Debug 004: 貴方に魅かれて
【ラムダ視点】
ジキル伯爵家の応接室で、私は言葉を失いました。
「銀髪の……フェッチ様が攫われた……?」
伯爵の顔は、蒼白でした。
「ラムダ殿。これを見てほしい」
伯爵が差し出したのは、一通の手紙です。
私は震える手でそれを受け取り、魔力感知で文字を「読み」ました。
自分の魔力が紙に反射するのを感知し、その紙が筆圧で凹むことで得られる立体的な情報を見て、私は何が書いてあるのかが「理解」できます。
そして私の「理解」は文字だけでなく、筆跡にまで及びます。
この手紙の送り主は、シープラ帝国のモジーラ侯爵家。
そう、私の生家だったところ。
「……クロージャ」
私は、その名を呟きました。
異母妹の名前。
私を陥れ、この目を奪い、侯爵家から追放した張本人。
「ラムダ殿……?」
伯爵が、心配そうに私を見ました。
「恐らくは……私が狙われていたのです」
私は言いました。
「フェッチ様は、私と同じ背格好……。 きっと、身代わりに」
「なんと……!」
伯爵の声が、震えました。
私の心は、もう決まっておりました。
「伯爵様」
私は立ち上がりました。
「私が参ります」
「ラムダ殿!?」
「本来、私が逃げなければ良かったのです。 ですから、身代わりとして私が行きます」
伯爵が何か言おうとしましたが、私はもう聞いておりませんでした。
足早に応接室を出て、屋敷を飛び出します。
フェッチ様は、幼い頃、社交界で私を慕ってくださった方です。
お姉さまと呼んでくれた、大切な方です。
その方が、私のせいで――
「……待っていてください、フェッチ様」
私は走り始めました。
シープラ帝国へ。
あの、忌まわしい故郷へ。
◆◆◆◆◆
シープラ帝国の国境に着いた時、私は巨大な城壁を見上げました。
懐かしさなど、微塵も感じませんでした。
ここは私を追い出した国。
私の目を奪った国。
門番が、私を呼び止めました。
「止まれ! 通行証は?」
「……ラムダが来たと、モジーラ侯爵家にお伝えください」
私は静かに言いました。
「ラムダ……?」
門番が眉をひそめます。
「ラムダ・モジーラ。 モジーラ侯爵家の元第一令嬢です」
門番たちの表情が、変わりました。
「ま、待て……! 伝令を!」
慌ただしく兵士が走っていきます。
しばらく待つと、騎士が数人やって来ました。
「ラムダ・モジーラ殿か。 聖女様がお待ちです。 王城へ」
聖女。
クロージャのことでしょう。
この国では、あの異母妹が「聖女」として崇められているのです。
「……参りましょう」
私は、騎士たちに連れられて王城へ向かいました。
◆◆◆◆◆
玉座の間に通された時、私は息を呑みました。
広大な空間。
豪華な装飾。
そして、並ぶ貴族たち。
皆、虚ろな目をしておりました。
魔力感知で感じ取れる彼らの魂は、まるで空っぽのようです。
そして、その中央には――
「お姉さま」
甘い声が、玉座の間じゅうに響きました。
玉座の傍らに、一人の女性が立っておりました。
私はその声を知っております。
幼い頃から聞き続けた、はちみつのように甘ったるい声。
そして、この細身の輪郭と、優雅な身のこなし。
間違いありません。
この女は、悪魔です。
「……クロージャ」
私は、低い声で言いました。
「ようやく、お会いできましたね」
クロージャが、優雅に微笑みました。
「逃げ出したお姉さまを、ずっと探していたんですよ」
「フェッチ様を、今すぐ解放しなさい」
私は真っ直ぐにクロージャを見据えました。
「あの方は関係ありません。私を狙っていたのでしょう?」
「まあ、怖い顔!」
クロージャが、くすくすと笑いました。
「ですが残念ですわ、お姉さま」
彼女が指を鳴らすと、騎士たちが私を取り囲みました。
「フェッチ様の解放? そんなこと、誰がするものですか」
「……何ですって?」
「だって、お姉さまも捕まえてしまえば、二人とも手に入りますもの」
私は咄嗟に魔力を練りましたが、遅すぎました。
背後から別の人間に何かで殴られ、私は意識を失いました。
◆◆◆◆◆
目が覚めた時、私は玉座の間の床に跪かされておりました。
両手は縛られ、レイピアも奪われております。
隣には、同じく縛られたフェッチ様がおりました。
「フェッチ様……! ご無事ですか……!」
「ラ、ラムダお姉さま……!」
フェッチ様の声は、恐怖に震えておりました。
「ふふふ、仲良しですこと」
クロージャの声が響きました。
彼女は玉座の傍らに立ち、ドレスを纏っておりました。
魔力感知で感じ取れるのは、その布地に染み込んだ生臭い気配。
血に濡れているのです。
「……何をしたのです」
私は問いました。
「何って、お仕置きの準備ですよ?」
クロージャが、剣を手に近づいてきます。
「お姉さま。貴方は、まだ罪の意識がないみたいですね」
「罪……? 私が何をしたと言うのです」
「安心してください」
クロージャの声が、冷たく響きました。
私の話を聞かないクロージャ。
彼女は民たちを騙すために、自分を「演じて」いるのでしょう。
「私が、我らが神の代わりに罪を裁いて差し上げますから」
