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「セキュリティはAIで十分」と言われクビになったエンジニア、異世界で管理者権限を拾う  作者: 田中田田中
Bug 005: DDos攻撃

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20/20

Debug 005: 虹に触れて

【ラムダ視点】

「お前――元は、そんな綺麗な紫色の目をしていたんだな」


「……え?」


 その日、私はすべてを手に入れました。

 かつて失った七色も、見る影もなかった顔の傷も、そのすべてを。


 初めは、その眩さに目が慣れませんでした。

 世界には、こんなにも色があったのですね。


 私はただ呆然(ぼうぜん)と——何度も何度も、瞬きを繰り返しておりました。


 部屋の壁。

 窓から差し込む橙色の光。

 木目の床。

 白い天井。


 何十年も見えていなかったものが、今は全て見えているのです。


 (しん)じられませんでした。

 あの方が——アドミン様が、私の目を元に戻してくださったのです。



 ◆◆◆◆◆



 涙が止まりませんでした。


 両手で顔を覆っても、指の隙間から(あふ)れ続けます。


「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」


 私は何度も繰り返しました。

 声が途切(とぎ)れて、嗚咽(おえつ)が混じっても、それでも止められませんでした。


 しばらくして——ようやく涙が落ち着いてきた頃。

 私は、改めてあの方を見つめました。


 これまで魔力感知でしか捉えられなかった輪郭(りんかく)が、今ははっきりと『見える』のです。


 黒い髪。

 細身の体躯(たいく)


 そして——


「……あなたが」


 私は掠れた声で言いました。


「チェックサム様……いえ、アドミン様なのですね」


 今、私の目の前にいるのは、黒髪のアドミン様でした。

 バーで私を冷たくあしらった(・・・・・)あの男性。


 けれど、今この瞬間に見る彼は——まるで別人のように感じられました。


 こんなに美しい方だったのですか。

 心の中で、そう(つぶや)いておりました。


 整った顔立ち。(するど)いけれど冷たすぎない目元。

 魔力感知では分からなかった——あの方の、本当の素顔(すがお)


「……ああ」


 あの方は、短く答えました。


「素敵なお名前です」


 私は微笑(ほほえ)みました。


 異母妹(クロージャ)に奪われたと思っていた、すべてが。

 何もかも元通りに戻ってきたのです。


 涙で濡れた顔のまま——それでも、心から微笑(ほほえ)むことができました。


 真名(まな)を教えていただけた。

 それだけで、どれほど(うれ)しかったことか。


 チェックサム様としてしか知らなかった方が、(いつわ)りのない名を私に告げてくださったのです。

 それが、何よりも(とうと)いことでした。



 ◆◆◆◆◆



「ビジネスの関係なら——俺も、信用できる」


 あの方はそう(おっしゃ)いました。


 ビジネスの関係。

 その言葉に、少しだけ胸が(きし)みました。


 私は——できることなら、もっと特別な存在になりたかったのかもしれません。

 けれど、それは贅沢(ぜいたく)というものでしょう。


 人を信じられないと(おっしゃ)っていたあの方が、私を『信用できる』と言ってくださったのです。

 それだけで、十分すぎるほど幸せでした。


「この目の分は、俺のために働け」


 あの方が手を差し出しました。


 私はその手を、強く握りました。


「……はい」


 私の声は震えていました。


 けれど——確かな決意を込めて、言葉を紡ぎました。


「私は——あなたのために、働きます」


 この命が尽きるまで。

 この目が光を失うまで。


 ——いえ、たとえ失っても。


「あなたの剣となり、盾となることを——ここに誓います」


 あの方の手は、温かかったです。


 魔力感知では分からなかった——人の『温もり』というものを、私はこの時初めて理解いたしました。



 ◆◆◆◆◆



 その夜のことでした。


 私はすぐさま辺境の休息亭(ボーダーズ・レスト)に引っ越しました。

 アドミン様の隣の部屋です。


 荷物を片付けて、寝巻きに着替えて、ベッドに横になって——


 眠れませんでした。


 目を閉じても、心臓が(うるさ)いほど()り続けているのです。

 あの方のご尊顔(そんがん)が、(まぶた)の裏に浮かびます。


 黒髪の——アドミン様。


 初めて『見た』、あの方の素顔(すがお)

