Sky118-影の支配者-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
3日後
ARCLINEの母艦が北方基地の港の裏手に接岸した。
ハイルトンから指示された通り、艦は外部から見えないよう、海から続く屋根で覆われた格納庫のような場所へ滑り込む。外壁には潮風に曇った金属板が重なり、天井に並ぶ作業灯の白い光が、濡れた床の上で細く滲んでいた。波の音は厚い外壁に遮られ、低く鈍い振動だけが床下に残っている。
北方基地の中で、今回の会議が行われることを知る人間は多くない。夜のうちに移動したARCLINEの艦は、人の目に触れないよう、NTOに監視されながらここまで移動してきた。艦体の側面を伝った海水が、格納庫の床へ小さく滴り落ちていた。カイトたちは、格納庫内に急ごしらえで用意された簡易会議室へ案内されることになっている。
ニコが操縦席から立ち上がり、長く座っていた身体をほぐすように腕を伸ばした。艦橋の照明は落とされていて、計器の光だけが操縦卓の上で淡く瞬いている。正面の観測窓には、格納庫の鉄骨と作業灯が斜めに映り込み、艦の停止に合わせて細かく震えていた。
ニコは肩を鳴らしながら後ろを振り返り、通路脇の席に座るサジを見た。
「やっと、一段落ついたな」
サジは不貞腐れた顔をして、膝に肘を置いた。面白くないのはサジだけではなかった。艦橋の空気は、どこか暗い。ARCLINEの乗組員の中には、NTOという名前を聞くだけで顔を曇らせる者も少なくない。停止した艦内では、空調の低い音と、外部係留ロックがかかる乾いた音だけが規則的に響いていた。
「本当にNTOと組むのかよ」
ケイの代わりに艦橋へ入っているウィリスが、端末を操作しながらサジに言った。指先は画面の上を迷いなく動き、操作音だけが短く連なっていく。
「ケイが了承した。NTOとの最終交渉が決裂しなきゃ、母艦ごとノーザンクロスに移動だ」
サジは面白くなさそうに目を細めた。
「カイトがREDROSEに会いたいのはわかるけどよ。なんで、よりによってNTOと」
ニコはポッドからカップにコーヒーを注ぎ、湯気の向こうからサジを見た。落とされた照明の中で、カップの縁にだけ白い光が薄く乗っている。
「別にREDROSEだけが理由じゃない。この合同作戦そのものが、敵か味方か曖昧だった連中に、立場を選ばせる“餌”なんだよ」
サジは少しだけ驚いた顔をして、ニコを見た。
「……なんで、そこまでわかんだよ」
ニコはコーヒーを一口飲み、カップをサジに軽く突き出すように動かした。
「俺はこう見えて優秀な母艦パイロットだからな」
その頃、ケイはARCLINE側の記録係としてミナを連れ、会議室へ向かっていた。格納庫の通路は薄暗く、壁に取りつけられた誘導灯が足元を細く照らしている。天井には仮設の配線が這い、ところどころ固定具から浮いたケーブルが、通路の振動に合わせてわずかに揺れていた。扉の前には簡易認証の端末が取りつけられ、ハイルトンの部下らしい兵が一人、壁際に立っている。扉を開けると、すでにハイルトンとリーサが、六人掛けのテーブルの真ん中の席を開けて座っていた。
会議室は広くない。十人も入ればいっぱいになるほどのプレハブに、大小のホロ画面が詰め込まれている。壁のモニタには航路図と時刻表、それからREDROSEの作戦一覧が並んでいた。机の上には通信端末と記録用の小型機材が置かれ、中央のホロ画面は西方基地との接続待機状態になっている。仮設の壁は薄く、外の格納庫で作業員が歩くたびに、金属床を踏む音が遠く響いた。
ケイはハイルトンを一瞥してから、正面の席に座った。その隣にミナが腰を下ろし、端末を机の上に置く。記録用の画面が静かに起動し、薄い光がミナの指先を照らした。端末の隅には、会議記録用の赤い表示が点滅している。
そして、部屋の角の暗がりに、カイトが立っていた。ホロ画面に映るか映らないかの位置。入口からは見えるが、画面の向こうには映りにくい部屋の死角に、カイトは立ったまま、会議の様子を見ようとしていた。足元には仮設電源のケーブルが一本通っていて、その影がカイトの靴先と重なっている。
ノーザンクロス側からは、ラナが参加する予定になっている。遠隔での参加を打診したハイルトンに対し、ラナは北方基地まで出向く意向を示していた。
