35. クラウス・グランデルクという男
お兄様のお話です。
「おかあさま、あかちゃんがうまれるの?」
5月の爽やかな風が心地よい季節。その日、まだ陽も上がらない時刻から、グランデルク伯爵家は慌ただしさと期待に満ちていた。伯爵夫人付きの侍女達は女主人の部屋に籠りきっりとなり、古くから伯爵家の主治医をしている医師もすでに呼ばれていた。
「ああそうだ。クラウス、お前の弟か、妹になるな。どちらでも良いが、とにかく無事に生まれてくれることを父と共に祈ろう」
「はい。おとうさま」
普段はとても忙しく、朝早くから夜は自分が眠ってから屋敷に帰ってくる父が、今日は朝から部屋にいた。国の要職を務めている父が、仕事を二の次にできることは ≪最愛の妻≫ と ≪最愛の息子≫ の事だけだった。父は自分と良く似た明るい栗色の髪を撫でると、膝の上に座る息子の祈りを共に手を合わせて聞いていた。
「かみさま、どうかぼくにいもうとをください。おねがいします」
そして、庭にある白百合が陽を浴びて美しく咲き誇る時刻に
「お生まれになりました!!お嬢様でございます!!」
夫人の部屋から侍女が走り出て、伯爵と息子の二人が待っている部屋に飛び込んできた。大きなその声に屋敷中が安堵に包まれ、廊下や控室にいた者達からは歓声が上がった。
そして、父は息子を強く抱きしめると神に感謝の言葉を口にし、息子を促して膝から降ろした。父の緑の瞳はうっすらと涙で滲んでいるようにも見えた。
「クラウス、お前はお兄様になったんだ。妹をよろしく頼むよ」
「はい。おとうさま。かみさま、ねがいをきいてくださって、ありがとうございます!!」
「さあ、妹に会いに行こう」
「はい!!」
父と手を繋ぎ、ウキウキとスキップをしそうな足取りで母と妹の元に向かう。
「・・・・おかあさまは、おさるさんをうんだの?」
生まれたての妹を見た感想がこれだった。
最初に妹を見た時の感想は、絶対妹には知られてはいけないと感じた。父は、膝を着き目線を合わせてこう言った。
「クラウス。生まれたての赤ん坊というのは、誰もがこのような顔をしているのだよ。お前もそうだったのだ」
「ほんとう?ぼくもおさるさんだったの?」
「クラウス様、生まれたばかりの頃は皆そうなのですよ。クラウス様の生まれた時と良く似ていらっしゃいます」
主治医が優しくそう言って、赤ん坊を包んでいるおくるみをずらして見せてくれた。
「ぼくと、にているの?」
「ええ。お兄様のクラウス様と良く似た可愛らしい妹君ですよ」
とっても小さくて、赤くて、弱弱しいその存在に何だか胸が熱くなる気持ちが込み上げる。
(ぼくの、いもうと!!)そう思うと、今まで感じたことの無い愛おしさを感じた。
生まれてからしばらくすると、屋敷の庭園に咲く白百合とその高貴な香りにあやかって ≪リリ≫ と名付けられた。
洗礼式を受ける頃には赤くて子ザルに似た顔も全く変わっていた。髪は母に似たプラチナブロンドで、白くて滑らかな肌に桃のような瑞々しい柔らかなほっぺは、思わず触らずにはいられないほどだ。そして、一番の特徴は、その瞳にあった。グランデルク伯爵家の特徴である緑の瞳の虹彩に、王国の国花である矢車菊の鮮やかな青色が咲いていた。神秘的なアースアイは見る者を魅了する不思議な魅力があった。
リリが小さな手足を一生懸命動かしている様子は、何時間でも見ていられた。小さな手に指を差しだすときゅっと握って、笑いかけてくれる。
この小さくて、愛おしい存在を絶対に守るのだと。クラウスは誓ったのだった。
クラウスが8歳になると、王立学園に入学することになった。父である伯爵からは王太子様の側近となるべく教育が始まるとのことだった。それまでは、伯爵家で多くの家庭教師に様々な授業を受けていたが、どちらかというと体を動かす剣術や体術、馬術よりも頭を使うことの方が得意だった。
特にその記憶力は教師たちの度肝を抜いていた。一度読んだ本や教えたことは忘れることがなく、歴史書などは暗唱できるほどであった。そのため、歴史学の教師などは(もう、お教えできることはありません)と、職務を辞退してきた程だった。
毎朝学園に向かう馬車に、小さなリリが見送りに来る。母や侍女に抱かれて兄との暫しの別れを惜しむのだが、涙をいっぱいに貯めたその瞳を見ると、学校などに行きたくない!!と叫んでしまいそうになるが、
「おにいたま、いってらっちゃい。はやくおかえりになってくだちゃいね」
なんて言われると、ギューッと抱きしめてしまいそうだ。そして、毎日毎日行われるその風景はそれから長くグランデルク伯爵家の朝の恒例行事となった。
