Sky103-届かぬ先に
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
ARCLINE母艦のブリーフィングルームには、航行中の低い振動が絶えず伝わっていた。
天井を走る配管の奥で空調が唸り、壁面に埋め込まれた端末の冷却ファンが、乾いた音を立てて回っている。
照明は必要最低限に絞られ、室内の中央に投影された航路図だけが青白く浮かんでいた。
ミナは前方のコンソールに立ち、解読した通信ログを一行ずつ画面に送った。
帝国側の暗号回線から拾い上げた断片は、完全な命令書ではなかった。
発信元を伏せるために何度も中継され、単語の一部は欠落し、時刻にも意図的なずれが混ぜられている。
それでも、同じ座標が複数の経路から繰り返し現れていた。
LAA学園コロニー。
ブライトン大統領の訪問予定日。
成功率を最優先とする兵器運用。
いずれも発信地点は異なるが、最後には必ずLAA周辺の宙域へ収束している。
ケイは長机の端に腰を預け、腕を組んだまま画面を見ていた。
眉間に薄く皺が寄り、指先が上腕部を一定の間隔で叩いている。
「LAA訪問時に襲撃される可能性が高い」
ケイの声は低く、室内の機械音にも紛れなかった。
壁際に立っていたウィリスが、投影された航路図へ目を向けた。背筋は伸びているが、表情には普段の軽さがない。欠落した通信の向こう側にある意図を、読み取ろうとしている。
「阻止するのか」
ケイは腕をほどかずに答えた。
「いま大統領に死なれたら、戦争が加速する。それは避けたいからな」
椅子の背に浅く身体を預けていたサジが、両足を床につけた。
いつもの軽口もなく、しばらく黙って画面を眺めていたが、納得できないものをそのまま口に出すように片眉を上げる。
「そもそも、なんで殺すわけ? ブライトン大統領って支持率高いだろ? 戦争なんて終結させた方が、経済回るんじゃねーの」
ウィリスは視線を画面から動かさなかった。青白い光が、頬骨の輪郭を薄く縁取っている。
「民衆の経済は回るな。だが、それ以上に戦争は儲かる」
ニコは長机の上に置いていた紙コップを持ち上げた。
中身はとっくに冷めているらしい。一口飲んだ直後にわずかに顔をしかめ、指先でゆっくりとカップを回した。
「サジ。戦争ってのはな、金と利権と権力で回ってんの。分かるか?
帝国は、権力を維持するため。連合は、予算を確保して軍を縮小させないため。
企業は、二十年以上手にしてきた戦争需要を手放さないため。
二十年だぞ。
もう生活基盤になってるもんを取り上げようとしたら、暴動が起きる」
サジの口元から、いつもの笑いが消えた。
投影された地図には、帝国と連合の境界線だけでなく、オルタイトの採掘地、輸送航路、精錬施設、兵器工場、軌道港が色分けされていた。
戦場から離れた地域にも線は伸び、いくつもの企業名と国家名が、小さな文字で重なり合っている。
ブライトン大統領が始めようとしているのは、単なる停戦交渉ではない。
二十年以上かけて積み上げられた資金の流れを切り替え、オルタイトを誰が保有し、誰が管理し、誰が利用できるのかを決め直す作業だった。
ウィリスは、画面の中央に表示された大統領の訪問予定表を見つめた。
「つまり、ブライトンは大統領個人として狙われたわけじゃない」
わずかに間を置く。
「オルタイト利権にとって、邪魔になった」
ケイは一度だけ視線を落とした。長机の天板には細かな傷があり、古い塗装がところどころ剥がれている。
その一つを親指でなぞってから、ゆっくり顔を上げた。
「戦争を止めるということは、撃ち合いを止めることじゃない
オルタイト利権の再配分をするってことだ。
……成功率を優先した兵器をLAAで使うってことは、コロニーがどうなっても構わない。そう決まったって意味だ。」
