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帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第一二話 神祇庁は祈らない

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12-4

 旧都庁第二庁舎の地下へ降りると、緑の薄闇はいつもどおりだった。


 だが、ラックの一つに見慣れない紙が貼ってあった。物理の紙だ。この時代にわざわざ印刷して貼ってある。


 廃止済み行政サーバ機器、廃棄予定通知。


「来おったわい」


 古椿(ふるつばき)は湯呑(ゆのみ)をすすった。丸眼鏡にブラウン管の緑が映っている。


「二十年前に廃止された機械じゃ。今さら廃棄もなかろうと思っとったが、帳面をきれいにする気になったらしい。……未処理の廃棄予定が残っとるのが気持ち悪いんじゃろうな」


「いつだ」


「日付は書いてない。じゃが来る」


 老人は袖口から伸びたケーブルを指で弾いた。ラックの奥で古い記録がかすかに明滅する。


「儂(わし)が消えると、何が困る」


「あんたの棚が消える」


 俺は言った。忘れ残しの置き場。名前のない子のいたという一行が眠っている場所だ。


「そうじゃ。……じゃからな、久我(くが)。少し、引っ越しの支度をしとる」


「引っ越し」


「棚の中身をな、あちこちへ薄く散らしておる。古い保守回線。使われとらん気象観測の記録層。どこかの倉(くら)の空箱。……一箇所に置いておくからまとめて消せる。散らしておけば、拾い直せる者が残る」


 古椿(ふるつばき)はそこで少し笑った。


「機械の年寄りにできることはそう多くない。じゃが物を隠すのだけは昔から得意でな」


     *


 御堂(みどう)には会わなかった。


 かわりに短い通信が一つ来た。文字だけのそっけないものだった。


 ――地下、封鎖命令。今夜から。


 それだけだった。あの男は余計なことを書かない。


 しばらくして二行目が来た。


 ――道路屋は道が閉じると仕事にならん。だから閉じた道の閉じ方を覚えておく。


 俺はその一行を読み返した。


 いつだったか、あの老エルフは言った。昔、ここを閉じた、と。企業側で地図から道を消した張本人だ。閉じ方を知っている人間は開け方も知っている。


 その日のうちに通達の束がいくつも流れてきた。


 港湾の事故証言に記録精査。荒瀬(あらせ)ガントたちが手書きで積み上げた安全確認表は、正式な記録ではないという理由で、参照対象から外される。


 広告人格の一件が回収対象に指定。街じゅうで笑い続けているエルフの偽物が丸ごと帳務院(ちょうむいん)の管理下に移る。


 地下保守区画の一部が閉鎖決定。樫森(かしもり)ガンテツたちが守ってきた手動バルブと非常導線がまとめて封じられる。


 交通権限の再審査。守屋(もりや)ヨナの送迎資格が保留扱いになる。


 港湾第六蔵置区の空コンテナ群が処分対象。倉(くら)の中身は、もうほとんど残っていない。それでも器ごと片づけるらしい。


     *


 通達の中で、一件だけ、俺は現場を見に行った。


 守屋(もりや)ヨナの送迎車が朝の橋の手前で止まっていた。


 黄色い小型バスだ。側面に子どもが描いたらしい動物の絵が貼ってある。何度も貼り替えたのか、糊の跡が層になっていた。


 運転席から降りてきたトロールの女は俺を見て、少しだけ困った顔をした。大きな体の人間が困ると、周りが先に気づく。この人は、たぶんそれをずっと気にして生きてきた。


「資格が保留になって」


 ヨナは言った。


「取り消しじゃないんです。保留。……だから、いつ戻るかは決まってない」


 バスの中には子どもが四人乗っていた。窓からこちらを見ている。一人が手を振ったので、俺は振り返した。


「今日は」


「この子たちは、私が連れてきちゃいました。資格がないのに運転したら、次は取り消しになるって、わかってるんですけど」


 彼女は、大きな手で自分の腕をさすった。


「昨日、保護者の方から電話があって。仕事、休めないって。……休んだら、その人の勤務評価に響く。響いたら、その人もいつか、整理の側の欄に行く。……そういう話を聞いちゃったので」


 橋の向こうから、ゲートの警告音が聞こえていた。


「今日は通れたんですか」


「通れました。三回目で」


 ヨナは少しだけ笑った。


「一回目と二回目は弾かれて。三回目に係の人が目を逸らしてくれました。……あの人も、たぶん怒られるんだと思います」


 俺は、その話を聞きながら灰桜(はいざくら)を噛んだ。


 書式は、一人を止めるためにできている。だが、その一人が止まると、保護者が止まり、保護者の勤務が止まり、ゲートの係員が咎められる。止まる範囲はいつも、書いてある欄より広い。


 それをあの女は数えていないのだろうか。


 いや。たぶん数えている。数えたうえで、許容範囲だと判断している。


「久我(くが)さん」


 ヨナが言った。


「もし、この橋が完全に閉じたら」


「閉じたら」


「私、たぶん真ん中に立ちます」


 彼女は橋のほうを見た。大きな体の、大きな手の女が朝の光の中でまっすぐ立っていた。


「前に一度やったんです。ゲートが誤作動して、閉まりかけたとき。……あのとき支えたら、子どもは通れました。私は弾かれましたけど」


「体が持たないぞ」


「持たなくても、支えてる間は通れます」


 俺はそのとき初めて、この人がなぜ子どもたちに慕われているのかがわかった気がした。


 この人は、自分が通ることを最初から勘定に入れていない。


 どれも暴力ではなかった。書式と、通達と、丁寧な文面だけだった。誰も殴られていない。誰も撃たれていない。ただ、一人ずつ、立っている場所が削られていく。


 俺は通達を一枚ずつ読みながら、気づいた。


 これまで俺が拾ってきたものが全部、同じ夜に同じ書式で卓の上に並べられている。


 向こうは覚えていたのだ。俺が何を拾ったかを一つ残らず。


 俺は通達を机に並べたまま、しばらく動かなかった。


 一件ずつなら、どれも小さい。証言が参照対象から外れる。資格が保留になる。区画が閉鎖される。誰も死なない。誰も捕まらない。役所に行けば、たぶん、丁寧に説明してもらえる。


 だが、並べると、形が見える。


 港が使えなくなる。地下が通れなくなる。道が閉じる。広告が押さえられる。倉(くら)が片づく。家が査察される。記録が消える。


 この街で帳に載らない者が身を隠せる場所が一つずつ塞がっている。


 逃げ道を潰してから整理する。順番として正しい。俺が企業にいた頃、同じ順番の手順書を読んだ覚えがある。まず退路を閉じる。それから対象へ向かう。抵抗が減るからだ。


 橋の一件で、俺は一度この流れを見ている。通れない者を街の外へ押し出し、押し出された者を未登録にして、未登録になった者を整理対象にする。あのときはその段取りが見えなかった。今は見える。


 あれは練習だったのだ。


 この街のあちこちで小さな整理を何度も走らせて書式の効き目を確かめていた。うまくいった書式だけが、残った。残った書式が今夜、全部まとめて一つの計画になっている。


 俺が関わってきた事件はどれも単発ではなかった。試験運用だった。

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