Case 013: style="color: #B79AE6"
「あなたが、チェックサム様だったのですか……!?」
ラムダの声が、宿屋の玄関に響いた。
「……」
俺は何も答えられず、ただ頭に手を置いていた。
「あの時から、ずっと同じ方だったのですか……!?」
ラムダの声が震えている。
驚き、困惑、そして——何か別の感情も混じっているようだった。
「……話せば、長くなる」
俺はようやく口を開いた。
「ここで立ち話もなんだ。とりあえず中に入れ」
「え……」
「店主、隣の部屋を使わせてもらう」
俺はヴォイドに言った。
「……別に、構わんが」
ヴォイドは太い腕を組んだまま頷いた。
「宿屋は信用で成り立つ仕事だ。 ここで見たことは、誰にも話さん」
「……助かる」
俺はラムダを二階の部屋に通した。
◆◆◆◆◆
部屋に入ると、ラムダは緊張した面持ちで椅子に座った。
俺はベッドの端に腰を下ろし、どう説明したものかと考えた。
「……まず、何から聞きたい」
「全てです」
ラムダは即答した。
「あなたが、何者なのか。 なぜ姿を変えられるのか。 なぜあれほどの力を持っているのか。 全て、お聞かせください」
「……」
全て、か。
それは無理だ。
というか、説明しても伝わるかどうか怪しい。
「これは確認だが」
「はい」
「……お前は、脆弱性という言葉を知っているか」
「脆弱性、で……ございますか?」
ラムダが首を傾げた。
「聞いたことがありません」
だろうな。
「じゃあ、由仁という名に聞き覚えは?」
「いえ、聞いたことがございませんが……」
ラムダは眉をひそめた。
「それが、あなたと何か関係が?」
「……いや、いい。 やっぱり別の説明をする」
やはり、俺の元居た世界の知識は通じない。
そもそもプログラムやシステムという概念がない世界に、セキュリティの話をしても意味がないのだ。
ならば——別の言い方をするしかない。
「俺は、この世界の外から来た」
「外……で、ございますか?」
「ああ、この世界とは別の世界だ」
ラムダの表情が、一瞬固まった。
「別の、世界……」
「信じられないかもしれないが、事実だ」
俺は続けた。
「この世界を作った奴がいる。 そいつは俺の……知り合いだ」
『友人』とは、今は言いたくなかった。
「その知り合いから、この世界の不具合を取り除くように頼まれた」
「不具合……?」
「ああ、この世界にはおかしなところがいくつもある。 それを見つけて、報告して、直すのが俺の仕事だ」
ラムダは黙って俺の話を聞いていた。
彼女の目は見えないが、その表情は真剣そのものだった。
「……世界の創造者」
やがて、ラムダが呟いた。
「つまり——神様、ということですか」
「……いや、そういうわけじゃ――」
「この世界を作られた方。 そして、この世界の秩序を正すためにあなたを遣わされた……」
ラムダの声が、震え始めた。
「やはり、あなた様は——神の使徒様だったのですね!」
「……おい」
人の話を聞けよ。
「いえ、そうに違いありません!」
勝手に確信するな。
そんなところまで盲目になる必要はないだろ。
「無詠唱で大魔法を放ち、人の腕を再生させ、国を一人で救ってしまう——そのような御業。 とても、人間にできるはずがありません」
「いや、だから——」
「私は、今まで神など信じたことがありませんでした」
ラムダは興奮していて俺の言葉を遮ってくる。
「この目を奪われた時も、侯爵家を追われた時も、神に祈ったことはありません。 神がいるなら、なぜこんな目に遭うのかと——恨んだことすらあります」
「……」
「ですが」
ラムダは俯いた。
「あなたのことなら、信じることができます。 あなた様がこれまでになさったことは、私があなた様のことを神様の御使い様であると断言できるだけの奇跡だったのですから」