ミナの手が、コンソールの上で止まった。
LAAは軍施設であると同時に、士官候補生や技術科の生徒が生活する学校でもある。寄宿区画があり、食堂があり、教室があり、訓練場がある。大統領の視察に合わせて生徒や職員が一か所へ集まることは、訪問日程を確認した者なら誰でも分かる。
兵器の成功率を上げるために、その人数ごと計算に含めた者がいる。
ミナは唇をわずかに開き、画面の座標を見たまま言った。
「……酷い。それじゃ、見せしめみたいじゃないですか。」
ニコは紙コップを机へ戻した。底が天板に触れ、小さく鈍い音がした。
「見せしめなんだよ。オルタイト利権に介入するなってな。」
誰もすぐには口を開かなかった。
冷却ファンの音だけが室内に残り、壁面の航路図がゆっくりと回転している。LAAの位置を示す光点は、周囲に広がる航路の中でひどく小さかった。
ケイは長机から身体を起こし、ミナの隣へ歩いた。
ミナは傍受記録の表示を切り替え、大統領の移動予定と、随行車列の経路、視察先、通信規制の時間帯を順に並べた。正規の警備系統へ情報を流せば、途中で握り潰される可能性がある。
大統領府へ直接接触を試みれば、ARCLINEの名が出た時点で警戒網に弾かれる。
連合政府にとってARCLINEは、帝国の補給線を削る便利な存在である一方、公には認めることのできない非合法武装組織だった。
ニコが複数の偽装回線を立ち上げ、各地の協力者へ短い照会を送った。表向きは輸送会社、診療所、難民支援団体、整備業者として働いている者たちが、必要な範囲だけで情報をつなぐ。
誰もARCLINEの全容を知らない。それでも、一本ずつ拾い集められた情報は、やがて首都郊外の地図へ集約された。
ブライトン大統領は数日後、ガルディア合衆国郊外の復興住宅区を視察する。
現地には、アステリア財団が運営する医療支援施設がある。
ケイは医療支援施設の位置をしばらく見つめたあと、上着のポケットから煙草を取り出した。
火はつけず、指先で一本だけ抜き出してから、元の箱へ戻した。
「ニコ、窓口経由でミラ・アステリアに連絡をつけろ」
その動作を見たカイトは、室内の後方で黙ったまま視線を上げた。
ケイが自分で動くつもりだと分かった。
*
ガルディア郊外の復興住宅区には、低層の集合住宅が規則正しく並んでいた。
建物の外壁はまだ新しく、歩道沿いに植えられた若い街路樹は、細い支柱に固定されている。
午前中に降った雨が舗装路の窪みに残り、雲の切れ間から差し込む光を鈍く反射していた。
アステリア財団が運営する診療所の前には、視察用の車列が停まっている。
濃色の車体には目立つ装飾がなく、周囲には私服の警護員が一定の間隔で立っていた。
住民との距離を必要以上に遠ざけないためだろう。
物々しい警備車両は交差点の向こう側に控え、診療所の入口付近には報道用の小型カメラが数台並んでいた。
ケイは建物の裏側にある搬入口の脇で待っていた。
作業員用の簡素な上着を羽織り、壁へ背中を預けている。足元には、医療物資の空箱が折り畳まれて積まれていた。表通りから聞こえる人の声は遠く、搬入口の軒先からは、雨水が一定の間隔で地面へ落ちている。
診療所の中で短い視察を終えたブライトン大統領は、正面玄関へ向かわず、廊下の途中で随行員から離れた。
搬入口の扉が開く。
先に顔を出した警護員が周囲へ視線を走らせ、ケイの姿を確認してから脇へ退いた。続いて現れたブライトン大統領は、濃紺のスーツの上に薄手のコートを羽織っていた。姿勢は伸びているが、歩き方に急ぎはない。
ケイは壁から背中を離した。
警護員は近くに残ったものの、会話が聞こえない距離まで下がった。
診療所の裏手に設けられた搬入路には、濡れたアスファルトの匂いと、建物の換気口から流れてくる消毒液の匂いが混ざっていた。
