Sky117−計算外の変数-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
現在、ルクスグラン郊外。
山道を走る車のライトが、左右に迫る木々を白く照らしていた。枝葉は光を受けるたびに浮かび上がり、すぐに後方の闇へ沈んでいく。舗装は古く、タイヤが継ぎ目を踏むたびに、車体の下で鈍い振動が短く跳ねた。窓の外は暗い。ライトがなければ、道も、木立も、山の輪郭さえ見えない。フロントガラスの端には細かな水滴がつき、ワイパーが一度だけ低く鳴って、それを左右へ払った。車窓に薄く映る自分の顔を見ながら、カイトは思いに沈んでいた。
あの日、ARCLINEで目が覚めてから、もう五年以上が経つ。立場も、環境も、自分自身も。
なにもかもが変わった。
――それでも、変わらないものがある。
薄くなった瞳の色のその奥に、記憶に残る少女の面影を探していた。
車はやがて、国境へ到着した。山脈を境に、アルクトリとオルテアは小さな建物と、門のようなゲートで区切られていた。古いコンクリートの詰所には黄色い警備灯が灯り、ゲート脇の監視カメラがゆっくりと車の方へ向きを変える。警備灯の下、詰所から出てきた警備官が車へ近づき、身分証の提示を求める。
ニコは、あらかじめ用意していた二人分の偽造IDを差し出した。
「ライリー・ミドルトンと、サックス・ミドルトンだ」
警備官はIDを受け取ると、端末へ読み込ませた。端末の読み取りランプが緑から白へ変わり、短い電子音が夜気に滲む。無線で照会をかける声が、夜の山道に低く響く。その間、ニコとカイトは軽く視線を交わした。
ケイリーから借りていたのは、屋敷の敷地だけではない。オルテア内部で活動するための身分も、そのひとつだった。ミドルトン家の名は、オルテア政府内でも一定の知名度を持っている。カイトとニコは、その家名を借りて表に出ていた。
警備官が、端末を操作する指を止めた。
「親族探訪ですか」
ニコは車の窓に肘を置き、軽く笑う。開いた窓から、冷えた山の空気が車内へ流れ込んだ。
「そ。早く戦争が終わってくれないと困るんだよ。親類に会いに行くだけで、いちいち政治家を通すのは面倒でさ」
警備官は、助手席に座るカイトをちらりと見た。カイトは何も言わない。窓の外へ視線を向けたまま、表情を変えなかった。警備灯の光が、カイトの頬の輪郭だけを薄く照らしている。
警備官は再び端末に目を落とす。それからゲート脇の職員へ片手を上げ、通行許可の合図を出した。IDがニコへ返される。
「どうぞ。お通りください」
「どうも」
ニコは軽く手を上げ、車をゆっくりと動かし始めた。ゲートのロックが外れ、金属の軋む音とともに左右へ開いていく。ヘッドライトの先に、アルクトリ側へ続く暗い道が伸びていた。
アルクトリ側へ入ってから、しばらく走ると、道路脇に停まる車のライトが見えた。カーブを曲がるたびに、その光は木々の間で見え隠れした。車の前には、ケイが立っていた。ヘッドライトに照らされたその顔は、いつも通り気だるげで、夜の冷え込みなど気にも留めていないように見える。
車を路肩へ寄せる。砂利がタイヤの下で小さく鳴った。停車するより先に、カイトは助手席のドアを開けた。
「NTOは?」
車から降りながら、カイトが言った。
「もう来る」
ケイが短く答える。その言葉の通り、ほどなく遠くから別の車のライトが近づいてきた。光は山道を曲がり、路肩に停まるケイの車の後ろで止まる。エンジン音が低く止まり、ドアが開く。降りてきたのは、ハイルトンだった。
いつもの穏やかで気の抜けた表情はない。眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな顔をしたまま、こちらへ歩いてくる。運転席にはキヌアが乗っていた。フロントガラス越しに見えるキヌアの横顔は、外の様子を確かめるようにこちらを向いている。
