36. 辺境伯の愛情はうっとしい
オーキッド様は実は〇〇だったのです。
「明日の夕刻には王都に着くね」
王都と領地を結ぶ大街道を進み、今夜はこの宿屋で一泊する。王都まではあと一日掛かるため早めに宿に入った。この辺りでは一番上等の宿屋だった。
「良くいらっしゃいました。お荷物は運びますので、どうぞそのままで。さあ、お部屋にご案内しましょう」
カイゼル髭の丸々とした支配人が、満面の笑顔で案内をかって出た。それはそうだ。貴族の紋章の入った馬車の他に、召使いを乗せた馬車、騎乗用の馬まで連れた貴族様の宿泊である。弾むような足取りで、一番広い特別室の扉を開いてソファを勧めると丁寧にお辞儀をした。
「ようこそいらっしゃいました。ご主人様には特別室を。従者の皆さんには両隣と廊下の東側をご用意致します」
「判りました。それで結構です。それから、人数分の夕食をお願いできますか?」
「ご主人様には、ダイニングルームをご用意致しますか?」
「ええ、お願いできますか?ダイニングルームには3人分で」
「承知致しました。それでは、お食事はダイニングルームにご用意致しましょう。準備ができ次第、声をお掛けいたします」
丸々ヒゲ支配人が退席すると、入れ違いに入って来た者がいた。長い濃茶の髪が背中で揺れている。
「あー、疲れたねぇ。体がガチガチだよ。ねえ、オーキッド様、今夜は一杯飲んでもいい?」
「お疲れ様。いいよ。飲みたいだけお飲み。でも、明日は朝早いからね」
「カーンは、いつも飲み過ぎるから考えて飲んでくれ」
「うるさいなぁ。ルイはオーキッド様と馬車に乗っているからいいけど、ずっと俺は御者席で外なんだよ?埃っぽいったらないよ。ああ、夕食前に風呂に入ってくるか。時間あるよね?」
襟元のタイを緩めながら、カーンは足早に部屋を出て行こうとしたが、ルイに向かって(俺、右の部屋ね)と言って扉を閉めた。
「あの子はいつも、マイペースだね。ルイも疲れただろう。今夜は早めに休もうか?」
「ええ。そうしたいのは山々ですけど、王都の偵察に行かせたロゼリンが戻ってきますので、話を聞いてからにしましょう」
「ロゼリンか。あの娘は侍女にしておくのは惜しいね。2年前も君と一緒にグランデルク伯爵家に侵入したんだもの。諜報の才能あるよね」
「そうですね。もう少しで戻って来るでしょう。ところで、貴方は本気なんですか?」
ソファに座ったままルイはオーキッドの顔を見つめた。見上げているルイは、美しい銀髪もアクアマリンの瞳もそのままだが、二年前より甘さが削ぎ落された凛々しい顔立ちになっていた。加えて優雅な所作は気品すら感じられる。
オーキッドはソファに座るルイに、向き合うように椅子を引いて腰かけた。そしてにっこり微笑んで言った。
「だって、やっぱり欲しいじゃない?綺麗なお人形」
「オーキッド。彼女は人形じゃないですよ。生身の人間です」
「判ってる。君も私のお人形だよ?綺麗で可愛いね」
「ねえ、ルイ、私との約束覚えている?」
「ええ。貴方は私を助けてくれました。ですから、私は貴方が望んだことに力を貸します」
「うん。力を貸しておくれね。私の可愛いお人形さん」
そう言ってルイの銀髪の頭をくしゃくしゃに搔き乱した。まるで、子犬を可愛がるように。(止めて下さい)と手を払いのけると、目尻を下げて笑いながら更に手を伸ばしてくる。
(ああ、この人、こういう人だった!)
