第5話・不穏
わたしはどちらかと言えば図太い方だし、フーも物事に慣れるのは早い方だと思う。だから一日目の夜から他人に囲まれて眠るというのも平気だった。
二日目だって見るもの全てが珍しい大型客船の中を飛び回るようにあちこち行きまくったものだから、二人とも夜は疲れて簡単な食事を済ますと、さっさと三等船室客用の寝台室にもぐり込んでいた。
とはいえ一日目に比べれば疲れもそこそこ。けれど興奮は相変わらずのことだから、横になるなりかわいー寝息を立て始めたフーとは違って、なんだか考えることとかもあったりした。
といってもね……こうしてひとりになって思い浮かぶことなんて、学校の課題のことだとかお仕事のことだとか。あと昨日船内であった連合空軍の士官さんのことだとか。定番と言えば定番の、故郷のことなんかは……あんまり考えもしなかったのだ。割と最近は。
別に故郷に悪い思い出があるわけじゃない。ただ、何も無かっただけ。家族は優しかったし、友だちだっていた。ただ、姉弟が二人いて母さん一人じゃあ養いきれなくて、兄は働きに出ていたけれど、次のわたしは口減らしのために家を出ないといけない状況だった。
でもあの日、わたしを迎えにきたという学長センセのあの一言が、わたしを空に放り上げてくれたような気がする。
学長センセはこう言った。
『キミにはね、とてつもない才能があるんだ。世界の根源に迫ることの出来る才能がね』
……どういう意味なのかは、よく分からなかった。実は今でもよく分かってない。
けれどその言葉にわたしはすごくワクワクし、そして導かれるように知らない世界に飛び込んだ。
大学に入ってからは学長センセとは一度も会えてないけれど、いつかわたしが見た世界のことを話してあげたいと思っているし、あなたが教えてくれたわたしの「才能」は花開いているのか、って聞いてみたい。
「とはいっても大学だってもんのすごい人数の学生がいるし、学長センセだって忙しいだろうしなあ」
今は自分がやりたいこと、自分に出来ることをやるのが一番だ、と思って今の自分の一番といったら……。
「……お手洗い行こっと」
ってことらしい。なんとも呑気な話だ。
身体を起こして下の寝台をのぞき込む。窓から差し込む星明かりがフーの寝顔を照らしてた。
「……リニアさぁん……もう……食べさせませんよぉ……むにゃむにゃ」
……こ、雇用主から聞かされるにはとんでも物騒な寝言だなあ。
起きた時に現実と夢がごちゃごちゃになってませんよーに、と祈りつつ寝台を降りる。
もう外は暗くなっているけれど、大人までが寝る時間ってわけでもない。ただ、三等客室の乗客は基本的にお金に余裕があるわけじゃないから、お金のかかる食堂だのでお酒を呑んだりもせずにさっさと寝台室に籠もる人が多い。
なので薄暗い上に狭い部屋の中は慎重に歩いて廊下に出ると、こちらも灯りは暗くなっていてそれでも往き来には不自由無いくらいではあった。
そんな中を、これから寝るために寝台室に向かう人とすれ違いながらお手洗いに行き、用事を済ませる。ちなみに寝間着なんて上等なもの持ち歩いていないので着るモノは普段着のままだし、ついでに言えば水をふんだんにつかえるわけもないからお風呂の類も一時上陸するまでガマンするのが三等船室の乗客としての義務でもある。流石に着替えくらいはするけど。
さて、そうして寝台室に戻って自分の寝床に横になる。上下に詰めた寝台は三段になっていて、フーが一番下でわたしがその上。最上段は誰も使ってないみたいだから気兼ねすることも少なくて、いい。
横になって目を瞑る。そろそろ寝た方がいいのかな、と思ったけれどなんだか感覚が鋭敏になってしまったみたいで、遠くの方で船のいろんな装置を動かしている機関の音か聞こえる。聞こえる、というか体に直に響いてくるようだ。
対気物理学の応用で空を進む飛空船は、その大きさや重量に応じて宙に浮かせるための手間が増える。
だから大型の飛空船では宙に浮かぶための大型触媒と、前後に進むための推進する仕組みを分けていることが多い。
このファールブが最高の旅客飛空船とされる由縁の一つは、大型の飛空船では通常浮遊には浮遊触媒を用いて推進には気導方式を使うことが多いところを、推進にも触媒を用いている点だ。これは二重触媒方式といって、理屈は確立しているし軍用の小型航空船で試作もされていると聞くけれど、何せ二つの触媒を強調して働かせないといけないから術者にかかる負担がとんでもなく、結局推進については触媒を使わない、対気物理学に拠らない方法を使うのが一番効率がいい、ということになる。
