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SKY  作者: RUI
BLACK LILY

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120/120

Sky120-バタフライ・エフェクト-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 

 オルテア南方 ハリントン港

 黒いホバー車が港の事務局の前に停車した。車体の下で反重力装置の低い振動音が消え、濡れた舗装に残っていた潮の匂いが、ふわりと巻き上がった。事務局の前では、作業員たちが忙しなく行き交い、遠くの岸壁からは大型コンテナを吊り上げる金属音が響いている。

 車から降りてきたのは、黒いスーツを着た20代後半に差しかかる若い男性だった。髪は乱れなく整えられ、革靴の爪先にも港の埃はついていない。周囲の雑然とした空気の中で、その姿だけが不自然なほど清潔に見えた。

 チェンバーと名乗った男性は、警備員に告げた。

「皇王府物流管理室の職員です。ルート三番の搬出許可が止まっていると連絡があってね、理由を確認したい」

 警備員はチェンバーの身分証を一瞥すると、受付カウンターの端末に手を伸ばした。画面に青白い光が走り、倉庫区画の担当者へ回線が繋がる。警備員は片耳に端末を当て、何度か相槌を打った。

 警備員が倉庫の担当者に回線を繋ぐ。端末を操作しながら、回線越しに話していた警備員が言った。

「該当貨物は現在、保税倉庫に留め置きだそうです」

 チェンバーは、少し動きを止めると警備員に聞いた。

「留め置き?うちの港湾補佐官と連絡が取れなくて分からないんだけど、皇王府指定貨物だからさ、代理人立ててなんとかできないかな?」

 警備員が直接話せとばかりに顔を顰めて、端末をチェンバーに差し出した。港の警備員らしい太い指が、端末の縁を叩く。面倒事を押し返したいという表情が、その顔にはっきり出ていた。

 端末の向こう側で、女性係員の事務的な声がした。

「代理承認には、元担当者の処理記録が必要ですが、規定上、担当者不在かつ書類不一致の場合は、税関検査を省略できません」

 チェンバーは端末を耳から少し離した。

 港の事務局の外では、荷役用のアームが低い駆動音を立て、遠くでコンテナを下ろす金属音が響いている。海面に反射した光が、事務局のガラス窓にゆらゆらと映っていた。いつも通りの港だった。人も、機械も、船も動いている。止まっているのは、ルート三番の貨物だけだった。

「書類不一致って、何が一致していないのかな」

 チェンバーは笑みを崩さずに聞いた。端末の向こうで、係員が紙をめくる音がした。薄い紙が擦れる音だけが、妙にはっきりと耳に届く。

「搬出許可番号と積荷明細の番号です」

「入力ミスじゃない?」

「その可能性も含め、担当者確認待ちです」

「だから、その担当者と連絡が取れないんだ」

「存じております」

 事務的な声は、そこで少しも揺れなかった。マニュアルを読むような平坦さが、かえって逃げ道を塞いでいた。

 チェンバーは舌先で奥歯を押した。警備員が気まずそうに視線を逸らす。港の空気は潮と油の匂いが混じっている。背後を作業員が通り過ぎ、何も知らない顔で搬送機を操作していた。搬送機の警告灯が黄色く点滅し、短い電子音を残して倉庫の奥へ消えていく。

「皇王府指定貨物だよ。検査対象に回したら、そっちも困るんじゃないかな」

 事務員は、チェンバーに答えた。

「はい。当方も困っておりまして、出荷先のダミアン通商へ何度も連絡しているのですが、担当の営業部長と先方でも連絡が取れていないそうです。申し訳ございません」

 チェンバーは、わかったと言い、静かに回線を切った。端末の画面が暗くなると、周囲の港の音が一気に戻ってきた。

 乗ってきた車に戻ると、胸の内ポケットから端末を取り出し、回線を繋いだ。黒い車体の窓には、クレーンの影が斜めに伸びて映っている。

「No8です。こちらの荷物も留め置きで動かせません、ヴィンセントも行方不明のままです」

 端末越しに声が聞こえた。

『わかった、代わりの人間をすぐに用意する。何かあれば、ジューロンに連絡しろ』

 チェンバーの息が一瞬止まった。握っていた端末の縁に、指先がわずかに沈む。

「いや、しかし、あいつは」

 端末の向こうの声が低くなった。

『問題ない。采配は任せてある』

 港から風が潮の匂いを運んでくる。岸壁の方で汽笛が短く鳴り、灰色の海鳥が倉庫の屋根から飛び立った。チェンバーは回線を切ると、一度だけ空を見上げてから車に乗り込んだ。

 ルクスグランでは、閣僚会議が行われていた。

 高い天井にシャンデリアが吊るされた室内には、皇王を待つ閣僚や政治家、軍幹部たちが一堂に会していた。磨き上げられた大理石の床には、靴音と低い囁き声が薄く反響している。壁面には帝国の紋章が掲げられ、その下で軍服の勲章が光を受けて鈍く瞬いた。