その声は、静かだが、揺るぎなかった。
「私の命は、あなたによって何度も救われました。 毒蜥蜴の時、協会の地下牢の時、そしてシープラ帝国でも——」
彼女が顔を上げた。
「あなたが神の使徒様であろうと、そうでなかろうと。 私にとっては同じことです」
「……何が言いたい」
「共に行動させてください」
ラムダは真っ直ぐに俺を見た——いや、俺を『見つめる』ようにこちらに顔を向けた。
「私は、あなたのお役に立ちたいのです」
◆◆◆◆◆
その言葉を聞いて、俺は黙り込んだ。
共に行動する。
確かに、それは合理的な提案だ。
ラムダは冒険者としてBランクの実力を持つ。
この世界の常識や情報にも詳しい。
俺一人では得られない力になるだろう。
だが——
「……無理だ」
俺は言った。
「……え?」
ラムダの表情が、曇った。
「なぜですか……? 私では、力不足だと——」
「そうじゃない」
俺は首を横に振った。
「お前の実力は分かってる。 この世界の知識も俺にとってはありがたいものだ」
「では、なぜ……」
「……」
俺は少し考えてから、口を開いた。
「俺はな、この世界に来る前——元の世界で、仕事をしていた」
「……はい」
「会社という組織に属して、セキュリティエンジニアという仕事をしていた。 お前には分からない言葉だろうが、お前たちの分かるように話すとすれば、他人が作った建物や仕組みの欠陥を見つけて報告する仕事だ」
ラムダは黙って聞いている。
「だが、ある日——俺は、上司に突然捨てられたんだ。 お前が家族に捨てられたのと同じようにな」
「捨てられた……?」
「ああ、『お前の仕事はもう必要ない。 今日でクビだ』と言われてな」
俺は吐き捨てるように言った。
「何年も働いてきたのに、たった一言で切り捨てられた。 理由の説明もなく、弁明の機会もなく——ただ、いらなくなったから捨てられたんだとさ」
「そんな……」
ラムダの声に、同情の色が混じった。
「それは——あまりに理不尽ではありませんか」
「理不尽だろう?」
俺は肩を竦めた。
「だが、人間ってのはそういうもんだ。 必要な時は持て囃し、いらなくなったら捨てる。 そういう生き物だ」
「……」
「その上——」
俺は続けた。
「俺をこの世界に連れてきた奴——さっき言った『知り合い』だが」
「はい」
「そいつも、俺に何の説明もしなかった」
「……え?」
「俺はゲームの診断を頼まれただけだった。 なのに気がついたら、この世界に放り込まれていた」
ラムダが息を呑んだ。
「そして——一緒に来たはずの友人も、説明もなしにどこかに消えた」
「友人……?」
「ああ、そいつが俺をここに連れてきた張本人なんだが——今は連絡すら取れない」
俺は苦々しく言った。
「俺だけがこの世界に取り残されて、何がどうなっているのか分からないまま——」
俺は言葉を切った。
「……だから、今の俺は——お前が思っている以上に、他人に信用を置くことができないんだ」
極度の人間不信。
ダサい話だが、要するに人が、信じられなくなってしまったのだ。
どれだけ濃い関係を築こうと、「本心ではどう思っているのか分からない」と大きな壁を作ってしまうようになった。
いくら共闘した仲間だったとしても、まだ半年も共にしていないぽっと出の相手に、信頼を置くことができないのだ。
沈黙が、部屋を満たした。
ラムダは何も言わなかった。
ただ、俯いたまま——何かを噛み締めているようだった。
◆◆◆◆◆
「……そうでしたか」
やがて、ラムダが口を開いた。
その声は、小さく震えていた。
「あなたも——捨てられたのですね」
「……」
「私と、同じ」
ラムダの声に、深い共感が滲んでいた。
「私も——父に捨てられました。 異母妹の讒言を信じ、私を追放した」
