表していた。
「何がNTOだ。ケイはどうしちまったんだ。あんな腐った巣に行ったら、うちの機体まで錆ついちまう」
ぶつぶつと文句を言いながら、タミルはレンチで自分の肩を叩いている。工具の金属音が、格納庫の高い天井に小さく反響した。周囲の整備士は、苦い顔をしながらタミルを宥めていた。
そこへ、カイトが機体の整備状態を確認しに格納庫へ入ってくる。
「おい、裏切り者。お前の計画には俺は納得してないからな」
タミルがカイトに思い切りレンチを向ける。カイトは両手を軽く上げて笑った。
「怒らないでくださいよ。別にあっちの管理下に置かれるわけじゃない。ARCLINEは何も変わりません」
タミルの機嫌は、それでも直ってはいなかった。他の乗組員もちらりとカイトを見て、すぐに目を逸らす。空調の音だけが、重くなった空気の隙間を流れていた。
後ろに置いてあった作業用トラックから、リアが顔を覗かせた。荷台にはケーブル束と予備パーツの箱が積まれている。
「実はあたしも、他のみんなの意見に賛成なんだ」
カイトはリアを見上げた。目が合うと、リアがにっこりと笑った。
「みんなと一緒って安心するわよね。自分だけ違う考えを信じ続けるのって、時々しんどいもの」
カイトは、リアの顔を見上げたまま答える。
「そうだな」
トラックの荷台の柵に寄りかかって上半身を乗り出すと、リアは柔らかい顔で言った。
「ね。あんたがやってること、ちゃんとやり抜きなさいよ。あの子に理解されなくても。応援はしないけど、期待はしてる」
その言葉を聞いた瞬間、カイトの表情がわずかに止まった。けれど、すぐに小さく笑う。
「NTOは嫌いだったんじゃないのか」
リアは少しだけ考えると、胸元についたARCLINEのエンブレムを見た。銀色の線で刻まれたマークが、格納庫の照明を受けて鈍く光っている。リアは顔を上げ、カイトに向かってニコッと笑った。
「前はね。でも、ここにずっといると、安定した大きい企業の男と結婚したくなるのよ」
カイトはリアに笑い返すと、自分の機体を見上げた。
機体は静かに立っている。装甲の継ぎ目にはまだ整備中の保護材が貼られ、足元では計測用のケーブルが何本も床へ伸びていた。
選んだ場所が、みんなをどこへ連れていくのか。その重さだけが、冷たい鉄の匂いと一緒に、少しずつカイトの肩へ乗っていく。
後ろから足音がした。次の瞬間、背中を力強く叩かれる。カイトの足が、その手の力で少しだけ前に動いた。
「緊張してんのか、Vector」
叩いたのは、サジだった。隣に立つと、カイトの肩に肘を乗せる。
「してないよ」
カイトはサジを見て答えた。
反対側から、ニコがサジと同じようにカイトの背中を叩いた。
「緊張すんなよ。久しぶりに会うんだ、成長したところ見せてやれ」
さっきまで重く沈んでいた肩が、二人に叩かれた分だけ、少し上がった。
格納庫でカイトたちが準備に動いている頃、ケイは艦長室で書類を見ながら、フィーと話をしていた。
窓のない部屋には、端末の青白い光だけが浮かんでいる。机の上にはフィーが持ってきた資料が数枚広げられ、空調の風でわずかに揺れていた。
フィーの持ってきた資料を握りつぶしたケイの顔を見て、壁際で話を聞いていたウィリスが口を開いた。
「……俺がテストパイロットだった頃には、聞いたことのない話だな」
ケイはウィリスを見ると、手に握りしめた資料を、ゴミ箱に破り捨てた。紙の裂ける音が、部屋の中でいやに大きく聞こえた。
「これが出たのは、お前が軍を脱走した頃だ」
フィーは、ケイの捨てた資料を見ながら、落ち着いた声で言った。
「これは、まだ断片です。オルテア内部の研究データは、皇王承認がなければ開けないと聞いたことがあります。だから今まで機密情報として他国に漏れなかった、と。カイトさんであっても照会不可能だと思います」
