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SKY  作者: RUI
BLACK LILY

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115/120

Sky115-狩りの掟-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 


 卓上に置かれた書類を、一枚ずつ手に取って確認する。

 出国の日付、身分証番号、氏名。書類に不備がないか、出国する人間の名が何らかのリストに載っていないか。問題がなければ端末処理を済ませ、次の用紙を手に取る。


 ここでの仕事は、そうやって時間が過ぎていく。

 ローレンツは、静かな男だった。無口なわけではない。同僚と冗談を言いながら仕事をすることもできれば、仕事帰りにパブへ寄ることもあった。けれど、同僚たちの評価は一様に、静かな男、というものだった。

「今日も早くから席にいるんだな。お疲れさん」

 係員はそう言って、書類の横にいくつかの封筒を置いていった。

 誰もいないオフィスには、時計の音だけが響いている。新しい庁舎はどこも綺麗だったが、その時計だけは以前の旧庁舎から持ってきたもので、秒針の動く音がやけに大きく聞こえた。

 輪ゴムで留められた紙の束は、いつも請求書やセールスの類が多い。

 ローレンツは封筒の束を手に取り、届いた手紙を一通ずつ確認した。請求書。セールスの案内。出入国書類の郵送物。そして、最後の封筒を開いた時、指先が止まった。

 中に入っていたものを見て、身体が固まる。白い紙片の端を押さえる親指だけが、かすかに強張っていた。

 時計の秒針が、一つ進む。

 次の瞬間、ローレンツは椅子を引いて立ち上がった。卓上に散らばっていた書類を乱暴に整え、鞄と上着を手に取る。慌てて鞄を持ち上げた反動で、机の端に置いてあった印鑑が床へ落ちた。硬い音が、無人のオフィスにひとつ響く。それには目もくれず、職場の扉を開けて廊下へ急ぎ足で出ていった。

 庁舎の裏口をセキュリティカードで開く。外の空気は、まだ朝の冷たさを残していた。彼は周囲を見渡し、ジャケットの襟を立てると、顔を隠すようにして歩き始めた。


 早朝の路地には、ほとんど人がいない。出勤時間前の街は、建物だけが先に目を覚まし、人間の気配だけが遅れているようだった。

 路地の突き当たりを曲がり、家とは違う方向へ歩く。靴音が、左右の壁に乾いて反響した。

「ヴィンセント・グレイモン」

 唐突に聞こえた声に、ローレンツは足を止めた。


 その名を聞いた瞬間、背中の奥に、古い傷を爪でなぞられたような感覚が走った。違う立場の、限られた人間しか知らない名前。

 背後の気配は次第に近づき、けれど一定の距離を取って止まった。ローレンツはゆっくりと振り返る。

「二枚目のカードは見たか」

 後ろに立っていたのは、画面越しでしか見たことのない男だった。

 黒が薄くなったような濃いグレーの髪。同じ色の瞳。何度か肖像画で見た皇王の若い頃によく似た顔立ち。ローレンツは動揺を押し殺し、表情を変えないようにして言った。

「……何のことだ」

 カイトは、ゆっくりとヴィンセントに近づいた。足音は、人のいない路地に吸い取られるように消えていく。

「“認識”“警告”“捕獲”。分かってるだろ」

 唾を飲み込む音までもが、路地に響いたような気がした。

 ヴィンセントはカイトを見据えたまま言った。

「俺をどうするつもりだ」

 カイトはジャケットのポケットに手を入れたまま、ほんの少しだけ頭を傾けた。

「ここから消えるか。この世界から完全に消えるか。お前が選べ」

 ヴィンセントが胸元へ手を伸ばした。拳銃を抜こうとした、その瞬間だった。低く潰れた破裂音が、路地の壁に吸い込まれる。

 次の瞬間、脚に激痛が走った。

「……っ!」

 ヴィンセントは膝から崩れた。痛みの走った脚から血がにじみ、慌てて手で押さえる。だが、踏ん張ることもできず、身体はそのまま道端へ倒れ込んだ。声にならない声が喉の奥で潰れる。