学園生活は、公爵家と侯爵家の嫡男と一緒に王太子を守り、将来の側近になるべく教育を受けることにあった。そして、王国を支える同世代達に王太子の立場を知らしめ、側近たる心構えも所作も磨く場であった。王太子やほかの二人に初めてあった時のことをよく覚えている。
アレッド王太子は、生まれ月が一番遅かったこともあり4人の中で一番身体は小さかった。黒髪に黒目が可愛らしい少年だった。言葉使いや態度は王太子らしく多少尊大な感じはしたが、冗談も言うし、良く笑うし、涙もろく感受性が豊で繊細な様子を感じた。とても人間らしくて好ましい。そう思った。
ただ、5歳年下のリリの噂を聞いていて、事あるごとに会わせろ、呼んで来い、会いに行く。とごねることがあり、正直うっとおしいと感じていたが、断ると拗ねるところもどこかくすぐられることがあったので、デビュタントまで合わせないと誓った(鬼)。
シリウスは、筆頭公爵家の嫡男だった。初めて会ったときは、その黄金色の長めの髪と美しい顔立ちに女の子かと思った。可愛いというよりは美しい顔立ちに目を奪われたが、相手にもじっと凝視された。のちに聞いたことだが、彼も(女の子かと思った)と同じことを思っていたということだった。
彼は喜怒哀楽をあまり表に出す方では無かった。言葉も多くは語らなかったが、誠実で正直な性格のようだった。聞かれたことや頼まれた事には、真摯に答え行動していたから。
そして、彼の父が宰相であることもあって、いずれは政に携わると思っていたが、早くから剣術と馬術の才能が開き、その能力は誰もが知るところになった。数年後には、いずれは騎士を目指したいと相談を受けるまでになった。
セーヴルは、侯爵家の嫡男だが、一言でいえば ≪軽い≫ 。明るい性格で、爵位に拘らないフレンドリーさがあった。4人の中では一番社交的で、まだデビュー前にも関わらず多くの女生徒からの誘いを受けることもあった。
でも、彼にはレチル嬢という生まれた時から決まっていたという婚約者もいて、彼女も学園に入学していた。赤毛できりっとした感じの利発な少女だったが、卒業が近いある時に不穏な時期があった。その時のことは彼らの名誉の為にここでは話せないが、女性の怖さと恐ろしさ、腹黒さを知ることになった。
正直、セーヴルには自業自得の部分もあるが、自分とシリウス、アレッドに女性不信を思わせる原因を作ったと思う。
15歳になって大学に進学すると、アレッド王太子の側近としての特別な講義も始まった。王太子は帝王学の講義が更に増えて、自分とセーヴルには経営学や政治学、シリウスには軍事と剣術や馬術の実技が加わった。それなりに忙しくなってきたが、成績は申し分がなかった。勉強して新たな知識を得ることは、自分にとっては願ってもいない喜びだったから。何の苦労も無く勉学に勤しめた。
苦労といえば、10歳になるリリの事だった。目が覚める様な美少女に成長した彼女に、噂を聞き付けた貴族から婚約の申し入れや、茶会の招待がひっきりなしに来るようになったのだ。デビュタントの前には社交は一切させないという取り決めを両親としていたが、教会への参拝や慈善活動など最低限の外出で見初められていたらしい。
本来ならば彼女も学園に入学させてもいいのだが、すでに美少女振りが際立っていて、学園生活に支障をきたし兼ねない危うさが感じられたことから、伯爵家で家庭教師によって教育された。まさに、深窓の姫君の扱いだった。
貴族とは言え、女性の嫉妬が恐ろしいことは良く知っていたし、男の嫉妬はそれ以上に悪質で陰険だ。そんなところにリリを置いておけないと考えた結果だった。
アレッドとセーヴルには ≪シスコン!≫ と揶揄われたが、それでも良いと思っている。
自身は、女性との関りを極力絶っていた。はっきり言って面倒臭いというのが本心であったが、いい口実を見つけていた。
「お仕えするアレッド様のお相手がお決まりになってから、私は自身の事を考えることにします」
と。アレッドからすると、勝手に自分をダシにするな!というところだが、真面目で頭の切れる頭脳派側近の言うことに、誰も異を唱えることができなかった。さすがに、強気なお嬢様達も遠慮と牽制をし合うことで事態は硬直していたのだ。
こうして、王国の独身最有力物件達は束の間の自由を得たのだった。
最愛の妹であるリリのデビュタントの2年後、彼は親友である宮廷近衛騎士が義弟になるなど、当時は全く考えてもいなかった。
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