ところが、ファールブはそこのところ、二種の触媒の協調が恐ろしく難しい、という点を第三の触媒で制御するという、専門家が「はぁっ?!」と言いたくなるよーな方法で乗り越えてしまったらしい。ちなみにその具体的な方法については、今でも帝国の最高機密と聞く。でもそんなものを軍の船じゃなくて民間用の船にほいほい使ってしまう辺りに、あたし的に帝国に好感を抱いてしまうところなのだけど、共和連合で対気物理学を学ぶ学生としては、ちょっと悔しくはあるわね。
ともかく、ファールブは航行に関する全ての物事を触媒への働きかけで済ませてしまい、結果として恐ろしく静かな船が出来上がってこうしている、というわけだ。
だからこうして目をつむって遠くに聞こえるこの音は、推進に関係する音じゃなくて、それ以外の、船を旅客船として快適に使うための設備を動かす音、ということになる。対気物理学の学び手としてはやや落ち着かない音だよね………って。
「……?なんだろ、この音」
推進に関わる事柄は全て触媒を通じて得られる指向力に頼ってるこの船ではあり得ない音。いや、昼間聞いた話だと、予備的に従来型の推進装置も備わっているとは聞いたけれど、この感じはこの船のものじゃない。
ということは、外なんだろうけど……あ、そういえば共和連合との国境を越える時に、国境警備隊の巡観があるんだっけ。共和連合への越境を許可します、ってことを通告するための船が乗り込んでくるとか……いやちょっと待ってよ。なんか勢いが、そんな穏やかな感じじゃない。ていうか数も結構多い気がする。イヤな感じだ、これ。
・・・・・
「しかし今回の条約更新においてはカルダナの動きが今ひとつ読めないのが気になりますな」
「確かに。ただ、事前折衝においては特に意を唱えることもなかったとは聞きますが……」
「ふむ。却って気になりますな。伏して各国の警戒心をやり過ごし、裏では何かを画策するという……」
「なに、いかな大陸きっての梟雄カルダナとはいえ、現状の帝国に叛意を示すほどの牙はとうに失っておろうよ」
「そもそも今回の更新は前回と異なり、特に国境の状況に変移を生むものではないはず。特に意を唱える理由も無いと思いますがな」
「問題はカルダナだけではない。かつての梟雄と成り下がりつつ、帝国の威に伏して見せている彼の国よりもロンデリアなどの方に注意を払うべきだと、先回の外交諮問において奏上があったと……」
……ご一行は酒も進んだせいか、食後の茶や菓子のことも忘れて政治談義に熱中している。客である私のことも忘れて……くれているなら、そっと物音を立てずに退出してみせるのだが、困ったことに時折気をつかったように「三士どのにはこの件についてどのような意見がおありかな?」などと話を振ってくるものだから、迂闊に耳を塞ぐわけにもいかない。
もっとも、話を振られたとしても「一軍人の身で政治に口を差し挟むわけにはまいりません」「若輩者故、皆さんの見識に感服するばかりです」とかいう建前で乗り切っているわけだが。
実際、肩書きとしては空軍の渉外担当を務めているのだから迂闊に意見など言おうものなら「共和連合空軍の正式な見解!」……と言質を取られかねない。
とはいえ、三回に一回くらいは、「では三士どのではなく魔女どのにおたずねしましょうか」と冗談に紛らして私に何か喋らそうとするから、もう面倒になって「では私見になりますが……」と、世間一般の共有認識めいたものをそれと分かるように答えてお終い、にする。それを聞いた彼らの鼻白んだ顔を無視してしれっと茶を啜るのは、まあそれはそれで楽しくないこともない。
「……おや、もうこんな時間ですか。明日の朝には国境を越えますし、そろそろ休んだ方がよろしいのでは?」
「左様ですな。共和連合の出迎えなどもありましょうし。ですな、三士どの」
「そうですね。明朝には小官が皆様をお迎えして歓迎の言葉を伝えさせて頂くことになりましょうか」
もちろん冗談である。ちゃんと国境警備の担当が地上から上がってきてこの船に乗り込み、越境と入国の手続きをすることになる。
「ははは、名高い魔女どのに起こされるのは、何よりも土産話となりましょう。それでは明朝を楽しみにしておりますぞ」
