18話 やるしかない
朝食の席についた時には、もう足に力が入らなかった。
「これから毎日これ……」
椅子に座ったまま、あたしは机に突っ伏した。
向かいではシェイラが何事もなかったように朝食を食べている。カティアも少し疲れた様子はあるものの、普通に動いていた。
「体を動かした後は肉をしっかり食べた方がええで」
「しっかり目に作りますね」
カティアがそう言って、皿に肉を追加していく。
「お肉は食べたいけど、代償が大きすぎる……」
「何言うてんの。これから鍛えるんやから、ちゃんと食べなあかんで」
「鍛えるって言ったって……」
「まあ、“午前中”はこの辺にしとこか」
「午前中……?」
嫌な単語が聞こえた。
シェイラは肉を頬張りながら、何でもないことのように続ける。
「夕方にフットワークの練習しよ」
「シェイラコーチ、今日はもういいんじゃ……」
「はよ使いこなせるようになりたいんやろ?」
「う、うん……」
そこを突かれると弱い。
術符を使いこなせるようになりたい。それは間違いなく、あたし自身が決めたことだ。
「鍛えなあかん事いっぱいあるんやから。ランニングで持久力。ダッシュ、ジャンプで瞬発力。切り返しも必要やからフットワークの訓練もやな」
「……」
聞いているだけで疲れてきた。
「全部一気にやるわけじゃないでしょうし、心配しなくても大丈夫ですよ……たぶん」
「たぶんって何よ」
「私にもシェイラさんがどこまでやるつもりなのか、まだ分からないので」
カティアが苦笑する。
シェイラはそんな二人を見ながら、少し考えるように箸を止めた。
「あんたは力がないわけでもないし、不器用なわけでもない」
「そうなの?」
「工房でも農園でも、普通に力仕事はしてたやろ?」
「まあ、それはそうだけど」
「今まで圧倒的に、自分の体を大きく使うことをしてきてなかったんや」
その言葉には思い当たるところがあった。
魔導具を作っている時は、細かい作業が多い。農園の仕事でも荷物を運んだり、作業を続けたりすることはあったけれど、走り回ったり、素早く身体の向きを変えたりすることなんてない。
「やらなあかんのは、言ってみれば自分の体をうまく使う訓練やな」
「自分の体をうまく使う訓練……」
「それを訓練するにも、まずは体力やな! これは走り込みが一番やで」
「結局そこに戻るのね……」
朝食を食べ終え、三人で冒険者ギルドへ向かった。
依頼を探していると、シェイラが掲示板を眺めながら何枚かの依頼書を手に取る。
「これとかええんちゃう?」
「どれ?」
覗き込む。
荷物運び。
「……今日はもうちょっと軽めでいいんじゃない?」
「なんで?」
「朝走ったから」
「朝走ったからこそやろ」
「普通は逆じゃない?」
カティアが横から依頼書を覗き込む。
「でも、荷物運びなら私も手伝えますし、そんなに大変ではないと思いますよ」
「カティアまでそっち側なの?」
そんなやり取りをしていると、受付の方から声がかかった。
「キャナリィさん?」
振り向くと、ミアがこちらを見ていた。
「おはようございます」
「おはよう。どうしたの?」
ミアは少し首を傾げて、あたしを見ている。
「キャナリィさん、なんだか体の動きが変ですけど大丈夫ですか?」
「え?」
言われて、自分の歩き方を確認する。
確かに足が重い。
「ちょっと今朝からトレーニングを始めたの」
「トレーニングですか?」
「術符を使うためにね」
「そうなんですか。でも、無理はしないでくださいね」
「うん……」
その後、受けた仕事はいつも通りに終わった。
荷物を運び、指定された場所まで届ける。普段なら特に気にすることもない仕事だったのに、今日は足が重い。少し歩いただけでも脚に疲労が残っているのが分かる。
シェイラとカティアはいつも通りだった。
あたしだけが、昨日までとは違う身体を持っているみたいだった。
昼を過ぎて部屋へ戻ると、シェイラが荷物をまとめ始めた。
「ちょっと思いついたことあるから、出てくるわ」
「どこに?」
「まあ、ちょっとな」
それだけ言って、シェイラは出ていった。
「夕方はフットワークやでー」
「忘れてないわよ」
扉が閉まる。
ようやく静かになった。
「あたしは研究しよう」
「嬉しそうですね」
「そりゃそうでしょ。やっと研究できるんだから」
机の上に術符を並べる。
昨日の実戦で分かったことを、一つずつ整理していく。
紙の術符は、設置するには向いている。
目立たないし、術式を書く面積も十分にある。あらかじめ仕掛けておけば、かなり便利だ。
でも、戦闘中に使うには問題がある。
薄い紙は風に煽られる。
数メートル先の敵に向かって投げたところで、狙った場所へ飛んでくれるとは限らない。
そもそも、敵に距離を詰められてから術符を設置するなんて無理だ。