ハイルトンは数歩進んだところで、急に足を止めた。
「お前、まさか……」
言いかけた声が、途中で途切れる。ハイルトンの視線は、ケイの背後にいるカイトへ移っていた。
エリンと同じ、いや、少し薄くなった瞳の色。幼い頃の面影を残したまま大人になった青年が、そこに立っている。
行方不明だと聞いた後、その消息は誰も掴めなかった。なぜ、ここにケイと一緒にいるのか。
「ケイ。聞いてないぞ。エリンは知ってるのか」
ハイルトンは、ほとんど詰め寄るようにケイの側まで来た。靴底が路肩の砂利を強く踏み、乾いた音がした。
「知ってる」
ケイは悪びれもせずに答える。
「攫ってからすぐに知らせた」
ハイルトンは目を大きく開いた。口が半分ほど開いたまま、一瞬、言葉を失う。
「なん……っ、たく」
額に手を当て、短く息を吐いた。目の前の男が、無茶をするやつなのは知っていた。でもまさか、エリンの息子を攫うとは。
「大事なことは早く言え」
ケイは返事をしなかった。代わりに、ニコの車の前に立つカイトを見た。
カイトは表情を変えない。まるで自分が話題の中心にいることなどどうでもいいと言わんばかりに、端末の画面へ視線を落としている。画面の青白い光が、指先と顎の線を照らしていた。
ケイは低く鼻を鳴らした。
「誰に似たんだか。あいつ、俺を餌にして殺し屋を釣りやがった」
横にいたハイルトンはケイの横顔に一瞬視線を送ったが、すぐにカイトを見た。
「エリンに殺される前で良かったんじゃないか」
ケイは軽く舌打ちをしただけで、反論はしなかった。
「イルにはどこで会える」
通信端末を取り出し、画面を一度確認してハイルトンが言う。端末には北方基地の暗号化回線を示す小さな表示が浮かんでいた。
「ホログラム通信を張れる奴を、近くで待機させてる」
ハイルトンがカイトたちを案内したのは、山道を下って北方基地に続く道の手前にある小さな村だった。
民家に灯りはほとんどついていない。夜に沈んだ家並みは、空き家ばかりのゴーストタウンのようだった。家々の窓には厚いカーテンが引かれ、庭先の柵には枯れた草が絡みついている。路面に落ちた木の葉が、車のライトに照らされて茶色く光った。
そのうちの一つの家に、薄く光が灯っている。ハイルトンはその家の前に車を停めた。
「少し前までオルディア人の住む村だった。ここの住人は、今は北方基地の隣の敷地で保護している」
ハイルトンは車から降りると、カイトたちにそう言って家の扉を開けた。古い扉の蝶番が、低く軋む。
「部外者がくればすぐにわかる。なんせ誰も住んでない村だからな。中に入れ」
カイトとケイ、それに拘束されたリーパーを担いだニコが順番に家に入っていく。全員が入室したことを見届けて、ハイルトンの後ろにいたキヌアが扉を閉めて鍵をかけた。鍵の落ちる音が、空き家の中で思ったより大きく響いた。
家の中の家具には白いシーツがかけられていた。誰かが定期的にきているのか、棚や暖炉の上に埃はなく、綺麗に管理されていることがわかる。壁には住人が残していった古い写真の跡だけが、四角く色を変えて残っていた。玄関から進んだところにある、キッチンの作業台の上に、リーサが通信機器を準備して待っていた。
「司令。準備はできてます。いつ始めても大丈夫です」
リーサはそう言うと、ハイルトンの隣に立つケイの顔を、ちらりと見た。作業台に置かれた通信機器からは、低い起動音が途切れず流れている。
「始める前に、その担いでる人物の紹介をしてもらおうか。これから何が始まるのか予習はしておきたい」
ハイルトンがニコを見て顎を動かし、リーパーを指した。カイトがニコに視線を向け、軽く頷く。
ニコが近くの椅子にリーパーを下ろして座らせると、すでに起きていたリーパーがハイルトンを見た。椅子の脚が床板を擦り、白いシーツのかかった家具の間に短い音が残る。口は布で塞がれていて、声を出しても話すことはできない。カイトは椅子に座っているリーパーを見下ろしながら言った。
