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SKY  作者: RUI
BLACK LILY

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106/120

Sky106-ヴァルシュタインの娘-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 

 アルクトリ皇国 首都オーシナル


 企業・中立国・財団関係者が集まる夜会は、きらびやかで、どこか息苦しかった。

 高い天井から吊るされた照明が、磨き込まれた床に淡い光を落としている。

 楽団の弦の音が広間の端で揺れ、グラスの触れ合う音と、低い笑い声が幾重にも重なっていた。


 淡い水色のドレスの裾を指先で整えながら、アンナ・ヴァルシュタインは隣に立つ少女、ターニャ・アルクトリへ微笑んだ。

 ターニャは、王室の令嬢らしい上品な立ち姿をしていた。けれど、その瞳には年相応の好奇心が隠しきれず、周囲の大人たちが政治の話をしている間も、きょろきょろと広間を見回している。


「ねえ、アンナ。ARCLINEって知ってる?」

 唐突な問いに、アンナは一瞬だけ瞬きをした。すぐに、笑みを崩さず答える。

「ええ。仕事で会ったことはあるわ」


「良いなあ!」ターニャはぱっと顔を明るくした。

 近くで給仕が銀の盆を掲げて通り過ぎる。シャンパンの泡が、細いグラスの中で小さく弾けていた。


「先日、お父様とお兄様が別荘でARCLINEの人と会っていたのよ。私も見てみたかったわ」

 アンナの笑みが、ほんのわずかに止まった。――ARCLINEと、アルクトリ皇太子が?