ブライトンはケイの顔を見ると、ほんの少しだけ目を細めた。
「君の噂はミラ・アステリア会長から聞いてるよ」
ケイは愛想を作らなかった。コートのポケットに両手を入れたまま、相手の顔を正面から見る。
「それはどうも。時間がないので、率直にいいますが、LAA訪問を取りやめてください。」
ブライトンの表情は変わらなかった。
「私が襲撃される可能性があるからか?」
ケイの眉が動いた。わずかな変化だったが、ブライトンは見落とさなかった。
「……知ってるのか?」
搬入口の庇から落ちた雨水が、地面の水溜まりを小さく揺らした。
ブライトンは視線をそらさずに答えた。
「終結交渉を始める前に覚悟はしている」
ケイは奥歯を噛んだ。危険を知らない相手に警告するつもりで来た。警護の穴を指摘し、日程を変えさせ、必要なら強引にでもLAAから遠ざける。そのために、普段なら借りを作りたくない相手へ連絡を入れた。
しかし、目の前の男は危険を理解した上で、訪問日程を残している。
「じゃあ、なおさら止まって欲しいんですがね」
「それはできない」
ブライトンは、診療所の建物へ一度だけ目を向けた。
「ここで日程を変えれば、脅せば退くと教えることになる。私が行かなければ、LAAが安全になるとも限らない」
壁の向こうでは、診察を待つ住民の話し声と、子どもの靴が床を叩く音が聞こえている。
「それに、LAAは娘の母校だ」
ケイは思わず顔をしかめた。
「……娘って……あんた、自分の命とどっちが大事なんだよ」
ブライトンはわずかに笑った。政治家が報道陣に向ける整った笑顔ではなかった。質問の答えを最初から決めていた父親の顔だった。
「私か?決まっている。娘の未来が大事だ。」
「……。」
ケイは返す言葉を失った。
ブライトンはコートの前を整え、濡れた路面の先に停まる車列へ目を向けた。
「あの場所には娘の未来がある。いや“いる”と言った方が正しいな」
ケイは眉を寄せた。
「いる?」
ブライトンの口元に、穏やかな笑みが浮かんだ。
「ミュラー・エリス中尉。LAAに行くのは、彼に会いに行くついでだよ」
ケイの目が開いた。
名前を聞いた瞬間、遠い記憶の中にある青年の顔が浮かんだ。
操縦桿を握る手に余計な力が入り、何度注意しても前へ出ようとする。
生意気なくせに、見捨てることだけはできない。苛立つほど真っ直ぐで、危なっかしいほど周囲を見ていた。
ブライトンは、ケイの反応を確かめるように一度だけ頷き、そして、ふと目尻を下げた。
「君にも娘がいるだろう。同じだな」
それ以上は何も言わず、車列へ向かって歩き出す。
警護員がすぐに距離を詰め、随行員が車の後部扉を開いた。
ブライトンは乗り込む直前に診療所を振り返り、入口の前に残る住民へ軽く手を上げた。
車列が静かに動き出し、濡れた路面をタイヤが踏み、細かな水滴が跳ねた。
最後尾の車両が交差点を曲がるまで、ケイは搬入口の前から動かなかった。
医療ポッドの中で眠っていた娘の面影が、足元の水溜りに揺れた気がした。
*
LAA訪問、二日前。
ARCLINE母艦は、学園コロニーの周回軌道へ入った。
LAAには、生活物資や教材、整備資材を積んだ民間船が絶えず出入りしている。正規の輸送船に紛れれば、内部へ入ることは難しくない。
作業員に扮したカイトとサジは、小型艇で外縁ドックへ接舷した。
気密扉の向こうでは、生徒たちが授業用の端末を手に、次の教室へ急いでいた。食堂の方から、焼いたパンの匂いが流れてくる。
その誰も、二日後にこの場所で襲撃が起きる可能性を知らない。
二人は保守区画へ入り、工具ケースに隠した探査機材で内部を調べた。
使い捨て兵器を起動させるなら、電力か通信設備のどこかに痕跡が残るはずだった。