会議室の扉が静かに開き、ラナと、その後ろからアンが入ってくる。アンは記録用の端末を抱え、ラナの半歩後ろにいた。ラナとアンは会議室の中を見渡し、角にいるカイトを見つけた瞬間、言葉を失った。
「……なんで」
アンの口から、かすれた声が漏れる。表情が一瞬にして険しくなり、端末を持つ手が震えた。指に力が入り、端末の縁を押さえる指先の色が少し変わる。
「あんた、こんなところで何してんのよ! 今まで、どこで何してたのよ!」
アンの声が会議室に響いた。カイトに掴み掛かろうとしたアンの腕がカイトの上着に届く直前に、ラナが強く引き留める。端末がアンの腕の中で傾き、画面の光が床に細く滑った。
アンの目を見つめたまま、カイトは表情一つ変えなかった。ラナが、目を赤くして震えるアンの腕を押さえながら、ハイルトンの正面に座るケイを見て、ため息を落とした。
「人の息子は奪うのに、娘に会いに来る理由が欲しかったの?」
ケイは言い返さない。会議室の空調音が、やけに薄く聞こえ、カイトを除いた全員の視線が、二人に注がれた。
口元だけで笑ったケイの目が、ラナの顔へ向く。
「お前も言うようになったな」
昔から、突かれて痛い話になると答えようとしない。娘の様子を聞くことすらしてこず、音信不通で生死すら分からなかった。長い時間が経っても、ケイは何一つ変わらない。ラナは呆れたようにケイを見て言った。
「答えになってないわ」
「答える気がねぇんだよ」
ケイは視線を逸らし、モニタに映るREDROSEの戦闘履歴を見た。淡い文字列の中に、出撃回数と戦闘記録が淡々と並んでいる。いくつかの記録欄には、赤い警告表示が小さく点滅していた。
「……あいつは、自分で選んだ」
ケイの言葉に、アンの腕を押さえているラナの手がぴくりと動いた。
「選ぶしかない場所に置いたのは、あなたよ。子供は置かれた場所でしか選べない。あなただって、そうだったでしょう」
その言葉を聞いた瞬間、ケイの笑みがほんの少しだけ消えた。
「……俺は、腹の中から食い破ることを自分で選んだ」
二人は、お互いから目を逸らさずに見据えたまま、しばらく沈黙した。狭いプレハブの中で、ホロ画面の待機音だけが細く鳴っている。壁の薄いパネルが、格納庫から吹き込む風に合わせてかすかに鳴った。
「だから、あなたと同じ道に引き摺り込んだの? 自分の目的のために。これ以上、同じことをさせないで」
ケイはラナから目を逸らすと、ホロ画面に映る西方基地の会議室に目をやった。音声回線は繋げていない。画面の向こうに映るのは、続々と自分の椅子に座るNTOの中将たちだった。軍服の肩章だけが、画面の中で硬い光を返している。
「もう遅い」
吐き捨てるように、静かに言ったケイの声は、ラナの前ですぐに消えた。
ハイルトンが咳払いをすると、ラナに向かって顎を動かし、席の方を指した。
「この二人を締め上げるのは後にしろ。会議が始まる」
ラナはハイルトンとリーサの間に座り、アンはラナの後ろに椅子を置いて腰を下ろした。椅子の脚が床を擦り、短い音を立てる。出てくる感情を押し殺したアンの目だけは、向かいにいるカイトを睨んだまま離れなかった。
ホロ画面越しのNTOの会議室には、クリスヒルとイルを中心に囲うように、長方形の机に各主要機関の中将以上の幹部が座っている。磨かれた机の表面には、天井灯とNTOのフラッグが薄く映り込んでいた。NTOとARCLINEの交渉会議が成立したのは、イルやクリスヒルだけの力ではなく、アルクトリ皇室が直々に仲介役に入るというARCLINE側の申し出があったからだった。
別のホロ画面にアルクトリ皇室の執務室が表示され、アドルフ・アルクトリ皇太子が席につくのが映った。背後の窓には重いカーテンが引かれ、机上のランプだけがアドルフの手元を照らしている。アドルフは画面に映る面々を見渡してから、ゆっくりと口を開いた。
「私はARCLINEの保証人のようなものだ。交渉内容について、諸君の話し合いに口は挟まない。始めてもらって構わない」
イルがアドルフの言葉に頷き、司会進行を務めるクラフナー中将に視線を送った。クラフナーが軽く顎を引き、話し始める。
「ARCLINEの同乗は認める。ただし、貴殿らはノーザンクロス艦内において、NTO統合軍の指揮系統下に入ってもらう」
ケイの眉が、ぴくりと動いた。椅子から少し身を乗り出し、ホロ画面に向かって口を開く。室内の照明がケイの顔にあたり、ホロ画面の光と重なって、その表情が画面の向こうにもはっきりと映った。