 心臓が一拍、静かに遅れる。けれど彼女は、それを顔には出さなかった。

「……そう。なんのお話だったの?」


「それが、全然教えてくれないの」ターニャは唇を尖らせる。

「私たちが帰った時には、もういなかったし。ジャンお兄様も、何だか機嫌が悪くて――」

「ターニャ」

 背後から、低い声が落ちた。

 アンナが振り返ると、ジャン・アルクトリが立っていた。

 白い礼服の襟元はきちんと整っているのに、その表情だけが、社交の場には少し硬すぎた。

「余計なことを話すな」

 ターニャは肩を小さく跳ねさせた。

「ごめんなさい、お兄様」


 アンナはすぐに目を伏せ、柔らかく頭を下げた。

「ジャン様、ごめんなさい。私も興味本位で、つい質問してしまいました」

 ジャンはアンナを見る。の目には礼儀を保とうとする冷静さと、隠しきれない不快感があった。

「あんなやつのことを話題にするのは、無駄な時間ですよ」


 あんなやつ。

 アンナは、その言葉を胸の奥で静かに拾った。ARCLINE全体を指している声ではなかった。

 もっと個人に向けた、苛立ちの温度。

 ――カイトが来たのかしら。


 ジャンはターニャの肩に軽く手を置いた。

「ほら、あっちにお前の好きなローストビーフがあったぞ。ターニャ」

「本当? 行く!」

 ターニャはすぐに機嫌を直し、ジャンに連れられて広間の奥へ歩いていった。

 ジャンは一度だけ振り返り、アンナへ礼儀だけの会釈を残す。


 アンナも同じように微笑み返した。

 二人の背中が人混みに紛れてから、アンナはゆっくりと息を吐いた。楽団の音が、急に遠くなる。


 彼女は広間の端に控えていたキーン・グルドマン少尉へ視線を向けた。

 キーンはすぐに気づき、無言で近づいてくる。

「いかがなさいましたか」

 アンナはグラスを持ったまま、何事もなかったように笑った。

「キーン、急いでARCLINEにお願いしたい護衛の仕事があるのだけれど」

 キーンの眉が、わずかに動く。

「護衛、ですか」

「そうよ」

 アンナは、ジャンたちが消えた方へ一度だけ目を向けた。

「連絡を取ってちょうだい」

「……誰に」

 アンナはにっこりと微笑んだ。

「いつもの護衛を寄越して、って」

 キーンは一瞬だけ沈黙した。その顔に、面倒ごとを察した諦めの表情が浮かぶ。

「……承知しました」

 キーンは短く息を吐くと、携帯端末を取り出した。ARCLINEへ繋がる連絡先を開き、通話ボタンを押す。


 ヴァルシュタイン工業はSKYの製造業に携わり、兵器開発で莫大な富を得た企業の一つだ。

 世界でその名を出せば、大抵のことは思うがままに動かせる。


 アンナは企業のトップであるエリアス・ヴァルシュタインの姪に当たる。

 17歳という若さではあるが、いくつかの子会社を任され、上流階級の社交界でも名を知らぬものはいなかった。

 長く美しいブロンドの髪に可愛らしい顔立ち、ただ立っているだけで育ちの良さが現れている。


 しかし、専属護衛であるキーンにはわかっていた。アンナは、ARCLINEのカイト・ボリーに執着している。

 だが、あれは簡単に手に入るおもちゃではない。契約で呼べば来る護衛でも、金を積めば機嫌よく隣に立つ男でもない。使い方を間違えれば、アンナ一人の傷では済まない。ヴァルシュタインの名前に、余計な火がつく。

 端末を耳に当てながらキーンはアンナのいる壁側を目で追っていた。

 そこには笑顔で微笑み、壁に沿って立っている少女がいた。


 グラスの縁に指を添える。

 透明な液面に、照明の光が細く揺れている。アンナはそれを見て、楽しそうに目を細めた。

 遠くで、ターニャの明るい笑い声が響く。その裏側で、社交場の空気が、ほんの少しだけ別の温度を帯び始めていた。

 ――ARCLINEが、アルクトリ王室と繋がった。

 アンナはグラスの縁に指を添えたまま、笑みを崩さない。


 何が始まるのかしらね、カイト・ボリー。


 *


 ARCLINEの母艦は本部を離れ、各国の主要都市にある関連施設を隠れ蓑にしながら、アルクトリの宇宙港へ移動していた。母艦のまま動き続ければ、人目を引く。次の作戦準備が整うまで、宇宙港の格納庫へ収め、別の船を使う予定になっている。


 数日前、皇室で起きた一件をきっかけに、アルクトリへ滞在中のミラ・アステリアは、カイトに社交界や社会生活に必要な基本的なマナーを教える。ミラは、そう言って半ば強引に、ケイとカイトへ約束を取り付けた。用事がなければ、ほとんど顔を合わせることもなかった。けれど、今回ばかりは自分も直接関わった以上、他人事では済まないらしい。憤慨しているはずなのに、ミラの表情はどこか楽しそうでもあった。


 アステリアの企業ビルへ向かう前に、カイトはメインストリートの一角にある小さなレストランへ入った。店内にはカウンター席と、そのすぐ後ろに二、三卓のテーブル席が並んでいる。昼時を少し過ぎた店内には、食器の触れ合う音と、厨房から聞こえる短い声が重なっていた。カイトはカウンターの奥へ座り、店員へ注文を告げた。


 しばらくすると、湯気の立つミートスパゲティが運ばれてくる。

 カウンターの向こうに設置されたモニターでは、襲撃事件による各国の混乱や、戦争のニュースが繰り返し流されていた。

 カイトはフォークを手に取り、画面を眺めながら食事を始めた。

 食べ終える頃、背中越しに、聞き覚えのある名前が耳へ入った。


「休みの日にせっかくアルクトリまできたのに、ビルの特大画面でまでREDROSEの映像見たくないよな。小隊長も大変だ。あいつ、まだ復帰しないんだろ」

「リオ、いつまでセリのこと小隊長って呼ぶの。もう違うでしょう」


 カイトは、ほんの少しだけ視線を後ろへ流した。

 同じ年頃の男女が座っている。

 服装は市民のものだったが、立ち振る舞い、身体つき、周囲へ向ける視線の動きで、軍人だと分かった。

「ユイ、何言ってんだ。俺にとってセリは、いつまでも愛しい小隊長だよ」


 二人は、セリを知っている。

 カイトは静かに席を立ち、店の外へ出た。


 高層建築の間を、人の波が途切れなく流れている。宇宙エレベーターへ続く通りには、企業の広告映像と交通案内が幾重にも投影されていた。

 しばらくして、食事を終えた二人が扉を開け、通りへ出てくる。カイトは、その背中へ声を投げた。

「セリ・アンダーソンの知り合いか?」


 リオとユイが振り返る。リオはわずかに身構え、カイトを見た。

「……君は?」

 カイトは柔らかく微笑み、片手を差し出した。

「ごめん。さっき、席でセリの名前が聞こえたから。カイト・ボリー。セリとは同じ学校だったんだ」


 リオの肩から、少しだけ力が抜ける。差し出された手を掴み、軽く握手を交わした。

「なんだ。びっくりした。俺はリオ。こっちはユイ」

 隣で、ユイが軽く会釈をする。

「セリと全然連絡が取れなくてさ。二人とも知り合い? じゃあ、アスミも知ってるの?」


 リオとユイは、互いに視線だけを合わせた。警戒というより、アルクトリの街中でどこまで口を開くべきか、確認するような動きだった。

「ああ。俺たち、西方で一緒に飛んでたんだよ」


 一緒に飛んでいた。

(ああ、そうか)