 整った顔立ち。(するど)いけれど冷たすぎない目元。

 そして差し出された、あの温かな手。


 ——(むね)(おく)が、熱くなります。


 目を治していただいたこと。

 お名前を教えていただいたこと。


 『ビジネスの関係なら——俺も、信用できる』


 あの言葉を思い出すたびに、胸の奥がじんわりと疼くようでした。

 パートナーとして認めていただいたこと。


 『この目の分は、俺のために働け』


 あの方の手を、私は握りました。

 あの時の——あの方の手の温もり。

 私の手を、強く握り返してくださった感触。


 思い出すだけで、身体が火照(ほて)ってしまいそうで。

 それがまた、(こわ)いほど(うれ)しかったのです。


 これからは——一緒に旅ができる。

 そう、あの方の(そば)にいられるのです。


 その事実が、(うれ)しくて(うれ)しくて——(たま)りませんでした。


 けれど、この高揚(こうよう)は——ただの喜びとは、少し違うものでした。

 (むね)(おく)から(あふ)れ出す想いが、身体中を駆け巡って、落ち着かなくしてしまうのです。


 私は——無意識にシーツを(にぎ)りしめました。


 目を(つむ)り、あの方のことを思い浮かべます。


 バーで初めてお会いした時のこと。冷たくあしらわれても、どこか惹かれてしまったこと。

 毒蜥蜴から助けていただいた時のこと。


 無詠唱の大魔法で、私を(かば)ってくださったこと。

 協会の地下牢で、私を逃がしてくださったこと。


 シープラ帝国で、(つぶ)された両腕を元に戻してくださったこと。

 そして今日——私の目を、治してくださったこと。


 一つ一つの記憶が、押し寄せては胸を満たしていきます。

 幸せで、苦しくて、また幸せで。


 ——ああ。


 この想いは、もう(おさ)えきれそうにありません。


 けれど、どうすることもできない私は、ただ寝返りを打つことしかできませんでした。

 ベッドが小さく()いて、そのたびに我に返ります。


 それでも、瞼の裏には——あの方。


 『アドミン』と名乗ってくださった、あの瞬間(しゅんかん)

 私を『信用できる』と言ってくださった、あの瞬間(しゅんかん)


 思い出すたびに胸が熱くなり、また眠れなくなる。


 結局——私が眠りについたのは、空が(しら)み始める頃でした。


 (つか)()てた身体を、シーツに(しず)めながら。

 それでもまだ、(むね)(おく)には——()えない火種(ひだね)(くすぶ)っておりました。



 ◆◆◆◆◆



 翌朝。


 私は朝食の席で、アドミン様と向かい合っておりました。

 昨夜あれほど興奮していたせいか、少し眠気が残っております。


 けれど、あの方の御顔(おかお)を拝見できるだけで、眠気など吹き飛んでしまいそうでした。


「アドミン様、お顔の色が優れないようですが……」


 私は心配になって(たず)ねました。


「大丈夫ですか?」


 あの方は、少し()を置いてから——


 何か言いづらそうに、口を開きました。


「……俺も、そういう欲がないとは言わんから、多少は許してやるが」


 ……え?


 何の話でしょうか。


「お前、夜(うるさ)いのはなんとかしろ」


「う、うるさい……?」


 私は首を傾げました。


「睡眠を妨げるなら、店主に頼んで離れた部屋に移動してもらうか、元の宿に戻ってもらうからな」


 ——その瞬間。

 私の顔が、沸騰(ふっとう)したように熱くなりました。


 聞こえていたのですか。

 あの、ベッドが(きし)む音が。


 この薄い壁を通して——全部。


「え……? あ……その……っ!」


 言葉が出ませんでした。

 口をパクパクさせるばかりで、何を言えばいいのか分かりません。


 アドミン様は淡々と朝食を()()み、席を立ちました。


「先に部屋に戻る」


 その背中(せなか)を見送りながら——


「いやああぁぁっ!」


 私は思わず叫んでおりました。

 恥ずかしさのあまり、(あたま)が真っ白になってしまったのです。


 あの方に、聞かれていたなんて……!


