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SKY  作者: RUI
BLACK LILY

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100/120

Sky100-百合の紋章-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 

挿絵(By みてみん)



 オルディア帝国首都、ルクスグラン。

 朝の霧は薄く、広い大通りの街路樹の枝先にだけ残っていた。

 庁舎群は複合装甲材とガラスで覆われ、屋上の通信塔には帝国旗が濡れたように垂れている。


 道路脇の表示板には、地上鉄道、官庁街循環バス、軌道港シャトルの時刻が並び、停留所では通勤客が温かい飲み物を片手に列を作っていた。軍服姿の兵士も、子どもを連れた職員も、同じ改札を通る。

 配給所の列は番号順に進み、巡回ドローンは決まった高度で通りを横切り、庁舎の窓には一つずつ明かりが灯っていく。

 この国では、戦争でさえ生活の外にあるものではなかった。申請され、記録され、許可され、日々の仕事の中へ組み込まれている。

 人がどこへ行き、誰と会い、どの便に乗るのかまで、帝国は紙と端末の両方で把握していた。


 官庁街の交差点には、ロナルド二世の若い頃の肖像が掲げられている。

 古い映像を加工したものだろう。黒い軍服の胸元には皇帝章が光り、下には《帝国の血を守れ》という標語が流れている。

 今では誰も立ち止まらない。通勤客は温かい飲み物を片手に、その下を通り過ぎる。

 オルディア狩りの時代を知らない若い職員たちにとって、それは歴史教育の一部でしかない。

 けれど庁舎の出入口には、今も血統照合用の古いゲートが残っていた。


 ケビンはいつも通り、時間ぴったりに庁舎の裏口から入った。

 受付に提出する通行証を胸のポケットから出し、金属板の上に置く。係員は無言で頷き、いつものように判を押した。


「今日も早いな」


 背中から声がして、ケビンは振り向いた。同じ課のオルガだ。

 彼は軽く片手を上げて、いつもの席に向かう。

「遅いよりはマシだろ」

 ケビンがそう返すと、オルガは自分の机の上の書類を広げながら笑った。


 二人の部署は、出入国関係の末端処理を扱っている。

 末端、というのが肝心だった。偉い人間の名前は書類に出てこない。出てきても、印が一つ増えるだけだ。

 自分たちが触れるのは、番号と日付と、薄い紙の束。


「昨日の分、まだ残ってる」


 オルガが机の上の山を指した。

 ケビンは椅子に腰を下ろし、書類の端を揃えた。指先が紙をなぞる感触は、毎日同じ。インクと乾いた埃の匂い。

 窓の外からは遠く、戦闘機の音がときどき聞こえるが、ここでは誰も振り向かない。


 午前中は、単調な作業が続いた。

 出国許可。滞在延長。職員の身分照会。

 許可が降りるたびに、机上の判が一つ増える。


 昼前、課長が慌ただしく入ってきた。

 コートの襟が少し乱れていて、珍しく目が笑っていない。


「午後、臨時の処理が入る。担当は――」


 課長は紙を見て言葉を切り、少しだけ眉を寄せた。

 それから、いつもの調子に戻そうとするみたいに、咳払いをした。


「……ローレンツがいないなら、オルガ。お前が代わりに動け」


 オルガはペンを止めた。

「ローレンツ?あいつ今日、休みですか」


 課長は答えず、机の端を指で叩いた。

「連絡がつかない。午前の時点で来ていない。……とにかく、回すぞ」


 課長はそれだけ言って、足早に出ていった。


 オルガはしばらく無言で、書類を見つめた。

 ローレンツはこの課で一番「ちゃんとしている」男だった。

 天候や体調が悪くても、遅刻しない。誰よりも早く来て、黙々と判を押す。そういうタイプだ。


「珍しいな」ケビンがぽつりと言うと、オルガは肩をすくめた。


「寝坊じゃない? たまにはあるだろ」

 そう言いながらも、オルガの視線は何度も入口へ向いた。

 午後になっても、ローレンツは来ない。


 夕方、最後の書類を片付けた頃、オルガが立ち上がった。

「……お前、帰る?」


「帰るけど」

 ケビンが荷物をまとめると、オルガは少し迷ってから言った。

「俺、寄ってくわ。ローレンツんとこ」

「家に?」

「鍵の管理もしてるって言ってたろ。明日の臨時便、外交官も技術者も軍属も乗る。あいつの判がないと、誰一人ゲートを通せない」

 言葉は仕事のため、という顔だった。