「ああ、知っている……」
「あなたが人を信じられないのは、当然のことです」
ラムダは顔を上げた。
その盲目の瞳は、まっすぐ俺を『視て』いた……気がした。
少なくとも、顔は俺の正面を向いていた。
「今の私は——あなたの奴隷になってもいいと思っております」
「……は?」
俺は思わず聞き返した。
「何をすれば、あなたは不安になられずに——私を頼ってくださるでしょうか?」
「いや、待て。 奴隷って——」
「私は本気です」
ラムダの声には、冗談の欠片もなかった。
「あなたに命を救われた恩は、一生かけても返しきれません。 それに——」
彼女が俯いた。
「私には、もう帰る場所もありませんから」
「……」
「侯爵家には戻れませんし、戻る気もありません。 ただ冒険者として生きていくしかないのです」
ラムダは静かに続けた。
「であれば——せめて、あなたのお役に立ちたい。 それが、私の望みです」
俺は黙っていた。
こいつの言葉は、本気だ。
ここまで言われたのは——正直、人生で初めてだった。
上司に捨てられ、由仁に説明もなく放り込まれ——俺は逃げてばかりいた。
人間不信を盾にして、誰とも深く関わろうとしなかった。
だが——
「……一つ、聞いていいか?」
俺は口を開いた。
「何でしょう」
「お前が人生で一番目標にしていることは、なんだ?」
質問に質問で返す形になったが——これが、俺なりの歩み寄りだった。
◆◆◆◆◆
ラムダは、少し考え込んだ。
「……目標、ですか」
「ああ、お前が今、この人生で一番求めているものだ」
「……」
ラムダは俯いた。
その手が、自分の目元へと伸びる。
「少し前まで——」
彼女は静かに言った。
「私は、義眼がほしいと思っておりました」
「義眼?」
「はい。 このなくなった目を埋めて——魔力で、また色を見るための義眼です」
ラムダの指が、目に巻き付けた布に触れた。
「ですがこの世界の義眼とは——それはもう高価で」
彼女の声が、翳りを帯びた。
「今の私なんかでは、到底買えるものではなく。 私はもう半分諦めて——」
そこで、ラムダの動きが止まった。
彼女は何かを決意したように——ゆっくりと、目に巻いた黒い布を緩め始めた。
「……何をしている」
「あなたには——見せておこうと思いまして」
布が、少しずつ解けていく。
そして——
「……っ」
俺は、息を呑んだ。
そこにあったのは——凄惨な傷跡だった。
両目があった場所は、陥没していた。
まるで鈍器で殴られたかのように、皮膚は歪み、黒ずみ、醜く潰れていた。
これは——抉られたのではない。
打撃で、文字通り『潰された』跡だ。
「……クロージャの仕業か」
「……はい」
ラムダは静かに答えた。
「私が侯爵家を追われる直前——あの子に、こうされました」
その声には、怒りも悲しみもなかった。
ただ、諦念があった。
「もう、元には戻らないと——この国の医者にも言われました。 きっと義眼を入れれば、魔力でまた色を『見る』ことはできるようですが——」
彼女が俯いた。
「この世界の義眼は、それはもうとても高価で。 今の私では到底買えるものではなく――」
「……」
「ですからもう半分、諦めていたのです。 どうせ見えないのなら、高い金を払って義眼を入れる意味もないと——」
「待て」
俺は彼女の言葉を遮った。
「ちょっと黙ってろ」
「は、はい……」
俺は管理者ツールを開いた。
ラムダのステータスを表示する。
目の項目を探す。
『両眼: 損傷(完全喪失)』
『視力: 0』
『外見_顔面: 損傷(重度)』
……こういうパラメータになっているのか。
だが、パラメータになっているのなら。
俺はごくりと唾を飲む音を鳴らしながら、慎重に値を書き換え始めた。
『両眼: 正常』
『視力: 1.0』
『外見_顔面: 正常』
エンター。