だが、異常は見つからない。
資材庫にも、非常用電源室にも、外壁点検用の通路にも、不自然な熱源や追加回線はなかった。
先行班は二日間、LAA内部を調べ続けた。
それでも、兵器は見つからなかった。
ブライトン大統領がLAAを訪問する当日の朝、ARCLINE母艦のCICには、緊張を含んだ静けさが広がっていた。
正面の大型モニターには、学園コロニー周辺の航路図が表示されている。定期輸送船、職員用の連絡艇、警備艇、報道関係者を乗せた小型船が、それぞれ異なる色の光点となってゆっくりと移動していた。
通常運航の範囲を外れるものは、まだ見当たらない。
ミナは通信傍受用の端末に両手を置き、流れ続けるデータを追っていた。薄い光が頬を照らし、瞬きの回数が普段よりも少なくなっている。
隣の席でニコが複数の監視網から送られてくる情報を一つの画面へまとめていた。紙コップのコーヒーは手をつけられないまま、端末の脇で冷めていた。
ケイはCICの中央に立ち、正面モニターを見上げていた。
LAA内部では、視察に合わせた式典の準備が進んでいる。式典ホールの映像には、制服姿の生徒や職員が列を整え、壇上付近では警備員が出入口を確認する姿が映っていた。
大統領の車列は、すでにLAA学園コロニーへ到着している。
ブライトンは随行員とともに式典ホールへ向かい、報道陣の前で生徒たちへ軽く手を上げた。数日前、診療所の裏手でケイと向き合っていた時と変わらない、穏やかな表情だった。
ミナの端末が、短い警告音を発した。画面を切り替え、航路図の外縁へ新たな表示を重ねた。
民間航路を進んでいた複数の小型輸送艇が、管制の指示から外れ、LAAへ向かって進路を変えている。
輸送会社の識別コードは正規のものだった。しかし、減速を始めるべき位置で速度を上げ、通常の接舷ルートを外れている。
ミナは航行記録を拡大し、過去数時間の動きを照合した。
輸送艇の一隻が積んでいる貨物には、通信中継用の設備として申請された大型機材が含まれていた。別の一隻には、外壁補修用の作業機械として登録された機体が載せられている。申請内容だけを見れば不自然ではない。
目的地は補修用ドックではなかった。
いずれの輸送艇も、LAAの外縁設備へ接近する角度を取っている。
ミナはすぐにデータを共有した。追加起動信号を送るための中継装置。
誘導装置。
予備機。
実行班。
LAA内部で見つけられなかった兵器を外側から完成させるための線が、ようやく姿を現した。
ケイはモニターを見たまま、短く息を吐いた。
「見つけた、転送する。Strike Wing、発艦しろ」
格納庫へ発艦指示が送られた。
*
ARCLINE母艦の格納庫で、機体を固定していた金具が一斉に外れた。
発艦甲板へ続く隔壁が開き、床面の誘導灯が奥から順番に点灯する。
《Strike Wing、発艦。Vector、Fox、Shade。LAA外縁へ》
「了解」
カイトは操縦桿を握り、機体を暗い宙域へ滑らせた。
サジとウィリスが、左右へ展開する。
HUDには、民間船を示す光点の間を縫うように、赤く変わった目標が二つ表示されていた。
《民間輸送コードを偽装。二隻とも航路を逸脱。接舷速度じゃない》
ミナの声が、通信へ落ちる。
「止める」
「Vector、前へ出すぎるな」
ウィリスの声は短い。
「Shadeは右。Fox、後ろを見ろ」
「了解、了解」サジが機体の速度を合わせる。
カイトは一隻目の輸送艇と、LAAの間へ入った。
警告音。
貨物コンテナの陰から、小型機が二機飛び出す。
「作業機?」
サジの声が一段上がった。
外壁整備用の簡易ロボットが、ビームカービンを構える。
「作業機に銃を持たせたら、もう作業機じゃないだろ」
ウィリスが淡々と返した。
火線が走る。