ゴミ箱を見つめたまま、ケイが低い声で言った。
「これはここだけの話にしろ」
ウィリスがすぐにケイの言葉に反応する。
「ケイ。また、この間と同じことを繰り返す気……」
ケイは、ウィリスの言葉を遮るように話し始めた。
「違う」
低い声だった。机の端に置かれた端末の光が、ケイの目の下に濃い影を作っている。
「カイトに知らせてみろ。あいつは平気な顔で予定を組み替えて、こっちの計画が進む前に一人でオルテアへ入る」
そう言うと、ケイは立ち上がって、フィーとウィリスを見た。椅子の脚が床を擦り、短い音を立てる。
「徹底的にアスミを作戦から外す。必要なら隔離室に閉じ込めてもいい」
艦長室に、重い沈黙が落ちた。
空調の風に揺れていた資料の端だけが、何も知らないように震えていた。
一方、ノーザンクロス内部でも、議論が湧き上がっていた。
先に知らされたのは、一部のヴィーラパイロットと整備兵、それと幹部たちだけだった。
会議室には、壁一面の戦術モニタが消されたまま並んでいる。艦内照明はいつもより少し落とされ、長机の上に置かれた各員の端末だけが、薄く光を漏らしていた。
その中央で、ラナの声が響く。
「今回の合同任務はNTOとARCLINEの協議によって決まった。REDROSEがオルテアの捕獲対象になっている以上、この艦も安全ではない。彼らはNTOでは掴めない情報を扱うのが上手い。全ては搭乗員とREDROSEを守るため。質問は?」
集まった搭乗員の表情は複雑だった。
ARCLINEと聞いて興奮する者、艦の規律を気にする者、NTO自体への不信感を露わにする者。それぞれの顔を見ながら、ラナは努めて冷静に話した。
部屋の隅には、アンが座っている。そして、その前の席にはジョンとセリ、ミュラーが並んで座っていた。全員、表情から感情は読めない。
アンだけが、少し俯いたまま、画面の消えた端末から目を離さなかった。黒い画面には、会議室の照明と自分の指先だけがぼんやり映っている。
「ARCLINEが母艦ごと同乗するって、つまりどういうことですか。うちの艦に付随して宙域を飛ぶってことですか」
整備班の一人が言った。
ラナの隣に座っていたガナシュが口を開く。
「そういうことになるな。ARCLINE母艦は本艦に随伴する。加えて、現状の取り決めではStrikeWingの一部機体をノーザンクロスに収容予定だ。従って、パイロットと整備要員の一部もこちらに乗艦する」
ガナシュの言葉に、部屋の中はざわついた。
「それって、Vectorがこっちに乗るってこと?」
「それは、ちょっと見たいな」
ざわめきが広がりかけた時、ミュラーが静かに口を開いた。
「レイナーには伝えますか」
部屋の中が一瞬にして静まり返り、視線がミュラーに注がれた。
ラナは、一呼吸置いてから返答した。
「伝えない。今は。以上よ」
その言葉に、ミュラーは静かに頷いた。
その後、搭乗員たちには、ラナによる全艦放送が入るまで情報を伏せるよう指示が出された。
ARCLINEと共有する情報の整理、整備記録の確認、機体収容に伴う管理システムの調整。合流までは、通常業務に加えて、それぞれに特別業務が割り振られることになった。
搭乗員たちが次々と会議室を出ていく。椅子の脚が床を擦る音、端末を閉じる音、低く交わされる声が、扉の外へ吸い込まれていった。
ラナはドアへ向かう途中、一度だけアンを見た。
アンはしばらく椅子に座ったまま、消えた端末の画面を見つめていた。やがて、ゆっくりと立ち上がり、出入り口へ向かう。
通路に出ると、セリが壁際に寄りかかるようにして立っていた。白い照明が天井から等間隔に落ち、セリの横顔を細く切っている。
アンは気づかないふりをして、その前を通り過ぎようとする。