瞬間——
◆◆◆◆◆
ラムダの顔が、光に包まれた。
「……っ!?」
彼女が驚きの声を上げる。
光が収まった時——そこには、別人のような顔があった。
陥没していた目元は、滑らかな肌に戻っていた。
潰れていた皮膚は、傷跡一つなく修復されていた。
「目を……開けてみろ」
そして——
閉じられていた瞼が、ゆっくりと開いた。
「……あ……っ!」
ラムダが、小さく声を漏らした。
その瞳は——
薄紫だった。
透き通るような、美しい藤色。
まるで黎明の空のような、澄んだ紫。
「お前——」
俺は思わず呟いた。
「元は、そんな綺麗な紫色の目をしていたんだな」
「……え?」
ラムダが、戸惑いの表情を浮かべた。
そして——自分の手を見た。
「……見える」
その声が、震えた。
「み、見える……! 私の手が、見えます……!」
ラムダが両手を見つめる。
そして、周囲を見回す。
部屋の壁。
窓から差し込む光。
ベッドの端に座る俺の姿。
「あ……ああ……!」
涙が、彼女の頬を伝い始めた。
紫色の瞳から、透明な雫がこぼれ落ちる。
「信じられません……!」
ラムダは嗚咽を堪えながら言った。
「あなたは、なんでもできてしまうのですね……」
「……」
「目を……私の目を、元に戻してくださった……」
彼女の声が、途切れ途切れになる。
「何十年も、見えなかったのに……。 色を、忘れていたのに……」
ラムダは両手で顔を覆った。
だが、指の隙間から、涙が溢れ続けている。
その涙がとてもきれいで、俺はそこにある光景に手を加えたくなかった。
「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
彼女は何度も、何度も繰り返した。
◆◆◆◆◆
俺は、黙ってラムダを見ていた。
正直――少し、戸惑っていた。
俺にとっては、ステータスの値を書き換えただけだ。
数秒で終わる、簡単な作業。
だが、彼女にとっては何十年もの苦しみが、たった今終わったのだ。
その重みは、俺には分からない。
しばらくして、ラムダが顔を上げた。
紫色の瞳は、まだ涙で潤んでいる。
だが——その目は、真っ直ぐに俺を見ていた。
初めて、本当の意味で——俺の姿を、見ていた。
「……あなたが」
ラムダは掠れた声で言った。
「チェックサム様……いえ、アドミン様なのですね」
「……ああ」
俺は言った。
本名をまた別にあるが、今は水を差すところじゃないだろう。
俺にもそのくらいの分別はあるつもりだ。
「アドミン様……」
ラムダは、その名前を噛み締めるように繰り返した。
「素敵なお名前です」
ラムダは微笑んだ。
涙で濡れた顔で——それでも、美しく微笑んだ。
「……」
俺は溜息をついた。
そして——決意した。
「……いいだろう」
「え……?」
「ビジネスの関係なら——俺も、信用できる」
俺はラムダを見据えた。
「だから——この目の分は、俺のために働け」
「……!」
ラムダの目が、大きく見開かれた。
「俺が求めるのは、それだけだ。 お前の命とか、奴隷になるとか、そういうのはいらない」
「……」
「ただ、俺が頼んだ時に——力を貸してくれ。 それで、貸し借りなしだ」
俺は手を差し出した。
「それでいいか?」
ラムダは、俺の手を見つめた。
そして——その手を、握った。
紫色の瞳が、揺らいだ。
「……はい」
ラムダは言った。
その声は、震えていた。
だが——確かな決意が込められていた。
「私は——あなたのために、働きます」
彼女は俺の手を、強く握った。
「この命が尽きるまで。 この目が光を失うまで。 ——いえ、たとえ失っても」
ラムダは真っ直ぐに俺を見つめた。
「あなたの剣となり、盾となることを——ここに誓います」
その紫色の瞳は——今まで見た、どんな宝石よりも美しかった。




