Case 015: Stack Overflow
「さあ、犯罪者チェックサム。 次はお前の番だ」
ヌルが勝ち誇ったように笑みを浮かべていた。
俺は冷静に状況を分析した。
つまり、あいつは全ての変数をnullにしてしまえる。
人間自体は『変数』じゃないから消すことはできない。
だが——例えば目の状態、手の状態、そういった『パラメータ』は変数だ。
あいつに触れられたら、目を消されたり、手を消されたりするかもしれない。
ラムダの目を治したばかりだってのに、またそんなことになったらたまったもんじゃない。
「……厄介だな」
ヌルがまるで弾丸のように突っ込んできた。
その速度は、やはり桁外れだ。
勇者チート——普通の人間では考えられないほどの身体能力。
俺は咄嗟に横に跳んで回避した。
「逃げるな!」
ヌルが追いかけてくる。
その動きは俊敏そのものだった。
俺並みに速い。
いや、もしかしたら俺より速いかもしれない。
「チェックサム様!」
ラムダが叫んだ。
だが、武器を失った彼女にできることは限られている。
「下がってろ!」
俺は叫び返した。
「あいつに触れられたら、終わりだ!」
俺はコマンド入力画面を開いた。
いつものように、魔法を直接実行する。
『> fire_storm.exe (現在座標, 999999, 前方)』
エンター。
炎の嵐が、ヌルに向かって放たれた。
だが——
「無駄だ!」
ヌルが炎に向かって手を翳した。
次の瞬間、炎が霧散した。
まるで最初から存在しなかったかのように、消え去った。
「なっ……!」
「私の能力『ヌル参照』は、人以外なら何でも消せることを忘れたか!」
ヌルが不敵に笑う。
「魔法だろうが、武器だろうが、触れてしまえば終わりだ!」
俺は舌打ちした。
魔法が効かない。
しかも、こいつは俺並みに俊敏だ。
距離を取っても、すぐに詰められる。
「ならば——」
俺は連続でコマンドを入力した。
『> ice_lance.exe (現在座標, 999999, 前方)』
『> lightning_bolt.exe (現在座標, 999999, 前方)』
『> wind_blade.exe (現在座標, 999999, 前方)』
氷の槍、雷撃、風の刃。
三つの魔法が同時にヌルに向かって放たれた。
だが——
ヌルは涼しい顔で、全ての魔法に手を触れていった。
氷が消えた。
雷が消えた。
風が消えた。
「無駄だと言っただろう?」
ヌルが嘲笑した。
「いくら魔法を放っても、私に触れられてしまえば全て消える」
くそ。
こいつの身体能力は、俺の魔法の速度すら上回っているのか。
俺は必死に魔法を連発した。
『> fire_ball.exe (現在座標, 999999, 前方)』
『> earth_spike.exe (現在座標, 999999, 前方)』
『> water_cannon.exe (現在座標, 999999, 前方)』
火球、土の槍、水の砲弾。
全て、ヌルの手によって消されていく。
「はははっ! どうした、それだけか!」
ヌルが笑いながら迫ってくる。
だが——
俺は、ある違和感に気付いていた。
魔法を連発している最中、周囲の動きが——ほんの少しだけ、遅くなっている気がする。
ラムダの動き。
風に揺れる木の葉。
飛んでいる鳥。
全てが、ほんの少しだけ——スローモーションになっている。
「……なるほど」
俺は、閃いた。
この世界は、プログラムで動いている。
そして、俺が放つ魔法は——全て『処理』として実行されている。
つまり——
「……よし」
俺は作戦を変えた。
魔法の向きを——上に変えた。
『> fire_storm.exe (現在座標, 999999, 上方)』
『> ice_storm.exe (現在座標, 999999, 上方)』
『> lightning_storm.exe (現在座標, 999999, 上方)』
炎と氷と雷が、天に向かって放たれた。
「……何をしている?」
ヌルが訝しげに俺を見た。
「気でも触れたか?」
俺は答えなかった。
ただ、魔法を撃ち続けた。
ヌルに向かってではなく、天に向かって。
ヌルに触れられないように同じ魔法を、何度も何度も。