 その日は午後まで、私はアドミン様の御顔(おかお)()()ぐに見ることができませんでした。



 ◆◆◆◆◆



 午後になって、私たちは冒険者ギルドに向かうことになりました。

 パーティ登録をするためです。


 宿を出る直前——あの方の姿が、一瞬で変わりました。

 黒髪から、金色の髪へ。

 黒い瞳から、(あお)の瞳へ。


 細身(ほそみ)の体躯は変わらないまま、まるで別人のような——けれど、確かにあの方だと分かる姿(すがた)


「……っ」


 私は、息を呑みました。


 これがチェックサム様のお姿なのですね。

 金色のお髪が、陽光を受けて輝いております。


 そして、あの碧色の瞳。

 魔力感知では分からなかった——色というものの美しさを、私はこの時改めて知りました。


 まさに虹のようでした。

 様々な色が重なり合い、輝きを放つ——そんな美しさ。


 アドミン様としての黒髪も素敵でしたが、チェックサム様としての金髪もまた——

 心を奪われてしまいそうなほど、美しかったのです。


「どうした? 行くぞ」


「は、はい……!」


 私は慌てて返事をしました。


 見惚(みと)れていたことを(さと)られてはいけません。

 これ以上、恥ずかしい思いはしたくありませんでしたから。



 ◆◆◆◆◆



 冒険者ギルドで、私たちは正式にパーティを登録しました。

 パーティ名は『検証者(デバッガー)』。


 不具合を見つけて修正する者——あの方の役割そのものを表す名前です。

 私は、そんな『検証者(デバッガー)』の一員になれたのです。


 それだけで、胸が(あつ)くなりました。


 けれど——

 その日の夕刻。


 私たちの前に、(あら)たな脅威(きょうい)が現れました。


「見つけたぞ、犯罪者チェックサム!」


 空から降ってきた竜。

 そしてその背に(また)がった、短い紅髪の女。


 ジャバ共和国の勇者——ヌル=ポインタ。

 彼女は大剣(たいけん)(かま)え、チェックサム様に()りかかってきました。


「お待ちください!」


 私は咄嗟(とっさ)に前に出て、レイピアで受け止めました。


 目が見えるようになった今、魔力感知に(つい)やしていた魔力を攻撃に使えます。

 炎の魔法を(まと)ったレイピアで、ヌルの大剣を()かしていく——


 勝てる。

 そう思いました。


 けれど——


「私は勇者だから、特別なんだ」


 ヌルが、素手で私のレイピアに触れました。

 次の瞬間——レイピアが、消えました。


 私の手から、武器が消失したのです。


「私の、レイピアが……!?」


「この能力『ヌル参照』は、人以外なら触れたらなんでも消せるのさ」


 ヌルが勝ち誇ったように笑いました。

 私は——何もできませんでした。


 武器を失い、ただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くすことしかできなかったのです。

 あの方が大量の魔法を放ち、世界を(おそ)くして、ヌルを制圧するまで——


 私は、何の役にも立てませんでした。



 ◆◆◆◆◆



 その夜。


 宿に戻り、気絶したヌルから事情を聞いた後——


 私は自分の部屋で、一人(うつむ)いておりました。

 悔しかったのです。


 あの方のパートナーになれたのに。


 目を治していただいて、強くなれたと思っていたのに。

 結局、肝心(かんじん)な時に何もできなかった。


 それどころか——


 ヌル=ポインタ。


 あの女勇者を見た時、私の胸に(よぎ)ったのは、恐怖だけではありませんでした。


 また、私の居場所が奪われるのではないか。

 そんな不安が、(むね)(おく)(くすぶ)っていたのです。


 あの方は、強い者を(この)まれるのでしょう。

 それに、筋肉質で魅力的な体つき。

 私よりも強い女が現れたら——私はまた、()てられてしまうのではないか。


 かつて侯爵家で、異母妹に居場所を奪われたように。

 また同じことが起きるのではないかと——


 考えれば考えるほど、心が(くら)(しず)んでいきました。

 けれど——


 ふと、あの方の言葉を思い出しました。


『ビジネスの関係なら——俺も、信用できる』


 あの方は、私を『信用できる』と(おっしゃ)ってくださったのです。


 強いからではない。

 特別だからでもない。


 ただ——対等な関係として、私を認めてくださったのです。


 ならば。

 私は、その信頼に応えなければなりません。


 今日は役に立てなかった。

 けれど、明日からはもっと強くなればいい。


 武器を失っても戦えるように。

 魔法を(ふう)じられても(あきら)めないように。


 どんな逆境(ぎゃっきょう)でも——あの方の(そば)にいられるように。

 私は、(こぶし)(にぎ)りしめました。

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