「……承りました」
余計なコトを言いましたね、と頭の中でスカルビーが皮肉っぽい笑みを浮かべてた。
くっそう、こうなったらなんとしても彼女に頼らず自分で起きなければ……。
「支度をさせましょう。君、三士どのの召し物を」
ともあれお開きの空気になって疲れが出た。これは本格的に早く寝ないと明日がキツそう……。
「三士どの」
「は?」
そして、羽織ものと軍帽を受け取って退室しようとした時だった。
大使殿は私を呼び止めて、他の参列者から聞こえないように声を潜めながら、近い距離でこんなことを言った。
「乗客名簿など調べる必要はなかったですな。何か気になることがあれば……我々にお知らせください」
「!………い、いや、特に他意があったわけでは。どうも昔世話になった方のご家族を見かけたので、どうされたのかと思いまして」
「ははは、そういうことでしたら尚のこと。とにかく」
しまった、と内心で舌打ちしてる私の冷や汗に気付いてか気付かずか、背中をバンバン叩いて来賓室の外に私を押しやる。
「空のことなれば貴殿の専門ではありましょうが……船内のことについては我々にお任せあれ。では、良い夜を」
「……どうも、ご馳走になりました。良い夜を」
最後はにこやかに送り出してくれたが、手足のついた樽みたいな外見に似合わず、どうもなかなか油断のならない相手だ。それは青銅帝国の外交を担うのだろうからそれくらいの胆力はあるのだろうが……それより自分の甘さ、若さ、迂闊さを突き付けられたようで、そちらの方に腹が立つ。今夜は眠れるのだろうか。明日の朝は早く起きなければならないというのに。
「お疲れさまでした……どうしました?」
「……いや。子供のおねだりみたいな真似をするべきかどうか一瞬悩んだだけだ」
饗応の間のさらにその控え室を出るとスカルビーが待っていた。
明日の朝起こしに来てくれ、と言わずに済んだのは軍人としての矜持というよりそんなみっともない真似が出来るか、という子供っぽい意地からのような気がする。外交的にも遅刻厳禁なのだから、起こしてもらう方が合理的なのは間違いないのだから。
……いやそういうことはどうでもいい。
「何かあったのか?」
移動を促す、それも比較的急いだ様子に、彼女に並んで早歩きで場を立ち去る。幸い空間の無駄遣いが権威の象徴みたいな場であるから、並んで急ぎ歩きするには不自由なかった。
「具体的に何が、とまでは。ただ、船の動きにやや不穏なものがあります」
「不穏?」
歩きながら礼装に合わせた羽織り物と制帽を渡し、代わりに戦闘服一式を受け取る。官給品の触媒になる杖はまだスカルビーが持っていた。
「進路が予定とは異なります。中でそういった話は?」
「出てないな。今頃船員がこちらに向かって走っているところかもしれないが」
「ただの『乗客』の大使殿にそのような報告をする必要がありますかね」
「さあな。他国の指揮系統のことなど私には分からんよ。このまま艦橋に向かおう。状況把握と……場合によっては外に出ないといけないかもしれない」
「他国の船でそれは越権行為なのでは?」
「あの大使殿は一つだけいいことを言った。船のことは自分たちに任せろ。だが、空については私が好き勝手して構わない、と」
「これは確信ですがかなり曲解が混ざっているものと思います。でもまあ……」
「なんだ」
礼装の襟飾を千切るように外し……
「そうして獰猛に笑っているあなたの方が実に『らしい』。外国のお偉方を前にイライラしているよりも、よほど。……っと」
そのまま、無礼な部下の顔に投げつけた。もちろん手で防がれたが。とはいえ、だ。
「そうだな。私もそう思う。騒ぎに巻き込まれる乗客船員の皆様方には大変申し訳ないが、あの樽みたいな体型の大使殿と乗船を同じくしたのが拙かったと諦めてもらう他ないだろうさ」
「おや。では条約の締結絡みの襲撃と?」
「他に原因があったら教えてくれ。後で酒の肴話にでもしてやる」
あなたまだ酒を飲める歳ではないでしょうが、とスカルビーは呆れていたが無視して手近な部屋に駆け込んだ。
「着替える。先に船橋に向かってくれ」
「了解。先行します」
頼む、と略式の敬礼を交わす。
今の状況を楽しむとは軍人といては余りにも不遜に過ぎるだろう。だが、確かにこういうやりとりは嫌いでは、なかった。