 けれど、オルガの声には別のものが混じっていた。心配、というより、落ち着かなさ。理由のない違和感。

 ケビンは少し考えて、頷いた。

「それは、大変だ。一気に人の流れが止まるな。俺も行くよ」



 ローレンツの住まいは、官庁街から二つ先の区画にある古い集合住宅だった。

 階段の踊り場は暗く、廊下の窓は小さく、外の光が薄く差し込むだけだ。戦争が長引いて、ついに最近は街灯が減らされた。

 省エネだとか言っていたが、ただ暗いだけだった。


 扉の前に立つとオルガが、手を置いてノックした。


「ローレンツ。いるか?」

 返事はない。

 もう一度、強めに叩く。

「おい、冗談やめろ。課長が怒ってるぞ」

 それでも音は返ってこない。

 ケビンは、扉の隙間に目を落とした。新聞も溜まっていない。郵便受けも空だ。


「……留守じゃないのか」


 オルガは眉を寄せて、ドアノブに手を掛けた。

 鍵は――かかっていなかった。ノブが軽く回り、扉が開く。


 二人は一瞬、顔を見合わせる。ローレンツは鍵をかけない男ではない。

「入るぞ」

 オルガが低く言い、扉を押し開けた。


 部屋の中は、気持ち悪いくらいに整っていた。食器は洗われ、椅子は机に収められ、靴も揃っている。

 生活の匂いはあるのに、気配だけが薄い。まるで、誰かが「片付けてから」出ていったみたいに。


「ローレンツ?」


 オルガが呼ぶが、返事はない。


 ケビンは、机の上に視線を落とした。

 そこに、ひとつだけ“新しいもの”があった。


 白いカードだ。

 紙質がやけに良く、光を少しだけ弾く。封筒はない。カードだけが、机の中央に置かれている。


 そして、カードの中央には百合が刻印された黒い封蝋が押されていた。


 オルガもそれを見て、動きを止めた。

 言葉が出ないまま、ゆっくり近づいて、カードを持ち上げようとして――途中でやめた。

 触れたら何かが確定してしまう、という顔だった。


 部屋の静けさが、急に重くなる。外の遠い戦闘機の音が、ここまで届いた気がした。


 ケビンは息を吸って、吐く。

「……なんだこれ」


 オルガは答えない。ただ、黒百合の封蝋を見つめていた。


 まるでそれが、名前の代わりに“誰か”を名乗っているみたいに。


「ローレンツは?」


 ケビンが問うと、オルガはようやく視線を上げた。


「……さあな」


 声が掠れていた。それは、知らないからじゃない。言葉にしたくないからだ。


 机の上には、白いカードと黒い百合だけが残っている。

 ローレンツがそこにいた痕跡は、どこにもなかった。




 少し離れた場所でバックミラーからローレンツの家の出入り口を伺う車が停まっていた。

 シートに身体を沈めたニコがバックミラーから視線を正面に戻すと、エンジンをかけようと姿勢を正した。

「……本当に良かったのか。このやり方で」

 ニコは視線を前に向けたままハンドルを握った。


「ああ」

 フードを深く被ったカイトが助手席からサイドミラーを見ている。

 出入り口からケビンとオルガが出てくる。二人は話しながらアパートの道を車とは反対の方へ歩いて行った。

 カイトは、ローレンツの部屋の窓に視線を向ける。

 その瞬間、車のトランクがドン。と鳴った


 ニコが眉間に皺を寄せながら車を走らせ始めた。

「まだ起きないんじゃなかったのかよ」

 カイトは助手席の窓の外から、流れるオルディアの街を見ている。

「すぐ静かになる。アルクトリとの国境まで行ったら、予定通り処理する」


 車内のラジオから、低い男の声が流れていた。

『――先日、連合各国で執り行われたブライトン大統領の国葬以降、連合軍内部では混乱が続いています。西方戦線に投入されていたREDROSEについても、現在所在は確認されておらず、連合軍は正式な発表を避けています』


 ニコが舌打ち混じりに笑う。

「どこも大騒ぎだな」


 カイトは窓の外を見たまま、答えない。

 官庁街の交差点に差し掛かると、ロナルド二世の肖像が目に入った。


 ロナルド二世。

 特別な血。

 オルディア狩り。

 消えたREDROSE。


 この世界はどこまでも腐っている。逃げられないなら、向き合うしかない。

 この腐った世界の構造と。

 最後の最後まで。




本作の本文・設定・登場人物・固有名詞・世界観・構成を、作者の許可なく転載、複製、翻案、要約転載、データセット化、AI学習・機械学習・生成AIサービスへの入力、解析、再配布に利用することを禁じます。


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