 あの時、西方にいた二機。目の前の二人が乗っていたのか。


 カイトの頭の中に、一瞬だけ西方での戦闘が蘇る。視界の端を走った閃光と、交差した機影。けれど、それはすぐに現在の街並みへ戻った。


 リオは、間を置かずに続けた。

「セリはいま、連絡を返せないと思うよ」

 カイトの動きが、一瞬だけ止まった。

「返せない? なんで?」

 リオは顔を上げ、雲一つない青空を見た。アルクトリの空は、高層建築と宇宙エレベーターに切り取られている。空の青は、その隙間からほんの少しだけ見えた。

「まあ、宇宙にいるからな」

 ユイが、カイトを見たまま言った。

「二人とも配置換えになったから、もう西方にはいない」

 ユイの目は、探るような視線だった。カイトはそれを受け止め、同じ笑みを崩さない。

「そっか。ありがとう。あいつには、また時間を置いて連絡してみるよ。時間を取らせて悪かったな」

 片手を上げ、二人へ背を向ける。

 人波に紛れていくカイトの背中を、リオは黙って見送った。ユイも、その一定の歩幅と身体の運び方を目で追っている。

「リオ。あの人、たぶんどこかのパイロットだと思う」

 リオが、驚いたようにユイを見る。

「え? どこかって? まさか……帝国?」

 ユイは笑わない。静かな口調で返した。

「立ち振る舞いや身体つきは軍人じゃなかった。けれど、戦場を知らない目ではない」

 わずかに間を置く。

「質問も、視線も、笑顔も……線を引くのが、すごく上手」

 カイト・ボリーと名乗った男のその癖を、ユイはどこかで見たことがあるような気がした。


 カイトは通りの角を曲がり、人通りの途切れた場所で足を止めた。


 配置換え。

 宇宙。

 復帰していないREDROSE。


 二人がいるのは、ノーザンクロス。確証はない。けれど、確信はあった。

 カイトは、そのままミラの待つ場所へと歩き始めた。


 *


 ヴァルシュタインから呼び出される呼び出されるのは、いつも決まった場所だ。

 一族が持つ海外沿いの綺麗なコテージ。

 庭は整備され、バルコニーから目の前はすぐ海だ。

 プライベートビーチになっていて、敷地内に入った者しかここには来られない。

「ったく、忙しいのに急な呼びだしだよな」

 サジがバルコニーのポーチにある一人掛け用のソファに座って、出されたアイスコーヒーを啜っている。

「いつもだろ」

 カイトはソファの横に立ってポーチの柵に寄りかかりながら海を眺めていた。

 アンナは苦手だ。距離の積め方が急に近くなる時がある。天性の令嬢と言う言葉の通り、全ての人間が自分にひざまづくと思っている顔。

 だけどあれは使える。カイトにとって、アンナもまた利用できる対象の一人だった。

「急にお呼びたてして、ごめんなさい」

 白いワンピースをひらひらと揺らしながら、ゆっくりとアンナはコテージの中から出て来た。

 キーンは相変わらず、商業連邦の紺色の軍服に身を包み、無表情でアンナの横に立っている。

「護衛任務と聞いているが」

 カイトがキーンに視線を送りながら言った。キーンは目線を合わせたが、すぐにアンナへと視線を変える。


 アンナはカイトの袖に、そっと片手を乗せた。

「そうなの。今回は、少しだけプライベートで出かけたくて」


 サジが苦い顔をして、カイトを見上げる。

「今回はどこまでですか。俺ら、けっこう他の任務も溜まってるんですけど」

 サジがそう言っても、アンナは彼を見なかった。

「すぐ近くだから、カイトだけでいいわ。あなたはここで、キーンと待っていてくださる?」


 キーンの眉が、わずかに動いた。

「アンナ様、お言葉ですが……」


 言い終えるより先に、アンナは右手をすっと上げた。

 視線だけが、キーンへ向けられる。そこに笑みはなかった。

「敷地からは出ないわ。カイトとお散歩したいだけ」

 そう言うと、アンナはカイトに後ろについて来るように視線だけで指示を出した。

 カイトが軽くため息をついて、アンナの後ろを歩いていく。


 孤島の砂浜に流れ着く波は、穏やかだった。風も海も世界の動きとは関係なく漂っている。