「こちらの出した条件と違うな」
ケイの顔が映った瞬間、NTO側の会議室にざわめきが起きた。長方形の机に座っていた中将たちが、互いに顔を見合わせ、口々に声を上げ始める。
「なぜ、MIA扱いのケイ・レイナーがそこにいる」
「北方基地は、行方不明軍人を勝手に匿っていたのか。答えろ、ハイルトン」
ハイルトンは面倒くさそうに、椅子の背に体重を預けた。
「議題が違うだろ。ケイの生存確認のために集まってんじゃねえぞ」
その口調に、NTO側の会議室の声がさらに大きくなる。何人かの中将が机に身を乗り出し、画面越しにハイルトンを睨んだ。
「ハイルトン、なんだその口の聞き方は」
「ARCLINEの代表はどこにいる。我々は、レジスタンス組織の責任者と話をするために集まっているのではないのか」
「これは、どういうことですか。チャンティ副司令官」
飛び交う声を裂くように、ケイが言った。
「だから、俺が来てんだろ、ここに。代表として」
その一言で、ざわめきはさらに大きくなった。矢継ぎ早に言葉が飛び交い、NTO側の会議室は混乱していく。音声が重なり、ホロ画面の縁に小さなノイズが走った。
「ARCLINEの代表が、ケイ・レイナー?」
「軍事規定違反ではないか。軍法裁判だぞ」
北方基地側の会議室では、ラナとハイルトンが目を見合わせ、同時に小さく息を吐いた。予想していたとはいえ、会議は始まる前から混沌としている。
見かねたアドルフが、回線を開いて告げた。
「ARCLINEの代表権については、アルクトリ皇室が確認している。そこを疑うなら、今この場で私の名を疑うことになる」
NTO側の声が止んだ。画面越しに並ぶ出席者の顔は、どれも腹の底では納得していないと告げていた。それでも、アルクトリ皇太子の名を正面から否定できる者はいない。
クラフナーが軽く咳払いをして、話を戻した。
「先ほど申し上げたように、NTO統合軍の指揮系統下に入ることが条件だ。軍艦に所属不明の武装組織を入れるのだから、当然の措置と考えて頂きたい」
NTOの要求は、筋だけを見ればもっともだった。しかし、ARCLINEがそれを呑むとは思えない。ラナはクラフナーが話し終えるのを待ってから、片手を上げて発言した。
「ノーザンクロス艦内の安全管理は私の責任です。同乗するのであれば、艦内規定には従ってもらいます。ただし、ARCLINEをNTOの指揮下に置く話ではありません」
クラフナーはラナの言葉に一度頷き、すぐに続けた。
「では、REDROSEとの接触には制限を付け、武装・通信・移動範囲はこちらが管理する」
戦闘履歴に目を向けていたケイが、モニタに流れる今後の作戦想定を見た。表の先頭にREDROSEの名がある。その瞬間、ケイの目がクラフナーを捉えた。
「今後の想定の中に、REDROSEの名前が最初に載ってるってのは、どういうことだ。オルテアの捕獲対象になっているのをわかっているのか」
中将の一人が、その言葉を鼻で笑った。
「REDROSEはNTOの戦力だ。戦力を活用して何か問題があるか。そもそも、ARCLINEの要求は誰の意思だ。ケイ・レイナー、お前の意思か」
ケイが中将を睨み返す。中将はそれを待っていたかのように、畳み掛けた。
「それとも、どこかの国家が裏で糸を引いているのか」
その言葉が終わった瞬間、部屋の暗がりから、一歩分だけカイトの足が光の中へ出た。光は靴先から膝へ、胸へと上がり、最後にその顔を照らした。ホロ画面に、カイトの顔が映し出される。
「何度も言わせるな。ARCLINEはノーザンクロスに同乗する。指揮系統は別。NTOの管理下にはつかない。これは交渉じゃない。条件の提示だ。NTOに決定権はない」
カイトの顔が映し出された瞬間、NTO側の会議室から音が消えた。誰かの手から落ちたペンが床に転がり、大理石に当たる乾いた音だけが響く。少し遅れて、誰かの声が漏れた。
「カイト・ボリー……?」
「なぜ彼がそこにいる」
「コロニーから連れ去られた、オルテアの第二皇子ではないか」
「保護対象を、ARCLINEが保持していたということか。ケイ・レイナー、貴様まさか。襲撃したのはお前たちか」
再び幕僚たちの声が重なり始める。カイトは会議机の端まで歩き、一度だけ拳を机に当てた。鈍い音が、回線を通して大きく響く。
カイトは伏せていた目を上げ、幕僚たちの顔を見た。その視線は、一人一人の顔を確かめるように、静かに画面の中を撫でていく。