 ルッケンバウアーは、皇王の席の斜め前に座って端末を取り出し、画面に視線を落としている。周囲の談笑にも加わらず、背筋を伸ばしたまま指先だけを動かしていた。

 上着に入れていた携帯端末が震え、ルッケンバウアーが端末を取り出して回線を開く。

 声は低く、周囲には聞こえないくらいだった。

「用件は」

 耳に当てた端末を持つ手に力が入る。窓際のカーテンが空調の風でわずかに揺れ、シャンデリアの飾りが小さく触れ合う音を立てた。

「そんなことをいちいち報告してくるな」

 そう言い放つと、回線を切って上着にしまう。

 貿易担当者の失踪、積荷の出荷不備。行方不明のヴィンセント。どれも、末端の人間が1人か2人消えただけで、些細な問題のようにルッケンバウアーには見えた。

 さして大きな問題ではないことを逐一連絡などしてくるな。馬鹿馬鹿しい。


 会議室に入ってくる閣僚たちへ視線を向けたルッケンバウアーの眉間に、深い皺が刻まれていた。だが、扉の外から皇王の到着を告げる声が響いた瞬間、その皺は表情の奥へ沈んでいった。

 チェンバーの乗った車が、皇王府庁舎に到着すると、閣僚会議はちょうど終了時刻を迎えていた。

 皇王府庁舎の外壁は白く、午後の光を受けて眩しく輝いていた。巨大な柱の間を黒い車が滑り込み、停止する。チェンバーが車から降りると、庁舎の中から厚い扉越しに拍手の音が漏れてきた。

 部屋の中から拍手が起き、扉が開くと、閣僚たちが1人、また1人と出てきた。磨かれた靴が赤い絨毯を踏み、軍服の肩章がすれ違いざまに光る。誰もが会議で見せるための顔を整えていた。

 チェンバーは、廊下の角で立ちながら人が行き過ぎるのを見守っていた。

 ルッケンバウアーは、皇王の後ろに付いて歩いてきた。先程までの皺は眉間にはもう残っていない。皇王の歩幅に合わせ、控えめに一歩後ろを歩く姿は、先ほど端末に怒りを落とした男とは別人のようだった。

 一礼をして、皇王を見送ると角にいたチェンバーに視線だけを送った。

 チェンバーは軽く頭を下げてから、別棟にあるルッケンバウアーの執務室へと歩き始めた。

 執務室へ続く廊下は、会議室前の賑わいから離れるほど静かになっていった。壁に沿って並ぶ照明が、二人の影を長く床に落とす。扉の前に立つ警備兵が無言で敬礼し、重い扉が内側へ開いた。

「末端の事で、わざわざ連絡をしてくるなチェンバー」

 ルッケンバウアーは執務室の椅子に腰を下ろした。その座り方で、苛立っていることは見なくてもわかった。革張りの椅子が軋み、机上の筆記具がわずかに震える。

「……しかし、失踪者が不自然です」

 ルッケンバウアーはチェンバーを見た。チェンバーは、続けて話す。

「もう関係者が何人も消息不明になっているんですよ。ベルナインや、エルネストでも……」

 ルッケンバウアーが遮るように言った。

「何度言わせれば気が済む。家畜は増産して賄え。それがお前たちの仕事だ」

 室内には、空調の音が微かに鳴っていた。厚い絨毯が外の音を吸い込み、机の上の時計だけが規則正しく針を進めている。

 チェンバーはルッケンバウアーを見ると、すぐに顔を下に向けて視線を外した。

 その時、ルッケンバウアーは机の上の郵便物を見て表情を変えた。

 卓上には、白い封筒がトレーに乗せられている。執務室の整然とした書類の中で、その封筒だけが異物のように白かった。

 チェンバーは、ルッケンバウアーの顔が固まっていくことに気づいた。

 ルッケンバウアーは、封筒を触ると、封を開けて中を確認した。白いカードのようなものを取り出すと、少しの間だけ視線を下ろし、すぐに両手で破り捨てた。乾いた紙の裂ける音が、静かな室内にやけに大きく響く。

「死者の名を騙るか……この私に、警告のつもりか!」

 部屋にルッケンバウアーの声が響いた。その声でチェンバーは肩を上下に動かした。

 破り捨てた手紙を掴むと、屑籠に勢いよく叩きつけてルッケンバウアーは部屋を出ていった。扉が閉まる音が重く響き、執務室には空調の音だけが残った。

 残されたチェンバーが、屑籠に近づき中を覗く。


 屑籠の底には、さっき破り捨てられた白いカードが落ちている。

 カードには、黒い百合の紋章を象った蝋封が、割れた状態で押されていた。


 破れた白い紙片の上で、黒い百合だけがまだ形を失わず、冷たい光を受けて沈黙していた。



第一部 完

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