「投げて使えるなら……」
昨日のシェイラの言葉を思い出す。
硬くて、小さいもの。
あたしは机の上に置いてあったコインを手に取った。
これなら持ち歩くのにも困らない。
ポーチに何枚か入れておけばいい。
硬いから紙よりも飛ばしやすい。
投げるだけなら、カティアでも使える。
「コイン型……」
簡単な術式なら、なんとか書けそうだった。
ただし、複雑な術式は難しい。
面積が足りない。
術式そのものを小型化する必要があるし、素材を加工するなら紙よりも当然コストがかかる。
万能というわけにはいかない。
「でも、簡単な術式なら……」
その時、カティアがコインを覗き込んだ。
「私の魔法でそのコインを弾にするのはどうでしょうか?」
「弾?」
「正直、石程度だと弾としての強度が低いので、もっと堅い敵を相手にするにはコインくらいの強度はあったほうがいいと思うんです」
言われてみれば、その通りだった。
カティアは魔導具を使わない。
術符も使える。
そして、あたしよりずっと普通に身体を動かせる。
「なるほど……」
コイン型なら、カティアの魔法と組み合わせて使える。
複雑な術式は無理でも、簡単な術式をたくさん持ち歩くなら悪くない。
「コイン型は、これはこれで使い道がありそうね」
机の上にコインを置く。
ただ、これとは別に、もっと大きな術式を投げて使う方法も必要になる。
もう少し大きくて、なおかつ投げられるもの。
そこまで考えたところで、扉が開いた。
「ただいまー」
シェイラが戻ってきた。
「おかえり。何してきたの?」
「まあ、ちょっとな。それより」
シェイラがあたしを見る。
「時間やで」
「……もう?」
「もうや」
「研究してたのに」
「夕方はフットワークやって言うたやろ」
「……はい」
外へ出る。
シェイラが地面に四つの石を置いた。
それぞれに番号が書かれている。
あたしを中心に、前後左右。
一歩踏み出せば、手が届くくらいの距離だった。
「まずは簡単なやつからや」
「何するの?」
「ウチが数字言うから、その石に触って中央に戻る」
「それだけ?」
「それだけ」
シェイラが指を一本立てた。
「二!」
身体を右へ。
石に手を触れる。
中央へ戻る。
「四!」
左。
戻る。
「一!」
前へ。
しゃがんで石に触れ、立ち上がる。
「三!」
後ろへ。
戻る。
最初は簡単だった。
「二、四、一、三」
問題なくできる。
シェイラが少しだけ間隔を短くする。
「二、一、四、三、二」
少し忙しくなる。
「四、二、三、一!」
「えっ」
慌てて足を動かす。
一歩遅れた。
「はい、今の遅い」
「分かってるわよ!」
「数字聞いてから考えとるやろ」
「だってどこか考えないと分からないでしょ!」
「聞いた瞬間に動けるようになるんや」
また数字が飛んでくる。
「三!」
後ろ。
「一!」
前。
「四!」
左。
「二!」
右。
「二、右手!」
「えっ」
同じ石でも、右手か左手かで身体の向きが変わる。
しゃがんで手を伸ばし、立ち上がる。
戻る。
「四、左手!」
「ちょっと待って!」
「待たへんで」
「無理!」
「無理やない」
数字が飛んでくる。
身体が追いつかない。
足を踏み出す。
手を伸ばす。
しゃがむ。
立つ。
戻る。
また次。
息が上がってくる。
「ほら、足止めたらあかんで」
「止まってない!」
「今止まった」
「止まってない!」
「止まった」
「……ちょっとだけ!」
何度も間違えた。
シェイラはそのたびに速度を落とし、できるところまで戻してやり直させる。
カティアは横で応援してくれている。
「頑張ってください、キャナリィさん! 美味しいご飯作りますんで!」
「ありがとう……」
それだけ返すのが精一杯だった。
「今日はここまでやな」
「……やっと?」
その場に座り込む。
「反応速度を上げるんも大事やけど、まずは自分の身体を思った通りに動かせるようになることからや」
シェイラが石を拾い上げる。
「今日のところは十分や」
地面に座ったまま、空を見上げる。
朝は走った。
昼は仕事をした。
午後は研究した。
そして夕方は、わけの分からない石を触って回る訓練をした。
「……冒険者って、もっとこう、魔物を倒す仕事じゃなかったっけ」
「それも仕事やで」
シェイラが笑う。
「でも、あんたが術符を使いこなしたいんやったら、今はこれも仕事や」
返す言葉がなかった。
机の上には、まだ何も書かれていないコインがある。
あれを術符にする。
そのためには、もっと研究が必要だ。
そして、それを使うためには、もっと身体を動かせるようにならなければならない。
「……明日も走るの?」
「もちろん」
「……そう」
明日の朝が来るのが、ちょっとだけ嫌になった。