そして、彼女の目が細まりました。
「これまで罪から逃げてきた、『お仕置き』です」
次の瞬間――
激痛が、私を貫きました。
「っ……!!」
私は声にならない悲鳴を上げました。
私の両腕が、肘から先が、落ちていたのです。
「きゃああああっ!!」
フェッチ様の悲鳴が、玉座の間に響き渡りました。
「ふふ、得意のレイピアも、これでもう使えませんね」
クロージャが嘲笑しました。
そして――彼女は切断された私の腕を、その足で踏み潰したのです。
グチャリと、肉が潰れる音がしました。
「あ……ああ……」
私は、その光景を魔力感知で「視て」おりました。
私の腕だったものが、無残に潰されていく。
「お姉さまが剣士としての矜持を持っていらっしゃったようですから。腕がなくなれば、もう戦えませんよね?」
クロージャの声が、遠くに聞こえます。
視界が――いえ、魔力感知が霞んでいきます。
痛みと失血で、意識が遠のいていく――
「さあ、お姉さま。ここでお別れですね」
クロージャが剣を振りかぶる気配がしました。
ああ、私は、ここで死ぬのですね。
チェックサム様に、お礼も言えないまま。
あの方の顔も、ついに見ることができないまま。
それが、何よりも心残りでした。
その時でした。
「待て、屑女」
低い声が、玉座の間に響きました。
私は、その声を知っております。
何度も、何度も、私を救ってくださった声。
「チェックサム様……!」
私は叫びました。
苦痛に痛みで声は掠れておりましたが、それでも叫ばずにはいられませんでした。
「あ、あなた様は……!」
次の瞬間、フェッチ様の体が光に包まれました。
そして――消えました。
「なっ……!?」
クロージャが驚愕の声を上げます。
「何をしたのですか!?」
「答える義理もないな」
チェックサム様の声は、冷たく凛としておりました。
彼がそこにいるだけで、私の心は安らいでいきます。
また、来てくださったのです。
また、助けに来てくださったのです。
クロージャが何か叫んでおりましたが、私にはもう聞こえておりませんでした。
意識が、薄れていく。
でも、大丈夫だと思えました。
チェックサム様がいらっしゃるのですから。
◆◆◆◆◆
次に意識が戻った時、私は白い光の中におりました。
温かい光が、私を包んでおります。
天国に来たのでしょうか。
「……ラムダ」
チェックサム様の声が聞こえました。
「立てるか」
その声と共に、手が差し出されました。
私は咄嗟に、その手を取ろうとして――
気付きました。
私の両腕が、あるのです。
「え……?」
私は、自分の手を見つめました。
魔力感知で、確かめます。
そして実際に触って、二度目の確認。
肘から先が――あります。
切断されたはずの腕が、元に戻っているのです。
「私の、腕が……?」
夢を見ているのでしょうか。
いえ、夢ではありません。
確かに、私の腕がここにあるのです。
「チェックサム様……!」
私は、差し出された手を握りました。
温かい。
この方の手は、いつも温かいのです。
「また、助けていただいたのですね……!」
私は立ち上がりながら、涙が溢れてきました。
流れ出るのを止められませんでした。
あの絶望の淵から、また救い上げてくださったのです。
しかも、失った腕まで元に戻してくださった。
これは、もう人間の力ではありません。
まるで、神の御業のようでした。
「……」
チェックサム様は何も仰いませんでした。
ですが、その手は私をしっかりと支えてくださっておりました。
周囲を魔力感知で確認すると、玉座の間の様子が変わっておりました。
虚ろだった貴族たちの目に、光が戻っております。
皇帝陛下も、皇太子殿下も、正気を取り戻されたようです。
そして、クロージャは騎士たちに取り押さえられておりました。
「どうなっておりますの……!?」
自分の思い通りにいかなくなったクロージャが喚いておりました。
ですが、もう誰も彼女の言葉に耳を貸しません。
チェックサム様は、たったお一人でこの国を救ってしまわれたのです。
◆◆◆◆◆
「ラムダ」
その時、聞き覚えのある声が響きました。
モジーラ侯爵。
私の父です。
「すまなかった」
父が、私に頭を下げました。
「私は……娘に操られていた。 お前を追い出したのも、クロージャの讒言に惑わされてのことだ」
私は何も答えませんでした。
答える言葉がなかったのです。
「どうか、許してくれ。 そして、侯爵家に戻ってきてくれないか」
父の声には、懇願が滲んでおりました。
「お前は私の娘だ。 正統な嫡子だ。 今度こそ、お前を守ると誓う」
私は俯いたまま、黙っておりました。
何を今更、と思いました。
私を追い出して、この目を奪わせて。
何十年も苦しめておいて、今更「許してくれ」ですか。
その時でした。
「おめでたい奴だな」
チェックサム様の低い声が響きました。
「……何者だ?」
父がチェックサム様を見ました。
「失明したことを理由に勘当し身分すらなくして追い出した張本人が、たった数秒謝っただけで、それまでの何十年間の過ちを許してくれるとでも思ったのか?」
