第2話・蒼空に良き出会いを
「だから、空を飛ぶのは一瞬じゃないから焦らなくてもいい、って言ったじゃないですか」
「そんなこと言われても……」
意気軒昂と案内放送と同時に三等船室を出ようとしたわたしだったけれど、同じようにそれを心待ちにしていた大人たちに出遅れてわたわたしてるウチに完全に出遅れたのはほんとーに不覚だった。
結局三等船室を出ることが出来たのは、何度も何度も言うところの「いい歳した大人たち」が全員出て行ってからのことで、船室の喧噪でようやく目を覚ましたフーにたしなめられつつ、外側に近くて多分船外を眺められる二等船室と、だだっ広くて乗客をいっぱい乗せられるけどその代わり窓もない三等船室の間の通路を、しょんぼりしながら歩く。
「もー、リニアさんフーよりもお姉さんなのに、そういうところ子供っぽいです」
「だって……」
「空を飛ぶのが初めてでもないんでしょう?そこまで必死にならなくてもいいと思うんですけどねー」
そうじゃない。例えば自分で歩ける人が、生まれて初めて馬に乗ったときに一切感動もしないのか?っていうと、そういう問題じゃないと思うんだ。
「フーだってさ、初めて飛空船に乗ったときに感動しなかった?したでしょ?」
「それはびっくりもしましたし、感心もしましたよ。でもリニアさんは空を飛ぶことは子供の頃からやってるじゃないですか。生まれて初めて空を飛んだ時の衝撃より、初めて大きな船に乗った時の感動の方が大きい、とはとても思えません」
「………フーもさ、そうやって物事の初めてとか新しい体験への感動をそんな小さい頃から摩滅させてたら、大人になってお母さんになった時に子供に嫌われるよ?」
内心の負け惜しみを隠して煽りっぽく言ってやったら、不服そうに口を尖らせていた。もちろん賢い子だから、わたしのそういう気分は察した上で、そんな顔をしているんだろう。歳の差と立場の違いで生じる、お互いの間にあるズレみたいなものを時々こうして埋めてやるのは、わたしとフーの間での言葉にしない約束事みたいなものなのだ。
「リニアさんなんか知りませんっ!!」
だから、言葉通りにプイッとわたしを置いて先に行ってしまうのもいつものこと。
わたしも「あは、待ってよフー!」って、置いてかれては困る、って感じに早歩きで追いかけるのもいつものこと………だったんだけれど、今日に限ってはその先が違った。
「あ、この先ですよリニアさん!」
「うん、そうだね……っ」
二等船室の居並ぶ区画から船の中でも最外の外殻通路に出る扉。
わたしたちを置いてとっくに出て行った、同じ三等船室の乗客たちはもうそこにいる。半開きの扉の向こうから、洩れ見える光と一緒にその喧噪も伝わってくる。
並んだわたしとフーは、顔を見合わせて大きく頷く。
空を目指した心は、いつだってその志を原動力にして人を高みに導いてきた。
ここまで、わたしたちが空で得たものの形は違うけれど。
自分たちの力だけでここまで来たわけじゃないけれど。
「リニアさん、開けていいですよ」
「うん………えいっ」
そんな必要もないのに、思い切ったように勢いをつけて扉の把手を強く引く。
そしてそこに見えたのは、ただただ、空。
大きく間取られた豪華飛空船の外殻通路は、その巨体に相応しく多くの人を受け入れられる構造になっている。だからそれに比例して、窓も広く、その数は多い。
そのいずれからも見えるものは、とにかく空。一面の、碧。
「……何度見てもすっごいですねぇ……」
熱に浮かされたようにフーが呟く。外殻通路に通じる扉から一歩出る。わたしの横を抜けて。
わぁ……なんて言いながらふらふらと窓のところまで行き、同じように外を眺めて言葉もない大人から子どもまでの列に加わって、やがて身動きもしなくなった。
フーを含む、そんな人の列にわたしは……だけど、加わることもなくって、ただ碧い空を睨み付けていた。