 見上げた先で、カイトはすでにジャケットのポケットから手を抜いていた。サイレンサーの付いた拳銃が、その手に握られている。銃口から細い硝煙がほどけ、早朝の冷えた空気に溶けていった。

 ヴィンセントの手には、抜きかけの拳銃が握られていた。

 カイトは倒れたヴィンセントへ近づき、銃口を向けた。

「ここで銃を抜くということは、完全に消えるってことでいいんだな」

 ヴィンセントは薄ら笑いを浮かべて言った。

「俺一人、ここで消えたって変わらない。すぐに違うやつが同じ席に座るだけだ」

「違う名を与えて、違う人間にさせるのか」

 ヴィンセントの目が大きく開いた。さっきまでの表情はどこかへ消え、銃を握る手がかすかに震えた。


 この男は、何をどこまで知っている。

 ローレンツという名。出入国処理係としての席。机の上に積まれた書類。それらはすべて、自分がそこにいるために与えられたものだった。

 カイトは銃口をヴィンセントに向けたまま、口を開いた。

「お前も“適合した子供”だったんだろ。生き延びるために、同族狩りに手を貸したのか」

 その言葉に、ヴィンセントの呼吸が一瞬だけ止まった。適合した子供。

 かつて、誰かがそう呼んだ。名前ではなく、番号でもなく、血液の反応を見た後で、大人たちは彼をそう呼んだ。

 ヴィンセントの視界の端で、路地の壁が白く滲んだ。早朝の冷たい空気が、消毒液の匂いに変わっていく。

 初めは、ただの血液検査の結果を聞くだけだと思っていた。

 病院の別室に呼ばれた時、部屋にいたのは両親ではなく、スーツを着た男たちだった。一緒に来ていた母は、廊下の向こうにいると思っていた。父も、仕事が終われば迎えに来るのだと思っていた。見慣れない色の壁。消毒液の匂い。綺麗に磨かれた床。大人たちの靴音だけが、やけにはっきりと聞こえていた。

 立派なことなんだよ、と誰かに言われた気がする。家には帰れなかった。

 母の声も、父の手も、もうそこにはなかった。廊下の向こうにいると思っていた人たちは、最後まで扉の中へ入ってこなかった。

 君はこの国の英雄になるんだ。

 そう言われて、施設に連れて行かれた。まだ十歳だった。


 その日から、名前は少しずつ遠くなっていった。呼ばれるたびに違う響きを与えられ、違う服を着せられ、違う役割を覚えさせられた。それは任務で、義務で、国のためで、英雄になるために必要なことだと教えられた。

 そう信じなければ、あの日、家に帰れなかった理由が、どこにもなくなってしまう。

 ヴィンセントの目に、もう迷いはなかった。何かのスイッチが入ったように、彼はカイトを見据える。脚から流れる血も、路地の冷たさも、もうそこには届いていないようだった。

 その目だけが、どこか十歳のまま取り残されているように見えた。黒いスーツを着て、適合者の家の扉をノックし、あの時の大人と同じ顔をして同じ言葉を吐く。大人の声で話し、女を抱く。しかし、そのどの瞬間にも、奥にいるのは、施設の壁の前で立たされていた子供だった。

 ヴィンセントは銃口をカイトの眉間へ向けた。

「俺は、同族狩りをしていたんじゃない。この国の英雄になるんだ」

 カイトは眉をほんの少しだけ動かした。迷いはなかった。一瞬で引き金を引く。

 鈍い音が路地に響き、すぐに消えた。早朝の街は、何も聞かなかったように静まり返っていた。

 カイトは倒れた男を見下ろした。そこにあったのは、任務を終えた男の顔でも、帝国の監察官の顔でもなかった。ただ、最後まで与えられた言葉に縋りついた人間の残骸だった。

「……そんなものは、ただの偶像だ」

 そう言って、カイトはすぐに端末を取り出し、待機していたニコに連絡を取った。

「終わった。片付けて帰る」


 カイトは端末をしまうと、路地の隅に置いてあったビニールシートを広げた。倒れた身体を包み、血の広がりを確かめる。壁に散った飛沫を布で押さえ、石畳に残った跡へ薬剤を落とした。

