13-2
零時四十分。
最初の報告が返ってきたのは橋からだった。
守屋ヨナ。トロール系亜人。保育施設の送迎ドライバー。資格は保留のままだ。
――橋、閉まりました。
――通れないのか。
――閉まりかけです。今、支えてます。
その一行を読んで俺は、息を止めた。
彼女は前に一度、同じことをしている。誤作動したゲートを自分の身体で支えて、子どもたちを通した。そのとき彼女自身は弾かれた。
――何人通す。
――二十二人です。
――何人通した。
――九人。
俺は端末を握り直した。
――ヨナさん。無理なら――
――無理ですよ。
返事は早かった。
――無理ですけど、支えてる間は通れます。前にも言いました。
それからもう一行。
――怒らないでくださいね。私、こういうときだけ、身体が大きくてよかったと思うんです。
俺は返事を打てなかった。
この人は、自分が通ることを最初から勘定に入れていない。
*
一時ちょうど。
狐の裏帳簿の画面を俺は、三つに割っていた。
橋。港。屋根。三つの線が同時に動いている。
橋のゲートは、規格更新の途中で止まっていた。半分閉じた状態で固まっている。その隙間にトロールの女が、肩を差し込んでいた。
彼女の背中の向こうを人が通っていく。子どもを抱えた女。書類を持たない老人。荷物も持っていない若い男。誰も走っていない。走ると目立つからだ。早足で黙って一人ずつ。
ヨナの左腕が少しずつ下がっていた。骨格補強義体の出力表示が、赤に変わっている。規格外の使い方をしているという警告だ。
警告が出てもゲートは、彼女を待ってくれない。
――ヨナさん。
――はい。
――腕の表示は。
――見てません。
――見てくれ。
――見ると、力が抜けるので。
俺は打つ手を止めた。
――あと何人だ。
――十一人。
半分を超えている。
――ヨナさん。十九人でやめてくれ。
――どうしてですか。
――そこがたぶん、あんたの腕の限界だ。
数えていた。出力の落ち方から、あと何人ぶん保つのかを俺は計算していた。七年ぶんの癖だ。人を数字で見るのを、この頭はまだやめられない。
返事が少し遅れた。
――残りの三人は。
俺は答えられなかった。
――久我さん。
――なんだ。
――私、送迎の運転手なんです。
文字は一定の速さで来た。腕は震えているだろうに、打つ指は震えていない。
――乗せた子を途中で降ろしたことは、ありません。
画面の中で赤い表示が一段、深くなった。
港ではクレーンが空中で止まっていた。
三十トンの荷を吊ったまま、荒瀬ガントが動力を切ったのだ。荷は下ろせない。下ろせないからその下の区画に人が入っても、企業は重機を動かせない。安全確認の手順書にそう書いてあるからだ。
オークの夜勤班がクレーンの下に立っていた。十一人。全員、ヘルメットをかぶって指差呼称をしている。
規則どおりだった。彼らは今夜、規則の中で立っている。
地下保守区画では、四人が立っていた。
裏帳簿には映らない。あの区画に監視の目はないからだ。俺が見ていたのは水圧と通信量の数字だけだった。
数字は動いていた。一定の速さで上がって、下がって、また上がる。機械の呼吸ではない。人が腕で回している呼吸だ。
自動制御なら滑らかに動く。手で回すと段がつく。その段が数字の上に規則正しく並んでいた。
バルブが一つ回るたびに、区の四分の一の水と通信が行政の系統を迂回して別の線へ落ちる。落ちた分は記録に残らない。
四人。交代なし。一晩。
ドワーフの腕は、そういうふうにできている。
広告のほうはもっとわかりやすかった。
零時五十二分、湾岸の看板が一斉に同じ顔になった。
五十階ぶんの壁面も、無人タクシーの天井も、歩道の柱も、駅の柱も全部だ。街じゅうで同じ女が笑っている。
これまでと変わらない光景に見えた。実際、ほとんど変わっていない。もともとこの街の広告は、だいたいあの顔だった。
変わったのは認証機のほうだ。
街頭の端末は歩いている人間の顔を読んで帳簿と照らす。その視野の端に看板の顔が入る。
一枚なら誤差になる。街じゅうが同じ顔なら、誤差にならない。
認証機は照合を返し続けた。該当、早霧ルカ。該当、早霧ルカ。該当——。
この街の誰も彼もが同じ一人の女だと報告され続けた。
人間の担当者が見れば、一秒でわかる。だが今夜、街の照合を見ているのは書式だけだ。
屋根では猫又が走っていた。
旧市街の雑居ビルの上を影が次々に渡っていく。人を背負っている者もいる。荷を抱えている者もいる。老猫又の銀次がいちばん低い屋根の縁に立って、後ろから来る連中に手で合図を送っていた。
その中をいちばん小さい影が、いちばん速く走っていた。
ナズナだ。
屋根の線から短い通信が入った。
――久我。
銀次だった。老猫又は用がないと喋らない。
――何人だ。
――知らん。数えとらん。
――荷は。
――落としとらん。
それだけで済ませる気らしかった。
だが、もう一行来た。
――若いのを走らせすぎとる。止めるか。
俺は指を止めた。
――止めたほうがいいか。
――止まらんよ。言うても走る。
銀次はそう書いた。
――そういう仕込み方をしたのは儂じゃ。だから訊いとる。
俺はしばらく画面を見ていた。
――走らせてくれ。
――承知。
返事は短かった。そのあとに一行だけ追加があった。
――あとで請求書を送る。高いぞ。




