第3話・それぞれの空
「ふぇいふぉるのひふぇふふぁん?」
「……ちゃんと食べてから喋りなよ、フー」
ふぁい、とフーは小さい口を満杯にしたまま頷くと、パンを水で流し込んでから人心地ついた顔で、同じことを聞いてきた。
「帝国の使節団?」
「そ。わたしたちと一緒にイルクリーグに向かっているんだって」
「それでその、リニアさんとお話ししてた軍人さんも護衛とかで?」
「あはは、帝国の使節団の移動を共和連合軍が護衛する、なんてあり得ないよ。この船は帝国船籍だから、実質空飛ぶ帝国領みたいなものだしね」
「そういえばそうですね」
豪華客船だけあって食堂は完備されているけれど、わたしたちのような三等船室の乗客がおいそれと入れるものじゃないから、結局売店で軽食を買ってきて船室で食べている。
同じようなことを考えている人は結構いるみたいで、出発時にいた人数の半分くらいはこうして休憩したり、お腹を満たしていたりしている。
ちなみに寝る時はどうするのかというと、三等船室の乗客はなんか棚みたいに縦にも横にも寝台が並べられた寝室で寝ることになる。いくら横になれるとはいっても狭い上に他の乗客がすぐ隣にいるような場所で寛げるものでもないから、就寝時間までは船内をうろついたり、こうして船室で腰掛けていたり、になる。
そうして何をしているか、というと、さっき会ったルゥ=ファルル・バレットさんから聞いた話をフーにも伝えていたんだ。
具体的に何を聞いたのか、っていうと、百年条約の更新の調印式に向かう青銅帝国の使節団がこの船に同乗しているために、いろいろと窮屈な目に遭うかもしれないから気をつけろ、って話だった。
で、百年条約が何か、っていうと。
「わたしも一応は経営者の端くれです。特に百年条約ともなれば話題にもなってたんですから知らないはずないじゃないですか。青銅帝国とその周辺国の間での国境策定にまつわる条約のことでしょう?」
「そうそう。たださ、今回の更新についてはどうも焦臭い話があるらしくて」
「きなくさい?」
ぐびり、と瓶に入った水を空にするフー。別にいいんだけど、空の上ってことでお水も高いんだからあんまりそうガブガブいかないで欲しいんだけどなあ。
「……立て替えてもらった分は後で返します。それで焦臭い、ってどういうことです?」
「うん。条約更新に反対する勢力、ってのがいるらしくて。だから使節団の護衛も結構厳重だ、って言ってた」
「それで物々しい態度の人がけっこーいたんですね。何か悪いことした人でも捕まえに来てたのかと思いましたよ」
「……そんな人いたっけ?」
「いましたよお。制服こそ着てませんけど、こう、目付きとか歩き方がその筋の方々が」
その筋て。
両手の人差し指で目の端をつり上げ、ついでに肩をいからせた格好のフーを見て、こっちは肩をすくめる。
ただ、なるほど言われてみれば外の景色じゃなくて通行してる人ばかり見てるおじさんとかおにいさんが結構いたかも、って思い出す。
まあでも、そういうことなら逆にスリとか置き引きがあったらすぐ通報すれば解決するんじゃないかな。
「リニアさん、警吏と兵隊さんは違いますよー。特に制服着ないで活動する兵隊さんは横柄でこわぁい人多いですから」
「そういうもんなの?」
「……って、お祖父ちゃんが言ってました。わたし自身はまあ、商売上直接的にお付き合いすることもないではないですけど、やっぱりお祖父ちゃんの印象が裏返るようなことは、ないですね」
一体この十一歳児なにしてんの。こんな小さい頃からそーいう世界覗かせて教育にいいわけないと思うんだけど、ってその十一歳児に雇われてる身で言うことでもないか。
「だからまあ、リニアさんがお話ししてた士官さんは信用してもいいと思いますよ。感じのいい方だったんでしょう?」
「そうだね。兵隊さんっていうより……」
「……いうより?」
さっき話した若い女性の兵隊さんのことを思い返す。
美人で冷たい感じかと思ったら、調子が崩れるとどっか人間味のある魅力的な人だったと思う。けど……。
「……兵隊さん以外は出来なさそうだなあ、って思った」
「なんですかそれは」
呆れられた。
だって、なんていうか基本的には堅物っぽくて振り回されるのが似合ってる、って感じだったんだもん。幸薄そうっていうか、何かと巻き込まれやすそー、っていうか。