カイトは機体を傾け、輸送艇の側面へ回り込んだ。ハーネスが肩へ食い込む。
《Vector。貨物区画の接続部を切れ。船体は残せ》
「了解」
固定具へ照準を合わせる。
射撃。
高出力ビームが接続部を焼き切り、大型装置が貨物区画から外れた。
金属製の外殻が回転しながら宙域へ流れ、側面のランプが数回明滅したあと、暗くなる。
「Fox、後ろ」
「見えてる」
サジの機体が反転する。
蒼白い刃が闇を裂き、背後から迫っていた作業機の腕部を切断した。
ウィリスは、逃走へ移ろうとした小型艇の進路を塞ぐ。
「撤退ルートなし。雑だな」
長距離ライフルが推進部を撃ち抜いた。艇は制御を失い、航路の外側へ流れていく。
《二隻目、貨物区画で起動反応》
ミナの声が飛ぶ。
輸送艇の外壁が開き始めた。固定具を外しながら姿を見せたのは、外壁補修用の作業機械ではない。
全高二十メートル級の簡易量産機。
「予備か」
「中へ入れたら面倒だぞ、Vector」
カイトは開閉機構へ照準を合わせた。
「切り離す」
カイトが撃ち抜くと貨物区画の外壁が裂け、コンテナが輸送艇から外れる。
「Fox」
「はいよ」
サジが側面から火線を重ねた。ビームが胴体を貫き、予備機が爆散する。
金属片と推進剤の光が、暗い宙域へ散った。
外側の線は潰した。
それなのに、カイトは操縦桿を握ったまま、視界の端を流れる残骸を追っていた。
「……軽すぎる」
通信の向こうで、サジの声から軽さが消えた。
「同感だ」
ウィリスが答える。
「護衛が少ない。実行班の艇も、逃げるだけの燃料を積んでない」
《切り捨て前提、ということか》
ニコの声が低くなる。
カイトは息を止めた。
敵は、本気で外側の線を通そうとしていない。
「……見つけさせるためだ」
「こいつらは、俺たちをLAAの外へ引きつけるために来た」
その瞬間、通信回線に鋭い警告音が重なった。
《Vector。LAA内部で規格外の電力消費を確認》
ミナの声が硬い。
《保守区画、複数。監視映像が順番に落ちています》
HUDの中央へ、校舎棟の内部図が強制表示された。
赤い光点が、一つ。また一つ。増えていく。
「……内部?」
カイトは息を止めた。
*
LAA学園コロニーの保守区画では、壁面に収められていた複数の資材箱が、内側からゆっくりと歪み始めていた。
外見だけなら、交換用の配管や補修材を収める規格品と変わらない。搬入時には熱源反応もなく、内部の部品はそれぞれ別の業者から納品されている。単体では兵器として認識されない部品が、保守区画の床下と壁面へ分散して運び込まれていた。
外部から送られた起動信号を受け、固定具が外れる。壁の奥で金属が擦れる音がした。
天井近くの配電盤から火花が散り、照明が一度だけ消えた。
非常灯が赤く点灯する。次の瞬間、保守区画の隔壁が内側から大きく膨らんだ。
鋼板が耐えきれずに裂け、固定ボルトが弾け飛ぶ。粉塵と細かな破片が通路へ噴き出し、その奥から人型兵器の腕が現れた。
簡素な装甲。
識別コードのない機体。
損傷を受けながらでも目標へ到達できれば、それで役割を終える構造。
兵器は隔壁を押し破り、校舎へ続く通路へ身体をねじ込んだ。
装甲が壁面を擦るたびに火花が散り、天井の照明が次々と割れる。授業を終えて通路へ出ていた生徒たちは、響き渡る破砕音に振り返った。
最初に悲鳴を上げたのは、通路の手前にいた女子生徒だった。腕に抱えていた端末を落とし、硬い音を立てながら床を跳ねる。近くにいた教員も一瞬固まったが、すぐに生徒たちの前へ出ると、両腕を広げて反対方向へ逃げるよう促した。
避難誘導の警報が、少し遅れて鳴り始める。
赤い非常灯が点滅する中、制服姿の生徒たちが一斉に走り出した。狭い通路に人が殺到し、曲がり角の手前で流れが詰まる。転びそうになった生徒を隣の生徒が支え、後方の教員が大声で別の階段へ誘導していた。