 死体は、すぐに人の形を失った。ビニールの内側で折り畳まれ、紐で縛られ、ただ運ぶべき荷物になる。銃声も、硝煙の匂いも、朝の冷えた空気の中で少しずつ薄れていった。路地は、何事もなかったように静まり返っている。

 遅れて、ニコが車を路地の入り口に停めて降りてきた。

「早かったな」

 カイトはシートを縛りながら、ニコに返した。

「こいつを沈めたら、一度戻ってケイに会う。それからリーパーを眠らせる」

 ニコはシートの端、足の部分を紐で固定しながらカイトの横顔を見た。

「お前、どこまでミナに調べさせたんだ」

 紐を持っていた手が止まった。丸く織り込まれたシートを見ながら、カイトは静かに言った。

「この世界が腐ってると嫌でも認識できるくらいには調べさせた」


 アルクトリ皇室から照会用のカードを受け取った後、カイトはNTOとオルテアの記録を、監視網を潜り抜けながらミナに洗わせた。

 NTO発足前後のヴィーラ開発研究。オルテアの対オルディア政策。ノエルの死んだ研究所からこぼれ落ちた断片。バートルの組織図と構成員。政治家、関連企業、NTO側の協力者。

 どれも単独では、ただの記録だった。けれど重ねると、国家存続、人権保護、世界秩序といった言葉の陰で、人間を番号と血液反応と適性値に置き換えていく同じ線に繋がっていた。

 カイトは、その線の先に何があるのかを、まだ言葉にしなかった。言葉にすれば、見てしまったものをすべて認めることになる気がした。

 自分たちが眠らされていたことも、アスミがREDROSEとして戦場に立ったことも、別々の出来事ではなかったのかもしれない。

 カイトは、紐を持つ手に力を入れた。

「いくぞ。時間がない」

 そう言って、ビニールシートで包まれた“英雄の残骸”を担ぎ、車へと歩いていった。


 その頃、ARCLINE本部の研究室では、フィーが送られてきたチップの内容を確認していた。大小いくつか並べられた端末には、被験者の基本情報、血液反応、オルタイト共鳴値、生体モニターの記録が、それぞれ別の形式で表示されている。同じ名前に紐づく数値が、画面ごとに違う意味を持って並んでいた。

 フィーはそれらを見比べるように、四方の画面へ視線を移した。やがて、ごくりと唾を飲み込む。誰もいない部屋の中に、深いため息だけが落ちた。そして、机に置いてあった携帯端末を取り、回線を開いた。

「何かわかったか」

 端末から、ケイの低い声が聞こえてくる。

「命を狙われた甲斐がありましたね。良い情報と、とても悪い情報があります」

 ケイはフィーの言葉に鼻で笑った。良い情報も悪い情報も、同じ箱に入っているなら中身はろくなものではない。

「とても悪い情報から言え。どっちにしろ良い情報なんてものが出るようなファイルじゃないだろ」

 フィーは軽く息を吐くと、椅子に深く腰掛け直し、体重を背もたれに預けた。

「REDROSEはオルテアの捕獲対象になってますよね。彼らは確実にREDROSEを拉致しようとしますよ。絶対に逃すはずがない」

 電話口の音が止まった。フィーに聞こえるのは、研究室の中にある機器の電子音だけだった。

 それから少しして、ケイが話しはじめた。

「生きてさえいれば、どんな状態でもって意味だな」

 フィーは目の前の画面に並ぶ生体データを見渡した。古い記録だった。けれど、古いというだけで価値を失うようなものではない。むしろ、オルテアが長い時間をかけて隠し通してきたものが、そこには残っていた。