ループ処理を使って、無限に近い回数の魔法を一気に発動する。
『> for i in range(10000): fire_ball.exe』
一万発の火球が、天に向かって放たれた。
空が、炎で埋め尽くされていく。
「何の意味がある!」
ヌルが叫んだ。
「私に当たらない魔法など、無意味だ!」
だが俺には、はっきりと見えていた。
ヌルの動きが——明らかに遅くなっている。
さっきまでの俊敏さが、嘘のように。
まるで、水の中を歩いているかのような、緩慢な動き。
「な ん だ こ れ」
ヌルの声が、間延びした。
彼女の動きが、完全にスローモーションになっていた。
そう、処理落ちしていたのだ。
「これが——DDos攻撃だ」
俺は、普通の速度で言った。
「DDos攻撃ってのは、簡単に言えば『大量の処理を送り付けて、相手のシステムをパンクさせる』攻撃だ」
俺はヌルの周りをゆっくりと歩いた。
彼女は俺を睨んでいるが、体が追いつかない。
「サーバーには処理能力の限界がある。 その限界を超える量のリクエストを送り付ければ、サーバーは処理しきれなくなって——動きが鈍くなる」
聞こえていないだろうが、俺は続けた。
「この世界も同じだ。 この世界を動かしている『システム』には、処理能力の限界がある」
ヌルが必死に動こうとしているが、その動きは亀のように遅い。
「俺が大量の魔法を放つことで、この世界に『処理落ち』を発生させた。 結果——俺以外の世界が、スローモーションになった」
厳密に言えば、俺自身もこの世界の一部だ。
だが、俺は『管理者』。
きっとシステムを操作する側の人間は、処理落ちの影響を受けない仕様なのだろう。
「いくら勇者でも、これは想定外だったようだな」
俺はヌルの背後に回り込んだ。
彼女は振り向こうとしているが、その動きは蝸牛のように遅い。
「時を制する者が、場を制する」
俺は言った。
「頭を冷やせ、脳筋勇者——」
俺は、ヌルの頭に手刀を振り下ろした。
彼女の手に触れないように、慎重に。
背後から、頭頂部を狙って。
ゴッ。
鈍い音がした。
ヌルの目が、次第に虚ろになっていく。
そしてゆっくりと、地面に崩れ落ちた。
スローモーションの中、彼女の体が倒れていく。
俺は魔法の連発を止めた。
処理落ちが解消され、世界が元の速度に戻る。
ドサッ。
ヌルが地面に倒れた。
完全に気絶した。
「……辛くも、制圧成功か」
俺は溜息をついた。
「チ ェ ッ ク サ ム 様 !」
「ぷっ」
ラムダがスローモーションで駆け寄ってきた。
その様がアホらしくて思わず吹き出してしまう。
「ご 無 事ですか……!?」
もう処理落ちは必要ないから、先ほどの魔法をタスクキルして消す。
急に戻るのも面白いからやめてほしい。
まるで通信が悪い時のビデオ通話そのものだ。
「ああ、なんとかな」
俺はヌルを見下ろした。
「こいつを宿に連れていく。 事情を聞かないといけないからな」
「はい……!」
俺はヌルを担ぎ上げた。
思った以上に重いなこいつ。
筋肉質な体は、見た目以上に質量があるようだ。
◆◆◆◆◆
辺境の休息亭。
俺たちは、ヌルを俺の部屋に運び込んだ。
椅子に座らせ、念のためロープで縛っておく。
しばらくして——ヌルが目を覚ました。
「……ここは」
「俺の宿だ」
俺は素っ気なく答えた。
「お前には聞きたいことがある」
「……私は負けたのか」
ヌルが呻いた。
「信じられん……。 勇者である私が、負けるとは……」
「勇者だろうが何だろうが、世界の仕組みを理解していなければ負ける」
俺は言った。
「それより、質問に答えろ」
「……私は敗者だからな、聞いてやる」
なんで上から目線なんだよ、こいつ。
「なぜ俺を追ってきた。 シープラ帝国の件が、なぜジャバ共和国で罪に問われる」
ヌルは眉を顰めた。
「……私は、元首から命令を受けた」
「元首?」
「ジャバ共和国の元首だ。 『シープラ帝国で暴れ回った犯罪者がいる。捕らえよ』と」
俺は腕を組んだ。
「それで、何も聞かずに飛んできたのか?」
「……ああ」
ヌルが苦々しげに言った。
「元首の命令だ。 勇者として従うのは当然のこと」
「詳細は聞かなかったのか」
「……聞いていない」
俺は呆れた。
「お前、本当に何も考えずに来たのか」