「誰に会った」
セリの声に、アンの足が止まった。
振り返らないまま、アンは小さく息を吐く。
「……何のこと」
セリはアンではなく、反対側の通路の壁を見ていた。
「顔に出過ぎなんだよ。お前、会議で会ったんだろ。カイトに」
端末を持つアンの手が、わずかに強張った。震えそうになる指先を、アンはもう片方の手で掴んで押さえる。
「……殴ろうと思った」
声は、通路の低い駆動音に紛れそうなほど小さかった。
「止められた」
落ちた言葉を拾い上げるように、セリがアンの頭に軽く手を置いた。ほんの一瞬だけ触れて、すぐに離す。
「よくやった」
それだけ言うと、セリはアンに背を向けた。
アンが何かを言う前に、そのまま通路の奥へ歩いていく。セリの足音はしばらく一定の間隔で響き、やがて曲がり角の向こうへ消えた。
通路には、アンの小さな呼吸だけが残った。
それから、十日が過ぎた。
合流を目前に控えた頃、ARCLINEは母艦の補給を終え、出航前の最終調整に入っていた。
格納庫には補給用コンテナが並び、床を走る搬送レールの低い駆動音が、機体の足元で途切れず響いている。整備員たちは端末を片手に行き来し、各区画では残留班と乗艦班の引き継ぎが進められていた。
「ノーザンクロスと合流した後は、しばらく戻ってこられないからな。残るやつに、しっかり引き継いでおけよ」
ケイはそう言うと、リアと並んで端末に人員記録を打ち込み始めた。
本部に残るのは、フィーをはじめとした事務管理担当者たち、通信担当のレイモンド、そして医療担当のサユリなどだった。副整備長のヴァンも本部残留となり、あれほどNTOとの協力に反発していたタミルは、自ら立候補して母艦に乗り込むことになっていた。
格納庫の隅では、サジが自分の機体の足元を布で拭いていた。機体の装甲に付いた細かな油汚れを落としながら、サジは出入りする人員の流れをぼんやり眺める。
「ノーザンクロスって、飯うまいのかな」
隣に立って端末を操作していたカイトが、システムチェックの画面から目を離さずに答えた。
「知らないな。あの艦には乗った記憶がない」
「そこは潜り込んでねえのかよ」
「全部の艦に乗っていたら、さすがに暇人だろ」
サジが鼻で笑った、その時だった。
格納庫の入口から、短い足音が飛び込んできた。金属床を叩く軽い音が、搬送レールの駆動音を裂くように近づいてくる。
「大変! 大変です!」
ミナが端末を胸に抱えたまま、息を切らして走り込んでくる。声が格納庫の天井に跳ね返り、作業していた整備員たちが一斉に手を止めた。
ケイが端末から顔を上げる。リアも入力途中の指を止めた。
ミナは言葉を整えようとして、うまく息を吸えずに肩を上下させる。
「レ……REDROSEが」
その名前が出た瞬間、カイトの手が止まった。
ミナは震える指で端末の画面を開き、ケイとカイトの方へ差し出す。
「REDROSEの信号が復活しました!」
カイトは手にしていた端末をサジに押し付けると、ミナの方へ駆け寄った。
「貸して」
ミナから端末を受け取り、画面を確認する。その横へ、ケイも急いで駆け寄ってきた。
画面には、宇宙空域の戦闘ログが表示されていた。
いくつものノーザンクロスの青い点と、オルテアの白い点が入り混じっている。その中に、赤く光るREDROSEの点が一つ、短い間隔で点滅していた。
格納庫の音が、遠のいた。
補給コンテナの搬送音も、整備員たちのざわめきも、カイトの耳には届かなかった。
オルテアと、今、宇宙空域でアスミが戦っている。
カイトは息をするのも忘れたように、赤い点を追い続けた。
同じ頃、リュミエール自由連邦の一画に聳え立つサラモンドホテルの前に、シルバーの車が滑り込んだ。