「まあそういうことなら、収まるべきところに収まっている、ってことなんじゃないでしょうか。それに広い船とはいっても、実際あちこち動き回れるわけでもないですから、旅の最中に知り合い増やすのも悪いことじゃないですしね」
「お仕事的にも?」
「ですです。人脈はどこでどう役に立つか分からないですから」
しっかりした十一歳児だ。でもまあ、雇われてる方としては経営者がしっかりしてるのは悪いことじゃないと思うし。それでも我が「尖ってない角屋」は絶賛赤字経営継続中、というのが頭の痛いところだ。
「絶賛でも継続中でもないですよ!通年で赤字だったのは昨季のことですしそもそもリニアさん雇ったからじゃないですか!」
とんだやぶ蛇だった。
・・・・・
万が一に備えて、ということもあったが妙な出会いもあったことでなんとなくそんな気になり、特に急ぐことも無く船内を一回りした。
さすがに帝国船籍の船の中を共和連合の軍服でうろつけば不躾なものだったり好奇心からのものだったりと様々な視線を受けることも当然あったが、不思議と悪い気分にはならなかったのは、やはりあの印象的な少女との出会いがあったからだろうか。
そういうわけで、あてがわれた一等船室に戻った時も特に警戒などしていなかったのだが、扉の把手に手を掛ける寸前で中の様子が、出かけた時と異なることに気がついた。
「戻っ……いない?」
留守番を申し出たスカルビーが、だった。
即座に扉の正面から身体をずらし、部屋側の壁に背中を預ける。武器など携帯出来る状況でもないから丸腰だが、かといって変を嗅いで回れ右、とはいかないのがこの稼業だ。
周囲を見回す。幸い、居並んだ一等船室の他の乗客は皆船内を出歩いているのか、他の部屋の中にも人の気配は無い。
慎重に左手で把手を掴み、そっと回す。鍵は……かかっている、ということであればスカルビーが外出しているだけなのだろう……で終わるのか?あのスカルビーが、自分から言い出した留守番を途中で放り出して部屋を空けるか?あり得ない。となれば、異変は続行中。
私は自分の分の鍵を取り出し、そっとカギ穴に差し込む。中で誰かが待ち構えていればこれから鍵を回す音で気付くだろう。
さてどうするか……舌をひと舐めする。緊張しているのか?ふん、あり得ない。
自分でも気付くくらい大仰に口角を持ち上げる。笑いは危地を救う、とは誰の教えだったか……ああ、スカ
「バレット三士」
「ふひゃぁっ?!」
……スカルビーに教えられたのだったな、と思ったところで当の本人の声がした。それも、右側から。つまり、扉に全集中していた私の隙を突いたことになる。この野郎、わざとだな。
我ながらみっともなく頓狂な声を上げたことを誤魔化すために、憤然と立ち上がってしれっとしてるスカルビーを怒鳴りつけた。
「いきなり声をかけるな!」
「どうしました」
「どうもこうもあるかっ!お前が留守番ほったらかしにして出歩いているからこうなるんだ!」
「こちらにも事情がありまして」
「そりゃ用も無いのに持ち場を離れるようなお前じゃないだろうがな。というか階級で呼ぶな、といつも言ってる」
ガチャガチャと雑な手付きで鍵を開けつつ、無駄なことだと分かっていつもの文句を言う。
「軍務中に上司を階級付けで呼ばないわけにはいかないでしょう。いい加減、そろそろ昔のことなど忘れて今の立場に慣れるべきです」
理屈としては正しいが、だからといって新兵時代に自分の教育担当だった教官を部下扱いなんて簡単に出来るか。上は何を考えているのだ。もう少し情実を考慮した人事をしろ、全く。
ぶつくさ言いながらも部屋に入る。ちなみにスカルビーは別の二等船室をあてがわれており、二人用のこの部屋を私ひとりで占領する形になっているが、正直軍隊式の機能重視な部屋に慣れた身にしてみると落ち着かないこと甚だしい。まあ、書類を展開するのに適した卓が据え付けられていることだけは助かるが。
「それで?臆病な上司にみっともない真似をさせるに相応しい用事とやらは?」
「三士と接触した人物について調べておりました」
……おい。つまり私はずぅっと尾行されていることに気がつかず船内を浮かれて歩き回っていたことになるのか?