もちろん、空が憎いわけじゃない。空は好きだ。それは胸を張って言える。
でも、そこに自分がないこととは話が別なんだ。
わたしはわたしのコトに拠って、空を目指す。
なんとなく、流されるようにやってきた大学だったけれど、子どもの頃から見てきたこと、やってきたことに意味があるって教えられたのが、今のところ一番の収穫だったと思う。
外衣の下にある首飾りの存在を意識する。大学にやってきた時、学長にもらったものだ。わたしはそれを触媒とし、気界に通じる。暗素界を識る。そうして、空を飛ぶ。
だから空は、わたしにとって野望と野心と、渇望の象徴なんだ。
いつかわたしはそこで……そこに……。
「失礼。きみ、大丈夫か?」
「え?」
不意に声をかけられて固まる。
フーに呼ばれたのかと思って見ると、相変わらず目の前で短い金髪を揺らしもせずじーっと窓の外を見ているみたいだけれど……。
「こっちだよ」
左の肩を叩かれる。
それで、フーじゃない他の人に話しかけられたのだと気付いてそちらに顔を向けた。
すると。
「ひどく怖い顔をしていたからね。どこか体調でも悪いのかと思ったよ」
女の人だった。
とても美しく整った、白銀のような髪。歳の頃はわたしよりいくつか上、というところか。大学の先輩くらいの感じ。
ただ、学生でないのはその着ているものですぐに分かった。
濃い青で染められ折り目の効いた、パリッとした制服。フチを金色の糸で織られていて、見るからに手の込んだものに見える。
間近でじろじろと見る機会は無かったけれど、もちろん見覚えはある。アルプメント共和連合の軍服。それも、兵隊さんが活動する時に着るようなものじゃなく、バリッバリの士官が礼服として着るようなものだ。
てことはこの若い女の人、軍人さん?
「ええっと……その、ええと……」
やや青みがかかった、灰色の瞳に射竦められるように感じて緊張する。いや、緊張といっても咎め立てされたように感じたからじゃなくて、この人がとんでもない美人だからだ。
まず髪は真っ先に目がいったように、流れるような白銀の長髪。正面からはよく見えないけれど、きっと背中の方で長くまとめられているに違いない。軍人さんで長い髪ってあまり見ないけれど、こんなキレイな髪じゃあ切るのが勿体ないって思うのも当然かも。
瞳は、これもすぐに分かるように灰色で、すこし青みがある。地上から見上げる空を思わせる色だ。
顔全体は身長の割には小顔で、灰色の瞳を収める目はやや吊り目がちだけど切れ長で整っている。
鼻筋は特に高いわけじゃない。けれど全体的に小顔の細面なためか、形のよいことも相まって凜々しさを際立たせているように見えた。
軍人さんっていうと大声を張り上げているような先入観があるけれど、このキレイな人はその思い込みに違わず、意志の強さを示すように引き絞った唇だった。一方で小さな口だったから、女性らしい柔らかい美しさを思わせる。
まあ要するに、同性のわたしから見ても「はあ……」ってため息をつくくらいの、美人だったわけだ。
「ど、どうした?やはり具合が悪いのか?医務室でよければ連れて行くが……」
「あ……ご、ごめんなさいそういうわけじゃなくてっ!!……ええっと、共和連合の軍人さん……ですよね?」
その、同性に対して抱くにはちょっとアレな感想に我ながら慌てて誤魔化したんだけれど、その一言は彼女にとって訝しさをもたらすものでしかなかったらしく、あんまり表情豊かとは言えなさそうな顔を僅かに歪めて……なんていうか、申し訳なさそうな表情になって、やや身を固くしたようだった。
「あ、ああ。済まない、帝国の方には不興かもしれないが、アルプメント共和連合空軍の……ルゥ=ファルル・バレット三等正士だ」
「三等正士?!その若さでっ?!」
えーと、わたしは軍隊の事情にはそれほど詳しいわけじゃないけれど、正士っていうのは正式の士官で、一等から六等まである、ってことくらいは知ってる。