人型兵器はまったく速度を緩めない。
肩の装甲が壁にぶつかり、窓枠が大きく歪む。砕けたガラスが床一面に散らばり、非常灯の赤い光を受けて細かくきらめいた。機体は通路に収まりきらない巨体を無理やり押し込み、天井の配管を引きちぎりながら式典ホールへ向かって進んでいく。
別の保守区画でも、ほぼ同時に起動反応が確認された。
教室棟の床下から鈍い衝撃音が続き、机の脚が細かく震え始める。授業を中断して廊下へ出ようとしていた生徒の目の前で、床材が内側から大きく盛り上がった。
次の瞬間、床に亀裂が走る。
金属板が裂け、粉塵が激しく吹き上がった。
簡易装甲をまとった別の機体が床下から上半身を現し、両腕で周囲の構造材を押し広げる。教室の壁は傾き、固定されていた棚が倒れた。窓ガラスが次々と割れ、机や椅子が崩れた床へ滑り落ちていく。
校舎のあちこちで避難警報が鳴り響き、別々の場所から上がった悲鳴が通路の奥で入り混じった。
ARCLINEが外部航路で輸送艇を迎撃している間に、内部へ持ち込まれていた兵器はすでに動き出していた。
*
LAA内部から送られてくる映像が複数のモニターに断片的に映し出されていた。
ミナは通信系統の切り替えを続けている。
監視カメラの映像は数秒ごとにノイズに覆われ、別の地点へ切り替わる。画面の中では、生徒たちが避難誘導に従って走り、警備員たちが武器を構えながら通路の奥へ向かっていた。
式典ホール付近の映像が大きく揺れた。
天井から細かな破片が降り注ぎ、壇上の照明が一つずつ消えていく。ブライトン大統領の周囲には警護員が集まり、その身を守るように出口へ向かっていた。
だが、避難経路の先では、すでに校舎の一部が崩れ始めている。
ミナは外部カメラへ映像を切り替えた。
LAA学園コロニーの内壁沿いに建てられた校舎が、内側から押し上げられるように歪んでいた。白い外壁には斜めの亀裂が走り、窓が次々と砕け散る。上階の床は傾き、教室に残されていた机や椅子が粉塵とともに下へ落ちていった。
救難信号が一気に増えていく。
端末には、避難経路の閉鎖、負傷者の発生、通信障害を知らせる表示が次々と重なった。情報を整理しようと指を動かし続けるが、更新速度は処理能力を超えていた。
ニコは周辺航路を航行する民間船へ退避経路を送りながら、救助要請用の回線を開いていた。端末を叩く指は止まらない。額にはうっすら汗が浮かび、普段なら軽口の一つも飛ばす口元も固く結ばれている。
ケイはCICの中央に立ち、崩れていく校舎を見つめていた。
両手はコンソールの縁に置かれている。指先には力が入り、関節が白く浮き出ていた。
外部航路へ展開したカイト達を呼び戻したとしても、もう間に合わない。
LAAの警備系統へARCLINEから直接通信を送れば、救助部隊の混乱をさらに広げることになる。内部へ侵入した兵器には所属を示す識別コードがなく、外部で破壊された輸送艇も民間船を装っていた。
周辺の観測網に残されているのは、LAA近傍で武装輸送艇と交戦する所属不明のストライクウイングの記録だけだった。
襲撃を計画した者は、最初からその記録を残すつもりだったのだ。
外側の線を掴ませ、ARCLINEを戦場へ引き出す。
ARCLINEが輸送艇を破壊する。
その間に、内部へ分散して持ち込んだ兵器を起動する。
襲撃が終わったあとには、ARCLINEがLAA周辺で戦闘を行っていた映像だけが残る。
ケイは画面から目を離さなかった。
北方基地で泣くのを我慢して必死に見送りに立っていた少年。
数日前、雨上がりの診療所裏で耳にした名前が、今も頭から離れない。
ブライトン大統領が、娘の未来だと語った男。
「ミュラー……」