「流石にそこまでは。実は呼び出しを受けておりまして、そのために部屋を出たところで三士と乗客の方が語らっているところを見ただけです。良かったですね、尾行に気がつかない間抜けでなくて」
「……たまーに上司としての権力を振るいたくなる時があるが、矜持にかけてそれはやめておこう。で、立ち話をしただけの子供にそこまで警戒をする必要はないと思うのだけれどな」
軽く目眩を覚えて椅子の背もたれに背中を預ける。
一応、一等船室という態であるから窓もついていて外の景色も眺められるが、眼下に雲を見下ろす青い空、など別に珍しいものでもない。というか見飽きた。ロクな思い出がない。むしろそろそろ見るのも嫌になってきている。そんな場所だ。私にとって空というところは。
だから、小さな子供が窓の外をみて目を輝かせているところなど、驚きと共にとうの昔にどこかに投げ捨ててきた宝を取り戻したようであり、我知らず口元が綻んでしまったものだ。
「リニア・プライア、十五歳。確かに共和連合籍で、ブリガーナ記念大学に在学中、と身元もしっかりしています。特段怪しいところはないかと」
だから余計に、その少女の後ろにあって、激しい眼差しで空を見つめていた少女。
スカルビーが調べてきた、リニア・プライアという名の同国人のことが気になったのかもしれない。
「同行者はフールビィ・リアクタ。こちらは……十一歳、ですね。同じ共和連合人で……どうもこの二人は商売絡みで帝国から帰国するようですよ。注意してみます?」
「十五歳と十一歳の少女が二人で商売絡み?なんだか穏やかじゃないな……」
口の中に生じた苦いものを流したくなって、部屋に据え付けの円卓におかれた水を飲む。
見たくもない空がついて回る、鬱陶しい部屋だが飲み物が潤沢に用意されている点だけはありがたい。それ以外は本当にクソったれだけれど。
「これ以上調べようとすれば本人たちに接触する他ありませんが、どうします?」
「子供が商売、だなんてあまりいいものを想起させない。けれど……」
「けれど?」
「……あまりそういった昏さを覚えないんだ。私が見た二人には。だから放っておいてもいいと思う」
女が自分自身を男に売る。
当たり前にある話だが、その女がまだ子供、ということになると胸糞の悪さが無限に上昇する。
世の中には子供を相手にするクソったれが少なくない。そういった手合いをどうにかするのは公僕としての私の責務ではないが、個人的には明るいところを歩けないようにくらいはしてやりたいところだ。
……話が逸れた。
「とにかく、印象としてそう悪いものを抱いたわけじゃない。ただ、前向きに興味を覚えたのと、スカルビー」
「なんでしょう?」
「……お前が影から覗き見していて、勝手に調べたことだ。これ以上深入りするべきじゃないだろう」
「承知しました。では私はこれで」
「……ったく。勤勉なのはいいが、お前のは周りからするとかなり肩が凝るんだ。ほどほどにするか、せめて見えないところでやってくれ」
「それが仕事ですので。それに……」
「なんだ」
スカルビーは、赤みを帯びた短い金髪を指で梳きながら言う。ふと、その顔に残る火傷の跡が目に入った。痛ましげな顔にならないよう、注意を払う。
「見えないところでやっても無駄でしょう。あなたのことですから」
「……そんなことはないぞ」
冗談めかして言ってくれたことで、助かった。こんな感情を抱いていることは本人に伝わるべきではない……いや、私がそう思っていることくらい、分かっているのかもしれないな。
敬礼をして部屋から出て行くスカルビーに返礼をし、姿が見えなくなったところで椅子に座りこんだ。
彼女が持ってきた端紙に書かれた、リニア・プライアとフールビィ・リアクタの身上を目で追う。
本人から聞いた名前をもとに、乗船名簿から調べてきたものだ。
一応こちらは公務だし、連合と帝国は友好関係を築いている。気になったので、というだけで名簿の閲覧は許可されたと言っていたが、スカルビーのことだからどこまで本当のことなのやら。
まあそれは考えても仕方がない。私は硝子の杯に残っていた水を飲み干して、端紙を手にとり、奇妙に印象に残った少女のことを思い浮かべる。
十五歳、とあるから私より二歳下か。その割には幼い印象は受けたが、これは多分私が無駄に老成しているというか歳に似合わず老けているから、だろう。故郷の父親に言わせれば、だが。
それに幼い印象を受けた、というのはそれだけではあるまい。
後ろ頭で栗色の髪を結わえ、少し話した間だけでもくるくるとよく表情が変わっていた。
大げさな身振り手振りで感情の揺れ幅が激しいことを主張し、可愛らしいとか愛らしいとかといった表現より、快活で元気な娘さん、という様相だった。
最初気になった、激しい感情をその時の私との会話で見せることは無かったが、きっと胸の奥底にはそういった熱いものが滾っているのかもしれない。本人の知る、知らずに拠らず。
「羨ましいな……」
空を見て、そう思える少女が、だ。
私は家族の背中を見て育った。
軍人として立つものだと思って、そう努めた。
「バーダヴィルズの魔女」などというありがたくもない二つ名も頂戴した。
結果、空を飛ぶことは私の夢ではなく、務めになった。
志を立ててからは一度も、そこに憧憬を得たことは無い。
けれど、それでいいとも思っては、いない。