よく磨かれた車体がホテルの照明を反射し、エントランスのガラス扉に細い光を走らせる。ホテル前のロータリーには観光客の声と、遠くの通りを走る車の音が薄く混ざっていた。
運転席側から降りてきたのは、紺色の軍服に身を包んだキーンだった。彼は周囲を一度確認すると、後部座席の扉を開ける。
高いヒールの踵が、ゆっくりと石畳を鳴らした。
車から降りてきたアンナは、薄いブルーの仕立てのいいワンピースを着ていた。金色の髪を片手で後ろへ流す。その仕草に合わせて、ホテル前の乾いた風が毛先を揺らした。
その背後から、待っていたかのようにバニーが駆け寄ってくる。
キーンが間に入ろうとしたが、アンナは片手でそれを制した。驚いた様子もなく横目でバニーを見ると、柔らかく微笑む。
「うさぎさんは、いつも神出鬼没なのね」
バニーはアンナのすぐ近くまで来ると、声を潜めた。
「ヴァルシュタインのお嬢様が好きそうな情報があるんですけど。どうですか? 先日のカイト・ボリーの身辺調査も、お役に立ったんじゃないですか?」
アンナは微笑みを崩さなかった。
情報屋というものは、一度高く売れると思った相手には、どこまでもついてくる。ホテルの扉が開くたびに流れ出す香水と酒の匂いの中で、バニーだけは路地裏の空気をそのまま纏っているようだった。
「……そうね。新しい情報って?」
「NTOとARCLINEが手を組むって噂ですよ。もうじき、どこかで合流するらしい。公式には存在しないはずの握手は、高く売れる。いやあ、面白いですね」
バニーは薄い笑いを浮かべて、アンナを見た。
「その合流場所ってのが、今日の情報です。いかがですか?」
私にその情報を売りたいということは、カイトとREDROSEが合流する可能性があるのね。
アンナはにっこりと微笑んだ。
「ありがとう。うさぎさんの情報は、いつも有益だわ」
その言葉を聞くと、バニーは自分の口元に手を添えた。アンナにしか聞こえないほどの声で、合流予定の宙域と日程を告げる。
アンナは微笑んだまま、バッグの中から現金を取り出した。紙幣をそっと折り、バニーの手に包み込むように渡す。
それから携帯端末を取り出し、少し離れた場所へ歩いて電話をかけ始めた。
バニーが現金を内ポケットにしまいながらキーンの横を通り過ぎようとした時、キーンが低い声で言った。
「お前。いい加減にしないと、いつか仕掛け罠にかかるぞ」
笑いながらバニーは振り返った。
「リュミエールでそんなこと言ってるのは、あんたくらいだよ。あんたもどうだ? 美大に行ってる婚約者のお嬢さんのために、美術品の裏オークション情報でも教えてあげようか?」
キーンが睨みつける。そして、少し離れた場所で電話をしているアンナを見た。
「俺の婚約者と、あのバカ娘を同じにするな」
バニーは、強情な人だなと笑いながら、キーンの前を飛ぶように走り去っていった。磨かれた石畳の上を軽い足音だけが跳ね、すぐに雑踏へ紛れる。
ほどなくして、アンナが通話を終え、キーンの方へ戻ってくる。
「キーン、荷物を車に戻して。一度、家に帰るわ」
トランクから荷物を出し終えたばかりのキーンが、呆れたようにアンナを見た。
「……ホテルにはお泊まりにならないんですか?」
アンナは車の前で立ち止まると、キーンに顔を向けて小さく首を傾けた。
「そうよ。これから叔父様を説得しなくちゃいけなくなったの。家に帰ったら、時間をあげるわ。あなたも準備して」
キーンは一度ため息をついてから、荷物を持ち上げた。
「準備?」
後部座席に乗り込もうとしていたアンナが、身体を起こす。キーンに向き直ると、人差し指で空を指した。
「宇宙に行く準備よ」
その仕草だけは、少女のように軽かった。
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