「大統領襲撃事件のもう一人の共犯者だ。殺し屋のミレーヌ・ブロンソン」
ミレーヌは、目だけを動かしてカイトを見た。それから、悟ったかのように目を細くした。
ハイルトンが息を深く吐いて、腕を胸の前で組んだ。
「なるほど。ケイから聞いた通り、殺し屋が交渉材料ってわけか」
そう言うと、リーサを見て頷いた。リーサがハイルトンの頷きに応えて、ホロ画面を立ち上げる。キッチンの薄暗い壁に、青白い光が広がった。
回線が繋がる音がして、画面上には西方中央統合司令部にいる、イルが映った。執務室にいるのか、背後にNTOのフラッグがかかっているのが見えた。その前で、イルは椅子に座って正面を向いている。
「久しぶりだな。偉くなったもんだな、あんたも」
ケイがホロ画面に向かって、口を緩ませて言った。イルの表情からは感情が読み取れない。
「こんな時間に何の用だ。ハイルトンとお前が揃って……」
イルは話の途中で、ケイたちの後ろにいるカイトを見つけ、言葉を切った。
後ろに立っている青年は、輸送機の中から母親に抱かれて降りてきた時と同じように、真っ直ぐにイルを見据えている。
「……なぜ、彼がそこにいる。どういうことだ、ケイ・レイナー」
机の上に置かれたイルの手に力が入る。保護施設が襲撃されてから行方不明扱いになっている“もう片方”の青年。
オルテア帝国第二皇子。ARCLINEと一緒にいる。いや、ARCLINEと一緒にいた。ということか。
「俺が連れ出した。人質にするためにな」
ケイはイルを見て、ハイルトンの時と同じように悪びれもせずに言った。その様子を、カイトは静かに見ていた。ホロ画面の光が、カイトの顔の半分だけを薄く照らしている。
「人質? ケイ、お前何を考えて……」
「ここに座っている女は、NTOが探している大統領襲撃事件の共犯者だ」
イルの話を遮って、カイトが言った。全員の視線がカイトに集まり、部屋の空気が沈むように重くなった。
家の中の全ての窓にはカーテンがされ、外の気配はわからない。空調の音も、時計の音すらしない空間に静寂が落ちる。ホロ画面の駆動音だけが、作業台の上で細く鳴っていた。
「襲撃犯を引き渡す。あんた達に金を出してる国や企業の中には、口を開かれたら困るやつもいるんだろ?」
カイトの言葉に、イルは眉間に皺を寄せた。その様子を気にすることなく、カイトは続けた。
「引き渡す条件は、“ノーザンクロス”にARCLINEを同乗させること」
ハイルトン、リーサ、キヌアが一斉に顔を見合わせた。ホロ画面越しのイルが、背中を椅子の背もたれに預け、半ば笑うように表情を歪ませる。
「レジスタンスを? ……簡単に言ってくれる」
カイトは、一歩だけ足を前に出して、ホロ画面に近づいた。古い床板が、靴の下で小さく鳴る。イルを見据えたまま口角を少しだけ上げる。
「簡単だろ? あんたは“NTO統合軍副司令官”だ」
ホロ画面越しに、椅子が動く音がした。イルはケイを見て、ため息をつくように言った。
「お前が言わせているのか」
イルの言葉を、ケイは鼻で笑った。顎を上に動かしてカイトを指すと、吐き捨てるように言った。
「俺が? そんなわけあるか。皇子様のご機嫌を損ねたのはあんたたちNTOだ」
ふたたび椅子が動く音がして、イルが机の上で手を組んだ。
「検討しよう。結果は後日連絡……」
それを聞いたカイトが、イルに聞こえるように笑った。
「勘違いするなよ。これは交渉じゃない」
部屋の中にいる全員の視線が、カイトにまた集中した。カイトはリーパーに近づくと、指でリーパーの頬をゆっくりとなぞった。布越しに押さえられた呼吸が、リーパーの喉の奥でわずかに揺れる。
「受け入れなければ、明日にでも全ての情報をリークするだけだ。依頼主、報奨金、協力した関係機関――」