ルイは苦笑いをして相手になっていた。
夕食の準備ができたと呼ばれて行くと、そこはこじんまりとしたダイニングルームだった。風呂上がりのカーンは、すでにワインを開けてデカンタに移し替えていた。
夕食は、この地方の名物である豚肉の香草焼き、芋とアスパラのソテー添えをメインにし、オードブルには5種のチーズと茄子のカナッペ、マカロニと燻製鶏のサラダ、干し鱈と彩野菜のトマトスープ、香ばしいナッツ入りのパン。デザートには桃のプディングが用意された。さすがに品数は屋敷のディナーとはならないが、良い香りと美しい盛り付けで十分にうまそうだった。
「それでは、頂きましょうか!」
カーンがワインを注ぎ、オーキッドに向かって掲げると嬉しそうに言った。
ダイニングルームには、オーキッド、ルイ、カーン、そして侍女が3人控えていた。
「いいよ。君たちも冷めないうちに食事をしておいで。ここはルイとカーンがいるから大丈夫だから」
「でも・・・」
「旦那様がそう言っているから大丈夫だよ~。食べておいで。シモンが馬の世話をしてくれているから声を掛けてやって?」
「承知しました。それではお言葉に甘えて。旦那様、失礼します」
侍女に席を外させると、3人はワインを飲みながらゆっくりと食事をした。オーキッドはワインを飲みながらルイを見た。背筋が伸びた美しい姿勢で、優雅なテーブルマナーは完璧に見える。視線に気づいたルイが怪訝そうに眉根を寄せた。
オーキッドは肩を竦めて今度は、反対側にいるカーンを見た。こちらは、マナーはまあ、おいておくとして、飲む、食べるを思う存分楽しんでいるように見える。なんとまあ、正反対の二人だろうと、しみじみ感じていた。
カーンが2本目のワインを空けたところで、ルイからもう止めろと瓶を取り上げられた。そろそろロゼリンが到着するころだ。
「ロゼリンが戻る前に部屋に戻ろうか。カーン、給仕にお茶を持ってくるように言ってくれ」
グイっと最後のワインを飲み干して、カーンが承知したとグラスを置いた。
「旦那様、ただいま戻りました」
「お帰りロゼリン。お疲れ様だったね。お茶でも飲んで一息ついておくれ」
ロゼリンは男の様な格好で部屋に入って来た。騎士見習いのような格好だ。若い女が夕闇に紛れて街道を馬で疾走するのは目立つ。夜盗や、不埒ものがいないとも限らない。そのため長い髪を帽子の中入れ込んで、黒の上着に革のベスト、足元は鎖の付いた長靴で男装をしていた。
「いえ、大丈夫です。それよりもお耳に入れたいことがございます」
「なんなの?」
「妖精姫が求婚されました!」
「宮廷近衛騎士のシリウス・スタンフォード副団長にです」
オーキッドとルイは目を見開き、カーンはティーポットのお茶をカップから溢れさせて固まった。
「あっち、ち!!」
「ロゼリン、それは本当ですか?」
ルイがロゼリンに問いただすと彼女は真剣な目で頷き、更に言葉を続けた
「はい。昨日のことですが、シリウス様がリリ嬢に求婚するため、グランデルク伯爵家を訪れました。伯爵夫妻も兄のクラウス様もお許しになって、今日はスタンフォード公爵家にご挨拶に行くとのご予定でした」
「昨日の事?」
ロゼリンは肯定するように深く頷くと、カーンから差し出されたティーカップを感謝しつつ受け取った。
「オーキッド様、向こうも偵察させていたのでしょうね?私達の行動を読まれていたようです」
ソファに座って、じっと考え事をしているオーキッドに向かってルイは冷静な声で言う。腕組みをしているオーキッドは目を伏せているが、口元は何だか笑っているように見えた。
「どーすんの?オーキッド様?あんたのリリちゃん、騎士に盗られちゃったじゃない?」
「・・・そうだね。読まれてたね。でも、まさか、あのシリウス君が? 彼がリリに興味を持っていたとは盲点だったな・・・」
何か思い出す様に遠い目をしているオーキッドを無視して、ルイがロゼリンに更に質問をする。
「リリ嬢は、副団長と婚約されたということですか?」
「それが、確認する前にこちらに向かったので正確では無いのですが、貴族院に行くということでしたので・・結婚証明書を出されたのかも・・」
「やられちゃったね。シリウス君は貴族院に結婚証明書を出したね。多分、その足で陛下にも挨拶しに行ったと思うよ。こちらの出方を完全に読まれちゃったなぁ」
そう言ってソファのクッションに思いきり拳を打ち込むと、これ以上ないような笑顔を3人に向けた。
「やっぱり、彼は誤魔化せ無かったってことか。まあ、仕方ないね。でも、人妻になったリリちゃんも良いじゃない?それにさ、もう一人綺麗なお人形で遊べそうだし。せっかく王都まで出てきたんだから、楽しんでいこう」
オーキッドが楽しそうに言っているが、この人の ≪楽しんで≫ は普通ではない。長年一緒にいたから良く判る。懐に入れればこんなに安心する人はイナイ。すべてを包み込んで守ってくれるような包容力がある。しかし・・・
(この人の愛情は、老若男女問わずとても深くて、温かくて、ややこしくて、時にうっとおしい)
オーキッド・フォン・パルマン辺境伯は、従者にも暑苦しい愛情を掛けている。らしい。
「ところで、オーキッド様。そろそろ、入浴致しませんか?お仕度させて頂きますが?」
上機嫌で笑っているオーキッドの周りに、複雑な表情のルイ、カーンそしてロゼリンがいる。ノックをして入って来た侍女は一瞬怪訝そうな顔をしたが、三人の前を通り過ぎ、上機嫌の主を促して浴室に案内をする。そして大きな鏡台の前に彼を促した。
「さあ、鏡の前にお掛けになって下さい」
鏡に映ったのは、艶やかな黒髪をきっちりと結い上げたあの侍女リーダーの顔だった。
「さあ、旦那様、ドレスを脱ぎましょう」
侍女の声が広い浴室に響いた。
誤字脱字は気づき次第修正します。
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