 なぜ彼らが、あの血をここまで追うのか。なぜ、ただの高適合者では足りないのか。その理由の輪郭が、いくつもの数値の向こうに見えている。

 フィーは静かに、ケイの言葉に返した。

「“息さえしていれば”どんな状態でも、彼らはREDROSEを連れて行きます。彼らが欲しいのは高適合者だけではなく」

 フィーは一度言葉を切った。画面の中の名前を見つめる。

「ノエル・オルディアの“血”を受け継いだアスミ・レイナーです」

 やはり、ノエルの血に関係があった。ケイは眉間に皺を寄せたまま、端末を握る手に力を込めた。

「わかった。あとは本部に戻ったら聞く」

 そう言って、通話を切る。

 なぜオルテアはアスミを狙うのか。なぜ、同じ高適合者である自分ではないのか。ケイの中にあった疑問は、ようやくひとつの線に繋がった気がした。

 艦長室にある艦内通信の回線表示が光る。

「どうした」

 ホロ画面の向こうには、艦橋にいるミナが映っていた。

「北方基地と繋がりました。そちらに回線を回しますか?」

 NTOにどこまで伝えるか。ケイは一瞬だけ手を止めたが、すぐにミナへ顔を向けた。

「繋げろ」

 ミナは「了解」と答え、画面がすぐに切り替わった。ホロ画面の向こうには、よく見慣れた顔が、同じように眉間に皺を寄せて立っていた。

 ケイは口元を緩ませ、いつも通りの少し意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「そんな怖い顔すんなよ。久しぶりの再会だぞ」

 艦長室には、ケイの声だけが低く残った。




 ルクスグランから東へ二時間ほど走ると、小さな街があった。小高い丘には古い洋館が建ち、丘の下には集落がいくつか点在している。洋館の先には海岸へ降りる道があり、外から来た人間には分からないほど細く、草に隠れた道だった。

 ニコが洋館の前で車を停めると、カイトは車を降り、門の前に立つ住人の方へ歩いていった。

 ケイリー・ミドルトンは、五十代ほどの上品な立ち姿の女性だった。高価な服を身につけているわけではない。けれど、きれいに整えられた黒髪にはほんの少しだけカールが混じり、手入れの行き届いた肌は、丁寧に暮らしてきた人間のものだった。

 ケイリーはカイトを見つけると、微笑んで軽く手を上げた。

「今日は随分と早く戻ってきたのね」

 カイトもケイリーに微笑み返した。

「あんまり出歩くと、ケイに怒られる。あなたが見えたから、挨拶をと思って。また夕方に出ます」

 ケイリーは頷き、手にしていた掃除用の箒を門に立てかけると、カイトの肩についていた葉を取った。葉はひらひらと地面に落ち、それを見届けて、また少し微笑んだ。

「あなた、本当にエリンによく似てるわ。遺伝ってすごいわね」

 その言葉に、カイトの表情が少しだけほぐれた。この人は、母の旧友という理由だけで、自分の敷地内にある海岸へ続く洞穴をARCLINEに提供してくれた。旧友というのは、面影まで似るものなのだろうか。カイトはケイリーの横顔に、ほんの少しだけエリンを重ねた。

「早く会えると良いわね」

 ケイリーはそう言って微笑むと、また箒を手に取り、門の前を掃き始めた。

 カイトは小さく頭を下げて車に戻った。ニコが何も言わずに車を出す。車は洋館の横を抜け、敷地の奥へ続く細い道を静かに下っていった。

 カイトたちが洞穴の前に着く頃、艦橋ではサジがニコの席に座り、二人の帰りを待っていた。

 艦橋のドアが開くと、ミナが憤慨した様子で入ってきた。足音だけで機嫌が分かるような歩き方だった。

「あの人、いつまでいるんですか。さっき食事を持って行ったら、なんて言ったと思います?」

 ミナは手にしていた端末を卓上に置き、苛立った声を落とした。

「お肉は、グランベル産の自然放牧のものしか食べられないから変えて、って。早く引き渡してくださいよ。グランベル産なんて、この艦の二日分の食費と同じくらいするんですよ」