それは、私の心を代弁してくださっているかのよう。
「な……!?」
父の顔が強張りました。
「ラムダがこんなになったのも全部、お前が新しい配偶者を適当に選んだせいだよ」
「お前は何を言っている! これは我が家の問題だ、部外者が口を出すな!」
「部外者?」
チェックサム様が、鼻で笑いました。
「お前こそ、こいつとはもう部外者だろう?」
そう、私は勘当された身。
もう戻ってくるなと言ったのは、彼の方からだったのに。
「くっ……」
「何を一丁前に口を出しているんだか。 それとも、今から数十年と失明して、身分を全部捨てて冒険者として生きてみるか?」
「そんなこと、できるわけがないだろう?」
「ふん」
チェックサム様が、私の手を取りました。
その瞬間、私の心臓が大きく跳ねました。
「そんな覚悟すらない部外者が口を出すな。 これは、俺のだ!!」
「チェック……サム様……っ!」
私は、声が震えておりました。
『これは、俺のだ』
その言葉が、私の胸を貫きました。
「待て、貴様――」
「こんな場所にいる必要はない。 帰るぞ」
チェックサム様が、私に言いました。
私を見上げる……いえ、私が見上げているのです。
このお方を。
「はい……!」
私は頷きました。
小さく、だが確かな声で。
チェックサム様が私の手を握ったまま、何かの合図をしました。
次の瞬間――私たちの体が、光に包まれました。
◆◆◆◆◆
光が収まった時、私たちは見知らぬ部屋に立っておりました。
木の温もりを感じる、小さな部屋です。
宿屋の一室のようです。
「……ここは」
私は、きょろきょろと周囲を魔力感知で確認しました。
「ここなら安全だ」
チェックサム様が、短く言いました。
「……」
私は、チェックサム様を見上げました。
言葉にできない感情が、胸に溢れておりました。
感謝。
畏敬。
そして――それだけではない、何か。
「チェックサム様……」
「何だ」
「ありがとうございます」
私は、深く頭を下げました。
「また、助けていただきました。 腕も……元に戻していただきました」
私は自分の両手を見つめました。
ついさっきまで、切断されていた手です。
「夢のようです。 あの時、もう二度と剣は握れないと思いましたから」
「……」
「でも、貴方様のおかげで……」
声が、震えました。
「もう、何度目か分かりません。 貴方様には、感謝してもし足りません」
「礼など、いらない」
チェックサム様は素っ気なく言いました。
「お前は自分の家に帰れ。 俺ももう今日は、疲れた」
「……はい」
私は頷きました。
そして、部屋の外に出ようとした時――
階段を上がってくる足音が聞こえました。
宿の店主のようです。
「おう、戻ったか」
店主がチェックサム様に声をかけました。
そして、私を見ました。
「……まるで送り狼だな」
「ほっとけ」
チェックサム様は短く返しました。
私は少し顔が熱くなるのを感じながら、「失礼します」と言って宿を出ました。
◆◆◆◆◆
宿を出て、私は歩きながら考えておりました。
チェックサム様は、私の手を取ってくださいました。
「これは、俺のだ」と、仰ってくださいました。
父の謝罪を一蹴し、私を連れ出してくださいました。
私の心臓が、まだ高鳴っております。
あれだけ追いかけても、いつも距離を置かれていると思っておりました。
私が近づこうとしても、あの方は颯爽と去っていってしまう。
そう思っておりました。
ですが今日、あの方は私の手を取ってくださいました。
離れていたと思っていた心が、近づいていたのかもしれません。
私だけでなく、あの方も。
少しだけ、近づいてくださっていたのかもしれません。
「……」
私は、立ち止まりました。
胸に手を当てます。
心臓が、まだ鳴り止みません。
あのお方は、本当に何者なのでしょうか。
無詠唱で大魔法を放ち、人の腕を再生させ、国を一人で救ってしまう。
もしかしたら、神の御使い様なのかもしれません。
この世界に遣わされた、神の代理人。
ですが――
「それでも」
私は、小さく呟きました。
「もし貴方様が神の御使い様だったとしても……」
私の声は、震えておりました。
「私は、この恋心を止められそうにありません」
それは、もう既に恋に変わっておりました。
もう、誤魔化すことはできませんでした。
私はチェックサム様を、愛してしまったのです。
◆◆◆◆◆
ふと、私は気付きました。
先ほどの宿は、どこだったのでしょうか、と。
チェックサム様に転移で連れてきていただいたので、場所がわからないのです。
私は魔力感知を広げ、周囲を確認しました。
見覚えのある街並みです。
ここは……レドマイン男爵領……いえ、今はレイルズ子爵家の管轄下になった街。
私がいつも活動している街です。
そして、あの宿は――
「……辺境の休息亭?」
私は、呆然としました。
辺境の休息亭。
街のはずれにある、あの閑散とした宿屋。
店主が強面で人気がないと聞いておりましたが……
まさか、チェックサム様があの宿に泊まっていらっしゃるのですか?