「先日ね、アルクトリの王室とARCLINEが面会したと、ターニャ・アルクトリ皇女から伺ったの」

 アンナは、海を見ながら言った。その声は、先ほどまでと同じように柔らかかった。

「あなた、これから何を始めるつもり?」

「……あんたには関係ない」

「あら、怖い」

 アンナは小さく笑った。けれど、目は笑っていなかった。

「でも、アルクトリと会うのなら、あなたとケイの二人しかいないわよね」


 カイトの指先が、わずかに動いた。その動きを、アンナは見落とさなかった。

 海から目を逸らさないカイトを見上げ、アンナはゆっくりと口を開いた。

「“カイト・オルディア”第二皇子」

 カイトはアンナを見た。目を逸らせば、何かを悟られる。そう分かっていたから、彼は彼女から視線を外さなかった。

「私、あなたのお手伝いができればいいなと思っただけなのよ」

 アンナは一歩近づき、当然のようにカイトの右腕へ手を絡めた。

「REDROSEが戦場から消えて、心配でしょう?」

 カイトの呼吸が、わずかに止まる。アンナはそれを見逃さなかった。

「私が、会わせてあげると言ったら」

 白いワンピースの裾が、潮風に揺れる。

「あなたは、どうする?」


「その必要はない。会いたければ、自分で行く」


 アンナはにこりと微笑んだ。けれど、絡めた腕は離さなかった。

「そうね。あなたには、その力があるわ」

 そう言って、カイトの胸にそっと頭を寄せる。

「だから好きなの。あなたのこと」

 カイトはその腕を振り払わない。そして、少し間を置いて言った。

「用事はそれだけか」

 アンナは胸に顔を寄せたまま答える。

「そうよ。あなたがアルクトリと会ったと聞いて、REDROSEのことかと思ったの」

 アンナの声は甘い。

 けれど、その言葉はひとつずつ、カイトの反応を確かめるように置かれていく。

「困っているなら、私が手伝おうかなって」

「……」

「でも、違ったみたいね」

 アンナは顔を上げ、カイトを見た。

「きっと、もっと大きなことをするのね」

 カイトは、アンナの腕に軽く触れ、そのまま優しく引き離した。

「そうだな……“足のつかない兵器”を扱ってるやつを探している。心当たりは?」

 アンナは一瞬だけ止まると、頬を少し染めて嬉しそうに言った。

「なくても見つけ出す。あなたのために」


 バルコニーから二人を眺めていたサジに、キーンが言った。

「Vectorは何を考えている」

 サジはキーンを見ずに出された飲み物を啜った。

「さあね。俺にもよくわかんないな、あいつは自分の勝ち筋を言うやつじゃないんで」

 キーンはサジを見て、少し苛立ったように言った。

「……ゲームじゃないんだ、Vectorと古賀ケイがやろうとしていることくらい、わかってるだろ」

 コーヒーを飲み尽くすと、グラスを机に置いてサジは腕を伸ばす。

「護衛任務以外は俺は別行動だし、見当もつかないよ。最近のあいつは特にな」

 サジはニコリとキーンに笑って見でたが、こちらを見るキーンの目は笑っていなかった。


 アルクトリから戻って以降、カイトはケイと二人で行動することが増えた。ARCLINEの任務とは別で動いている。サジはカイトの変化に気づいてはいたが、聞いたことはない。

 カイトが何かを動かそうとしていることは、聞かなくても想像はできた。


 海から吹く風が、アンナの髪を揺らす。彼女は十七歳の少女らしい顔で微笑んでいた。

 けれどその瞳は、もう少し先の世界を見ようとしている。


 ヴァルシュタインの娘。


 カイトは胸の内で、その言葉を静かに反芻した。使える。だが、使い方を誤れば、こちらの手を傷つける。

 彼女はまだ幼い。けれど、無害ではない。  

 遠くで、氷の入ったグラスが鳴る音がした。ポーチに残されたサジの苛立った声も、キーンの低い返答も、潮騒に紛れてもう聞き取れない。


 アンナは絡めた腕を離さないまま、静かに海を見つめていた。

 まるで、自分もこれから始まる何かの内側に、当然入っているのだと言うように。



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