 サジはミナを横目で見て、持っていたカップを少しだけ上げた。

「ミナ、そう怒るなって」

 そう言って椅子の背にもたれ、気楽そうに笑う。

「強がってるんだろ。怖いの隠してさ。可愛いじゃん」

 ミナは自分の席に腰を下ろすと、椅子を鳴らしてサジの方へ向き直った。それから、ゆっくりと目を細める。

「サジは、女で失敗しますよ。絶対」

 艦橋の賑やかさは、通路を歩いてきたニコの耳にも届いていた。

「楽しそうだなあ」

 艦橋に入ってきたニコに、サジとミナが一斉に顔を向けた。サジが椅子から身を乗り出す。

「あれ? カイトは?」

 ニコは片手を肩に置き、軽く腕を回した。

「重役会議だよ。艦長室に行ってみろ。重すぎて息ができないという貴重な体験ができるぞ」

 サジとミナはお互いを見合わせ、苦い顔で笑った。



 隔離室には窓がない。金属の壁には熱がなく、天井の灯りだけが白く落ちている。

 狭い卓の上に、カイトはボトルと二つのグラスを置いた。赤い液体がガラスの内側を薄く濡らし、かすかな香りが立つ。

 拘束されたまま椅子に座るリーパーは、その手元をじっと見ていた。

 口元には笑みがあったが、視線の奥では少しも気を抜いていない。扉の位置も、卓までの距離も、カイトの指の動きも、すべて測っている目だった。

「一杯やろうかと思って」

 カイトは穏やかに微笑んで、ボトルを傾けた。細い音を立てて注がれたワインが、二つのグラスの底を赤く染める。微笑んでいるようで、その表情に感情はなかった。

「良いワインね。美味しそう」

 リーパーはワインのラベルを見ると、唇の端だけで笑った。声は甘いのに、そこに混じるのは媚びではなく探りだった。彼女はグラスへ視線を落とし、その赤を眺めてから、ゆっくりとカイトを見上げた。まつげの影の奥で、女の顔と殺し屋の顔が同じ静けさで並んでいる。

 カイトは片方のグラスをリーパーに差し出した。差し出されたグラスを、リーパーはすぐには受け取らなかった。

「飲まないのか?」

 そう言われても、指先ひとつ動かさず、ただその液体を見つめ、それからカイトの目を見る。疑いは隠さない。簡単に差し出されたものを飲むほど、甘い世界で生きてきてはいない。

「飲ませてくれないの?」

 その一言とともに、室内の空気がわずかに変わった。リーパーが首をほんの少し傾けると銀色の髪が流れるように動いた。そして、相手の間合いに踏み込むように笑った。

 カイトとリーパーはお互いの目を見据えあったまま動かない。沈黙は短かったが、互いの思惑が噛み合うには十分だった。

 おもむろに、カイトが自分のグラスのワインを口に含んだ。次の瞬間、彼はリーパーへ歩み寄り、後頭部を掴んで自分の方へ引き寄せた。リーパーの髪が肩を滑り、白い首筋が灯りの下にのぞく。鼻先が触れるほど近づいたところで、カイトはそのまま口移しに液体を流し込んだ。

 リーパーの喉が動く音が聞こえる。最初は受け身のように見えたが、その実、彼女は最後まで相手の顔を見ていた。

 飲み込みながらも、視線だけは逸らさない。

 口の中の液体を全て流し込むと、リーパーはカイトの唇を噛んだ。カイトの身体がわずかに止まり、すぐにリーパーから離れた。

 それから、リーパーは少しだけ笑ってカイトを見た。

「あら、切れちゃった。痛そうね」

 唇から血が滲んだ。赤は薄く、けれどはっきりと口元に残った。カイトは眉ひとつ動かさないまま、口の中に残った微量のワインを床へ吐き出した。赤い筋が白い床に散り、その直後、彼は手の甲で力一杯唇を拭った。嫌悪を隠す気もなく、触れられた痕跡ごと削り取るような拭い方だった。

 リーパーはその様子を見て、喉の奥で小さく笑う。だが、その笑いは最後まで形にならない。瞼がゆっくりと重さを帯び、呼吸の拍がわずかに乱れた。

「寝ろ。遊びは終わりだ」

 カイトの声は低く、冷たかった。リーパーは何か言い返そうとしたのか、唇をわずかに動かした。しかし、次の瞬間には力が抜け、身体が椅子の背へ沈んでいく。長いまつげが影を落とし、最後まで人を試すようだった目がゆっくりと閉じた。


 室内には、ワインの残り香と、微かに残る鉄の匂いだけが漂っていた。



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