しかも、あの部屋は二階の奥。
つまり、先ほどのやり取りで私はチェックサム様の部屋の情報まで、知ってしまっていたのです。
「はは……み、見つけました。 手がかり……!」
私は、その場で立ち尽くしました。
意図せず、チェックサム様が泊まっている宿と、その部屋の情報を入手してしまいました。
喜びが、体の奥から湧き上がってきます。
震えが、止まりません。
今まで、あれほど追いかけても見つけられなかったのです。
それが、こんな形で――
「ふふ……」
私は、思わず笑みがこぼれました。
これは、神様からの贈り物なのかもしれません。
今日、私を助けてくださったお礼として。
私は、足取り軽く自分の宿に戻りました。
ですが、その夜は眠れませんでした。
チェックサム様のことを考えると、胸が高鳴って眠れないのです。
あの方の手の温もり。
あの方の声。
「これは、俺のだ」という言葉。
何度も、何度も、思い返しておりました。
◆◆◆◆◆
翌朝、私は日の出と共に起き上がりました。
ほとんど眠れませんでしたが、不思議と体は軽いのです。
私は身支度を整え、真っ先に辺境の休息亭へ向かいました。
宿の扉を開けると、店主が出迎えました。
ガタイのいい強面の大男です。
確かに、見た目は怖いですが……声は穏やかでした。
「何か用か」
そのぶっきらぼうさも、きっとチェックサム様にとって、居心地がよかったのでしょう。
……いけませんね。
どうにもあのお方が絡むと、すべてを肯定しないと気が済まないようです。
「昨日、この宿の二階の奥の部屋に泊まっていた方を訪ねてきたのですが」
私は言いました。
「……ああ」
店主が、少し驚いたような声を出しました。
「お前、あの金髪の冒険者と一緒にいた銀髪のエルフか」
「は、はい。 私はラムダと申します」
「そうか。 ちょっと待ってろ」
店主が二階に声をかけました。
「おい、起きろ。 アドミン、お前に客だ」
……アドミン?
その名前に、私は眉をひそめました。
チェックサム様ではないのでしょうか。
別人なのでしょうか。
階段を降りてくる足音が聞こえます。
私は魔力感知を集中させて、その姿を「視」ようとしました。
そして――
二階から降りてきた人物の姿を捉えた瞬間、私は息を呑みました。
その輪郭、その体格、そしてその魔力の気配――
いえ、魔力の気配がないのです。
チェックサム様と同じように、魔力の波動がまったく感じられない。
そして、この足音は――
「あ……あなたは……!?」
私の声が、震えました。
「あのバーの……失礼な客……!」
そうです。
あの静寂の杯で、チェックサム様のことを話していた時。
隣に座っていた黒髪の男性。
「一人で静かに飲むのが好き」と言って、私の話を全然聞いてくれなかった、あの失礼な方。
そして、街を助けてくださったチェックサム様の英雄譚を語っている時も、感謝の言葉一つなく去っていった、あの人徳を知らない方。
「……は?」
その男性が、首を傾げました。
今の声――
そうです。
なぜ気が付かなかったのでしょうか。
この街を助けてくださった救世主のことをよく言わない者なんて、一人以外いないではありませんか。
感謝もせず、称賛もしない。
それは当然なのです。
ナルシストでもなければ、本人が自分のことを褒めるはずがありませんから。
「あなたが……」
私の声は、震えておりました。
「あなたが、チェックサム様だったのですか……!?」
その男性――いえ、チェックサム様は、何も答えませんでした。
ただ、頭に手を置いて、何かを悔やんでいるような仕草をされておりました。
その時、私は確信しました。
この方が、チェックサム様なのだと。
だから、いくら追いかけても見つけられなかったのです。
涙が、頬を伝っていきます。
ああ、やっと見つけました。
私の、救世主様――