「勇者は悪を許さない。 それだけだ」
「その『悪』が本当に悪なのかどうか、確認もせずにか?」
ヌルは黙った。
「お前が『犯罪者』と呼んでいる俺は、シープラ帝国で何をしたか知っているか?」
「……知らない」
「国民全員を魅了で操っていた偽物の聖女を暴いて、国を解放したんだよ」
ヌルの目が、大きく見開かれた。
「……何だと?」
「チェックサム様は、シープラ帝国を救った救世主です」
ラムダが口を開いた。
「私もその場にいました。 彼は、魅了に操られた国民全員を解放し、悪女クロージャを捕らえました」
「そんな……」
ヌルの顔色が変わった。
「では、私は……」
「お前は、何も知らずに濡れ衣を着せられた人間を追い回していたんだよ」
俺は冷たく言った。
「『勇者は悪を許さない』? 笑わせるなよ。 お前がやったのは、ただの冤罪に傷を塗る行為そのものだ」
ヌルは俯いた。
その肩が、震えている。
「……私は」
彼女の声が、掠れた。
「私は、何をしていたのだ……」
沈黙が、部屋を満たした。
◆◆◆◆◆
しばらくして——ヌルが顔を上げた。
その目には、決意のようなものが宿っていた。
「お前は強者だ」
ヌルが言った。
「私は、強い者に従う」
「……何?」
「私の勘違いで、お前に迷惑をかけた。 その償いをさせてくれ」
ヌルがロープを引きちぎろうとした。
だが、俺が頑丈なロープを選んでおいたおかげで、簡単には切れない。
「おい、何をしている」
「私のカラダを、好きに使え」
ヌルがそう言いながら、鎧の留め具を外し始めた。
「は?」
鎧が外れ、その下の筋肉質な体が露になり始めた。
引き締まった腹筋、鍛え抜かれた腕。
筋肉質だが、女性らしい曲線も残っている。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」
ラムダが慌てて割り込んだ。
「貴女、何をしているのですかっ!」
「何って……女が男に差し出せるものなんて、一つしかないだろう?」
「そういう意味じゃないでしょうっ!」
ラムダが真っ赤な顔でヌルの鎧を押さえた。
「お、おい、止めろ——」
「アドミン様、この方は何か勘違いされているようです!」
「分かってる!」
俺は頭を抱えた。
何でこうなるんだ。
「とにかく服を着ろ! 話はそれからだ!」
「……そうか。 まだ早かったか」
ヌルが残念そうに言いながら、鎧を着直し始めた。
何が『早かった』だ。
そういう問題じゃないだろう。
この世界には、色ボケ女しかいないのか?
◆◆◆◆◆
ヌルが服を整えた後、俺たちは改めて話し合った。
「……状況は分かった」
俺は言った。
「要するに、お前はジャバ共和国の元首に騙されて、俺を追いかけてきたわけだ」
「……そのようだ」
ヌルが苦々しげに頷いた。
「だが、なぜ元首がそのような嘘をついたのかは分からない」
「シープラ帝国とジャバ共和国は隣国だったな」
「ああ、国交もある」
「なら、クロージャの一派と繋がりがあっても不思議じゃない」
俺は顎に手を当てた。
「クロージャは捕らえたが、その背後にいた奴らが動いている可能性がある」
「つまり、私は利用されていたということか」
「そういうことだ」
ヌルの拳が、握りしめられた。
「許せん……! 勇者である私を、駒のように使うとは……!」
「落ち着け」
俺は言った。
「怒りは分かるが、今は情報が足りない。 ジャバ共和国に行って、元首から直接話を聞く必要がある」
「……私も、それを望む」
ヌルが頷いた。
「元首に、真実を問いただしたい」
「私も同行します」
ラムダが言った。
「チェックサム様を追い回した責任は、きちんと取っていただかないと」
「……お前に言われる筋合いはないが」
ヌルが渋い顔をした。
「まあ、仕方ない」
「仕方ありませんね」
ラムダも仕方なさそうに言った。
二人の間に、微妙な緊張が流れていた。
だが、目的は一致している。
「……よし」
俺は言った。
「とりあえず一時休戦だ。 ジャバ共和国まで一緒に行って、真相を確かめるぞ」
「了解した」
「承知しました」
二人が同時に頷いた。
こうして俺たちは、新たな旅に出ることになった。
ジャバ共和国へ。
この茶番の黒幕を、暴くために。