ケイの声は、CICに響く機械音にかき消されそうなほど小さかった。
画面の中で、校舎の一角がさらに崩れ落ちた。
*
格納庫には焦げた金属と冷却剤の匂いが漂っていた。
天井近くの換気設備が低く唸り、着艦した機体の周囲では整備員たちが損傷箇所を確認している。外部装甲に触れた工具が乾いた音を立て、そのたびに広い空間へ小さく響いた。
カイトはコクピットから降り、機体の足元へ着地した。
身体には加速時の負荷がまだ残っている。肩に食い込んでいたハーネスの感触も、操縦桿を握っていた指先のこわばりも消えていなかった。
外部から運び込まれるはずだった装置は阻止した。
「……俺たちは阻止したんだよな」
カイトが誰にともなく呟く。
近くで機体の記録を確認していたサジが顔を上げた。
「阻止した。中継設備も、予備機も、小型艇もだ」
そう答えたサジの声にも、いつもの軽さはない。
「けど、相手はその先まで準備していた」
中継設備を破壊し、予備機を撃墜し、実行班を乗せた小型艇の侵入も防いだ。
それでも、LAAは崩壊した。
サジは少し離れた場所でヘルメットを外し、格納庫の壁面モニターを見上げていた。普段なら整備員に軽口を返し、カイトの無茶な飛行を笑いながら指摘する。
ウィリスは自機の装甲に残った焦げ跡を確認し、手袋を外した。片方の指が布地に引っかかり、普段なら一度で済む動作をやり直す。表情は変わらないが、外した手袋を握る指には力が入っていた。
格納庫の壁面モニターには、LAA周辺の救助状況が映し出されている。
校舎の一部は崩壊し、コロニー内部からの救難信号は増え続けていた。周辺を航行していた民間船が救助のため進路を変え、避難艇が外縁ドックから次々と離脱していく。
カイトはモニターから目を離し、格納庫を後にした。
ブリーフィングルームへ続く通路には、帰艦後の慌ただしい空気が満ちている。端末を抱えた作業員が足早に行き交い、壁際の配管が航行中の振動に合わせて小さく鳴っていた。隔壁が開閉するたび、別の区画から機械油と冷たい空調の匂いが流れ込む。
カイトはブリーフィングルームの手前まで歩き、閉ざされた扉の前で足を止めた。
扉の向こうでは、ミナとニコが記録を整理し、ケイが次の判断を下すため待機しているはずだった。
壁面に設けられた細長い窓へ顔を向ける。
窓の外には、暗い宙域が広がっていた。
救難艇の航行灯が小さく瞬き、LAAへ向かう光と、そこから離れていく光が、それぞれ違う速度で流れている。
ARCLINEは、帝国の補給線を削り続けてきた。
輸送列を阻止し、通信設備を破壊し、兵器工場へ届くはずだった資材を断った。
民族狩りから逃れる人々のために密航船を手配し、検問を避ける経路も作った。
その一つひとつに意味があったことを、カイトは知っている。
救われた人々がいる。
生き延びた子どもたちがいる。
それでも今日、LAAの校舎は崩壊した。
ARCLINEが断ったのは、敵が断たせるために、わざと外へ垂らした線だった。
カイトは窓の外を見つめたまま、指先をゆっくりと握り締めた。
掌には、操縦桿の硬い感触が残っている。
俺はずっと、ケイが帝国の中枢を突き崩す機会を狙っているのだと思っていた。
戦争を終わらせるために。
帝国そのものを倒すために。
そうすれば、あすみが戦場に立ち続ける必要もなくなると――。
けれど、補給線をいくら削っても、救える命をいくら拾っても、戦争そのものは止まらない。
――ケイは、本当に戦争を終わらせるつもりなのだろうか。
その問いだけが、胸の底へ沈まずに残った。
本作の本文・設定・登場人物・固有名詞・世界観・構成を、作者の許可なく転載、複製、翻案、要約転載、データセット化、AI学習・機械学習・生成AIサービスへの入力、解析、再配布に利用することを禁じます。