「呑めないのか。なら、仕方ないな」
口調がゆっくりになり、声が低くなる。次の瞬間、ホロ画面の一部に、断片的な資料が並んだ。文書番号、決裁印、送金記録、削除済みのはずの通信ログが、青白い光の中で次々と表示される。
「企業からの裏金。非人道的な兵力消費。ブライトン大統領暗殺への関与。……全てを公表するだけだ」
幕僚たちは息を呑んだ。横目でイルやクリスヒルの様子を窺う者。隣席の者と黙って視線を交わす者。何も知らされていなかったのか、ただ画面を見て唖然とする者。その沈黙だけで、NTOの輝かしい理念とやらが、とうの昔に崩れ去っていることは分かった。
「今から自分の首を守る行動をしておけ」
それだけ言うと、カイトはまた暗がりに戻っていった。
クラフナーは、止まった息を戻すように唾を飲み込むと、ケイに向かって言った。
「ARCLINEにも大義があるだろう。いくらオルテアの第二皇子とはいえ、子供のやることに簡単に首を縦に振っていいのか」
ケイが可笑しそうに笑い始めた。息を吸い、クラフナーを見る。笑っているように見えたが、目だけはまったく笑っていなかった。
「大義? そんなもんは、お前らの家畜に食わせろ。俺の望みはロナルド二世が死ぬことだ」
ケイは椅子から立ち上がり、机に手をついた。
「それが叶うんなら、いくらだって縦に振ってやるよ」
会議室は静まり返り、誰一人口を開く者はいなかった。ケイは幕僚の顔を見渡し、沈黙を確認するように数秒だけ待った。やがて、カイトが暗がりから扉へ向かって歩き、何も言わずに外へ出る。ケイはその後ろ姿を見てから、ゆっくりと出口へ歩いて行った。数歩進んだところで、ケイは足を止めて振り返る。そして、会議室中に届くような声で、静かに言った。
「言い忘れたけどな、また俺の娘にふざけた事してみろ。ここにいる全員の首を飛ばしてやる。俺は皇子様より短気だ。気をつけろ」
そのまま扉の方へ向き直り、開いた扉から出ていく。後を追うようにミナが立ち上がり、端末を抱え直すと、ホロ画面の向こうへ軽くお辞儀をして扉を閉めた。
ミナがケイに追いつき、口を開いた。会議室の外は、海から吹き込む風でひんやりと冷えていた。格納庫の奥で、停泊したARCLINEの母艦が低く唸っている。頭上の作業灯が一度だけ明滅し、通路の床に伸びた三人分の影が短く揺れた。
「あれじゃ交渉じゃなくて、脅迫ですよ」
ケイは前を向き、艦の方へ歩きながら軽く笑った。
「どっちも同じようなもんだろ」
ケイの前にいたカイトは、何も言わずに足早に歩き去った。
会議室に残ったハイルトンは、回線が切れるとラナを見て言った。
「まあ、色々と言いたいことはあるだろうが、乗せてやれ。以上だ」
ラナはハイルトンを見なかった。後ろに座っているアンに視線を送る。俯いたまま、手には力が入り、ほんの少しだけ震えている。
「REDROSEは今も隔離室にいる。戻る保証もない。……ARCLINEが来ることで何が起きるか。全く、ケイはいつも予測不能なことばかりするわね」
カイトがARCLINEにいた。オルテアの第二皇子だった。アスミやセリは、知っていたのかもしれない。西方から戻ってきた二人がおかしかったことも、アスミの目が変わったことも、全部、カイトに繋がっていたのかもしれない。気づかなかった自分も、何もできなかった自分も、静かにアンの中へ沈んでいく。
ラナがアンの手に触れた。触れた手が少し動いて、俯いていたアンが、目の前で立っているラナを見上げた。
「戻るわよ。辛いでしょうけど、今日の会議内容は機密事項だから。わかるわね」
アンは涙は流していない。目に溜めたまま、落とさずに手で拭って頷いた。
「はい。承知してます」
そう言って、椅子から立ち上がると、入り口の扉を開く。ラナはハイルトンに軽く会釈をして、先に表に出た。その後を、アンが静かについていく。
リーサが短く息を吐いて、ハイルトンを見た。
「入ってきて、いきなり掴みかかろうとするCICなんて初めて見ました」
ハイルトンは二人が出て行った、少し開いたままの扉に目を向けながら、静かに言った。
「あいつらにとっちゃ、皇子もただの幼馴染だからな」
開いた扉から、外の光と北方の冷たい風が入って来た。筋を描くようなその光は、アンの座っていた椅子を細く照らしていた。
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