空に関係していると空軍とか航空管制絡みで、そういう単語は頻繁に耳にするからだ。
で、三等っていうと、確か軍隊の大きな単位を指揮するのが正将で、その下が一等正士だったから……。
「……別にえらくはない」
とかって考えこんでいたら、目の前の軍人さんが面白くなさそうに口を曲げてるのが目に入った。
もともと形がよいけど、そういう風にしてもなかなか絵になる。っていうか、今まで割と無表情だったのに、不機嫌な顔もそうと分かるような感じなんだ。ちょっと意外。士官の人とかだと、ガッチガチの軍人!って感じの人が多いと思っていたから。
「帝国ではあまり馴染みはないだろうが、共和連合軍は階級と職位は必ずしも同調していないんだ。わたしは理由があって階級自体は高く祀り上げられているだけで、軍の中での地位はそんなに高いわけではない」
「あ、そうなんですか……」
だからどうだ、って話だとは思うけど。
それでも弁解じみたことを言ったのはきっと、今の自分の立場とかに思うところはあるんだろうな、って。
そう思ったら、美人だけどどこか怜悧な印象もあった女性が、少しかわいいな、って思えるようになった。
「ごめんなさい。騒がしくしてしまって」
だから、気にしてることを大げさに感じてしまったことを素直に謝りたくなって、わたしは背筋をちゃんと伸ばして、そう述べたんだけれど。
「い、いやこちらこそ……その、子供っぽく拗ねたみたいなところを見せて……恐縮だ……です」
軍人さん……ルゥ=ファルル、さんだっけ?かえってしょんぼりとしてしまって、やっぱり好感を抱かずにはおれないのだった。
「?何かおかしいか?……いや、小官に何か不躾な点でも?」
「あ、いえそういうのじゃなくて。ただ、好きになれそうな方だな、って」
で、好意的な感想をそう告げると、予想通りというか期待通りというか、彼女は妙にうろたえてしばし落ち着き無く視線をあっちこっちやってから、からかわれたと思ったのか少しムッとした表情になって、言った。
「っ、………う、その、なんだ。あまり初対面の相手にそういうことは言わない方がいい。きみは……」
「リニア・プライア、です。言っておきますけれど、わたしも共和同盟の民です。いつもお仕事お疲れさまですっ」
そういえば名乗られてはいたけど、自分は名乗ってなかったな、と思って、ついでに帝国人だという誤解も解いておく。
そしたら、相手が同国人だと知ったルゥ=ファルルさんは見るからにホッとした様子で、そしてわたしを帝国人だと勘違いしていたことを謝罪してくれて(謝られるようなことじゃないとは思ったんだけれど、守るべき人を見誤ったというのは軍人さん的には申し訳ないことのようだった)、あとは少し立ち話をして、別れた。
この船には仕事で乗り込んだだけのことで、やっぱりいろいろとあるみたい。
お仕事頑張ってくださーい、って去って行く背中に声をかけた時の振り返った顔が、少し疲れたみたいだったからね。
「……リニアさん、誰かとお話してました?」
がくっ。
まあまあな時間話し込んでいたというのに、このコはずっと外を見ていたのか。
「初めてじゃない、とか言ってた割に随分と熱心だったよね、フーも」
「感動を失うべきじゃない、って誰かさんのご高説でしたからね。教えに倣ってちゃんと空を見て感動してました」
「言うじゃない」
「雇用主ですから」
ナマイキな上目遣いと、年甲斐もない睨め下ろす視線。
その二対が交わってしばし。
「……ぷっ」
「ふふっ」
吹き出す音が双方から。
まあこんなものだろうね、わたしとフーの間なら。
荘厳ではあっても単調な外の景色を眺めるのにも飽きたのか、周りの人たちが三々五々に廊下から去って行く中、わたしとフーはひとまずお腹も空いたことだし、と売店で何か買い込んでどこかで食べることにした。




