↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第一二話 神祇庁は祈らない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

95/107

12-8

 俺は一つだけ、賭けてみることにした。


「あんたに一つ訊きたいことがある」


「どうぞ」


「湾岸の埋め立てのいちばん外れ。小さい島がある。古い鳥居(とりい)と、参道だけ、妙に古い場所だ」


 白い手袋の指が端末の上で止まった。


 ほんの一瞬だった。まばたきほどの間だ。だが、止まった。


「……観光地ですね。文化財の保存対象です」


「保存してるのはどこだ」


「帳務院(ちょうむいん)です。文化財保護の枠組みで恒温恒湿の管理を行っています」


「ずいぶん丁寧に保存してるらしいな。開帳はしないのに」


「絶対秘仏です。開帳しない取り決めのものはこの国にいくつもあります」


 その答えはよどみなかった。用意された答えだった。だが、声の温度がわずかに落ちていた。


「あそこへ行ったことは」


「ありません」


 即答だった。


 この女はさっき、自分の失敗を何百件も数えたと言った。良いことではないが必要だと認めた。冷たいと言われても否定しなかった。何を訊いても揺れなかった。


 その女が島の話になった瞬間に即答した。


「近づかないほうがいいですよ」


 彼女は端末を閉じた。


「文化財ですので。……それと、久我(くが)さん。あなたのような方は特に」


「どういう意味だ」


「壊れやすいものに壊れやすい方が近づくべきではない、という意味です」


 彼女はそこで初めて俺の目をまっすぐ見た。


「あなたは帳簿の内側にいます。死んだまま、内側に。……内側にいる方は、内側から開く扉をいくつも持っている。それは私たちにとってとても便利でとても困ったことです」


 俺は黙っていた。


 この人は島の中身を知らない。知らないまま、畏れている。読めないものが読めないまま、そこに在ることをこの女はたぶん、俺より正確に理解している。


 白帳整理は、読めないものを封じる技から生まれた。そして今もこの街の隅に封じられたままの一件が残っている。


 もしその封が一度でも間違いだったと証明されたら。


 誤記で閉じ込めるという手が破れることが一度でも示されたら。


 この女が今、都市全域に敷こうとしている書式はその根から揺らぐ。


「なるほど」


 俺は言った。


「あんたが、俺を手元に置きたがる理由がもう一つ増えた」


 白瀬(しらせ)は答えなかった。


     *


「ではお返事を伺います」


 彼女は端末を持ち直した。


「回収員として戻れば、いくつかは見逃せます。戻らなければ、順番どおり、進みます。……どちらでも私の業務量は変わりません」


 俺が口を開きかけたとき、机の上の端末が震えた。


 俺のではない。俺の死んだ名前の端末だ。七年、地下の点検記録しか流れてこなかったほうの回線が、震えている。


「どうぞ。お出になって結構ですよ」


 白瀬(しらせ)が言った。


 俺は画面を開いた。


 作業指示。発行元、第九処理室。担当、久我(くが)ミナト。登録状態、死亡。稼働区分、回収員。


 その下に、対象が書いてあった。


 回収対象——湾岸第七複合ビル、住環境管理人格。登録名なし。


 コマリだった。


 部屋の温度が下がった気がした。実際には何も変わっていない。雨の音も、灰皿の位置も、目の前の白いコートも、さっきと同じだ。変わったのは、俺の名前が今、あの子を片づける側の欄に置かれたということだけだった。


「早いですね」


 白瀬(しらせ)は、画面を覗き込もうともせずに言った。


「システムは、担当者が決まると、すぐに割り当てます。……手の空いている回収員が近くにいましたので」


「俺だ」


「ええ。あなたです」


 俺は端末を伏せた。


「断る欄は」


「ありません」


 彼女は、あっさりと答えた。


「先日、あなたはご自分の回収を辞退なさいました。あれは、対象があなたご自身でしたから、意思確認の欄がありました。……他人を対象とする指示には、その欄がありません。死亡登録は、意思を持たないものとして設計されていますので」


「俺が動かなければ、どうなる」


「未実施の記録が残ります。それだけです」


 彼女は、少し首を傾けた。


「そして、別の回収員に再割り当てされます。……その方は、あのビルの住民の顔を、一人も知りません」


 俺は、灰桜(はいざくら)を噛んだ。


 うまい。ほんとうに、うまい。


 俺が断れば、知らない誰かが行く。俺が行けば、俺が片づける。どちらを選んでも、あの子は同じ欄に入る。違うのは、最後にあの子が見る顔だけだ。


「これも、取引の材料か」


「いいえ」


 白瀬(しらせ)は、首を横に振った。


「これは、ただの業務です。……取引に応じていただければ、この一件は凍結できます。それは、さっき申し上げたとおりです。ですが、この指示自体は、取引とは関係なく出ました。私が出したものでも、ありません」


 たぶん、本当だった。


 この女は、脅すために指示を出したりしない。書式が勝手に走っただけだ。そして、その勝手に走る書式を、彼女は止められる立場にいる。止めてほしければ、欄に戻れと言っている。


 いちばん、たちが悪い形だった。


「断る」


 俺は言った。


「理由を伺っても」


「あんたの見逃しは貸しだ」


 俺は言った。


「今日は三件見逃す。明日は二件になる。来月は一件だ。そのたびに俺は誰を守って誰を捨てるか、あんたの卓の上で選ばされる。……それは守ってるんじゃない。管理されてる」


「守ることと、管理することの違いを教えていただけますか」


「管理はあんたが線を引く。守るのはこっちが引く」


 俺はそこで一度、息を吐いた。


 断る理由なら、本当は、もっと単純なものがあった。


 七年前、俺は、同じ種類の取引を受けた側だった。


 秘匿任務のために一時的に死んだことになってくれと言われた。短い期間だと説明された。戻す手続きも用意されていると聞いた。あのとき俺は、たいした話ではないと思った。書式が一枚変わるだけだ。人が死ぬわけじゃない。


 その書式一枚で、俺は七年、宙ぶらりんのままだ。


 あのときも向こうは丁寧だった。怒鳴らなかったし、脅さなかった。ただ、こちらの得になる話として、卓の上に並べられた。


 同じ卓が今、目の前にある。


「一つだけ教えてやる」


 俺は言った。


「あんたの出す条件はたぶん全部本当だ。見逃すと言ったら見逃すんだろう。嘘じゃない。……だが、あんたたちの本当には期限が書いてない」


 白瀬(しらせ)は黙って聞いていた。


「俺の死亡処理にも、復帰予定の欄があった。空欄のままだった。誰も嘘はついてない。ただ、誰も埋めなかっただけだ。……あんたの見逃しも、同じ形をしてる」


「……そうかもしれません」


 彼女は否定しなかった。


「私たちの書式には、期限を書く欄が少ないんです。運用の都合で。……それは私も、以前から問題だと思っています」


 そういう答え方をする人だった。


 こちらの言い分を認めても、一歩も動かない。問題だと思っていると言いながら、来年も同じ書式を使う。悪意がないから、改善もされない。


 彼女は少しのあいだ、俺を見ていた。


 それから端末に何かを打ち込んだ。長い操作ではなかった。三つか四つ、指を動かしただけだ。


「わかりました」


 顔を上げた声は来たときと、同じ温度だった。


「では帳外として整理します」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。