リーパーの目が、わずかに細くなる。口を塞がれたまま、彼女はカイトだけを見ていた。
「リーパーは、俺になんでも話してくれる」
頬から指を離すと、カイトはホロ画面越しにイルの顔を見た。イルは変わらず眉間に皺を寄せ、口を固く閉ざしていた。
しばらくして、イルは執務室の端末に手を伸ばし、通信兵を呼んだ。
「私だ、総司令官に繋げ」
画面の向こうで通信音が鳴り、回線が開く。
「こんな時間になんだ」
回線に出たのは、NTO統合軍総司令官、ダグラス・クリスヒルだった。その低い声だけで階級がわかるほどの威圧感があった。
「……百合の紋章が届きました。ノーザンクロスにARCLINEを同乗させろと」
端末の向こうから、何かが落ちた音が響いた。少ししてから、クリスヒルが言った。
「……条件は」
イルが静かな声でクリスヒルに答える。
「LAA襲撃事件のもう一人の実行者の身柄引換です」
静寂は、ほんの束の間のことだった。クリスヒルは迷うそぶりを悟らせずに答える。
「わかった。進めろ」
そう言って、クリスヒルはすぐに通話を切った。途切れた回線の残光が、一瞬だけホロ画面の端に残った。ハイルトンの横で聞いていたケイが息を軽く吐いて言った。
「上司の方が話が早い。ノーザンクロスとの事前会議の日程は三日後で調整してくれ」
イルは頷いて、ハイルトンを見た。眉間に寄せていた皺は、先ほどよりは薄くなっている。
「ハイルトン、襲撃犯は北方基地に収容しろ」
ハイルトンが頷き、イルはそれを確認してカイトに視線を戻した。
「三日後の会議にはノーザンクロス、NTO上層部、ハイルトンが参加する。時間は追って連絡する」
そして、イルの声がほんの少しだけ柔らかくなった。
「カイト・ボリー。大きくなったな」
イルは、それだけ言って通信を切った。ホロ画面の青白い光が、カイトの顔を薄く照らしていた。画面が消えると、部屋は天井の裸電球だけの色に戻った。
家から出て、ハイルトンに引き渡す前に、ニコがリーパーの口を塞いでいた布を取った。
外へ出ると、村は来た時と同じように静まり返っていた。遠くの山の稜線は黒く、雲の切れ間からわずかな星が見えている。布を外されると、リーパーは頭を左右に動かし、髪を顔の前からどかした。それから、拘束された腕を掴んでいたカイトを見て言った。
「酷いわ。保護してくれるって言ったじゃない」
カイトは、リーパーの腕を掴んだまま、ハイルトンの車へ歩いていく。夜露を含んだ草が、靴先に触れて小さく揺れた。
「檻の中で死ぬまで大事に保護してもらえよ」
リーパーはカイトに引かれながら歩いて、微笑んで軽やかに言った。
「あなたって本当に意地悪ね。そんなんじゃ、好きな子に嫌われちゃうわよ」
カイトは、その言葉には応えなかった。ハイルトンの前で足を止めると、リーパーを突き出す。
リーパーは、ハイルトンを見て、顔を傾けて微笑みながら手を差し出した。
「車の中で、楽しいお話聞かせてくださる?」
ハイルトンはリーパーが手錠のまま差し出した手に自分の手を添えると、車までエスコートしながら、笑い返した。
「喜んで。刑務所選びから手伝ってやるよ」
そう言って、すでに後部座席に座っていたリーサの隣に、リーパーを乗せる。
ドアの内側に照明がつき、リーパーの横顔を一瞬だけ明るく照らした。ハイルトンはケイに向かって軽く手を上げると、リーパーを挟むようにして後部座席に乗り込んだ。ドアが閉まり、車がゆっくりと北方基地へ向かって走り去っていく。赤いテールランプが、無人の家並みの間を小さくなっていった。
カイトは走り去る車を見ずに、ニコの車に乗り込むと、そのまま村を後にした。
ヘッドライトが消えたあと、空き家の窓には、もう何の光も残っていなかった。
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